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いつか見た虹の向こう側【改稿版】  作者: 宙埜ハルカ
第二章:婚約編
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【十九】四年ぶりのバレンタイン

 その夜、お風呂からあがって、もう一度リビングのコタツに座り込んだ。本当はうたた寝してしまうから、今年の冬はコタツを出すのを止めるつもりだった。けれど、お正月が終わった頃、拓都が眠った後一人で過ごす夜に、無性にコタツが恋しくなり、やっぱり出してしまった。

 コタツに入って、テレビを見るともなしに眺めながら、大きく溜息を吐いた。その溜息は、何かを思い悩んだり、落胆したりして出た溜息では無い。先程の玄関での束の間の逢瀬を思い出すと、気恥ずかしさと嬉しさが飽和状態を超えてしまい、溜息となってこぼれ出たのだった。

 蕩けるように甘い彼の眼差しを思い出すだけで、頬が熱くなるのが分かる。彼が触れた部分も熱を持ったような感じで、私はまた熱い溜息を吐き出した。


 あの後、彼が他に気になっていることがあるなら、何でも言ってほしいと言うから、本当は愛先生の気持ちは分かっているのか訊きたかったけれど、やっぱり訊けなかった。その代わり、他の先生達が愛先生と仲が良いと思っている誤解は解けたのか訊いてみた。

「それは……、否定しても信じない人もいる。でも、大原先生と広瀬先生には結婚を約束した人がいることを話しているし、校長には美緒と拓都のことも話したんだ。あっ、でも、三学期が終わるまでは、皆に口止めしておいたから」

「ええっ?! 校長に私のことを話したの?」

「ああ、転勤したい理由を話した方がいいと思ったし、拓都はまだこれからもお世話になるだろう? 三学期が終わったら、三人で挨拶に行こう」

「えっ? ああ……そ、そうだね」

 慧が先のことまで考えて動いているのを知って、私は変な焦りを感じた。

 私なんて、自分の中のいろいろな感情に翻弄されてばかりいるのに、彼はしっかりと先を見据えている。

 そういえば、愛先生にも話したって言ったよね?

「愛先生にも話したの?」

 キャンプの時、彼をうっとりと見つめていた愛先生を思い出す。もしも、私が彼の相手だと知ったら、どう思うだろう?

「言うつもりはなかったんだけど、送り迎えしていたお礼にって、彼女のお母さんが夕食に招待してくれて、その時お母さんから彼女はいるのか訊かれたから、結婚を約束している人がいるって答えたんだよ。大原先生にはずっと申し訳ないって思っていた。俺のせいで周りから変に誤解されて。だから、きちんと報告できて良かったと思っている」

 慧は愛先生の気持ちを考えなかったのだろうか?

 本人からこんな報告を受けた愛先生は、どう思っただろう?

 私がこんなこと思うこと自体、おこがましいのかも知れないけれど。


 何となく気分はスッキリしないけれど、愛先生のことは彼が解決するしかないのだと自分に言い聞かせた。

 今は彼のことだけを考えていようと、布団に入ってからも今夜の束の間の逢瀬を思い出して、彼の温もりに包まれている想像と共に眠りに落ちたのだった。


 今年は建国記念日の二月十一日が金曜日だったので、十一日から十三日までが三連休となった。一日ぐらい拓都をお友達と遊ばせてあげられるかなと、千裕さんと由香里さんに声をかけたら、二家族とも予定が入っていた。

 千裕さんは実家の法事のために家族で帰省するらしいし、由香里さんは家族でスキー旅行へ行くらしい。

 やはり結婚すると、親戚付き合いもあるし、家族単位で動くことが多くなるのだろう。私は結婚をしていなくても、拓都という家族がいる。けれど、二人だけで過ごす休日は、何となく物足りなさを感じてしまった。

 慧は今頃どうしているのだろう?

 昨夜の電話では、実家へ帰ると言っていた。先月も帰っていたし、かなり仲の良い家族だと思う。

 いずれ私もその仲間入りをするのだろうか。まだどこか他人事の様な気がしてならない。

 私にとって、拓都に何も話していない今の時点では、結婚はまだ遠い現実だった。


 三連休の最初の二日間は、図書館と買い物に行っただけで、後はゆっくりと家で過ごした。そして、三日目の十三日は、以前から拓都と約束していたチョコレート作りをすることにした。

 もう、ずっとチョコレートなんて手作りしていないから、今回のためにネットでいろいろな作り方を調べ、トリュフのレシピをプリントアウトしておいた。

「ママ、チョコレート、ドロドロになったよ。次はどうするの?」

 温めた生クリームと刻んだチョコレートをボールに入れて、拓都にドロドロになるまで混ぜてとお願いすると、拓都はワクワクした表情で一生懸命に混ぜてくれた。力加減が分からず混ぜた拍子に少しこぼしても、怒らない、怒らない。子供に何かさせるのは、本当に忍耐がいる。

「それじゃあ、しばらく冷蔵庫で冷やすね」

 そう言って拓都からボールを受け取ると冷蔵庫へ入れた。そして、ある程度固まったチョコレートを、トリュフの一個分の大きさに分けてバットに並べ、もう一度冷蔵庫へ。

「さあ、次は拓都も一緒にチョコレートをお団子にしてね」

 指につかない程度に冷やされ固まった小分けしたチョコレートを、掌でコロコロしてお団子にしていく。綺麗なお団子になったらココアパウダーもしくは粉砂糖をまぶして出来上がり。

 お団子と言った途端、拓都の目つきが変わった。保育園時代、子供達の間で泥団子作りが流行り、もれなく拓都もそれにハマったのだった。あの頃、毎日持ち帰ってくる出来損ないの泥団子の始末に困ったもので、捨てると怒られるし、かといって置いておくとボロボロと崩れて土へ戻ってしまう。結局、ピカピカ艶々の泥団子までは作れずにブームは去っていった。

「ママ、見て見て、手がチョコレートになっちゃった」

 コロコロしている内に、チョコレートが手の熱で溶けて、手の表面にくっついてしまったのだ。これは想定内。私はニッコリと笑って「美味しそうだねぇ」と言うと、まだ丸めていないチョコレートをもう一度冷蔵庫へ入れた。そして、そんなことを繰り返しながら、何とか予定の数のトリュフを作り上げたのだった。


 トリュフは、拓都が陸君と翔也君にあげたいと言うので、川北家と西森家と我が家の分と慧の分を作り、我が家以外の分はバレンタイン用のラッピングをした。

 慧の分はちょっぴり洋酒を入れ、甘みの少ないチョコレートで別に作った。もちろん拓都が丸めたトリュフも一緒に入れた。私が他のとは別のラッピングをしているのを見て、拓都が不思議そうな顔をするので、職場の人にあげるのだと話したけれど、少し胸が痛んだ。

 四年前には想像もしなかった現実がここにあるけれど、あの頃と変わらず慧のためにチョコレートを用意することが出来て、私の心にじわじわと嬉しさが広がった。

 四年ぶりのバレンタイン。私は、まだ慧を想っていられる幸せを、ただ噛みしめていた。


 *****


 バレンタイン当日は月曜日で、本命チョコで告白したい人は、平日の方が渡す機会があるからいいのだろうか。恋人達にとっては、休日と重なる方がいいのだろうけれど。

 私の場合は、どちらにしろ今は会えないのだから、バレンタインの話はしていなかった。今日仕事の帰りに、慧のマンションへ寄って、郵便受けへこっそり入れてくるつもりだ。彼はこのサプライズを、驚いてくれるだろうか? 喜んでくれるだろうか?

 一人心の中でクスリと笑うと、もう帰る時間が楽しみになってしまった。


 今日は寄る所があるから早く帰りたかったのに、そんな日に限って定時間際に急ぎの仕事を言われ、結局いつもより遅くなってしまい、慌てて職場を飛び出した。午後七時までには拓都を迎えに行かなければいけないと時間を逆算して、慧の所へ寄っていたらギリギリだなと思いながら車を走らせた。

 慧のマンションまで来ると、半年前にここへ来たことを思い出した。拓都を預かってもらった時だ。あの時の辛い想いも、今の幸せを大切にするためには忘れてはいけないと思う。私は少し改まった気持ちで、エントランスの中へ入って行った。

 無事にドアの郵便受けへチョコレートの箱を滑り込ませ、また慌てて小学校へ向かった。思っていた程渋滞にも掛からず、午後六時半過ぎには小学校の駐車場へと辿り着けた。

 拓都を迎えた後に由香里さんと千裕さんの所に寄ってチョコレートを渡そうと、頭の中で算段している私の心の中は、バレンタインのせいか、ほんわかと暖かい。車を降りた途端に肌を刺すような冷たさに包まれたけれど、気にならなかった。

 もう夜の帳に包まれた小学校の校舎や校庭。ぼんやりとした灯りが所々に点いているけれど、夜の暗さを余計に感じさせるだけだった。

 学童の建物まで歩きながら、いつものように校舎の中でこの時間も煌々と灯りのついている職員室を見つめる。すぐそこに彼がいる。それでも顔を見ることさえ叶わない現実も、今日だけは辛く感じられなかった。

 チョコレートを見た彼がどんな顔をするだろうと、想像するだけで、ほっこりと胸が暖かくなる。一人フフフと笑いながら、暗闇の中を学童の灯りを目指して歩いて行った。


 その時ふと声が聞こえた気がして、立ち止まってそちらの方へ視線を向けた。

 校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下の辺りに人影が見えた。ぼんやりとした灯りに照らされ、人が二人いるのが分かった。さらに目を凝らすと、こちらに背を向けて立っているのは、見覚えのある長身の男性だ。次の拍子に顔を動かした彼の横顔が見えた。

 慧? 

 私は立ち尽くしたまま、目を凝らし、二人の様子を窺った。

 もう一人は、どう見ても女性だった。すると、女性が彼に何かを渡しているのが見えた。

 もしかして、チョコレート?

 彼はそれを受け取ると、頭を下げて校舎の中へ入って行った。残された女性は、もう帰る用意をしていたのか、そのまま駐車場の方へ歩き出した。

 うつ向き気味だった女性が顔をあげたので、誰だか分かってしまった。

 愛先生。

 私の中で何とも言えない嫌な気持ちが、先程までの温もりを消し去って行った。




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