悪魔の炎に焼き尽くされて
俺たちは急いで先ほどの民家に戻った。
中に入ると誰もいなかった。
「ねえ! これ見て!」
アリシアはテーブルの上の手紙を見せてきた。
『奥さんの治療をするために先に家に戻ってます。ココとゴリアテ』
その瞬間、肩から力が一気に抜けた。
「ふああ……よかったゴリアテの字だ。ならオクトパスは逃げたってことだな」
ゴリアテの字は全部小学生の女の子が書いたみたいな丸文字でキャピキャピしていて読みにくい。
「私はてっきりオクトパスが私とケンをおびき寄せて、ココちゃんを殺そうとしているのかと思ったわ」
「どうやらただ逃げ出しただけみたいだな」
「みたいね! とりあえずココちゃん鍵付きの家に戻りましょう。そいで治療を終えたらオクトパスをどうするか決めましょ!」
俺の心は安堵が埋め尽くした。不安の影はかき消され、代わりに優しい光が流れ込む。もう安心だ。
「そうだな。というか帰ったらクッキー弁償しろよ!」
「いやよ!」
「ふざけんなっ!」
俺とアリシアはのんびりとココの家に戻った。
すると、そこは火の残滓の中だった。
火の柱がココの家から空に伸びる。真っ赤な筒は煙を吐きながら空を泳ぐ。透明な空を焦がしながら、侵していく。
海にぶちまけた絵の具がゆっくりと広がっているみたいだ。炎は鼻を刺し、煙は瞳をうるわせる。
焦げ臭い匂いの中に、確かに血の匂いがする。
「くっそ! 俺たちの読みは間違っていた!」
「あの手紙をオクトパスも読んだのね!」
「だけどココの家には生体認証があるんだろ! なんで殺人鬼に追われているのにドアを開けたんだよ!」
「きっとオクトパスの変身能力でパスしたのよ。それより早くなんとかしないと! まだ間に合うかもしれない!」
俺は空気中にわずかに残った水分をかき集める。
「水よ! 燃えろ!」
臭い匂いが鼻を刺す。“ココの家があった場所”には真っ黒なススだけが絨毯のように敷き詰められている。まるで黒い色でできたしとね。悪意だけがその身を横たえることができる。
ジュージューと何かが焦げる音だけが黄昏の静寂を突き破る。夕闇を飾る爽やかな風が遠くから草花の臭いを運んでくる。
それが焦げた臭いと血に混じって、美しくも汚らしいフレグランスを産み落とす。嗅上皮に溶けるニオイ物質が脳に電気信号を送る。それが不愉快で仕方がなかった。
ココの家が鎮火したのは俺がきてから十分後だった。
俺は炭の中からココを抱き抱える。口にはガーゼのようなものが当てられていた。
首筋に手を当てると、まだ微かな脈があった。
[火事で人が死ぬ仕組み]
一、火事により空気中の一酸化炭素濃度が急激に増える。(一酸化炭素は、およそ一パーセントあるだけで致死量)
二、一酸化炭素を吸い込む。
三、およそ五分で気絶。
四、気絶後、無意識化でさらに一酸化炭素を吸い続け、一分から十五分ほどで死亡。
ココはガーゼで口元を覆っていた。これによって僅かに気絶するまでの時間を遅らせたんだ。そして、全身に一酸化炭素が回り切るまでの短い時間に俺が間に合ったんだ。
「ゴリちゃんも無事よ!」
アリシアの声がした。俺たちはパワーワードで申し訳程度の治療をしつつ病院に向かった。
ゴリアテは四十時間ほどで目を覚ましたがココは重症だった。ゴリアテとは体格が露骨に違うから、仕方がない。ゴリアテによると、突然オクトパスが侵入してきて襲いかかってきたらしい。保護していた女性は殺害されてしまった。




