決着?
ウルフはアリシアの姿を解除して、
「俺の体から俺が生えている」
そういうと、自分の皮膚から小さなウルフを生やした。
小さなウルフたちは果実のように地面に産み落とされると、起き上がってこちらを睨みつける。
「俺は立ったまま動かずに走る」
俺がそう言った瞬間、俺は直立不動の姿勢のまま横にスライドするように地面の上を滑った。
滑空するように走り、勢いをつけてウルフの分身を一匹串刺しにした。
ウルフはこちらを見ると、
「俺の口の外は口の中だ!」
そう言った瞬間、ウルフの口の外にあるもの、教会の椅子や祭壇がウルフの口の中に引っ張られた。
空間を捻じ曲げて、家具を手繰りよせたようだ。
俺は飛んでくる椅子を素手で掴み、
「俺は椅子を生やす」
その瞬間、手でつかんでいた椅子が俺の体内に入り込んだ。
小さくなった椅子が手から皮膚を突き破って血管を通っていくのを感じる。
そして、背中から勢いよく椅子が飛び出た。背中に生えた椅子に、次々と家具の雨が降り注ぐ。
「そして、椅子は落果(果物が落ちること)する」
椅子は果物のように根元からポロリと取れて地面に転がった。
ウルフは、
「俺の言葉がお前を殴る」
と言い、
「死ね!」、「くたばれ!」、「消えろ!」、「ゴミクズ!」、「お前なんか誰も必要としない!」、「いなくなれ」、「死んじゃえ!」、「お前には何もできない」
と、続けて言った。
するとウルフが発した罵詈雑言は質量を孕み空中に物質として生成された。
空中にはウルフが言った言葉の嵐が漫画に出てくる台詞のようになって浮かびあがる。
それを見て、俺は、
「アリシアの言葉は俺を守る」
と言い、
「ケンは私と一生の友達でいてくれる?」、「誰かと親密になるということは、同時にその人を失う苦痛も背負わないといけない」、「君、ひょっとして別の世界から来たの?」、「そう。私の名前はアリシアよ」
アリシアとの会話が次々とフラッシュバックする。
そして、それらの言葉は現実に産み落とされた。
硬い石のようになって俺の周囲を取り囲む。
「アリシア、俺を守ってくれ」
「死ね!」
ウルフの叫び声とともに、一斉に罵詈雑言が俺の体めがけて殴りかかってきた。
アリシアとの会話にウルフの罵詈雑言が横殴りの雨のように降り注ぐ。
「それはお前とあの小娘、アリシアと言ったな。アリシアとの会話だな?」
容赦のない言葉の暴力は、アリシアとの会話を次々と砕いていく。
「そうだ!」
「なぜそんな言葉を盾にした? 優しい言葉よりも、悪口の方が強い。
そのことはよくわかっているだろ?」
「うるさい!」
人間は脆い。誰かに自分を否定するような言葉を言われると、大きく傷ついてしまう。
誰かに優しくしてもらった言葉なんてすぐ忘れるのに、嫌な言葉ばかりを思い出してしまう。
優しい言葉や、日常の会話なんて弱い。
明らかに人を傷つける言葉の方が強い。
強く深く人間の脳に刻み込まれる。
俺はウルフに押されている。
明らかに劣勢だ。アリシアの言葉はひび割れて、崩れかかってきた。
そして、劣勢の状態のままアリシアとの会話がウルフの罵詈雑言を打ち破った。
「ど、どうしてだ? なぜ俺の言葉が敗れた?」
アリシアとの会話のうちの一つ『そう。私の名前はアリシアよ』が『そう。』と『私の名前はアリシアよ』に分かれて、ウルフの分身を押しつぶした。
「絶対にお前に勝つ!」
俺は空気中に散乱している水分を集め、押し固めた。右手で液体の剣を掴む。
ウルフは口を大きく開いた。
口は顎を裂き、肩を破り、太ももを這いずって、臀部まで大きく開いた。
ウルフの内臓が大きく口を開いた。
「殺してやる!」
「俺は絶対にこの勝負に勝つ!」
そして、俺たちは全てを込めた一撃を放った。
狭い教会の中で、張りつめるような緊張感が波のように押し寄せる。
夜空から降り注ぐ流星のような光は、暗い室内を明るく濡らした。
長い長い戦いだった。ようやくもうそれが終わるのだ。
そして、暗い夜に一瞬だけ何かが光ったような気がした。勝負は一瞬でついた。
勝負に負けたのは俺だった。
俺の全身はもう五体満足でなくなっていた。
不完全になった俺の体はどこか美しかった。
右肩がない。右腕もない。
全部根元から引きちぎられてウルフに食べられた。
無くなった右腕があった箇所には、もう何もない。
焼けるような、冷たいような感覚だけがそこにある。
傷口が燃えるように熱い。熱を持って焼けているみたいだ。
傷口から溢れる血液は床にせせらぎを作る。
鮮やかなルビーのような液体が俺の体内から溢れて止まらない。
「お前の負けだ!」
「まだだ! 俺の仲間がそろそろここに着く頃だ」
「いいや、あいつらはもう逃げた」
「何? なんだと?」
「あいつらはお前のことを嫌っていたんだよ」
その瞬間、俺の部下が俺に陰口を言っているのが聞こえた。
聞こえないはずだ、影で言われているはずなのに、はっきりと俺の耳元で聞こえた。
「あんなやつ早く死ねばいいのに」、「援護をするふりをして放っておこうぜ」、「そうすれば屋敷は俺たちのものだ」、「ウルフにあいつの居場所を教えたの、実は俺なんだよね」、「いつも上から目線でムカつく」、「さっさと死ね」、「早く死んで欲しい」、「あいつなんていなければいいのに」、「あいつに友達なんて一人もいない」
次々と陰口が俺に浴びせかけられる。
「そんな、陰口が俺に聞こえるはずない!」
「聞こえない悪口が聞こえるな。クククっ」
「あいつらは俺の友達だ」
「気づいているだろ。お前にはもう友達なんて一人もいない!」
「そんな! 嘘だ! お前は嘘をついている。俺の仲間は必ずここに来る。
空気を操るガリムが必ずここに来る!」
「いいや、お前の仲間はこない」
ウルフはとどめをさすために俺に近づいてくる。
大きく開いた口にはびっしりと犬歯が生えている。美しい歯並びは芸術作品のようだった。
「来る! ガリムが俺のことを助けに来る。あいつは俺の最後の友達だ!」
「お前に友達なんてもういない。断言するお前は死ぬ。
俺の口の中に、この世界の全てがある」
そして、ウルフは大きく開いた口をさらに大きく開く。
何かが裂けるような音と、骨が砕ける音が聞こえる。
ウルフは、口を三百六十度開口した。
上顎と下顎が一周回ってもう完全にくっついている。
もうどう形容していいのかわからない異様な光景だ。
口は完全に体外に露出している。
口の外と中があべこべになっている。
そして、ウルフはその口を俺に押し付けきた。
「死ね!」
「ガリム! 助けてくれ!」
そして、絶体絶命の俺に救いの手が差し伸べられた。
突如突風のようなものが吹き荒れたのだ。
俺はガリムの能力を思い出した。
「こ、これはガリムの能力?」
「ぐわっ! なんだ? 本当に仲間が助けに来たのか?」
なんとか背後を見ようと、俺は引きちぎれそうな体を引きちぎった。
右腕に続いて左足もちぎれてしまった。もう痛覚なんてとっくにない。
「ガリム?」
俺は背後を振り返る。
暗がりの中から誰かがこちらに歩いてくる。
暗闇の中から月明かりの陽だまりの中に少しずつその姿を滑らせる。
その人物の足元から、ゆっくりと舐めるように光が照らす。様々な色の光が夜のカーテンを切り裂く。
そいつが俺に声をかける。
「人間の昆虫標本みたいね」
パワーワードの分類の一つ目は、通常ありえない主語と述語の組み合わせ。
その人物は戸惑う俺に、
「大丈夫?」
「いや大丈夫じゃない」
俺は爆ぜる物を抑え込み、口腔から声を絞り出す。
何かが胸の中でちぎれそうになる。
「大丈夫じゃないなら大丈夫ね」
パワーワードの分類の二つ目は、矛盾する一文。
パワーワードを聞くと、俺の体の傷が完治して、文字通り大丈夫になった。
「無い右腕があるわ」
その瞬間、何事もなかったかのように無くなっていた右腕があった。
「無い左足があるわ」
左足もいつの間にか俺の体にある。
「俺を助けてくれるのか?」
俺の喉から震える声が溢れる。それは消え入りそうな風の音ほど小さかった。
「うんっ!」
その人物は俺の頭を力いっぱい撫でてくれた。
いつか俺がそうしたように。
手の平から伝わるものは暖かくて優しくて嬉しいものだった。
「ありがとう」
俺の瞳からは大粒の涙が溢れていた。
涙はステンドグラスの光をその身に宿し、星のように輝く。大きな涙の粒は光を放ちながら俺の頬を切っていった。
「お礼なんていいわよ。だって私たちは友達でしょ」
パワーワードの分類の三つ目は、その人の人生において重要な役割を持つ言葉。
そして、それは嘘であってはならない。
『パワーワードを感知しました。ケンとアリシアの能力が向上します』
月日が流れ大きく大人に成長したアリシアはとても美しかった。
最初に見た時と同じように綺麗なプラチナブロンドの髪。
蜂蜜色の瞳は火花を放つ。力強くも優しい表情は、勇気の塊。
月光はアリシアの髪の毛にぶつかって砕ける。
残光が俺たちの姿を闇中から切り取って浮かび上がらせる。
それはまるで地上の星が空を照らしているみたいだ。
浮かび上がるのは希望の炎。
目も眩むほどの眩い勇気が夜の中に光の陰を落とす。
俺たちの躯体は、炎でびしゃびしゃに濡れている。
夜の空は光に燃やされる。
空気が音を立てて弾ける。風が体温を放つ。
空気中の水分は一斉に瞬く。