【七】運命の恋人
突然の告白に、私の頭はフリーズした。驚いた私は、しばらくの間、守谷君と視線を絡ませたまま、見つめ合っていた。先に視線を外したのは守谷君だった。
「篠崎さんは、告白されても、好きじゃ無い人とは付き合えないって、いつも断っていると聞いたから、あんな風にワザと篠崎さんを怒らせて、たとえお試しでも付き合ってもらえたらと思ったんだ。だけど、まさか篠崎さんが、勝負に付き合わせるなんて思い違いしているとは思わなかったよ。ホント、焦ったよ」
守谷君は苦笑しながら言った。
勘違いしていたことが、急に恥ずかしくなった。
それにしても、どうして私がいつも断っているって知っているの?
「あの……、私がいつも断っているって話、誰から聞いたの?」
「本郷さんだよ。彼女に気付かれたんだ。俺の気持ち。それで、篠崎さんのこと、いろいろ教えてもらって……」
なに? 美鈴が言ったの?
私は打ち上げの日の美鈴の言葉を思い出して、合点がいった。
何が罠にかかったウサギなのよ!
「私、守谷君の罠にかかるつもりありませんからね」
「罠?」
「そう、美鈴に言われたの。私は罠にかかったウサギだって!」
「ち、ちょっと待ってください。誤解です。確かに、篠崎さんをワザと怒らせて付き合わせるような雰囲気に持って行ったけど。それは、まともに告白しても、絶対に断られると思ったからで。外見だけじゃ無く、本当の俺を見て欲しかったんです。けして、罠にかけようとか思っていません」
守谷君は少し情けない顔をして、必死で言い募る。その必死さに、どこかほだされる様な気持ちになった。
本当に、私なんかが良いの?
まだ何処か信じられず、私は守谷君をじっと見る。私の視線に気付いた彼は、恥ずかし気に少し俯いた。
「篠崎さん、わざとですか? そうやって俺のことじっと見るのは。サークルの時も、よく俺のこと、見ていましたよね? 少しぐらい俺に気があるのかなって思ったりもしていたんですけど……」
えっ? バレていたの? ウォッチングしていたこと。
私は急に恥ずかしくなり、守谷君から目を逸らした。
「あ、あれは……、ミーハー的なもので。守谷君ってほら、芸能人並みにカッコいいから、ちょっとアイドルを見ている様な気分でウォッチングしていたの。ごめんなさい」
私の言葉を聞いた守谷君は、おもむろに息を吐くと、「篠崎さん、あなたも顔だけですか」と、落ち込んだ。
「いや、最初は確かにイケメンだなって見ていたけど、夏休みに公園で会った時の守谷君や、今日の守谷君を見ていると、全然違う顔が見えて来て、むしろそちらの方が好ましいっていうか……」
最後の方は自分でも何を言っているのか分からなくなって、しどろもどろになってしまった。そんな私の言葉を聞いた守谷君は、パッと破顔させ、「本当ですか?」と私の顔を覗き込んだ。
「いや、えっ? そうじゃなくて、あの……、今私は、就活中な訳で、お付き合いとか、恋愛とか言われても、ちょっと……」
私はテンパッていた。こんな時に余裕でかわす経験値も無く、なぜだかスッパリと突き放すことも出来ず。
「就活中? 篠崎さんは、公務員志望でしたよね?」
「えっ? それも、美鈴に聞いたの?」
「はい。でも、民間企業も考えているんですか?」
「そういう訳じゃないけど、来年の六月には公務員の試験があるから、勉強しないといけないし……」
私は及び腰になりながら、どんなふうに言えば守谷君を傷つけずに、元の先輩後輩に戻れるかを考えていた。
「じゃあ、それが済んだら、真剣に考えてもらえますか?」
私の逃げ腰の言葉に怯むこと無く、じりじりと攻めてくる守谷君に、私はタジタジだ。
「守谷君だったら、私なんかより、ずっと綺麗な彼女を選び放題なのに。私じゃ無くても……」
ここまで言いかけたら、守谷君の表情がすっと冷たくなった。
「篠崎さんも、皆と同じことを言うんですね? 俺は周りの意見に合わせて恋愛しなくちゃいけないの? 俺は外見だけで好きな人を選ばなくちゃいけない訳?」
守谷君は、とても冷たい視線で私を見つめた。さっきまでの、熱っぽく攻める雰囲気は、一瞬にして消えてしまった。
守谷君……。
彼はその、誰もが羨む整った顔のせいで、随分嫌な思いもしてきたのだろうか。
でも、そんな守谷君が、どうして私なんかを選ぶのかが、分からない。
「ごめんなさい。守谷君の気持ちも考えずに。でも、どうして私なのか、分からなくて」
「誰かを好きになるって、そんなもんじゃないんですか? 気付いたら好きになっていたんだから、しょうがないですよ。でも、篠崎さんの迷惑になるんだったら、諦めます」
守谷君のこの言葉を聞いた時、彼は真剣なのだと感じた。それなら、こちらも真面目に答えなくては。
「迷惑だなんて……、そんなこと……。私、この年になって恥ずかしいんだけど、恋愛っていう意味で、誰かを好きになったことが無いの。だから、よく分からないのよ。今日だって、男の人と二人で出かけるのも、二人で自動車に乗るのも、初めての体験なのよ。だから、最初はすごく緊張した。おまけに相手が守谷君なんだもん」
私がそう言うと、守谷君はこちらを見て、フッと笑った。
「篠崎さん、それって……、俺は喜んでいいんですか?」
「いや、だから、あの……、さっきも言った様に、今は就職のための勉強をしなくちゃいけないから、お付き合いするとかは、考えられないの。就職が決まるまで待ってもらえるなら、それから真剣に考えてみる。それじゃあ、ダメかな?」
私はこう言いながら、まだ何処か、守谷君の気持ちを信じていなかったのかもしれない。
公務員試験の結果が出る来年の八月までに、彼は私のことを好きだなんて思い違いだったと、気付くかもしれない。もしかしたら、覚めてしまうかもしれない。そんな風に頭の片隅で考えていたのだから。
「篠崎さん、さっき俺がそう言いました。じゃあ、それまでは、予約ということで……」
彼の表情が一気に笑顔に変わり、嬉しそうにそう言う。
「予約って……、とりあえず今は、お友達ということで」
私は予約の意味が分からず、中学生の断り文句の様なことを言った。
「お友達って……、せめて、恋人候補とか言ってくださいよ」
こ、恋人?!
お付き合いなんていうだけでドキドキするのに、恋人なんて上級すぎる!!
「いいえ、お友達もしくは、先輩後輩ですね」
「それじゃあ、今までと同じじゃないですか? たまには息抜きに誘ってもいいですか? 電話やメールもいいですか?」
ええっ?
ちょっと、ちょっと、守谷君暴走しすぎだって!!
私は暴走する守谷君を軽く睨んだ。
「大学では今までどおり先輩後輩で、息抜きは二人だけじゃ無く、他の人も一緒だったら。電話は用がある時だけで、メールは頻繁じゃ無ければ。でも私、メールをするのは苦手だから、返事はすぐにできないかも……」
言いながら、私ってなんてわがままで上から物を言っているんだろうって、笑ってしまいそうだった。守谷君は少しがっかりした様な顔をしたけど、気を持ち直したのかすぐに笑顔になった。
「残念だけど、不本意だけど、その条件飲みます。篠崎さんの初めての恋人候補と認めてくれるなら」
だから……、恋人って言葉は、恥ずかしすぎるのよ。
そんなこんなで、私達は取りあえず今までどおりの関係を続けることになった。全ては私の就職が決まるまで保留ということで。
でもね、あんな風に守谷君に告白されて、その後、彼のことが気にならないはずが無かったのよ。
*****
私は、守谷君とハイキングに行った夜、美鈴に電話をした。それは報告の為では無く、怒るためだ。
「美鈴、守谷君に私のこと、何話したの?」
私は、それほど怒っていた訳じゃ無かったけど、低い声で問い詰めた。
「あっ、守谷君バラしちゃったの?」
美鈴は悪びれた様子もなく、陽気な声を出した。
「バラしちゃったのじゃないわよ。それに罠にかかったウサギなんて、訳の分かんないこと言うから、恥じかいたじゃないの。美鈴は知っていたんでしょ? 守谷君の思惑」
「あんな切ない目で美緒のこと見つめているから、ちょっと助けてあげたくなるじゃない? それに、その年になっても恋愛経験の一つも無い美緒の為にも、って思ってね」
なに~?
私の為?
「余計なお世話よ!」
自分の知らないところで、誰かの思惑どおりに、自分が踊らされているなんて、我慢できない。それがたとえ親友の美鈴でも!
「でも、美緒だって守谷君のこと、気になっていたじゃない? それで、守谷君とは付き合うことになったんでしょ?」
美鈴には、私の怒りなんか何とも思ってないのか、嬉しげな声で言った。「悪いけど、ご期待に添えないみたい」と憮然と答えれば、「またまた、冗談でしょう?」と笑う。私は、仕方なく、今日のことをかいつまんで説明した。すると、美鈴は少し驚いた様な声をあげた。
「ええっ? 保留? なんて贅沢なの! あの守谷君を来年の夏まで待たせるなんて!」
「贅沢って……、守谷君もその内、私なんかを選んだのは間違いだったって気付くかもしれないし、今の盛り上がった気持ちも、冷めていくかもしれないし、待っていてくれるかどうか、分からなし……」
自分からも待ってほしいってお願いしたけど、やっぱり守谷君みたいなモテモテマンを、就職が決まるまで、キープできるなんて、自惚れてはいない。
「美緒は守谷君の気持ち、信じられないの?」
「信じられないっていうか、自分に自信が無いから。とにかく今は、就職のために勉強することが最優先だから……」
「ふうん。でも、断らなかったんだ? いつもみたいに。だけど美緒、就職決まるまでって守谷君を待たせているけど、決まった後は付き合うつもりはあるんでしょうね?」
急に低い声で問いかけて来た美鈴の言葉に、私は怯んだ。
付き合うつもり、って……。
「就職が決まったら、真剣に考えてみるって言ったけど、付き合うって約束したわけじゃない。守谷君だって、それは分かっていると思うけど」
私は今日守谷君と交わした約束を思い返していた。
恋人候補って、守谷君言ったっけ。守谷君もそのつもりなのかな?
「呆れた。付き合う覚悟も無いのに、守谷君を待たせているわけ? それで、とりあえずキープしておいて、やっぱり付き合えませんって断るの? 美緒は守谷君の気持ちに胡坐をかいて、平気なの?」
思わぬ美鈴のきつい言葉に、改めて恋愛の現実を思い知らされた。
私って、いい加減すぎたのだろうか?
守谷君の気持ちに対して、不誠実な対応だったのだろうか?
「そうか、そうだよね。付き合う覚悟が無いのなら、今断った方がいいよね。そうしたら、守谷君だって、他の娘と付き合えるものね」
そんなことを言いながら、他の娘と思っただけで、胸が苦しくなった。
「ちょっと待って、美緒。さっきは言い過ぎたから、もう一度よく考えてよ。それに、誰かを好きになって、付き合うようになっても、就職のための勉強の邪魔にはならないから。かえって中途半端な方が、余計に心惑わされて、勉強が手に付かないんじゃないかな? 私も直也とは、お互いに励まし合って、お互いに恥ずかしくないよう頑張ろうと思うもの。恋は時には力にもなるから。美緒も逃げないで欲しい」
美鈴の言葉は実感がこもっていた。
私は逃げているのだろうか?
その後のサークルで、私は守谷君をまともに見ることができなかった。彼のその姿を見た途端、私の心臓はビクリと跳ね、思わず、顔を背けていた。
どうしてしまったの? 私。
守谷君は真っ直ぐ私達の傍へ来ると、「本郷さん、篠崎さん、こんにちは」と挨拶をする。美鈴が笑顔で挨拶を返しているから、私も暴走しそうになる心臓を心の中でなだめながら、どうにか「こんにちは」と返した。彼の方を見上げると、目が合った。たったそれだけのことなのに、うろたえる自分に戸惑いを感じた。いつもなら、相手が目を逸らすまで、逸らしたりなんかしないのに。私は目が合った途端、顔ごと逸らしてしまった。
どうしてしまったの? 私。
「美緒、顔、赤いわよ」
私を観察する様に見ていた美鈴がポツリと言うと、ニヤリと笑った。
私は自分でも誤魔化しきれいない程、守谷君を意識している自分に気付いていた。でも、だからと言ってどうしたらいいか分からなかった。
初めての感情に身動きが取れず、うろたえる私に、守谷君からメールが届く。
そう、守谷君はあれから、三、四日に一度ぐらいの割合で、写真付きのメールを送ってくれる。その写真は、綺麗な夕焼けだったり、何気ない落ち葉だったり、机の上の文房具だったり、その日の食事の料理だったり。そして、私も時々、写真で返事を返したりもした。そのやり取りは、私を癒してくれた。
サークルの時の変わらない態度の守谷君、そして、何気ない写メールの中に見つける優しさ。
私は彼の罠の中に落ちていく自分を、自覚しつつあった。
そんな時、守谷君から「雪を見に行きませんか?」と誘われた。それは、クリスマス間近の週末だった。県北部の山脈の上部に白い物が見られるようになり、ロープーウェイで山頂へ雪を見に行こうということだった。私は覚悟を決めて、彼の誘いを了解した。
ロープーウェイを降りると、思った以上に寒く、ダウンジャケットを着ていたけれど、思わず首をすくめた。そんな私を見て、守谷君はすぐに自分のしていたマフラーを外すと、私の首に巻きつけてくれた。
それだけのことで、心まで温かくなる。彼のそんな優しさに、私の中に又一つ彼への想いが積み上がる。ハイキングの時とは違い、日毎に重くなるこの想いを抱えている今の私は、あの時の様に楽しくおしゃべりさえできない。このままでは、彼に心配をかけてしまうと思っても、ぎこちない態度の自分に舌打ちしたい気分だった。
「篠崎さん、寒かったから、あまり良くなかった?」
山の上のカフェで一休みした時、守谷君は心配気に訊いて来た。大きな窓一面に広がる銀世界に目を向けていた私は、彼の問いかけに思わず首を振った。
「ごめんなさい。こんなに雪のある所へ来たのは初めてで、とても嬉しかったし楽しかったの。だけど、私、変に緊張しちゃって」
今のこの心理状態をどんなふうに説明していいのか分からない。
「もしかして、この間、俺が告白したこと、意識しているから? 俺、できるだけ今までと同じように接しているつもりだったんだけど。今日、ここへ誘うのも、すごく悩んだんだ。でも、スキーとかしたこと無いって言っていたから、雪を篠崎さんに見せたかったんだ」
守谷君はどうしてこんなに上手く、女心のポイントを突いてくるのだろう?
彼の言葉に、私は頬が熱くなるのを感じた。きっと私、頬が赤くなっている。そう思うと余計に恥ずかしくなって、俯いてしまった。
そんな私の態度は、雄弁に私の気持ちを伝えていたのだろう。
「篠崎さん、俺……自惚れてもいいかな? 篠崎さんも俺のこと……。もう一度訊いてもいいかな? それともやっぱり、来年の夏まで待たないとダメかな?」
私は返事の代わりに首を横に振った。
「それって、待たなくていいってこと?」
守谷君の問いかけに、今度はコクリと頷いた。そして、顔を上げると彼と目が合った。その熱い眼差しに、目を逸らすことができなかった。
「じゃあ、俺と付き合ってくれますか?」
私は小さく「はい」と答えながら、頷いた。
その日から、彼は私にとって大切な人になった。
小さな喧嘩はしても、すぐに仲直りできたし、なにより、一緒に居ることがどうしてこんなにしっくりくるのだろうと、不思議になる程の存在だった。私達は小さな思い出を積み重ねて行った。それは、いつまでも続くと疑うことさえしなかった。
公務員試験も、落ちれば彼に辛い思いをさせると思うと、余計に頑張れた。無事に合格して、赴任地が同じ県内と言え、車で三時間もかかる地方都市だと分かっても、私達は大丈夫だと信じていた。週末毎に彼の元へ帰って、一緒の時間を過ごした。
他県出身の彼は、地元へ帰らず、この県の教員試験を受験する予定だった。私達は、いつともなし、共に歩む未来の自分達の話をしていた。
彼も私も、運命の恋人だと信じていた。
そう、あの日までは………。