【番外編三】川北由香里の思惑《後編》(由香里視点)
十二月二十二日水曜日、二学期の個別懇談の日。美緒にしたら、担任である彼に会えるのは今年最後だから、一歩近づくチャンスなのに、仕事で懇談に行けなくなったと、お昼にメールがきた。
なんてついてない。
美緒の運命は、いつも意地悪だ。
それならば私が少し、彼の背中を押してみようかな。
二人とも怖がっていたとしたら、なかなかうまくいきそうにないもの。
懇談の時間が近づき、教室の前の廊下で待っていると、後ろの入口の戸が開いて千裕ちゃんが出てきた。なんだか元気がない。何かあったのだろうか?
「川北さん、どうぞ」と呼ばれたので、千裕ちゃんに「後でね」と言って手を振ると、彼女は無理に作った笑顔で「待っているね」と言って去って行った。
いつもと違う千裕ちゃんの様子が気になったけれど、後で話を聞けばいい。それよりも……。
子供の机を向かい合わせて作った席に、「お願いします」と言うと、「どうぞ」と促されて座った。一年生の椅子は本当に小さい。守谷先生の長い脚が窮屈そうだ。
陸の学校での様子を話し、成績表を目の前に広げて説明していく担任は、美緒の元カレというより、やはり普通に先生だなと、子供たち一人一人をよく見ている、良い先生なんだなと、目の前の若い教師を見て思った。
「何か質問とか、気になることや、心配事がありましたら」
担任は決められたセリフのように、そう言った。
「あの、私のことじゃないんですけど、今日、篠崎さん、仕事で懇談に来られなくなって」
「ああ、連絡が入っていましたよ」
「それで、彼女、来ていたら先生に相談したかったと思うんですけど、代わりに私が話してもいいですか?」
「篠崎さんに頼まれたのですか?」
担任は怪訝な顔をした。そして、何かを探るように私を見ている。
「いいえ、これは私のおせっかいなんですが、あの、拓都君のことなんです」
「拓都の? 私が聞いても良い話しなんですか?」
「ええ、彼女、とても悩んでいたので、普段子供達を見ている先生の意見を聞きたいと思っていると思います。実は、クリスマスプレゼントのことなのですが、毎年彼女はできるだけ拓都君の欲しいものをあげようと思って、一緒にサンタさんへ手紙を書くんです。書くことで、拓都君の欲しいものを聞き出すらしいんですが、今年は拓都君が自分で書くから、ママは見ちゃダメだって一人で書いて、サンタさんへ出してほしいと渡されたらしいんです。それで、彼女がこっそりと手紙を見たら、パパが欲しいって書いてあったらしくて」
「パパ、ですか?」
「はい。それはウチの子のせいなんです。ご存じのように私は夏に再婚しまして、子供達に新しくパパが出来ました。陸は本当の父親の記憶が殆ど無くて、今のパパが子煩悩でとてもよく子供達と遊んでくれるから、とてもパパに懐いています。それは良かったんですが、陸が拓都君にパパ自慢をしているようなんですよ」
「ああ、私にもよく、パパの話をしてくれますよ。ゲームがとても上手なんだとか」
「ええ、そうなんですよ。ゲームで子供たちの気持ちを掴んだようなもので。あっ、それでですね、時々西森さん、篠崎さんの家族ぐるみで遊ぶようになって、パパ達と子供達がキャッチボールをするようになったんです。それで、拓都君がキャッチボールをとても気に入ったみたいで、キャッチボールをしてくれるパパが欲しくなったみたいなんですよ。なんでも、『陸君のウチにはパパが来たのに、ぼくのウチには来ないのか』って、お母さんに言ったみたいで。篠崎さんは『ママがキャッチボールをするから』って納得させたらしいのですけど、パパ達のようには上手くキャッチボールができなくて、それで内緒で拓都君はサンタさんに『キャッチボールがしたいからパパをください』ってお願いしたらしいんです」
私は、自分の話になりそうだったのを、慌てて美緒の話に戻して話を続けた。
担任は静かに頷きながら話を聞いていた。そして、「そうですか、お母さんにしたら辛いことですね」と言うと、何かを考え込むように視線を落として黙りこんだ。
「篠崎さんは、手紙の内容を知らないことになっているから、そのことについて拓都君と話ができなくて。それに彼女自身、私達と家族ぐるみで遊んでいる時も、やはりパパの存在って必要なのかなって悩んでいるようでした」
彼は私の話に黙って頷くと、しばらく思案した後で顔をあげて私の方に視線を向けた。
「わかりました。私に話したことは、篠崎さんに黙っていてください。拓都君にそれとなく話してみますから」
えっ?
美緒に話すなと?
どうするつもりなの?
私は彼の反応に戸惑った。彼はやはり担任として対応するつもりなのか?
私としては、彼から美緒に連絡を取ってほしいのに。
「どうして篠崎さんに黙っておくのですか?」
「川北さんは篠崎さんに頼まれた訳じゃないんですよね? だったら、私は聞かなかったことにしておきます。でも、拓都には、パパという存在についてきちんと話そうとは思いますから。大丈夫ですよ」
何が大丈夫なんだろうか? と思ったけれど、目の前の担任は、母親達を惹きつける爽やかな笑顔で言い切った。
まあ、私が焦る必要もないか。
このことは彼に任せておこう。
「すみません。いろいろと勝手なことを言いまして。どうぞよろしくお願いします」
「川北さんはお友達思いですね。これからも良いお友達でいてあげてください」
担任は笑顔のまま言ったけれど、それって美緒のために言っているの?
「もちろんです。私は彼女がずっと辛い思いをして来たのを見ているから、幸せになってほしいと願っているんです」
私は真剣な眼差しで、担任を見据えて言った。
私の願いは、彼に通じるだろうか?
彼も私の真剣な眼差しを同じような真剣な表情で受け止めたけれど、すぐに顔を逸らしてしまった。
「では、インフルエンザも流行りだしていますので、冬休みにいろいろお出かけもされると思いますが、気を付けてください」
守谷先生がそう言うのに頷きながら、私は立ち上がり「ありがとうございました」と頭を下げた。
彼は気付いただろうか? 私の言外に込めた思いを。
その後、どこか落ち込んだ様子の千裕ちゃんと合流し、明日のクリスマスパーティーのための買い物に出かけた。
「ねぇ、どうしたの? 何かいつもより元気ないけど」
私は買い物に行く道中、なかなか話そうとしない千裕ちゃんに焦れて、こちらから話を振った。
「あーん、由香里さん、聞いてよぉ。私、絶対、守谷先生に嫌われたよ」
私の問いかけに、それまで黙していた千裕ちゃんが、耐えきれないとばかりに泣きついてきた。
やっぱり守谷先生に関係したことかと呆れるけれど、彼女の無自覚に守谷先生の隙を突くところは、いい刺激になったかもしれない。
それまでの落ち込んで黙っていた千裕ちゃんが嘘のように、先程の個別懇談での守谷先生とのやり取りを、堰を切ったように話し出した。
話を聞いて驚いた。本当は美緒の恋の後押しのために、千裕ちゃんに本当のことを話して、仲間に引きずり込もうかと考えていたところだった。
千裕ちゃんって、真実を知らなくても、良い働きをしてくれたのねぇ。
「千裕ちゃん、いい突っ込みしてくれたねぇ」
私は嬉しくなって、思わずそう言ってしまったけれど、千裕ちゃんはきょとんとした顔で「いい突っ込み?」と聞き返してきたので、私は笑ってごまかした。
「守谷先生に嫌われたかもしれないのに、笑うなんて、由香里さん酷いよ」
いやいや、守谷先生は感謝しているかもよ? 美緒の携帯の待ち受けが虹の写真だって分かったんだから。
*****
翌日の十二月二十三日木曜日、天皇誕生日でお休みのこの日、いつもの三家族でクリスマスパーティーをすることになった。K市にいた頃は、母子家庭の会のメンバーで集まってクリスマスパーティーをしていたので、今年はどうしようかなと千裕ちゃんに話したら、千裕ちゃんが自分の家でパーティーをしようと言ってくれたのだった。
午前九時に西森家へ集合して、子供達はパパ達が公園へ遊びに連れて行ってくれている間に、私達母親はクリスマスランチの用意をすることになっている。
「昨日はごめんね。買い物全部お任せしてしまって……」
美緒はやって来るなり私達に頭を下げた。
「気にしなくていいのよ。美緒ちゃんはお仕事だったんだから。それよりさ、今日のメインはローストチキンよ。昨日の内に鶏丸ごと肉を注文しておいたのを朝から取りに行って来たのよ」
千裕ちゃんはいつものようにテンション高く、今日のメニューとそれぞれの分担について話している。でも、そんな千裕ちゃんを見ながら何か違和感を覚えた。
昨日の今日なのに、いつもの千裕ちゃんなら美緒に会って真っ先に守谷先生の話題を出すんじゃないだろうか? それなのに、忘れているだけ?
そして、私はそんな様子を見ながら、ふと思い出して美緒に声をかけた。
「ねぇ、美緒。個別懇談はキャンセルしたの? それとも違う日にしてもらったの?」
もともと今回の個別懇談は希望者のみということだったので、キャンセルしても成績表は二学期の最終日(十二月二十四日)に子供が貰ってくることになっている。
「もう日もないから、キャンセルしたの」
彼に会うチャンスをキャンセルして良かったのか?
「イケメン担任と話ができるチャンスだったのに、もったいない」
私はわざとそう言った。いくら千裕ちゃんだって、懇談の話が出たら思い出すでしょ?
このことは、千裕ちゃんの口から美緒に言ってもらわないと。
「もう、からかわないでよ」
美緒がこちらを睨みながら言ったけれど、千裕ちゃんの反応の方が気になった。
守谷先生の話題に食いつかないなんて、どうしたの? 千裕ちゃん。
食いつかないどころか、何も言わずにエプロンをすると流し台までいき、調理の下準備を始めた。
「やだ、マヨネーズあると思っていたのに、もう少ししかないわ。これじゃあ足りないよ」
急に千裕ちゃんが大きな声を出した。私と美緒は顔を見合わせると美緒が口を開いた。
「私、買ってくるよ。車、一番出しやすいから」
「いいの? 助かる。頼むね」
千裕ちゃんがそう言うと、美緒は鞄を持って出かけて行った。美緒の姿が見えなくなると、千裕ちゃんは大きく息を吐き、私の方を振り返った。
「ねぇ、由香里さん。美緒ちゃんの好きな人って、見たことあるの?」
「えっ? なに? いきなり」
千裕ちゃんの問いかけに、どう答えるべきか、逡巡しているうちに、千裕ちゃんの方から質問の意味を説明し出した。
「あのね、昨日の懇談のこと……。ううん、懇談のことだけじゃなくて、他のこともみんな、パパには全て話しているんだけどね。でも他の人には絶対に何も言ってないんだよ。パパがね、今までの話を聞いていたら、美緒ちゃんの好きな人って、守谷先生じゃないかって言うのよ」
なに? 千裕ちゃんの旦那って、探偵なの?
「美緒は彼に会社で再会したって言っていたじゃない?」
本当のことを言うチャンスだったのに、私は思わず反論してしまっていた。
「そうだよね。私もそう言ったんだけど。パパったら、おまえが守谷先生のファンだなんて言うから、誤魔化したんじゃないかって」
なかなか鋭い! ご主人名探偵!
「へぇ。それで、ご主人はどうして美緒の好きな人が守谷先生だって思ったの?」
「あの虹の写真って、二人とも『にじのおうこく』の虹の架け橋を真似て恋人と虹の写真を送り合ったって言っていたでしょう? そんなことを偶然二人ともが考えるなんておかしいって言うの。それならその二人が虹の写真を送り合ったって考えた方が自然だって言うのよ。それに美緒ちゃんの話してくれた元カレって、同じ大学の二つ下って言っていたけど、それもピッタリだって」
守谷先生は恋人と虹の写真を送り合ったなんて言わなかったんでしょう?
千裕ちゃんの頭の中ではもうそういう風に思いこんでいるのか。
それにしても、千裕ちゃんのご主人の目の付けどころは、凄い!
美緒の元カレの設定も踏まえての推理だったのか。
「そう言われると、それも有りかと思うね」
私は無難な返事をしながら、さてどうしたものかと考えていた。
「そうでしょう? 私もパパにそう言われて、いろいろ思い返していたんだけど、美緒ちゃんの元カレって、同じサークルだって言っていたけど、守谷先生は折り紙サークルで、美緒ちゃんもやけに折り紙に詳しかったから、もしかすると、もしかするかもって思ったのよ。それに、守谷先生に誕生日おめでとうって言われた時の美緒ちゃんって、守谷先生のことが好きなのかなって思ったぐらい、真っ赤になっていたものね。でも、今までの守谷先生の態度を見ていると、美緒ちゃんが元カノだなんて思えないのよ。やっぱり、愛先生とは付き合ってないのかな? キャンプの時、いい感じだったのに」
千裕ちゃん、核心に迫っているけど、肝心なところ見落としているね。
昨日の懇談での守谷先生の反応は、ミエミエじゃないの?
千裕ちゃんにしたら、大したこと無い反応だったからもう忘れちゃったかもしれないけど、私に話してくれた時は、すぐのことだったから、わりあい真実そのまま話してくれたんだろうな。
担任が「何か聞いているんですか?」と尋ねたのは、美緒から二人の過去を聞かされているのかっていうことだろうし、「カマかけている?」と訊いたのも、千裕ちゃんが二人のことを疑ってカマをかけているのかってことだろうし。守谷先生にしたら、どう反応したらいいのか、悩んだだろうなぁ。
「愛先生とは関係ないって言っていたんでしょう? だったら、付き合っていないってことなんじゃないの?」
私は、守谷先生と愛先生の交際疑惑から離れられない千裕ちゃんに、くぎを刺した。そして、そのことを美緒にも千裕ちゃんから話してもらわなければと考えを巡らし、千裕ちゃんが屈託なく美緒に話すためには、美緒と守谷先生の元恋人説を潰しておいた方がいいと考え至った。
だって、千裕ちゃんが真実を知って、バレていることを知らない美緒の前で上手く立ち回れるかどうか不安だったし、美緒は千裕ちゃんにはまだ知られたくないみたいだし。それに千裕ちゃんには美緒自身の口から話してほしいから。
「そうなんだけど。じゃあ、守谷先生の虹の写真は、美緒ちゃんが送ったものだと思う?」
「それは短絡過ぎないかな? 美緒は相手が守谷先生なら、守谷ファンじゃない私には話してくれてもいいんじゃないの? たまたま、いろいろな偶然が重なっただけじゃない? ご主人想像しすぎだよ」
ちょっと胸がチクリと痛んだけれど、私も聞いていないというスタンスで押しまくろうと思う。
私が美緒と守谷先生の元恋人説を否定した途端、千裕ちゃんは分かりやすいぐらい安堵の表情をした。
「そうだよね? パパは考え過ぎだよね? あー良かった」
「良かったって、何が?」
「だって、美緒ちゃんの好きな人が守谷先生だったら、今まで散々美緒ちゃんに愛先生の話をしていたから、傷つけていたんじゃないかなって、ちょっと不安だったのよ」
あー、千裕ちゃん、あなたはなんていい人なの!!
私、こんなに人の良い千裕ちゃんを騙しているなんて。
もしも、全てが上手くいったら、美緒には千裕ちゃんにしっかり謝ってもらわなきゃ。
もしもの話じゃなく、こうして千裕ちゃんまで騙しているんだから、美緒には幸せを手につかむまで、諦めずに頑張ってもらわなきゃ!
千裕ちゃんに、彼は愛先生と付き合っていないって話してもらったら、このクリスマスの機会に美緒の方から何かアプローチするよう、背中を押そう。
私は心の中でいろいろな策を考えながら、友の幸せの笑顔を見られることを願っていた。




