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いつか見た虹の向こう側【改稿版】  作者: 宙埜ハルカ
第二章:婚約編
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【五】終わり良ければ

 大晦日の朝、電波時計のアラームが鳴りだす前に目が覚めた。いつもは寒くてなかなか布団から出られないけれど、今日はすくっと起きると、カーテンの隙間から外を見る。まだ薄暗い冬のこの時間、それでも起きだしている人が多いのか灯りが点いている家が多い。見上げた空には、寒々と星が瞬いている。ブルっと身震いして、ベッドの上に置いておいたカーディガンを羽織った。

「今日も良い天気になりそう」

 頭の中で思ったことが口を突いて出て、思わず苦笑する。慧は無事にスキー場へ着いただろうかと脳裏をよぎる。スキー場もいいお天気だといいな。

 リビングのファンヒーターのスイッチを入れ、水を入れたヤカンを火にかける。炊飯器のスイッチを入れて、又ファンヒーターの前に戻って来た。点火五秒のファンヒーターは、すでに吹き出している温風で部屋を温め始めていた。

 ファンヒーターの前で膝を抱えて座り、ポケットから携帯を取り出した。メールも電話の着信も無い。だからと言って、がっかりする訳でもない。メモリーから昨夜も散々見た画像ファイルを探して開き、お目当ての写真を見て、一人頬を緩ませる。

 結局昨夜撮った写真は二枚とも保存されていて、自分の顔を見るたびにガッカリしてしまうのだけど、写真を撮った時のことを思い出すと、くっつけた頬の部分が熱を持ってくるような気がする。

「慧」

 写真の笑顔に呼びかけると、こちらを見て微笑んだ気がした。


「ママ、おはよう。今日は何をするの?」

 外が明るくなった頃、拓都が起きてきた。新しい年を迎えるための準備が、拓都にとっては楽しいらしい。それは去年までと環境も変わり、することも少し変ったせいなのか、お手伝いできることが嬉しいのか、今日もニコニコ笑顔で起きてきた。

「今日はね、おせち料理を作ろうか? 拓都の好きな栗きんとん」

「えー、本当! 一杯作ってね。僕お手伝いするから」

 嬉しそうな拓都の笑顔を見たら、私も嬉しくなった。

 おせち料理といっても、二人だけだし、全て手作りする訳じゃない。好きなものは手作りするけれど、市販のものも混ぜて重箱へ詰める。拓都のリクエストで、おせち料理と言えない唐揚げやウインナー等も仲間入りするのが、我が家流だった。

 朝ご飯を済ませ、簡単に掃除洗濯を済ますと、おせち料理作りに取り掛かった。

 エプロンを付けた拓都が、茹でて柔らかくなったサツマイモをマッシャーでつぶす。クチナシの実を入れて茹でたので、表面は綺麗な黄色に染まっている。それを裏ごしして、砂糖を入れて火にかけて良く練ると、滑らかな芋餡ができる。それにビン入りの栗の甘露煮を添えれば、拓都の大好きな栗きんとんの出来上がり。「味見する?」と訊くと、「するする」と嬉しそうに寄って来た拓都に、芋餡をスプーンにすくって渡してやると、美味しそうに舐めている。

「ママ、おいしい!!」

 美味しい顔というのはこういう顔だろうと思いながら、私は「そう、良かった」と笑い返した。

 こんな時が、何とも言えない幸せを感じる。もしもここに慧がいたら、きっとその幸せは何倍にも膨れ上がるに違いない。私は一年後を想像して、フフッと笑った。

 黒豆や昆布巻き、蒲鉾は市販品だけど、たつくりと出汁巻き卵、お煮しめは、母から教わった通りに作る。私がまだ高校生の頃は、女三人でワイワイ言いながらおせち料理を作ったものだった。

「ママ、メール来たよ」

 そろそろお昼ご飯にしようと用意を始めた時、リビングのテーブルに置いた携帯がメールの着信を告げた。メールの着信音を覚えている拓都が、携帯を持って駆け寄って来た。

 「ありがとう」と受け取ると、携帯の上蓋の小さな窓に表示された送信者の名前を見た。拓都がそれに気付いたかどうかわからないけれど、クリスマスの後、慧の登録名を守谷先生からアルファベットの『K』に変えた。着信時に誰かに見られてはいけないと思ったから。

 彼からのメールには、青空をバックに輝く雪山の写真が添付されていた。

「わぁ、ママ、これはどこ?」

 私は携帯の画面を見つめたまま、しばし意識は写真のスキー場へ飛んでいた。いつの間にか、拓都が携帯の画面を覗き込んでいたことに気付き我に返る。

「スキー場だよ」

「スキー場? スキー場って雪がいっぱいなんだね。ママのお友達は今スキー場にいるの?」

 お友達、ね。

 そのお友達が守谷先生で、拓都と家族になりたいと思っているなんて知ったら、どんな顔をするだろう?

 守谷先生が大好きな拓都のことだ、きっと喜んでくれるに違いない。

 そんな想像をしながら、私はクスッと笑って「そうだよ。今スキーに行っているんだって」と答えた。

「スキー? スキーって雪の上を滑るやつだよね? この前テレビで見たよね?」

 そういえばつい先日、お笑いタレントが初めてことに挑戦するっていう企画で、スキーをしていたのを拓都と見たっけ。転んでばかりだったけれど。

「そうだったね。拓都もスキーしてみたい?」

「うん。してみたい! 雪がいっぱいあるところへ行ってみたい!」

 キラキラの瞳で嬉しそうにいう拓都を見ながら、慧の言った『来年は三人で行こう』と言う言葉を頭の中で反芻する。

「じゃあ、拓都がもう少し大きくなったら、二年生になったら、スキーに行こうか?」

「ホント! ヤッター!!」

 飛び上がらんばかりに喜ぶ拓都を見ながら、来年のスキー旅行を想像する。

 来年のことを言ったら、鬼が笑うぞと自分を諌める声が聞こえる。こんなに先の不確かな約束を拓都とするなんて、私らしくないと思いながらも、昨夜の逢瀬で浮かれる自分をいつの間にか許容していた。


         *****


 大晦日といっても、拓都はいつもどおり夜九時過ぎに眠ってしまった。本人はもう小学生だから、もう少し起きていてテレビを見ていたいと言っていたのに、体が覚えたスケジュールは時間通りに眠りを誘う。

 拓都がいつも見ているアニメの主題歌を歌っているアイドルグループが紅白に出ているので、どうしても見るんだと頑張っていたけれど、コタツに入ったままコックリコックリと居眠りし始め、慌ててベッドで寝るように促した。けれど、起きていたい目的をきちんと主張するあたり、成長したなと実感する。

 去年までは、シングルマザーの友達たちと年越しパーティーをしていた。子供達は集まるとテレビよりもゲームや玩具で遊ぶ方が楽しくて、ひとしきり騒いだ後、電池が切れるように夜九時過ぎにはバタバタと倒れ、眠ってしまった。それからが母親達の大宴会。お酒とおつまみで、あらゆる話題で盛り上がり、新しい年を賑やかに迎えていた。

 今年の二人きりの年越しを少し寂しいなと思いながら、来年へと思いを馳せる。それだけで心の中にホワッと暖炉の炎が燃え上がったように暖かくなった。

 こんな幸せが待っているなんて、思いもしなかった今年の初め。再会したときには恨んだ運命も、今は感謝さえしている。でも一番は、友達のおかげ。彼女達がいなかったら、今の幸せは無かったことだけは断言できる。

 私は今年の内にと、美鈴と由香里さんと千裕さんに感謝のメールを送った。

 『今年はありがとう。私はあなたのような素敵な友達を持って幸せです。来年もよろしくね。』

 メールを送った後、又昨夜撮った写真を開く。慧にもメールを送ろうかなと思った時に、携帯が鳴りだした。上蓋の小さな窓には、『K』の文字。

「美緒、今いいか?」

 何となく潜めたような声。周りに誰かいるのだろうか?

「うん。いいけど、慧の方はいいの?」

「飲み会から抜け出してきたから、あまり長く話せないけど。ごめんな」

「ううん。電話してくれただけで嬉しい。それからメールもありがとう。いいお天気で良かったね」

 私は昼間貰ったメールに添付されていた写真を思い返していた。

「ああ、暑い位だったよ。思ったよりも人も少なくて、リフト待ちもあまり無かったから、ガンガン滑れたよ」

「良かったね。拓都にスキー場の写真を見せたら、スキーをしてみたいって言っていたよ。来年はスキーに行こうかって言ったら、とても喜んでいた」

 私は拓都の喜んだ顔を思い出して、喜々として話す。慧も「三人で行けるのが今から楽しみだ」と嬉しそうに言ってくれた。なんだかそれは、今の幸せが一年後まで続く確証を貰ったみたいで嬉しかった。

 以前慧と付き合っていた時に信じていた未来は、あっけなく崩れ去ったから、未来に期待するのが怖くなってしまう。今の私は、一年後の約束を守ることが、精一杯の真実だった。

「美緒、今年はこの電話で最後になると思うけど、今年はいろいろありがとう。美緒が変わらずにいてくれたことが、一番嬉しかった。来年もよろしくな」

「慧、私の方こそ、拓都共々ありがとう。私も慧がクリスマスに来てくれて、嬉しかった。再会してからいろいろあったけど、終わり良ければすべて良しだよね。こちらこそ来年もよろしくね」

 そう、終わり良ければすべて良し、だよね。彼との電話を切った後、ほんわかと胸が熱くなった。

 これは現実、そして未来へ続くと信じていいんだよね。


 慧と電話をしている間に、由香里さんと千裕さんからメールが届いていた。

 由香里さんからは、報告した電話の時のように、私と慧のことを自分のことのように喜んでくれている言葉と、三学期の間どんな協力もするからと、又サポーター宣言され、そして、『美緒の最高に幸せな笑顔を見られる日が早く来ることを願っています』とつづられていた。

 これって、もしかして、結婚式が早く来るようにという意味だろうか?

 そう考えただけで、カッと頬が熱くなるような妙な恥ずかしさがある。結婚という言葉をあの日以来口にはするけれど、どこか遠い世界の話のようで、まだまだ自分の世界の話だと思えない。そのくせ、家族になるという話の方には、現実味を感じ始めていた。


 千裕さんからのメールには、もちろん私と慧のことなんて書いてないけれど、私と出会えて嬉しかったと書いてくれていた。そんな風に言ってくれる千裕さんに、ありのままの真実を伝えていない自分が情けなくなる。でも、拓都にさえいわないことだから、これ以上知っている人を増やすのは、どこか怖いところがある。けして千裕さんが信じられない訳じゃないけれど。

 メールを読み終えるのを待っていたかのように、携帯が鳴りだした。それは美鈴からの電話だった。

「美緒、メールありがとう。返事打つより、電話した方が早いと思って。誰かと電話中だった?」

 どうやら、慧と電話中にもかけてくれたようだ。

「え? うん。慧と電話していたから」

「今年最後の電話だったのかな? それにしてもあなた達は、この年末年始も会わないつもりなの? せっかくよりを戻したのに、三月末まで会うのを我慢するの?」

 美鈴はいつものようにズバズバと切りこんでくる。でも、私が本当に辛い時には、そっとしておいてくれたけれど。

「そのつもりだよ。拓都のことが最優先だから。それに今、慧はスキーに行っているし」

 でも本当は、昨夜会ったんだと言おうと思ったら、美鈴の驚いた声に遮断された。

「ええっ?! 守谷君、やっぱりスキーに行ったの?!」

 な、なに? やっぱり、って?

「え? やっぱり、ってスキーに行くこと、知っていたの? あっ、虹が丘小学校の先生達と行ったんだから、美鈴も聞いているの?」

「え? あっ! そ、そうなのよ、学校でスキーに行く話を聞いていたけど、美緒と上手くいったからスキーには行かないと思って」

「どうして? どちらにしろ、今は私達会わないから、慧がスキーに行ってもおかしくないと思うけど」

「美緒は、スキーに行くメンバー聞いているの?」

 メンバー? 

 なぜそんなことを訊くの?

「先生達と行くとしか聞いていないけど、誰先生と行くかまでは聞いていないの。私は一年の担任ぐらいしか分からないから、聞いても分からないと思うし」

 あっ、そうか。やっぱりあのキャンプの時のメンバーで行っているんだ。そのことを美鈴が知っているから、女の人も一緒なのを心配しているんだ。

 まさか美鈴が愛先生の気持ちまで知っているのだろうか? 

 もしかして、以前に愛先生と付き合っていたという噂を聞いたとか?

「そうだよね。保護者からしたら、子供の関係で接する先生しか会わないから、知らないよね」

 美鈴のどこかホッとした声に、まだ何か隠しているような気がした。

 何を隠しているの?

 私に知られたくないこと?

「美鈴がそんなこと気にするのは、メンバーの中に女の先生もいるからなの?」

「えっ? 守谷君がそう言ったの?」

「ううん。慧はそんなこと言っていないけど、仲の良いメンバーがいることは知っているの。夏休みに友達家族とキャンプに行った時、その先生グループもキャンプに来ていて会ったのよ。そのメンバーで文化祭展示用の写真も撮りに行っていたみたいだし。だから、スキーも多分そのメンバーなんだろうなって思っていた。慧には確かめなかったけど」

「そう、美緒は知っているんだ。守谷君が女性も混じったグループで、泊りがけのスキーに行っても気にならないの?」

「気にならないって言ったら、嘘になるけど、女性が混じっているっていっても、同僚でしょう? 女性とか男性とか関係ないんじゃないの?」

「そうかもしれないけど、守谷君はやっぱりモテるのよ。一緒に行ったメンバーの中に守谷君目当ての人がいるかもわからないし、泊りだし、皆でお酒を飲む機会もあると思うし。守谷君だって一応男だしね」

 美鈴は酔った上での何かを心配しているのだろうか?

 それこそ……。

「美鈴、女性と二人きりで行った訳じゃないんでしょう? 他の先生もいるんだし、男だからってそこまで心配しなくても」 

 そこまで言って思い出した。美鈴は十年近く付き合っていた彼に、たった一度の過ちの責任を取りたいからと、別れを告げられたのだった。それこそ、私と慧よりも深い絆で結ばれていた二人だったはずだ。信じ切っていたはずだ。

 だから、心配になるの?

「美緒、守谷君は一途だから心配ないと思うけど、女性も一緒だと分かっていたのに、どうして誰と行くのか聞かなかったの? 多少は気になったのでしょう? 嫌だったら嫌だという気持ちだけでも伝えなきゃ。私ね、直也が仕事や出張であまり帰って来なくなった時、本当に仕事だろうかって不安になりながらも、疑うことは彼を信じてないことだと思って、口にできなかったの。でもね、あんな結果になっちゃったでしょう。なんだか信じるってどういうことか分からなくなったの。だから、気になったのなら、どんなに小さなことでも聞いて、嫌なら嫌と言う方が良いと思うのよ」

 私は何も言えなかった。美鈴が受けた傷が、こんなにも深いものだったなんて。私に軽く婚活しようなんて言うから、もう吹っ切れているものだと思っていた。

 そんな美鈴が自分の傷をさらけ出して、私のために注意してくれているのだと思うと、彼女の思いやりを胸が痛くなるほど感じた。

「美鈴、大丈夫だから。あのね、昨夜、慧がスキーに行く前に会いに来てくれたの。玄関先で少しの時間だったけど、私達の気持ちはしっかり繋がっているから、大丈夫だよ。美鈴にはいつも心配かけているけど、慧にも同僚との付き合いがあるのは理解しているから、何も言わなかったの。本当に私達は大丈夫だから」

「はいはい、しっかり惚気られたわね。ちゃんと守谷君とも会っているんだ。それなら心配無いね。会える時にはできるだけ会って、不安なことは出来るだけ話して、気になることは聞いて、お互いに誤解の無いようにしないとダメだよ」

 美鈴はなんだかんだ言っても心配性なんだから。

「はーい、わかっています。もう同じ失敗はしないし、慧と離れる辛さは嫌というほど体験したから、大切にします」

 私は少し冗談ぽくクスクス笑いながら、美鈴に宣言していた。

 そして、私の心の片隅の小さな不安は、心の奥にしまって、自分自身に大丈夫と暗示をかけて蓋をしたのだった。



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