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いつか見た虹の向こう側【改稿版】  作者: 宙埜ハルカ
番外編
90/98

【番外編八】終わり良ければ全て良し

本日2回目の更新になります。

22時にもう一話更新します。

 春らしい暖かな陽射しの中、白い煙がゆっくりと昇っていくのを、小さな手をしっかりと握って見上げた。

「お父さんとお母さんは煙になってお空へ昇っていくんだよ。お空から拓都を見ていてくれるからね」

 こんなセリフに空しさを感じながらも、言わずにいられない。残された小さな存在のためにも。

 晴れ上がった空の青に目を細める。

 あの事故の日から(あの日は姉達の結婚記念日だった)悲しむ間もなく儀式への対応で傍らの小さな存在へ気を向ける余裕もなかった。

 幼すぎてまだこの現実の意味が分からなくて泣かないのか、まだ一粒の涙も見せない甥を不憫に思いながらも、自分自身さえ悲し過ぎるせいなのか、瞳は乾いたままだ。凍りついた心は、春の日差しでさえ解ける気配はない。


 火葬場から葬儀場に戻ると続いて還骨勤行、初七日法要へと儀式は流れていく。本来七日目に行われるはずの初七日法要も、遠方の会葬者への配慮から今日やってしまうことになった。

 葬儀の進行役のスタッフに言われるままこなしていくだけの自分には、現実感なんてまるでなくて、時間の感覚さえも定かじゃない。着なれない和装の喪服の窮屈さも、どこか他人事のようだ。

 全ての儀式が終わり、最後に精進落としを済ませると、殆ど付き合いの無い両親の親族はそそくさと帰って行った。義兄の親族も両親はすでに亡くなり、遠方にいる年の離れた兄弟が私と拓都のことを心配してくれた。私はその時になって初めて「拓都は私が育てますから」と、姉達の死を知った時から決意していたことを口にした。口にした途端、その責任の重さに胸が震えたけれど、私の決意の真剣さに、義兄の兄弟も「何かできることがあったら連絡をください」と言い置いて帰って行った。


 ようやく自宅へ帰って来た時には、もう夜になっていて、拓都は疲れたのだろう、帰りの車の中で眠ってしまった。最後まで手伝ってくれたお隣のご夫婦にお礼を言って別れると、自宅へと入って行った。

 長い一日だった。ううん。いつから始まっていつ終わったのか、この数日間の記憶が定かでない。

 拓都を布団に寝かせると、あまりの家の静けさに身震いした。

 本当に二人きりになってしまったんだ。

 私は持ち帰った姉夫婦の位牌と遺骨を仏壇に安置すると、手を合わせた。

 『お父さん、お母さん、お姉ちゃんとお義兄さんをよろしくね。どうぞ、拓都と私を見守っていて』


 自室へ戻って着物の帯を解く。着物を脱ぐたびに緊張が緩んでいく。私は着物の下着姿になると、大きく息を吐き出し、着替えを持って風呂場へと向かった。帰って来た時にスイッチを入れておいたので、お湯は丁度張られたばかりだ。お湯の中で手足を伸ばして、私はやっと全ての緊張を解いた。

 頭の中は真っ白で、何も考えられない。これが現実なのかさえ、心許無くて。きっと、考えることを心が拒否しているのだろう。

 怖い。この現実を受け止めるのが怖い。

 私は湯の中から両手を出して、顔を覆った。こんなに胸が痛いのに、やっぱり涙は出てこない。

 お風呂からあがりパジャマに着替えると、また自室に戻った。今夜は拓都の横で寝ようと考えながらも、神経が興奮しているのか一向に眠気はやって来ない。この数日殆ど眠れていないというのに。

 何気なく鞄を覗くと、マナーモードにした携帯電話のランプが点滅している。それを目にした途端、もう一つの現実が蘇った。

 メールの発信者の名を見て、胸の奥に締め付けられるような痛みを感じた。

 そうだ、しなければいけないことがあったのだった。

 それを考えることを無意識に避け続けた数日間。頭の片隅に押しやったまま、私は心まで機械になってしまったロボットのように、あの日からの一連の儀式を乗り切った。それでも逃げ切れないことを知っている。自分の手で立ち切らない限り。


 あの事故のあった日、怒涛のように押し寄せた現実に流され、ようやく夜中に一人になった時、いつものように携帯電話を確認すると、いくつかの着信記録とメールが残されていた。全て彼からのものだった。

 自分の中で何かがすっと冷えていくのを感じた。


『何度も電話をしたけど、忙しいみたいだね。美緒のことだから、携帯の存在自体忘れているんだろ? そんな調子で俺のことまで忘れないでくれよ。来週の週末までには帰るから、来週末は会おう。また連絡するよ』


 三月の初めから実家へ帰っている慧からのメールは、もうどこか遠い昔にしまい込んだ手紙を見つけたような感じがして、今の私の現実とかけ離れ過ぎていた。そうそれはまるで、あの事故の瞬間に私だけがパラレルワールドへトリップしてしまったような感じだ。

 心がまた凍りついていくのを感じながら、やけに冷静な指先が返信を打つ。


『慧、何度も電話貰っていたのに、ごめんなさい。実はお義兄さんが急に海外転勤が決まって、今その準備の手伝いで忙しいの。月曜日も休みを取って手伝う予定なので、電話できないと思う。また連絡します』


 このメールはパラレルワールドへも届くのだろうかなんて、先程のパラレルトリップの想像があまりにリアルに感じて、冷静すぎる自分を笑いたくなった。

 慧、もう私達の未来へと続く線路は、あの瞬間から別々になったんだよ。

 心の中でそうつぶやくと、彼と共に過ごした現実をシャットダウンさせた。


 数日前の記憶から我に帰ると、改めて手の中の携帯電話のフリップを開いた。メールを表示させると写真が現れた。桜の枝先の膨らんだ蕾のアップの写真。蕾の先の方が少しピンク色になっている。彼の実家近くの桜並木のものらしい。


『実家の近くの桜並木の桜の蕾も膨らんで来たよ。桜が咲いたら、一緒に見に行こう』


 彼らしい写メール。写真の蕾をそっと指で触れる。冷たい画面なのに、彼の温もりを感じた気がした。

 もう一緒に桜を見ることは無いだろう。

 これは予感では無く、現実だから。

 私は、乾いた瞳を閉じるように、携帯電話のフリップを閉じた。


 それから週末まであっという間だった。葬儀の後片付けや、事務的な処理、家の片づけ等、することはいくらでもあった。そんな中、彼からこちらに戻ったというメールが来ていた。電話もあったけれど、声を聞くのが怖くて出なかった。そして、私の方から土曜日の午前中に彼とよく行っていた公園の駐車場で待ち合わせたいとメールを送った。いつもなら、金曜日の夜に彼のマンションへ行くのに、彼も変に思ったようだったけれど、承諾してくれた。

 約束のその日、拓都をお隣に預けて、私は待ち合わせの公園へと向かった。指定した時間より早く到着し、駐車場に停めた車の中からぼんやりと、この駐車場の入り口を眺めていた。土曜日なので家族連れの車が次々やって来ては、車を停めて降りていく。

 何も考えられない。考えたくない。

 これから一世一代の大芝居をしようとしているのに、心は麻痺したように、何も感じない。

 見慣れた車が駐車場へと入って来る。そして私の車の隣へと静かに車は停まった。

「美緒、おはよう。なんだか久しぶりだね」

 彼の笑顔が眩しくて、まともに目を合わせられない。

「ごめんね、こんな所へ呼び出して。ちょっと話があるから、慧の車の中で話してもいい?」

 私は車から降りて挨拶をした後、出来る限りの笑顔でそう言った。

「えっ? 話し? ここでしないといけないのか? 何なら、ウチへ来れば?」

 彼は少し戸惑って提案してくれたけれど、私は静かに首を振った。

「ここがいいの。お願い」

 私の言葉に何かを感じたのか、彼は「わかった」ともう一度車へ乗り込んだ。私も続いて助手席へ乗り込む。

「それで、話って何?」

 彼はごく普通に話を切り出したけれど、なんとなく車の中の空気が張り詰めていくような気がした。

 私はごくりと唾を飲み込むと、覚悟を決めた。

「慧、ごめんなさい」

 運転席と助手席とでお互い前を向いて並んだ位置にいるけれど、少し彼の方へからだを向けて頭を下げた。

「ごめんって、何か謝るようなことしたの?」

 ハンドルを抱えるようにしてもたれている彼が、顔だけこちらを向けて、優しく訊き返した。

「あ、あの私、他に好きな人が出来て……」

 とても彼の方を見られず、うつろに前方に視線を彷徨わせたまま、とうとう理由を口にしたけれど、最後まで言えずに俯いてしまった。頭の中で描いたシュミレーション通りになんて出来ない。

 俯いたまま彼の気配を探る。何も言葉が返って来ない。今、何を考えている?

「俺のこと、嫌いになった?」

 ようやく彼が言ったのはこんな言葉で、私は俯いたまま首を左右に振った。

「嫌いになんてなれない」

 思わず本音が出てしまう。嫌いになんてなれるはずがない。

「じゃあ、おれよりも好きな人が出来たんだ。いつから?」

 彼のこちらへ向けた顔には表情がなかった。初めて見る顔だった。

「あ、二月頃に同僚から付き合ってほしいって言われて、お付き合いしている人がいるからって断ったんだけど、そんな風に言われるとやっぱり意識してしまって、三月に入ってから、仕事でいろいろ助けてもらうことが多くて、だんだんと気になって行ったというか」

 心臓はバクバク言っているのに、頭の中の一部分が冷めていて、冷静に事前の予習通りのストーリーを口にする。

「美緒は、俺の時もそうだったけど、絆されやすいもんな」

 言い訳のストーリーは、慧に告白された頃の自分を元にしていたけれど、彼にそんな風に言われたのはショックだった。

 しばらく言葉を返せずにいると、沈黙が重苦しく車の中に充満していく。

 早く、さよならを言ってここから立ち去らなければ。

「それで、俺と別れたいんだ?」

 彼にここまで言わせて……。未練なんて、今の私には持つこともおこがましいのに。

「ごめんなさい」

 私は彼の方に頭を下げながらそう言うと、車のドアを開けた。車から降りてドアを閉める前に「今までありがとう」と小さな声で言ったけれど、聞こえていただろうか?

 心の中で「幸せになって」と祈るように呟いて、自分の車に乗り込み、すぐに発進させた。

 相変わらず乾いた瞳には、風景が色あせて見えた。

 家まで帰る途中にあった携帯ショップに飛び込むと、新しい携帯電話を新規購入した。今までの携帯からデータを移してもらい、慧以外の親しい人には新しい携帯番号を知らせるメールを送る。

 これで、もう一つの現実世界と繋ぐものは何もなくなってしまった。


 拓都を迎えに行き、お隣のおばさんに実家の管理をお願いすると、私と拓都はK市へと向かった。

 これが私の新しい現実世界。

 拓都と生きていく。二人きりで。

 私のK市での自宅である職員住宅に辿りついて、片づけや夕食などを済ませ、拓都を寝かせると、やっと私だけの時間が戻って来た。

 この一週間、運命を大きく変える出来事に、自分は川の中の木の葉のようなものだと思った。

 流されることしかできないのだ。大きな運命の流れに逆らうなんて出来るはずもない。受け入れるしかなかったのだと、自分を慰めた。

 鞄の中から新しい携帯電話を取り出した。以前のと同じメーカーの物にしたから、使い方はそう変わらないだろう。

 メモリーから彼の情報を呼び出し、削除した。そして、彼からのメールや保存してあった彼からの写メール、私の撮った彼の写真を次々呼び出しては、削除していく。

 それぞれが思い出と繋がっていて、消すたびに心に穴が開いていくような感覚がする。

 彼からの虹の写メールを表示させた時、あの送り合った時のことを思い出して胸が震え、どうしても削除のボタンが押せない。

 お願い。この写真だけは、残させて。

 誰に懇願しているのか。誰の許可もいる筈ないのに、ただ自分自身に許されたかったのかもしれない。

 そして、私自身への戒めのためと、もっともらしい言い訳をしながら、彼からの虹の写真を携帯電話の待ち受けに登録した。

 再び削除作業を続行したけれど、思い出が溢れだして、作業の手がだんだんと遅くなっていく。いつの間にか「慧、ごめんなさい」と呟きながら繰り返す作業に、携帯の画面がぼやけ出した。何度瞬きしてもかすんでいく画面。手で目を擦って初めて濡れた感触に涙だと気付き、愕然とした。

 あの日から乾ききっていた瞳は、姉達のことでは泣けなかったのに……。

 そう思った途端に、堰を切ったように涙があふれ出し、嗚咽を押さえることが出来ない。

「慧、ごめんなさい。ごめんなさい」

 慧、慧……許して……。






「みお……美緒」

 名を呼ばれて、ゆっくりと意識が覚醒し出した。

 えっ? 私を呼ぶのは誰?

「美緒、美緒」

 震える瞼を持ちあげると、霞の向こうに見慣れた顔があった。

「けい?」

「美緒、どうした? 夢でも見たのか?」

 慧の指が私の目元を優しくぬぐう。

 夢?

 ああ、夢だったんだ。

 あの辛い記憶を、そのまま再現した夢。

 夢で良かった。

「ごめんなさいって寝言で俺に謝っていたぞ。どんな夢を見たんだ?」

 彼は少し茶化すように、ニヤリと笑って私の顔を覗きこんだ。

 ああ、携帯のデータを消しながら彼に謝り続けていたんだ。

 彼に本当のことも言わず、嘘まで言って、別れを告げた。あの一番苦しい記憶は、ずっと罪悪感となって私の記憶の中に居座り続けるのだろう。でも、このことを言うと、彼は反対に力になれなかった自分を責めるから。

「あのね、慧の大事にしているカメラを壊してしまった夢を見たの。それで一生懸命謝っていたのよ」

 私は上体を起こすと、微笑んでさしさわりの無い嘘に差し替えた。

「ええっ? あの一眼レフのやつか? あー夢で良かった」

 彼は安堵したように笑って見せた。私も同じように笑って返す。そう、こんなたわいもない夢で笑い合うのがいい。

 けれど私の顔を見つめていた彼は、優しい手つきで私の頬を包み、目尻に口づけると、もう一度指先で涙をぬぐった。

 ああ、私、泣いていたんだ。

「美緒、つまらない罪悪感なんか、忘れていいんだ。いや、忘れてしまえ。もう過ぎたことで、涙なんか流さなくて良いんだ」

 えっ? 気付いていたの? 

 私の涙のせい?

 私があの別れに罪悪感を抱いていることも気付いていたの?

「ごめんなさい」

「ほら、また謝る。もうすべて終わったことだよ。今俺達は一緒にいるだろ? それに俺に気を使って下手な嘘なんて吐かなくていいよ」

 慧、慧にはすべてお見通しなの?

 私が驚いた顔をしたからか、彼は言い訳のように口を開いた。

「あの時に、美緒の嘘を見破れていたら良かったんだけどな。だからもう、俺のためになんか嘘なんて吐くな」

 そう言うと、彼は私を抱きしめた。

 胸が痛い。彼を思ってしたことがこんなにも彼を傷つけていたなんて。

「ごめんなさい」

 私は彼の胸に頬を付けたまま、彼の腕の中で謝った。

「また謝る。何度言ったらわかるんだ。もう過去なんだから。あの別れがあったから、今があるんだろ? 俺達は離れている辛さを知っているから、今一緒にいることを大切にできるんだろ? あの時はあれで良かったんだよ。これから何かを選択する時に、間違えなければいいんだから」

 彼は私を抱きしめたまま、自分にも言い聞かせるように話した。

 そうだね、慧。

 あの時はあの選択しかできなかった。でも、これからはこうして一緒にいる幸せを大切にして行けばいいんだね。

 私は彼の腕の中でもがくと、彼の顔を見上げた。

「慧、ありがとう。想い続けてくれて」

 そう、彼が想い続けてくれたから、もう一度彼の元へ戻って来られた。

「美緒だって同じだろ」

 彼の言葉に、私はニッコリと笑って頷いた。

 ありがとう、慧。

 あなたの想いが私をこの世界へ繋ぎ止めていてくれた。そして、あなたへの想いがあったから、こうして戻って来られたんだ。

『終わり良ければ全て良し、だよ』

 遠くで誰かの声が聞こえた。あれは父だったのか、母だったのか、姉だったのか……。

 そうだね。

 あの運命の大きな嵐も、辛かった日々も、苦しんだ思いも、今のこの幸せを思ったら、全てが浄化されていくような気がする。

 お父さん、お母さん、お姉さん、お義兄さん、どうかこれからも私達を見ていて。もう二度と間違ってこの幸せを手放したりしないから。

「みーお」

 彼の腕の中で、目を閉じて、お空にいる人達に心の中で話しかけていたら、彼の甘いささやきが聞こえてきた。彼の顔を見上げると、やさしい微笑と共に「愛している」という言葉と口付けが落ちてきた。 



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