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いつか見た虹の向こう側【改稿版】  作者: 宙埜ハルカ
第二章:婚約編
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【十三】友の照らす灯り

 由香里さん達が我が家に遊び来たその夜、案の定、由香里さんから電話があった。又心配かけているなって思うと辛かった。

「ねぇ、愛先生のこと、守谷先生から何か聞いているの?」

 やはり由香里さんは鋭いところを突いてくる。

 けれど、由香里さんには誤魔化しは効かない。

「ううん、何も」

「じゃあ、単なる噂かもね」

「でも、火の無い所に煙は立たないし……」

「美緒は本当のことだと思っているの?」

 本当のこと?

 あの夜見た、車の中の人影が愛先生だったとしたら、辻褄が合う。

「まあ、彼は優しいから、同僚が困っていたら、放っておけないかなって思うの」

 そう、彼は自分を振った元カノでも、困っていたら手をさしのべる様な人だ。それだけじゃない。一度自分の懐へ入れた人間だったら、ずっと気にかけてくれる。幸せを願ってくれる。愛先生と彼が噂通り付き合っていたのだとしたら、彼は余計に放っておけないに違いない。

「そう。それで美緒は、そのことを彼に確かめたりはしないの?」

 由香里さんは、益々私の聞いて欲しくないところに切り込んでくる。

「彼が私に話さないっていうことは、私が知る必要の無いことだと思うの。私だって、職場のことを何でも話す訳じゃ無いし」

「でも美緒、この話を聞いて、動揺したでしょ? 不安になったんじゃないの?」

「そんなこと……」

「無いって言える?」

 私が否定しようとしたら、その言葉尻をとらえて由香里さんは益々突っ込んできた。

 私が何も言えずにいると、彼女は声のトーンを落とした。

「ねぇ、やっぱり千裕ちゃんに話した方がいいんじゃないの?」

「えっ?」

「ほら、前に千裕ちゃんに本当のことを話すのは、二、三ヶ月後でも、彼女なら分かってくれるって、私、言ったでしょ? でも、今日の千裕ちゃんの妄想の暴走ぶりを見ていたら、美緒も辛いだろうし、千裕ちゃんも後で分かった時辛いんじゃないかな」

 由香里さんの心配はよく分かる。その通りだと思う。でも……。

「由香里さん、私、怖いの」

 そう、怖いんだ。

 千裕さんと出会えて、本当に良かったと思っている。とてもいい人だと思っている。

 でも、そんな彼女だからこそ、怖いんだ。

 千裕さんと出会ってから、彼女が語る担任への思い入れの強さが。

 担任のことを自分のことのように自慢し、彼の噂にはいち早く飛び付くのに、悪い噂は心配しながらも、毅然としてはね除ける。そして、愛先生との噂を喜び、応援したいと嬉々としている。そんな彼女の彼への思い入れが。

「怖い?」

「千裕さん、彼の相手が私だなんて、がっかりするんじゃないかな? ううん。もしかすると、許せないかも知れない」

 千裕さんが好きだからこそ、がっかりされるのが怖い。思い入れが強いからこそ、私では許してもらえないかもしれない。そのことがずっと心の中で引っかかっていた。

「何言っているの! 千裕ちゃんがそんなこと思うわけないじゃない。応援している先生の相手が自分の友達だなんて、大喜びするに決まっているじゃないの!!」

 由香里さんは興奮したように反論した。

 分かっている。分かっているんだけど……。

 今日の千裕さんは、担任に愛先生とは関係ないって言われてから鳴りを潜めていた彼への思い入れが、また強くなっていた。そんな彼女を見て、私は以前、広報の集まりの時の彼女や他の人達の、彼に関する噂話を思い出したのだった。


『独身だって、子供もいるのに守谷先生に迫るなんて、身の程知らずだよね。教師と保護者なんてタブーでしょ』


 離婚して独身になった母親が、PTAの執行部と先生達の文化祭の打ち上げの時、『私は独身だから不倫じゃないわよ』と彼に迫ったらしい噂話の中で、広報メンバーのお母さんの一人が言った言葉だった。その言葉に、千裕さんも真剣に頷いていた。

「千裕さんがそんな人じゃないって、分かってはいるんだけど……。今日みたいに彼に対する思い入れの強い言葉を聞いていると、千裕さんの中に守谷先生の理想の相手というのがあって、それは、子持ちの保護者じゃないと思う」

「美緒、あなた、まさか拓都君のこと引け目に感じているんじゃないでしょうね?」

「えっ!?」

 由香里さんの言葉に一瞬驚きの声を上げたけれど、何も言えなかった。

 言われるまで、そんなこと、思いもしなかった。

 拓都が引け目?

 でも、そういう気持ちがあるから、千裕さんに対して言い出せないのだろうか?

「美緒、千裕ちゃんの理想なんて、あなた達二人には関係ないことでしょう? 千裕ちゃんはね、守谷先生が選んだ相手を受け入れられない程、了見の狭い人じゃないわよ。美緒が一番、保護者だってことにこだわっているんじゃないの?」

 あ……、とても痛いところを突かれた気がする。

 確かに、こだわっている。

 あの広報の集まりでの噂話じゃないけど、担任と保護者だなんて普通に考えたらあり得ない組み合わせだと思っている。それに、彼の去年の旦那怒鳴りこみ事件の件もあるから、彼と保護者というのは、周りも敏感になるだろう。

 そう私は、彼が私のせいで誤解されるかもと思うと辛い。

 で、でも、だからと言って、拓都のことを引け目に感じているなんて、そんなこと、無い。

「確かにこだわっているとは思うけど、でも、拓都を引け目になんて感じてない」

 私はきっぱりと言い切った。

 言われた時は動揺してしまったけれど、拓都の母親になると決めたことに後悔も無いし、ましてや引け目なんて、あるはずが無い。

 ただ、彼との関係が担任と保護者という立場だから、どこか後ろめたさを感じてしまっていたのだと思う。

「うん。ごめん。私も言い過ぎた。でも、本当に、千裕ちゃんには、早く言ってあげないと、彼女、美緒のこと苦しめたって罪悪感を持つと思うのよね」

 それを言われると辛い。

 頭の中で千裕さんに真実を告げるシミュレーションを何度も繰り返すけれど、いつもしどろもどろになってしまう。

 千裕さんの反応を思うと、やっぱり怖い。

「わかっている。でも二月十五日の学習発表会で役員の仕事はおしまいなの。その後に話そうと思っている。だから、もう少しだけ話す勇気を貯めたいの」

 由香里さんの言うように、千裕さんの理想なんて関係ないのだけれど、それでもやはり気になってしまう。千裕さんの期待に添えないだろうということが、辛くなってしまう。

「そっか。あと半月ね。話し辛いだろうけど、頑張れ」

 由香里さんはいつも敢えてきついことを言うけれど、最後は励まして背中を押してくれる。

「うん、ありがとう。由香里さん」

「お礼言ってもらうようなこと、何もしてないわよ。それよりも、美緒。彼のことで気になることは話し合わなきゃダメだよ。あなた達は真実を言わなかったことで、三年も辛い思いをしてきたのだから」

 あ………。

 由香里さんの言葉が胸に痛い。

 でも、あの三年間を乗り越えられたのは、由香里さんがいてくれたからこそだ。

「そ、そうなんだけどね。彼から話してくれるのを待ちたいの」

 そう、彼が話さないのは、私が聞く必要の無いことだからと思いたい。

 本当は、聞くのが怖い。

 彼を信じていない訳じゃないけど。

 あの時、仕事のため拓都を迎えに行けない私を、昔の知り合いだからと手を差し伸べてくれた彼だから、元カノかもしれない愛先生の窮地を放っておけない彼の優しさは、分かり過ぎるぐらい分かっている。

 でも……。

 彼を信じていると思いながら、愛先生に対して嫉妬している自分が醜くて嫌だ。そんな醜い自分を彼に知られるのが嫌だ。

「美緒、不安はね、猜疑心や誤解を招くのよ。そして、二人の心をすれ違わせてゆくの。それでも、自分から彼に訊かないって言うのなら、二人にマイナスになるようなことは考えたらダメ。ただ、今とこれからの幸せだけを見つめていないと。あのね、恋人同士でも夫婦でも、一緒にいると何度でも、こんな風にお試しが入るの」

「お試し?」

「そう、お試し。人の心は見えないから、大なり小なり誰もが不安を抱えているものなんだけど、その不安を煽るような出来事は、二人の絆をより深めていくためのお試しなのよ。『どうだ、これでもまだ相手を信じきれるか?』って試されているのよ。私と元旦那もそう。そのお試しを乗り越えられなかった。夫婦でもそうなんだから、恋人同士だったら、二人を繋ぐのは気持ちだけでしょう? だから余計に強い気持ちでいないと、簡単に不安に流されてしまうのよ。そんな時はやっぱり本音で話し合わないと、ねっ」

 由香里さん。

 由香里さんはいつも、私の進む遥か先を照らしてくれる灯りの様な人。

 そうだね、由香里さん。

 たとえ恋愛事に疎くても、彼を想う気持ちは誰にも負けない。

 運命や人生や神が与えた試練であっても、あの辛い三年間の日々を思えば、乗り越えられるはず。

「由香里さん、ありがとう。何だか気持ちが軽くなった気がする」

「美緒、さっきも言ったけど、お礼を言ってもらうようなことは何もしてないよ。私はただ、美緒より十年長く生きて経験して来たってだけだから。でも、少しでも美緒の不安が解消されたのなら良かったわ」

 由香里さんの声がさっきよりも明るくなったのが分かった。その声を聞いて、私の心はさらに軽くなった気がした。

 ありがとう、由香里さん。

 もう一度心の中で呟いた。


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