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いつか見た虹の向こう側【改稿版】  作者: 宙埜ハルカ
第二章:婚約編
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【三】不安募る年末

 突然奇跡のように、私の人生を百八十度変えるような出来事が起こったクリスマスの週末。

 願いながらも、もう夢でしかないと諦めていた私を、諦めずに真っ直ぐな気持ちでぶつかってきてくれた慧。

 それでも夢のようで現実感がなくて、一方でこの現実が幸せであればある程、どこかで又運命のトラップが潜んでいるかもしれないと不安になる自分がいる。

 いきなりの大きなトラップよりも、小さな不安で心に免疫をつけようとするかの如く、自分で不安を引きよせているのかも知れない。


 週明けの十二月二十七日の月曜日は、『今日は先輩と飲みにいくから電話が出来ない』とメールが来ていた。別に毎日電話をすると約束した訳でもないのに、慧は律義にそう知らせてきた。

 残念に思いながらも本当は、同僚から聞いた話で呼び覚まされた姉の記憶に自分の中の不安を煽られ、慧の声を聞いて安心したかったのだ。きっと慧には話せなかっただろうけど、慧の声を聞いて、この幸せは現実なのだと確認したかったのだ。

 その時のメールに『明日も仕事納めの後、忘年会だからたぶん電話出来ないと思う』と綴られていて、なんだか見放されているような気になったのだった。


 翌二十八日の仕事納めの日も、悩んでいた同僚は元気がなく、私も浮上できないままだった。それでも拓都の前ではまだ母親としていられたのに、拓都が寝てしまった後の一人の時間は、たった三日で慧の声を聞かないと心の中に積み上がる不安を持て余すようになってしまった。

 この得体の知れないモヤモヤとした気持ちは、現実感の薄い幸せをじわじわと蝕んでいく。こんな気持ちでいちゃダメだと思うのに、考えれば考えるほど悪い方に考える癖が付いていて、あんなに喜んでくれた友達にも言える訳がなかった。

 彼の声が聞きたいと思った。

 それだけできっと安心できる。この幸せが現実のものだと確信できる。

 いつもこの時間は一人きりのリビングで、母親の顔から素の自分に戻る。自分の好きなことをして過ごす癒しの時間。それなのに三日前からそこに慧が入り込み、彼が全てになってしまった。

 私は携帯を握ったままぼんやりと、この三日間の記憶の中をさまよう。

 きっと今日はもう電話はかかって来ない。

 こんな気持ちの時って、考えなくていいことまで考えてしまう。


 今日は、虹ヶ丘小学校の先生達の忘年会だと言っていた。

 愛先生も一緒なんだ。

 その時不意に脳裏に浮かんだのは、キャンプファイヤーの時に彼をうっとりと見つめていた愛先生の表情だ。

 今頃、愛先生も一緒にいるのだと思うと胸が苦しくなる。今の慧の気持ちを疑う訳じゃないけれど、彼女の想いは本物だろう。

 慧と愛先生って、噂通り付き合っていたのだろうか?

 千裕さんの話では、愛先生は関係ないって言っていたらしいけれど。今はということかも知れない。以前のことは分からない。

 だけど、クリスマスの日の彼の話の中には、愛先生のことは出てこなかった。私のことを諦めかけた時に再会したって言っていたけど。

 PTA総会の時の、愛先生と話す慧の柔らかい笑顔を思い出す。キャンプの時の二人の間にある特別な雰囲気を思い出す。

 もしかして、私と再会したがために、愛先生と別れたのだろうか?

 もしかして、私は愛先生から彼を奪ったことになるのだろうか?

 彼に別れを告げてから、クリスマスの日までの彼のことで、私が胸を痛める権利など無いのに。


 そんな風に愛先生を思い出したのは、慧がこの年末から年始にかけて二泊三日でスキー旅行に行くという話があったから。

 前回の電話の時、お正月の話になって、慧は申し訳なさそうに以前から決まっていたスキーに行くと話していた。『本当なら、お正月は一緒に過ごしたいけど、今は会えないから、ごめんな。来年は一緒にスキーに行こうな』と謝罪の言葉と共に優しくいってくれた。

 その時は、『他の先生も一緒だから、夜電話できるかどうか分からないけど、できるだけするようにするよ』と言う彼の言葉で、同僚の先生と行くんだと思っただけで、メンバーの名前とか人数とかまで詳しく訊かなかった。申し訳なさそうにしている彼に、それ以上訊くことが出来なかった。

 でも後になってから、キャンプの時のことや写真を撮りに紅葉の山へ行ったことを思い出し、あのメンバーで行くのかもしれないと確信してしまった。

 彼にしたら、純粋にスキーを楽しむために行くのだろうけれど、愛先生も一緒かもしれないと思うと、何となく割り切れない思いに囚われてしまう。でもこんな気持ちを持つことは思い上がりで、彼の気持ちを信じていれば、周りの誰かが彼のことを想おうと、気にしなくていいことなのに。

 こんな思いに囚われている自分が嫌で、余計に落ち込んでしまった。


 年末年始のお休みに入った二十九日は、拓都とお正月の買い物に行き、午後から家の周りの大掃除をした。去年までは公務員官舎だったお陰で、大掃除も部屋の中だけで良かったけれど、こちらは一軒家なので建物の周りや小さな庭の落ち葉や草、ゴミ等の掃除も追加された。

 父がこの家を建てた時に植えた木々は、いつの間にか大きくなったけれど、庭いじりの得意なお隣のおじさんが、庭の木々の剪定をしてくれていて、伸びすぎないようにしてくれていた。

 大掃除の途中で休憩のため、庭に面したリビングの軒下に置いたベンチに座り、拓都とおやつタイムをしながら、小さな庭を眺めた。

 母の作った小さな花壇は、今の季節は何もないけれど、春になったらチューリップやスイセンが芽を出すだろう。

 フラッシュバックのようにこの庭で過ごした父や母や姉との思い出が蘇る。そしていつしか小さな姉と私の姿が拓都と置き換わっていた。

 やっぱり拓都もこの庭で、この家で大きくなり、思い出を作っていってほしい。

 それが姉達の望みでもあり、私の幸せよりも優先事項なのだと思った。

「ママ、さっきね、落ち葉の下に虫が一杯いたよ。冬ごもりしていたのかなぁ」

 拓都がおやつを食べ終わると、ポツリとそんなことを言った。『冬ごもり』なんて言葉が出てくるのは、この間読んだばかりの絵本のせいだ。いろいろな生き物の冬眠の様子が優しい絵と共に書かれていた。

「そうだね。落ち葉のお布団で眠っていたのかもしれないね」

 私はそんな風に答えながら、私もこのまま春まで冬ごもりしたいなぁなんて考えていた。

 そうしたら、慧に会えない三ヶ月間も、余計な不安に悩まされず、夢を見て過ごせるのに。


 その夜、三日ぶりに慧から電話があった。

 待ち望んだ慧の声は、私の胸に甘く響いた。やっぱり現実だったのだと、今更ながら安堵している自分に情けないような気持ちになりながら、彼の声を聞かなかった二日間に溜め込んだ不安が、水が蒸発していくように消えて行った。それは消えたというより、それこそ水蒸気のように姿を変えて見えなくなってしまっただけで、又何かの切っ掛けで、雨のように心に降り積もってくるのだろう。

 慧とは、その日の出来事や拓都のことなど、たわいもない話しをした。そんな日常の取るに足らない会話に幸せを感じ、心は不思議と満たされていく。

「由香里さんがね、三ヶ月も会えないのは可哀そうだから、時々拓都を預かってくれるって言っていたよ」

「美緒は良い友達がたくさんいるな。でも、拓都を除け者にしているみたいだよな」

 慧の言葉に、私は単純に由香里さんの申し出を喜んでいた自分が恥ずかしくなった。慧はそこまで拓都のことを考えていてくれるのに、私は浮かれ過ぎている。

「そ、そうだよね。今度会う時は、三人一緒じゃないと」

 私は大いに反省した。

「美緒、違うんだ。俺達が会うために拓都を預けることに、少し後ろめたさを感じたんだ。でも、拓都のことは最優先だと思っているけど、俺達のことも大切にしたいと思っている。本当は、美緒とこうして電話していても、まだどこか現実味がなくて、いつもクリスマスのことは夢だったんじゃないかって思ってしまうんだ。だから、美緒の声だけじゃなくて、実際に会って、ここに美緒がいるんだって実感したいって思っている。本当は、川北さんの申し出、凄く嬉しいよ」

 慧も私と同じように、実感できないのだと知って、なぜだかホッとした。彼だけがどんどん現実の中で先に行ってしまうようで、そのことも不安だった。

 私も同じように思っていたと告げると、彼は「俺達はバカだな」と苦笑した。


 明日の夜スキーに出かける前に電話すると言って、慧は電話を切った。私はその後もしばらく余韻に浸って、クリスマスの日の慧を思い出していた。

 会いたい。

 三年会わなかったのだから、三ヶ月ぐらいあっという間だと言っていたのに、慧がさっきあんなことを言うから、私も会って実感したくなってしまった。

 まだクリスマスから四日しか経っていないのに、夢のようで記憶が曖昧だ。

 せめて慧の写真でもあったら良かったのに。全て消してしまったあの日の自分が恨めしかった。


 十二月三十日は、朝から家の中の大掃除をした。昨夜の電話で少し心の余裕ができたのか、大掃除への意欲が湧き、朝早くから張りきっている自分が可笑しかった。

 現金なものだなと、自分にツッコミながら、昨夜思いついたアイデアをもう一度思い返してニンマリとした。今夜の電話の時に、慧の写真を写メールで送ってほしいと頼もうと思いついたのだった。

 会えないのなら、せめて写真だけでも。

「ママ、今度は何をしたらいいの?」

 二階の自分の部屋の片づけをしていた拓都が階段を下りてきた。

「今度はねぇ、窓ふきしてくれるかな? ママが上の方をふくから、拓都は下の方をふいてね」

 私はリビングの掃き出し窓を指差し、拓都に古新聞を渡した。拓都は嬉しそうに「うん」と返事をする。

 熱いお湯で窓をひと拭きして、乾いてしまう前に拓都と古新聞で拭きあげる。そうすると跡が残らずにピカピカになるのだ。

 窓を拭きながら、外へ目をやると、冬晴れの青い空。朝は冷え込んだけれど、日中は日差しが温かい。

「今日はいいお天気だね。大掃除日和だよ」

 私がそう言って拓都を見下ろすと、拓都は首をかしげて「おおそうじびより?」と訊き返してきた。

「そう、大掃除をするのに丁度良いお天気だっていうことだよ」

 拓都にニッコリ笑って説明すると、拓都はしばらく考えた後、「じゃあ、キャッチボールびよりっていうのもあるの?」と訊いてきた。私は拓都のカワイイ質問に、思わず笑ってしまった。

「そうだねぇ、キャッチボールするのに丁度良いお天気は、そう呼んでもいいかもね。今日もいいお天気だから、キャッチボール日和だけど、今日は大掃除日和だよ」

 ニンマリ笑いながら拓都に答えると、「はーい。でも、今度キャッチボールびよりになったら、キャッチボールしに行こうね」と、返してくる。私は拓都のその返しに驚きながらも、成長を感じて嬉しくなった。

「お休みの日ならね」

 私はそう返事をしながら、春になったら三人でキャッチボールに行けるといいなと考えていた。


 西の空に太陽が傾きだした頃、予定していた大掃除は無事に済んだ。汚れたバケツの水を庭に撒くために外へ出ると、明日の晴れを約束するような夕日に、しばし見とれた。

 これなら道は大丈夫だろうな。

 今夜からスキーに出かける慧の道中の天気が心配だった。雪に降られてチェーン規制されたり、高速道路がストップしてしまったりしたら大変だからだ。ここのところ晴れ続きで、スキー場のある県も大雪が降ったという情報も聞いていない。

 私は空を見上げ、安堵の溜息を吐くと、頭に浮かんだ不安に胸がチクリと痛くなった。

 愛先生も同じ車で行くのだろうか?

 いつまでも愛先生にこだわっている自分に嫌悪しながら、その思いに無理やり蓋をしたのだった。



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