【四十三】近づくクリスマス
いよいよ二学期も終わりに近づき、又個別懇談の時期がやってきた。千裕さんと由香里さんに相談して、同じ日の同じ時間帯に懇談の予定を組んでもらえるよう、希望を出した。
終わった後、千裕さんの自宅でお喋りをするためだった。
今回の個別懇談は、彼に会える今年最後のチャンスだ。自分の中で、楽しみにしている気持ちと、彼の反応を恐れる気持ちで揺れ動く。
先日送った愛車の写メールの返信は、同じように彼の車の写メールだった。以前乗っていた車とは変わっていたことに、ちょっとショックだった。
二人を色々な所へ連れて行ってくれたあのRV車がもう無いことに、思い出までも遠くなってしまったような気がして、少し寂しい気持ちになった。
そして、その後忙しいのか、又写メールは途絶えたままだ。教師も走る師走だから仕方が無いのかな。
結局、個別懇談は仕事のため、キャンセルせざるを得なかった。これは、会わない方がいいという神様からのメッセージなのか。ポジティブになろうと思っていたのに、仕方の無いこんなことでさえ、ネガティブ思考に陥ってしまう自分が情けなかった。
翌日の十二月二十三日木曜日、天皇誕生日でお休みのこの日、いつもの三家族でクリスマスパーティーをすることになった。
K市にいた頃は、母子家庭の会のメンバーで集まってクリスマスパーティーをしていたので、今年は寂しいなと思っていたら、由香里さんが千裕さんと相談して、千裕さんが自宅でパーティーをしようと提案してくれたらしい。
午前九時に西森家へ集合して、子供達はパパ達が公園へ遊びに連れて行ってくれている間に、私達母親はクリスマスランチの用意をすることになっている。
「昨日はごめんね。買い物全部お任せしてしまって」
私は西森家へ到着後すぐに二人に頭を下げた。
「気にしなくていいのよ。美緒ちゃんはお仕事だったんだから。それよりさ、今日のメインはローストチキンよ。昨日の内に鶏丸ごと肉を注文しておいたのを朝から取りに行って来たのよ」
千裕さんはいつものようにテンション高く、今日のメニューとそれぞれの分担について話している。
「ねぇ、美緒。個別懇談はキャンセルしたの? それとも違う日にしてもらったの?」
突然由香里さんが、昨日のことを尋ねてきた。今お料理の話をしているのに、どうして? と思いながらも、答える。
もともと今回の個別懇談は希望者のみということだったので、キャンセルしても成績表は二学期の最終日(十二月二十四日)に子供が貰ってくることになっている。
「もう日もないから、キャンセルしたの」
「イケメン担任と話ができるチャンスだったのに、もったいない」
「もう、からかわないでよ」
わざと彼の話題を出す由香里さんを、私は睨みつけた。千裕さんは、私達の会話に入ること無く、エプロンをすると流し台までいき、調理の下準備を始めている。
「やだ、マヨネーズあると思っていたのに、もう少ししかないわ。これじゃあ足りないよ」
急に千裕さんが大きな声を出したので、私と由香里さんは顔を見合わせた。
「私、買ってくるよ。車、一番出しやすいから」
「いいの? 助かる。頼むね」
何もかも甘えていてはダメだと、私は買い物を引き受けることにした。
クリスマスのランチを食べ終えて、パパ達と子供達がテレビゲームをしだしたので、私たち女性陣はダイニングテーブルでお喋りタイムとなった。
「美緒ちゃん、昨日の懇談でね、守谷先生に訊いてみたの、携帯の待ち受けの虹の写真のこと」
千裕さんがいつものように又担任の話題を出した。でもそれはいつもの噂話でなく、千裕さんが担任と直接会話した内容だ。
「えっ? 虹の写真のこと?」
「そう、『にじのおうこく』の虹の架け橋の真似して撮った写真ですかって訊いてみたの」
「そ、それで?」
私は焦った。そんなばれる様な内容を、ストレートに聞くなんて。でも、千裕さんは何も知らないから、咎めることさえできない。
「守谷先生、驚いていたよ。どうして分かったんだって雰囲気で、なぜ『にじのおうこく』が出てきたのかって訊くから、篠崎さんの待ち受けも虹の写真で、『にじのおうこく』の虹の架け橋を真似して撮った写真だからって説明して、守谷先生も彼女からの写真ですかって訊いてみたの」
「ええっ! 私の待ち受けも虹の写真だって言ったの?」
「そうだけど、言ったらダメだった? 篠崎さんと守谷先生って折り紙と言い、虹の写真と言い、趣味が似ていますねって言ったけど」
ああ……千裕さんは、悪気はない。悪気はないけど。
私の頭の中は真っ白になった。
彼に知られてしまった。こんな形で知られたくなかった。
まだ別れの本当の理由も言っていないのに。別の人を好きになったという誤解も解いていないのに。
彼はどう思ったのだろう?
私は思わず、私と千裕さんの会話を黙って聞いていた由香里さんの方を見た。
由香里さんは苦笑して私を見返すけれど、何も言わない。でもその眼差しに「私は何もバラしてないからね」と言っているのが読みとれた。
私が茫然としている間に、千裕さんは話の続きを話し始めた。
「それでね、守谷先生もはっきり答えないから、思い切って愛先生から送られた写真ですかって訊いてみたのよ。そうしたら、守谷先生が、興味本位にいろいろ訊かないでくれって、愛先生とは何も関係ないから、迷惑をかけるような噂を流すなって怒っちゃって。美緒ちゃん、どうしよう。守谷先生を怒らせてしまったから、三学期に合わす顔ないよ」
目の前で情けない顔をしている千裕さんを、私はぼんやりと見つめた。
「まあ、言っちゃったもの仕方ないじゃない? 千裕ちゃんも美緒も覚悟しておくのね」
そう言って由香里さんはニヤリと笑った。
覚悟?
「由香里さんったら、他人事だと思って!」
千裕さんが由香里さんを恨めし相に睨んでいる。由香里さんは笑いながら「他人事だもん」と返しているのを、私はただぼんやりと眺めていた。
その日の夜、由香里さんから電話があった。
「美緒、良かったね」
「えっ? 何が良かったのよ? 何にも良くないよ。私の待ち受けが虹の写真だって知られてしまったんだよ?」
「だから、良かったじゃないの。美緒の気持ちが守谷先生に伝わったんじゃないかな? もしかすると、クリスマスのお誘いがあるかもよ?」
由香里さんの明るい声が、今は無神経な声に聞こえてしまう。
「ちっとも良くない。こんな形で知られたくなかった。まだ別れの本当の理由も言っていないし、別の人を好きになったっていう嘘も、そのまま信じているだろうし」
私は怖かった。このことで、また彼がどんなふうに誤解していくだろうかと思うと、気が気じゃない。
気が多い奴だとか、移り気な奴だとか思われていないだろうか。
その誤解を解くチャンスはあるのだろうか?
「何言っているの! 美緒は余計なこと考え過ぎだよ。守谷先生の気持ちも分かったし、愛先生とも関係なかったし、千裕ちゃん良い突っ込みしてくれたよねぇ」
私は由香里さんの物言いにますますイライラした。
わかっている。由香里さんは私を励まして背中を押そうとしてくれているのは。それでも、今は千裕さんの言葉も由香里さんの言葉も素直に聞くことが出来なかった。
「どうして彼の気持ちが分かるのよ。虹の写真だって、他の人と送り合った写真かもしれないじゃないの!」
これじゃあ完全に八つ当たりだと思いながらも、由香里さんにきつい言い方をしてしまう。
「へぇ、美緒はそんな風に思うんだ? 虹の架け橋を真似て写真を送り合うなんて、あなた達二人の大切な思い出じゃ無かったの? 守谷先生って、美緒と別れた後に、他の女性と同じように虹の写真を送り合うような人なわけ? じゃあ、守谷先生だって、美緒の待ち受けの虹の写真は別の人と送り合った写真だって思っているかもしれないよ? 美緒の場合、別の人を好きになったって言っている訳だし」
えっ、そんなこと、思いもしなかった。彼の虹の写真は疑っていたくせに、自分の虹の写真は疑われるかもしれないということさえ思い浮かばなかった。
それまで私の頭の中を支配していた、真実を何も知らない彼が、私の気持ちを知って、どう思うだろうかという不安は、瞬時に私の吐いた嘘を増幅させる疑惑への嫌悪に取って代わった。
嫌だ!
あの虹の写真を、他の人からの写真だなんて思われたくない。ましてや待ち受けにしているほどの写真だ。確かに、別の人を好きになったと嘘を吐いたのは私自身なのに、私は自分の気持ちを疑われるなんて、思いもしなかった。
せめて、あの虹の写真だけでも、彼からのものだと知らせたい。
私は由香里さんの電話の後も、虹の写真のことばかり考えていた。
その次の日はクリスマスイブだった。クリスマスイブもクリスマスも日本では特に祝日という訳でもなく、平日なら仕事も学校もある。しかし今年は、クリスマスイブの今日は金曜日で、クリスマスは土曜日という良い曜日巡りで、今夜は市内のレストランは恋人達で溢れ返っているのだろう。
彼と過ごした最後のクリスマスイブを思い出す。
最初の頃は、初めて恋愛、初めての恋人に戸惑ってばかりで、恋人達にとってのクリスマスの重要性が良く分かっていなかった。彼から二十四日の夜は空けておいてと言われても、その日は家族でクリスマスを祝うからと断ってしまった。呆れた美鈴に恋人達にとってのクリスマスの意味をレクチャーされ、どうにか初めてクリスマスイブを、彼と過ごしたのだった。
最後のクリスマスイブもクリスマスも平日だった。私は社会人になっていたからもちろん仕事で、車で三時間という中距離恋愛をしていたから、当日に会うのはとても無理だった。
クリスマス直前の週末にその代りをしようと約束していたが、週末直前になって私は急な仕事で休日出勤となり、泣く泣く次の週末へと約束を変更したのだった。
平日のクリスマスイブにどんよりとした気持ちで仕事をしていると、彼からメールが届いた。それは、あの日と同じ虹の写真付きの写メールだった。
『今から美緒の所まで虹の橋を架けるよ。いつもの公園で午後七時に待っている』
彼が私の方へ来てくれる時にいつも待ち合わせている隣の市の海浜公園の駐車場。私は仕事が終わるとすぐに飛び出した。
私はここまで思い出して、大きく息を吐いた。
あの時送ってくれた虹の写真。今私の携帯の待ち受けにしている虹の写真と同じものだ。それを、別の人からの写真だと思われていたとしたら?
由香里さんに指摘されて初めてその可能性を考えた時、別の人を好きになったと言ったのだから、そう思うのが普通のような気がして来て、私は胸が苦しくなった。
嫌だ! それだけは嫌だ。
彼の虹の写真が別の人からかもという不安より、自分の虹の写真が別の人からかもと疑われる方がずっと辛いと思った。
そして、ふと思いつき、手の中の携帯電話に目を落とした。
この虹の写真をあの日彼が送ってくれたように、私から写メールしたら?
彼なら気付くはずだ。自分が送った虹の写真だと。
『この虹の向こう側に、あなたはまだいますか?』
メールを送信した後、時計を見たら、クリスマスイブの夜は終わろうとしていた。
後数分でクリスマスになるデジタルの電波時計の数字を見つめながら、こんな時間にメールをして迷惑だっただろうかと心配になった。
恋人達のクリスマスイブ。もしも今、彼が誰かと一緒にいるのなら、このメールはとんでもなく間抜けだ。否、間抜け以上に迷惑でしかない。
それでもこの虹の写真が彼からのものだと分かって欲しかった。
もしも、由香里さんの言う通りなら、こんな時間のメールでも、彼から何らかの返信はあるかもしれない。私はそう思いながら、まんじりとせず鳴らない携帯を見つめていた。




