ココの願い
ココは何度も目を覚まし、気絶してを繰り返した。
ココは激痛で気絶し、激痛で目を覚ました。常にモルヒネを注射し続け、痛みを紛らわせる。
体に刻み込まれた火傷の後は、目を覆いたくなるほどだった。皮膚の色は完全に変色して、腐りかかっている。ココの顔には大きな醜い傷ができた。
地獄のような数日を過ごした。悲鳴と鳴き声だけが繰り返された。俺たちはそれを見ているだけだった。
そして、さらに一週間が過ぎてココはようやく回復した。
「あいつは……クロコダイルじゃ……ない」
ココはベッドシーツを見つめながら重たい口を開いた。
「だろうな。あいつにはなんらかの変身能力がある。体を薬物で溶かされていた女性にはごく普通に直接薬物投与したのだろう。ココ、あいつがなんの能力を使っているかわかったのか?」
「うん……あいつがヘラジカや恐竜に変身していたのなら多分……ミミックオクトパスだと思う」
「「ミミックオクトパス?」」
聞いたことがない生物名に脳が疑問符を生み出す。
「ミミックオクトパスはタコの一種。触手と肌の質感を変化させていろんな生物に擬態する生き物だよ……」
「多分それで生体認証を突破したんだな。次に俺たちがあいつと戦うときはお互いにしかわからない質問をするんだ。そうすれば不意打ちを防げる」
「次に……?」
ココが少しだけ視線をあげた。前髪で隠れていた生々しい傷跡が、俺の視界に飛び込んできた。
「ああ。俺はあいつを倒すまで諦めない」
ココは少しだけ黙り込む。沈黙が病室を埋め尽くす。
「もう……いいよ」
「いいってなんでだよっ? こんなにボロボロにされて泣き寝入りするのか?」
「うん……ケンに出した依頼は……取り下げることにする」
「はあ? どうしてだっ? お前は何も悪いことなんてしていないだろ! なんでいつもお前が痛めつけられないといけないんだよ!」
「そんなことケンにわかるわけないだろっっ!」
ココは初めて大声を出した。体を震わせて、涙をこぼしながら。
「落ち着いて。ココちゃん。怪我しているから無理しちゃダメでしゅ」
ゴリアテがココをなだめようとする。
「僕たち少数派は、いつもこうだ! 何も悪いことなんてしていない! ただ存在しているだけで煙たがられる! ただ数が少ないだけで! どれだけ辛いか、お前らなんかにわかるはずないだろっ!」
ココは感情を爆発させた。きっといつもいつも胸の中に隠していたのだろう。顔には笑顔を貼り付けて、口を塞いで、仮面を被って、自分を押し殺していた。
笑顔の下では、いつも泣いていたんだ。
「僕らが何をしたっていうんだっ! オクトパスのように誰かを傷つけたか? 誰かに暴言を吐いたか? 僕が好きでこの体に生まれてきたと思っているのか?」
ココは赤い瞳を涙で濡らす。頬を次々と悲しみの礫が横切る。
「僕の体は男だ! だけど心は女だ。そのせいで親に捨てられた。気持ちが悪いと言われて、虐められた。何度も何度も自分の価値を傷つけられた。尊厳を踏みにじられて馬鹿にされる」
ココが溜めていた鬱憤を吐き出す。大きく口を開けて、叫びまくる。
「昔は自分に自信があった。他人は他人。僕は僕。そう思っていた。だけど、ずっと他人に価値を否定され続けて、いつの間にか、自分に本当に価値がないように感じ始めた」
噛み付くように激しく口を動かす。
「だんだんと自分が嫌いになって、何度も死のうとした」
ゴリアテは手を握りしめる。きっとココの自殺未遂を思い出したのだろう。
「その度になぜか助かった。こんなに死にたいと思っているのに、パワーワードは僕を殺してくれない。なぜか生かそうとする」
ココは歯をむき出しにして、吠える。
「僕は、いつも努力してきた。体と心の性別が一致しているだけのやつに負けたくなかった。だけど、努力してもダメだった」
俺はココがクロコダイルにボコボコにされていたのを思い出した。きっとああいう風に何度も他人から悪意を受けてきたのだろう。
「努力しても努力しても強くなれない。それでも努力し続けた。だけど世間は僕のことを認めてくれない」
俺が思っている以上に、ココは苦しんでいたんだ。
ココは嗚咽をあげて、泣き叫ぶ。口を大きく噛み締めて、唇からは血が流れる。頬をきる涙の流星は、赤い瞳を綺麗に綾なす。
俺は、
「みんな。少しココと二人にしてくれ」
「でも……」
アリシアが俺の手を握る。
ゴリアテはココから離れると、
「いきまちょう」
アリシアを連れて病室から出て行った。
「ありがとう」
病室には俺とココだけになった。冷たい静寂の中に、ココの嗚咽がスパイスを加える。静謐な夜に、啜り泣きだけが静かにこだます。
「僕は……過去に戻りたい。僕の人生を全部最初からやり直して、リセットしたい」
ココは夜月を見上げる。月光が赤い瞳に反射して輝く。
「生まれてすぐに性転換して“普通”になれれば、絶対に違う人生だった。普通に友達と遊んで、普通に勉強して、普通に恋をして、普通に結婚する。そんな普通の人生がよかった」
残光が部屋を明るく飾る。夜空に浮かぶ星の海は世界を冷たく照らしてくれる。
「僕の部屋の本棚を見たでしょ?」
「ああ」
「たくさんタイムトラベルする小説を読むんだ。そうすると、自分が過去に帰った気がするから。辛かった過去をなかったことにできるような気がするんだ……」
窓から差し込む夜風が、俺の顔を洗う。
「もし、本当にタイムトラベルしたら自分が二人になっちゃう。自分は二人もいられないでしょ? わかるよね? 矛盾するんだ。だからタイムトラベルなんてできっこない」
「そうだな」
「ケン……?」
「なんだ?」
「僕のことを……殺して」




