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いつか見た虹の向こう側【改稿版】  作者: 宙埜ハルカ
第三章:新婚編
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【八】噂の顛末(前編)

 噂なんて、分かっていたこと。

 そんなものに振りまわされるなんて、バカらしいじゃない。

 人の妄想で肥大化した噂なんて、姿の見えないお化けのようなものだから。

 その真実よりも、人々の想像力の方が、遥かに恐ろしい。


 私は噂の現状を聞いたその夜、慧にその事実を話さなかった。否、話せなかった。以前、新聞の新婚さんのコーナーに載せようと話した時、彼は自分を責めていた。もう噂なんかで自分を責めて欲しくなかった。それに、周りに何を言われたって、悪いことをしている訳じゃないから堂々としていようと話し合ったのに、ここでまた噂の話をしたら、私が動揺していると思われるのも嫌だった。

 今回は彼が保護者と結婚したという噂だけだし、たとえそれが私だと分かっても、拓都が何か言われる訳じゃないのなら、知らない振りをしていよう。案外噂なんて、本人の耳には入らないものだから。

 私は自分の中で自己完結をして、やり過ごすことにした。この時はまだ、いろいろ言われるだろうけれど、自分さえしっかりしていれば、時が解決してくれると思っていた。


「美緒ちゃん、あのね、篠崎先生の結婚相手は一年の時のクラス役員さんらしいって、今日の夕方綾ちゃんが慌てて駆け込んで来て、私に確かめに来たのよ。美緒ちゃん、本当のこと言ってもいいって言っていたから、綾ちゃんに、かいつまんで話したんだけど。よかった?」

 月曜日の夜、千裕さんからの電話で知らされたのは、危惧していた噂だった。それでもこれは想定内だ。

「ごめんね。又千裕さんに嫌な思いさせちゃったね。なんでも話してくれていいから」

 私の知らないところで、いろいろと気を使わせている千裕さんに申し訳なくて、それでも謝ることしかできない。それなのに千裕さんは、私を心配して「本当のことを話したら、綾ちゃん納得してくれたからね。大丈夫だよ」と励ましてくれた。

「ありがとう。私なら大丈夫だから。相手が私だってバレることは想定していたことだし。本当に迷惑かけてごめんね」

 そう、すぐに私の名前が噂の中に登場して、独り歩きを始めるだろう。

 でも、そんなことは、私さえ気にしなければ、やり過ごせる。

 大丈夫、大丈夫。

 私は、これは想定内だからと自分に言い聞かせながら、慧と拓都の前ではいつも通りに振舞った。そして、授業参観の日はもう目の前だった。

 授業参観の前日、いつものように仕事が終わると拓都を学童へ迎えに行った。いつも嬉しそうな顔をして飛び出してくる拓都だが、今日はどこか元気が無い。まるで新学期の最初の日のようだ。あの時は、友達とクラスが分かれてしまったからだったけれど。

「拓都、大丈夫?」

 私は拓都の顔を覗き込むようにして尋ねた。そんな私の顔をじっと見つめ返した拓都は、静かに首を横に振った後、恥ずかしそうに笑うと「大丈夫だよ」と答える。

「どこか痛いとか、気持ち悪いとかない? それとも、何か嫌なことがあった?」

 全然大丈夫そうじゃない拓都の態度が心配になって、私は重ねて訊き返した。それでも拓都は「どこも痛くないし、何もないよ」と返すだけ。

 拓都は結構頑固なところがある。自分がこうと決めたら、なかなか変えることがない。

 これも成長の内なのかなと思いながら、私は心の中で溜息を付いた。

 その夜、拓都が寝た後に帰って来た慧に、拓都の様子がおかしかったことを話すと、あっけらかんとした返事が返ってきた。

「友達とケンカでもしたんじゃないかな? そういうのは絶対に親には言いたくない年頃なんだよ」

 やっぱりそうなのかな? 宿題の日記だって見せてくれなくなったもの。

 そんな風に考えていると、慧がニヤリと笑って話を続けた。

「まあ、俺がさりげなく訊いてみるよ。俺には日記を見せてくれていたしな」

 自慢気に言う慧が憎らしくなる。上目使いに軽く睨むと、彼は優しく微笑んで「拓都はママが大好きだから、心配かけたくないんだよ」と私の鼻を軽くつまんだ。

 そんな拓都の心理もなんとなく想像はつくけれど、今はこの頼りになる元担任に任せるしかないかと小さく溜息を付いた。


 次の日の朝、拓都はいつものように元気に起きて来た。昨日のことはもう吹っ切れたのかと、安堵しながら挨拶を返す。三人で朝食を食べた後、私が朝食の後片付けや洗濯等で忙しく家事をしている間に、慧と拓都が何か話しているようだった。もう吹っ切れたのなら、蒸し返さなくてもと思いはしたが、慧に任せたのだからと思い直し、口は挟まないことにした。

 毎朝三人は同じぐらいの時間に出る。拓都を送り出して、私と慧も外に出て鍵をかけている時、慧が神妙な顔で言った。

「美緒、拓都のことだけど、今は時間がないから、帰ってからゆっくりと話をするよ」

 私はたいしたことなかったと言われると思っていたのに、慧の表情がそんな簡単なことではないと言っているようで、思わず「深刻なことなの?」と訊き返した。

「大丈夫だから。今夜、ゆっくりな」

 慧は取り繕ったような笑顔を残し、車に乗り込むと出掛けて行ってしまった。私もぼんやりとしている暇はない。同じように車に乗り込み出発した。けれど、心の中はすっきりとせず、もやもやしたものを抱えたまま、職場へと車を走らせた。

 まさか、いじめとか? 仲間外れとか?

 頭の中で答えを求めてグルグルしてしまったけれど、最初から心に引っかかっていることを、私は敢えて考えないようにしていた。

 午後からの授業参観のために、午前中だけで早退する。その時になってやっと携帯電話が点滅していることに気付いた。千裕さんからのメールだった。

 話があるから少し早く小学校へ来てほしいというメールで、私は了解と返事を送った。

「美緒ちゃん、ごめんねぇ。忙しいのに」

 また新たな噂の話だろうかと、心の中で少し警戒しながら、約束していた児童の昇降口前へ行くと、千裕さんののんびりとした口調に、張りつめていた気持ちが緩んだ。

 ただでさえ、小学校へ来るのは、噂の渦中へ飛び込むようなものだと覚悟して緊張しているのに、意味深なメールに、少しドキドキしていたのだから。

「美緒、お疲れ様」

 由香里さんも笑顔で私を迎えてくれた。二人の笑顔に緊張を解きながら、「待たせてごめんね」と笑顔を返し、二人の導きで人のいない中庭へとやって来た。

「美緒ちゃん、拓都君から何か聞いている?」

 周りに人がいないことを確認すると、千裕さんは急に真面目な顔になった。私は彼女の変化に驚き由香里さんの方を見ると、由香里さんも真剣な表情をしている。

 えっ? 拓都? 昨日様子がおかしかったことだろうか? 

 もしかして、翔也君や陸君と何かあった? ケンカしたとか? 

「昨日、拓都の様子がおかしかったけど、何も言ってくれなかったの。翔也君や陸君と何かあったの?」

 二人の真剣な表情に不安になりながら、昨日の拓都を思い出す。そして、私の返事を聞いた二人は益々硬い表情になり、アイコンタクトを取ると頷き合った。

「美緒ちゃん、落ち着いて聞いてね。ウチの子たちとは何もなかったけど、守谷先生……あ、篠崎先生が拓都君のパパになったっていうことを知っている子がいてね、お昼休みにウチの子達と拓都君が外で遊んでいる時に、本当かって訊いて来た子がいるんだって」

 あぁ、もう、子供にまで広まっているなんて。

 予想はしていたけれど、いざ本当になるとどう反応していいのかうろたえてしまう。

「そ、それで、拓都は?」

「それがね、子供の話だから詳しくは分からないんだけどね、拓都君はそうだって言ったみたいで。それでね」

 いつもの物怖じしない物言いの千裕さんらしくなく言いあぐねている様子に、嫌な予感が脳裏をかすめた。そして、由香里さんが励ますように千裕さんを見つめている。

「それで?」

 私は落ち着かない気持ちで先を急かした。

「その、訊いて来た子がね、拓都君のママは先生を誘惑したんだって、不倫だって言ったみたいで。ごめんね、美緒ちゃん。翔也のいうことだから、ハッキリしたことはわからないのだけど、昨日、私に『不倫ってなに?』とか『拓都君のママは先生を誘惑したの?』とか訊いて来て、驚いて問い詰めたら、拓都君の同じクラスの子に言われたらしくて」

 千裕さんは申し訳なさそうに私を見つめている。

 私は胸が詰まって言葉が、声が、出なかった。

 不倫とか誘惑したとか言われるのは予想していたことだけれど、もしかしたら拓都へも何らかの影響はあるかもしれないとは思っていたけれど、いざ本当になってみると、頭の中が真っ白になってしまった。

「美緒、ウチの陸もね、『不倫って何?』とか『誘惑って?』とか訊くから、何事かと思って訊いたら、同じようなことを言っていたのよ。それで、子供達には言い聞かせたのだけど

 由香里さんも同じように申し訳なさそうで、反対にこちらが申し訳なくなった。

 千裕さんも由香里さんも、私にどう話そうか、きっと心を痛めたのだろう。二人の気持ちを思うと、私は何しているんだろうと思う。でも、得体の知れない噂の前で、私に何ができるというのか。

「それで、拓都はそんなことを言われて、どうしたの?」

 そうだ、拓都にしたら私以上にショックだっただろう。不倫という言葉の意味が分からなくても、その子が言った言葉の裏に悪意が含まれているのを感じてしまったのだろう。

「拓都君は、ママはそんなことしていないって言い返して、教室へ戻ってしまったらしいの」

 昨日の拓都が私のことを思って何も言わなかった気持ちを思うと、不甲斐ない自分が嫌になった。

 拓都、ごめんね。

 守れなくて、ごめんね。

 その時五限目の始まるチャイムが鳴り響いた。私達はそのチャイムの音に顔を見合わせ、「教室へ行こうか」と言う由香里さんの言葉に背中を押されるように動き出した。



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