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いつか見た虹の向こう側【改稿版】  作者: 宙埜ハルカ
第二章:婚約編
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【四】つかの間の逢瀬

 十二月三十日の夜、十時頃に慧から電話があった。約束通りスキーに出かける前に電話をくれたようだ。

「美緒、拓都はもう寝た?」

 いきなりそんなことを問いかけられて「ええ」と答えると、「じゃあ、今からちょっと美緒の家に寄ってもいいかな?」と訊かれて、驚いた。

「えっ? ここへ来るの?」

「ああ、まだ少し時間があるし、玄関先でいいから、美緒に会いたいんだ。着いたら携帯に電話するから」

 慧は慌てたようにそう言うと、電話を切ってしまった。

 私はしばらく携帯を持ったまま、慧の言葉を飲み込むのに時間がかかってしまった。

 ええっ?!

 今から来るの? 

 私、パジャマだし。

 スッピンだし。

 そこまで思って、私は慌てて自室へ飛び込むと、普段着に着替えた。そして、洗面所へ行き鏡を覗き込む。

 もう、化粧まではしなくてもいいよね? この前もスッピンだったし。

 普段から薄化粧なのだからと自分に言い訳して、リビングに戻った。

 なんだかドキドキしている。まだこの間会っただけなのに、会いたいなんて言われると、妙に恥ずかしい。

 その時握りしめていた携帯が、ありふれた着信音を鳴らした。

「美緒、今、家の前に着いた」

「あ、ちょっと待って、すぐに開けるから」

 携帯を握ったまま、玄関へ急ぐ。又心拍数が跳ねあがった気がする。ドアを開けると、ダウンジャケットを着た慧が立っていた。

 あ、前にもこんなことが……。デジャブのように感じながら、それは家庭訪問の時だと思い出した。

 あの時には想像もしなかった現実に戸惑いながら、彼を見上げると包み込まれるような優しい笑顔。又心臓が跳ねた。

「こん、ばんは」

 自分の戸惑いを知られたくなくて、慌てて挨拶をする。でも詰まった言い方に動揺はバレバレだった。目の前の彼は肩を震わせて笑い出す。

「こんばんは、美緒。とにかく中へ入れて」

 その時吹き込んできた冷たい風に、まだ慧が玄関の外にいることに気付き、あわてて「どうぞ」と招き入れた。

「リビングの方が温かいから、上にあがって?」

 私はサンダルを脱いで上にあがりながら、慧に声をかける。咄嗟に慧が、先導するように中へ入って行こうとした私の手首を掴んだ。

「美緒、上にあがったら、帰りたくなくなるから、ここで」

 慧の言葉に振り返ると、掴まれた手首を引っ張られ、いつの間にか慧の腕の中にいた。そのことを自覚した途端、フリーズしたまま一気に心臓は跳ね上がり、頭へ向かって血液を送り出す。頭全体が発火するのではないかと思うぐらい熱を持っているような気がする。

 低い上がり框の上にいる私より、まだ慧の方が高くて、私を抱きしめたまま彼は息を吐き出した。

「良かった」

 彼は思わずという感じに呟いた。

「えっ?」

「美緒がドアを開けた途端、守谷先生なんて呼ばれたら、どうしようかと思ったよ。良かった。夢じゃ無くて」

 彼の安堵の言葉に、胸が苦しくなる。長い間彼を苦しめてきたから、簡単にこの現実を信じられないのだろう。私だって信じられない思いでいるけれど、私の場合とは違う。

 本当に彼にとって良かったのだろうか。

 私は我に返って、彼の腕の中で逃れようと身じろぐと、彼もハッとしたように「ごめん」と言って、その腕を緩めた。

「慧、ごめんなさい」

 彼の腕から逃れた私は、俯いたまま彼に謝罪した。今更だけど、謝らずにいられない。けれど、そんな私の様子に気付いた彼は慌てた。

「美緒、ごめん。美緒を責めた訳じゃないよ。ああ、ごめん。美緒はずっと俺に対して罪悪感を持っていたのに、こんなこと言ったら、責任感じちゃうよな。違うから、美緒、違うからな。俺は嬉しすぎて、夢のような気がしていただけだよ。だから、美緒、会わなかった三年間のことはもう忘れよう。俺達は今から始まるんだって、この前も言ったよな?」

 俯く私の顔を覗き込むようにして慧が言い募り、問いかける。私は頷くと「わかってる」と視線を上げて彼の顔を見た。目が合った彼はニッと笑うと、「バカだな」と言いながら私の目元に手を伸ばした。

 クリスマスの日から壊れた涙腺は、また涙を大量に製造していたようだった。彼を安心させたくて、一生懸命笑顔を作ったけれど、泣き笑いの情けない笑顔なんだろうな。

「美緒、寒くないか?」

 家の中とは言え、暖房も何もない玄関だ。それにさっきドアを開けた時に冷たい空気が入り込んでいる。だけど寒さなんて少しも感じていなかった。「寒くない」と答えたけれど、慧には寒そうに見えたのか、ダウンジャケットを脱ぐと私に着せかけてくれた。

 ダウンジャケットは慧の熱が蓄えられているせいか、とても温かで、彼に抱きしめられているようだと思うと、恥ずかしさと嬉さでフフッと笑いが込み上げてきた。

「ありがとう。でも、慧は大丈夫なの?」

「俺は大丈夫。美緒を充電したから」

 心はポッカポカと彼が恥ずかしげもなく言うから、こちらが恥ずかしくて赤面してしまう。

 そういえば、私達が中距離恋愛をしていた頃、週末に会うとすぐに彼に抱きしめられ、美緒を充電しないと動けないなんて言われたっけ。

「もう、慧ったら」

 私が苦笑すると、慧の真っ直ぐな熱のこもった眼差しが私を捉える。再び伸びてきた手が、ダウンジャケットごと私を抱きしめた。それはまるで、私がここにいることを確かめるように。

 また、さっきの熱がぶり返す。ドキドキと高鳴る胸の鼓動にうろたえていると、私の頭上で慧が息を吐いた。

「美緒、会いたかった。三ヶ月なんてあっという間だと思っていたのに、まだクリスマスから五日しか経っていないのに。情けないよな」

「ううん。私も同じだよ。こんな日が来るなんて想像もしなかったから、まだどこか夢みたいで」

「そうだな。でも、ごめんな。こんな形でしか会えないなんて」

「それは、拓都と私のことを考えてのことでしょう? 私達はまだ担任と保護者なんだから、今は変な誤解や噂が立たないようにしていた方がいいと思うし、慧の立場が悪くなるようなことになって欲しくないの。だって、守谷先生は前科があるし」

 顔を上げて彼を見上げると、私はクスリと笑った。

「前科って言うな。俺の方が被害者だよ」

 拗ねたような、怒ったような顔をした慧に、「ごめんなさい」と言いながらも笑いが込み上げてくる。するといきなり鼻をつままれて「美緒って案外意地悪だよな。頑固だし」と聞き捨てならない言葉を言われる。

 なによ、慧の方がずっと意地悪じゃない!

 私は彼の腕の中から抜け出そうと彼の胸に手を当てて押しながら「慧の方が意地悪」といってもがいた。慧は腕を緩めて私を解放すると、「そうやってすぐ怒るところが単純だけどな」と言って笑う。

 誰が単純よ!

 私はムッとしながら彼を睨んだけれど、心の中はあの頃に戻ったみたいで喜んでいる自分がいる。

「安心した。美緒が変わって無くて」

 私の顔を覗き込むように見て、ニッと笑う彼の笑顔は、きっと多くの女性を惹きつけるものだろう。さっきまでおとなしくしていた心臓が、またドキドキと跳ね出した。

 ずるいよ、慧。そんな風に言われたら、怒れないじゃないの。

 私はなんだかムズムズとした恥ずかしさに、話題を変えようと、彼に言おうと思っていたことを思い出した。

「ねぇ、慧の写真を撮らせて」

 さっきまで怒っていた私が、いきなりこんなことを言ったから、慧は驚いた顔をして「写真?」と訊き返した。私はポケットに入れた携帯を取り出すと、「今の慧の写真が無いから」と答えた。

 今のどころか過去のも無いのだけれど、そのことは言えない。

「そっか」

 慧はポツリとつぶやくと、「携帯貸して」と私の手から携帯を奪うと、おもむろに私の肩を引き寄せ、携帯を持った手を前に伸ばすと自分達の方へカメラを向けた。そして、頬と頬をくっつけて、撮影ボタンを押す。携帯はカシャっと綺麗な音を立てて撮影を完了した。

 私はその一分も経たない間になされたことに唖然としたまま、慧が撮れた写真を見て笑っているのに気付き、手元の携帯を覗き込んだ。

「いやー! 消して!! 慧の写真だけでいいのに!!」

 そこには、驚いて目を見開き、口をポカンと開けたお間抜け顔の私と、爽やかな笑顔の慧が、頬をくっつけて写っていた。

 嫌! 恥ずかしすぎる!!

「えー、美緒がこんなに可愛く写っているのに、消すのか? じゃあ、おれが貰うよ」

 慧はそう言いながら、携帯を操作している。しばらくすると彼のズボンのポケットから、着信音が流れた。

 さっきの写真を自分の携帯に写メールしたのだと理解した頃に、「じゃあ、もう一回」と又肩を引き寄せ頬をくっつけられた。

「今度は笑えよ。はいチーズ」

 息の吐く間もなく、慧は伸ばした腕の先の携帯のボタンを押した。再び携帯は、小気味いいカシャっという音をさせて、撮影を完了させたのだった。

 私は言われるままに赤い頬に引きつった笑顔で、完璧な微笑みの彼とぎこちなく写っていた。彼は「まあまあかな」と言うと、その写真も又写メールしているようだった。

 慧のペースで進められた怒涛の撮影会は口を挟む隙もなく、「はい」と携帯を返され、慧だけの写真を撮らせてほしいと言おうと思ったら、「じゃあ、そろそろ行くよ」と告げられてしまった。

 何となく心残りのまま、ダウンジャケットを返し、外まで見送ろうとサンダルを履こうとしたら、慧に止められた。

「外は寒いから、ここでいい。美緒、約束できないけど、できるだけ電話するようにする。二日の夜には帰って来るから、また連絡するよ」

「他の人も一緒だから、無理しなくていいからね。気を付けて行ってね。居眠り運転しないように」

「昼間しっかり寝てあるから、大丈夫だよ」

 そう言って彼はクスリと笑うと、手を伸ばして私の頬をそっと撫でた。

 私、心配そうな顔をしたのだろうか?

「来年は三人で行こうな。じゃあ、行ってきます」

 そう言って彼は背を向けた。ドアを閉めるためにサンダルを履くと、その背に「いってらっしゃい」と言う。ドアの所で彼を見送ると、彼は門燈の灯りの中で振り返って笑顔を見せると手を振った。私も手を振って笑顔を返した。

 結局、慧の車が走り去るまでドアの所で見送った。そしてドアを閉める前に、心の中でもう一度「いってらっしゃい」と言う。

 誰と一緒でもいい。私達の心は繋がっているのだから。


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