【七】家族ぐるみのお付合い
四月二十四日日曜日、午前十時に現地集合ということで、三家族は県立青少年の森公園の駐車場で顔を合わせた。
「あっ、守谷先生だ」
最初に私達に気付いたのは、子供達だった。「拓都君もいる」とか「おはよう」とか口々に言いながら、嬉しそうに駆け寄ってきた由香里さんと千裕さんのところの子供達を、私達も笑顔の挨拶で迎えた。
「翔也に智也、陸に礼、元気にしていたか?」
学校を変わってしまった慧にしたら、懐かしいのだろうと思う。子供達の頭をぐしゃっとと撫でながら、一人ひとりに笑顔を向けている。
「守谷先生は、拓都君のパパになったんだよね?」
陸君が目をキラキラさせながら、慧を見上げて問いかけている。拓都はその横で恥ずかしそうにしながらも、慧が何を言うかと同じように見上げている。
「そうだよ。拓都のパパになったんだ。これからもよろしくな」
笑顔で答えている慧の横で、拓都は照れたように笑った。
「おはようございます」
私が千裕さんや由香里さん達に手を振って「おはよう」と言っている横で、まるで担任モードの挨拶をする慧。それぞれの夫婦が慌てて「おはようございます」と頭を下げるのを見て、何となく申し訳ない気持ちになった。
「西森さん川北さん、引っ越しの時にはお世話になりました」
慧はまだまだ硬いままで、先日の引っ越しの時のお礼を言うから、私も慌てて「ありがとうございました」と頭を下げる。
「いやいや、お互い様ですから。またいつウチの方がお世話になるかもしれませんので、気にしないでください」
千裕さんのご主人が恐縮がって答える横で、千裕さんがニコニコと「そうよー、守谷先生……じゃなかった。篠崎先生と美緒ちゃんのためなら、ドーンと任せてね」と胸を叩いた。
「篠崎先生、初めまして、川北です。いつも、妻と子供達が仲良くしてもらってありがとうございます。引越しの時手伝いに行けなくて、本当に申し訳なかったです」
由香里さんのご主人の丁寧なあいさつに、私達は恐縮した。慧が我が家へ引っ越す日、由香里さんのご主人は仕事があったので来られなかったが、由香里さんが西森家と篠崎家の子供達を預かってくれたので、とても有難かった。
「いえいえ、奥さんに子供達を預かってもらったので、助かりました」
「私は子供達と遊んでいただけだから、そんなこと言われると、かえって申し訳ないぐらいだけど、本当にお互い様だから、そんなに気を遣い合うことはやめましょう」
初めての子供を交えた家族同士の付き合いに緊張気味の慧に、由香里さんはニッコリと笑って諭してくれた。親しき仲にも礼儀ありだけど、相手が恐縮する程お礼を言うのも、かえって雰囲気を壊してしまう。でも、この間まで担任だった慧も、その子供の保護者だった皆も、どこか緊張するのは仕方ないのかもしれない。
とりあえず挨拶を済ませ、早速にフィールドアスレチックの方へ行こうと子供達が急ぐ後をパパ達が追いかけ、私達ママは、お喋りしながらのんびりと歩いて行く。
「美緒、本当に結婚したんだねぇ」
由香里さんがしみじみと言うから、妙に恥ずかしくなって「何よ、今頃」と素っ気なく返す。
「そうそう、美緒ちゃんと先生が並んでいるのを見ると、不思議な気もするんだけど、しっくり馴染んでいるのよね。それに拓都君も嬉しそうで、本当に良かったわ」
千裕さんも同じようにしみじみと同意する。二人が喜んでいてくれるのはよく分かっていたけれど、気恥かしくてニコニコと私に笑いかける二人の笑顔から目をそらして小さく「ありがとう」と言った。
「そういえばさ、引っ越しの時に来ていた本郷先生と広瀬先生って、ちょっといい感じじゃなかった?」
千裕さんは、もう新たな興味の対象を見つけたのか、ワクワクしたように問いかけて来た。
でも、あの二人、いい感じだったかな?
「そうかな? なんだか反発し合っている感じだったけど」
面白がってからかっているような広瀬先生と、それにイライラして言い返している美鈴は、とてもいい感じには見えなかった。
「何言っているのよ。あれはお互い気になっているけど素直になれないのよ」
千裕さんの言葉に首をかしげていると、由香里さんがクスクス笑って「美緒は恋愛奥手だから、そんな微妙な雰囲気は分からないのよ」と言うではないか。
「美緒ちゃん、恋愛奥手でも、篠崎先生を選ぶあたり、なかなか恋愛上手だと思うけど」
千裕さんもそう言ってクスクスと笑う。
恋愛奥手とか恋愛上手とか、いったい人のこと何だと思っているのよと、反発する気持ちが浮かんだ。しかし、二人の嬉しそうな笑顔を見たら、なんだかんだ言っても喜んでくれているのだと思うと、何も言えず苦笑するしかなかった。
この自然公園にあるフィールドアスレチックには、丸太で作られた遊具が何種類もあるのだと、教えてくれたのは慧だった。県内で生まれ育った私より、アウトドアに関しては他県出身の慧の方がずっと詳しい。子供には少し難しい遊具もあるが、やはりこういうところは子供連れの方が来易いなと彼は笑った。
こんな風に自然の中にいる彼は、とても輝いて見えるとあの頃から思っていたけれど、子供より楽しんでいるんじゃないかと思う程、嬉しそうで張り切っている。子供達にあれこれ指導してしまうのは、先生という性か。
私達は子供達とパパ達の奮闘ぶりを見て笑いながら、カメラを向けていた。けれど、千裕さんは、見ているだけでは物足りないのか、「パパには負けないわよ」と果敢に挑み、その上、私まで巻き込もうとするのだ。
「美緒ちゃんも若いんだから、パパや子供たちに負けていたらダメよ。普段体動かさないんだから、ダイエットにもなるわよ」
千裕さんの言葉に慧までが「身体を動かすと気持ちいいぞ」と誘いかける。由香里さんは妊娠中だから関係無いとばかりに、「美緒、がんばれ」と苦笑しながら手を振られてしまった。
私はしぶしぶという風に仲間に加わったけれど、身体を動かすのは嫌いじゃないから、いつの間にか夢中になっていた。
「やっぱり篠崎先生は若いなぁ。体力がついて行かないよ」
ひとしきり遊んだ後の昼食タイムに、パパの中で一番年上の千裕さんのご主人がぼやく様に言った。由香里さんのご主人も同意するように言うので、慧は困ったように「毎日子供相手に身体を動かしているからですよ」と苦笑する。その後、子供達が辛辣にパパ達のアスレチック批評をするので、皆で笑い合った。
デザートのフルーツやおやつをゆっくりと食べた後、ローラーの長い滑り台があるからと、パパと子供達が出かけて行くのを見送った。
「騒がしかったけれど、やっと落ち着いてお喋りができるね」
千裕さんが、先ほどよりも緩めた表情で、もう一度ポットにもって来た紅茶を入れてくれた。
「千裕ちゃん、篠崎先生がいるから、ちょっと緊張していたでしょ」
由香里さんがニヤリと笑って突っ込みを入れる。
「何言っているのよ。美緒ちゃんの旦那なのにそんな意識なんてしていないから。それでも、学校では見せない素で楽しそうな顔していたね、篠崎先生」
千裕さんがファンだと言っていた彼の、幸せを願っていてくれたことは知っている。だから、保護者の前では見せない彼の表情に、気付いてくれたことが嬉しかった。
「そういえば、千裕ちゃん、美緒に話したの?」
由香里さんが急に真面目な顔をして千裕さんに尋ねた。その様子を見て、私は何のことだろうと思っていると、千裕さんはハッとして私の方を見た。先程までの緩い笑顔は、そこに無かった。
「あのね、美緒ちゃん。私の近所に私と同じように篠崎先生のファンだった綾ちゃんっていたでしょう? 彼女が金曜日の夕方やって来てね。『守谷先生が結婚したって聞いている?』って訊いて来たの」
あ、とうとう、きたか。
確か彼女は本部役員の友達がいたはずだから、噂が耳に入るのは早い方だろう。
「それで、相手のことまで広まっているの?」
「うん、相手は保護者らしいって、不倫らしいって。それで守谷先生が他の小学校へ変わらされたんだって噂になっているらしいの」
思った通りの噂に、笑いさえ出そうになった。
「そっか、想像していた通りだね。それで、相手が私だということはバレていないの? なんて答えたの?」
「美緒ちゃんのことは出てこなかったから、私が訊いた噂は、相手は独身らしいと言ったんだけど、彼女がバツイチかっていうから、独身のままお姉さんの子供の面倒を見ているらしいって言ったんだけど。きちんと本当のことを言った方が良かったかな?」
こんな風に友達に気を使わせるのは本意じゃない。けれど、どうすればいいのだろう?
「ごめんね。いろいろ悩ませちゃったね。前に千裕さん言ってくれたじゃない? ある程度言われるのは仕方ないって。私もそう思うから、そこまで千裕さんが言ってくれたのなら、もういいよ。本人はもう学校にいないんだし。いろいろ言われていても聞こえないだろうし。私も学校へ行かなかったら、聞こえてこないし」
「でも、美緒、今度の水曜日、授業参観と学級懇談とPTA総会があるよ。三人とも別のクラスだから、傍にいてあげられないし。大丈夫?」
由香里さんも心配そうな表情で、確かめるように訊いた。
覚悟していたことだから。
覚悟ってどんな覚悟なんだろうと頭の片隅で思いながらも、私は微笑んで「大丈夫だよ」と答えた。
「美緒ちゃん、綾ちゃんだけじゃないの。昨夜も同じように噂を聞いた二人から、『知っている?』ってまるで大スクープのように電話がかかって来たの。一応綾ちゃんに言ったのと同じことを返事したんだけど、今度の水曜日までに殆どの人に広まるって思っていた方がいいと思う。その内相手が美緒ちゃんだってことも分かってくると思うし」
「大丈夫だって。悪いことしている訳じゃないし、噂されることは覚悟していたし。それより本当にごめんね、心配かけて」
そう、こんなことは何度も想像していた通りだから、大丈夫。
私達は後ろ指差される様なことは何もないのだから。
大丈夫。
私は自分に言い聞かせるように鼓舞する。
今度の水曜日までに、何を聞いても聞き流せるように、心に覚悟という鎧を付けよう。




