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いつか見た虹の向こう側【改稿版】  作者: 宙埜ハルカ
第一章:再会編
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【四十一】臨採教師

 それは週の真ん中の水曜日、今日から十二月が始まるという日の夜、想定さえしていなかった出来事に、私の心の中は多いにパニックになった。でも、良く考えればあり得ることで、どうしてその可能性を思いつかなかったのかと、後になって大変悔やまれた。

 こんなことなら、もっと早く話しておけば良かった。


「もしもし、美緒? 元気している?」

 その電話は、先日母校の大学祭へ一緒に行った、高校の時からの友人の本郷美鈴だった。

「元気だよ。この間はありがとうね。美鈴のおかげで久々に大学祭へ行けて良かったよ」

 私は相手が美鈴ということで、すっかり気を抜いた状態で会話をしていた。

「ねぇ、美緒。美緒さぁ、私に何か隠しことしてない?」

 えっ?

 美鈴の問いかけに私の心臓はドキリと飛び跳ねた。このドキリは、思い当ることがあるというドキリだ。

 ま、まさか、知ってしまった? なんで?

 私の頭の中は、必死にその可能性について考えを巡らしていた。

「か、隠しこと? 何もかも全部美鈴に話している訳じゃないけど、意図して隠そうなんて思ったことは無いよ」

 そうだよ。別に隠そうだなんて思った訳じゃ無くて、ただ話せなかっただけで。

「私、このまえ養護教諭の臨時採用に申し込んだって言ったじゃない?」

 えっ?

 いきなり話変わる?

「そういえば、そんなこと言っていたよね?」

「昨日、電話があってね。その学校の養護の先生が本当は年明けから産休に入ることになっていたんだけど、切迫流産で入院しちゃったらしくて、そのまま出産まで入院になるらしいの。急なことでなかなか引き受け手が見つからなかったらしくて、私に白羽の矢が立ったということなのよ」

「へぇ、急な話だけど良かったじゃない? それで、引き受けたんでしょ?」

「まあそうなんだけどね。それで今日、その学校へ行って来たんだけどね。美緒にはサプライズで驚いてもらおうと思って、何も言わなかったんだけど……。まさか私の方が、こんなサプライズで驚かされるなんて、思ってもみなかったわ」

 えっ? まさか、嘘でしょう? 

「ま、まさか」

「美緒の隠しこと、何のことだか、思い当った? そう、私今日から虹が丘小学校の養護教諭をすることになりました。拓都君のお母さん、よろしくね?」

 やけに明るい口調で言っているけど、美鈴は怒っている。何も言わなかったこと、絶対に怒っている。

「美鈴、ごめん。美鈴に隠しことしようとか思って、言わなかった訳じゃないの。又美鈴に心配かけそうで、言いあぐねているうちにタイミングを逃してしまって」

 私のしどろもどろの言い訳を聞いて、美鈴はわざと大きく溜息を吐いた。

「ふうん。この前大学祭の時さぁ。私言ったよね? 守谷君実家へ帰って先生になったのかなって。その時美緒、なんて言ったか覚えている? そうだねって言ったんだよ。拓都君の行っている学校の先生になっているって知っていたのに、とぼけたよね? おまけに、拓都君の担任だって? 美緒、信じられないよ。今まで黙っているなんて」

 電話の向こうの美鈴の表情は見えないけれど、怒っている? 呆れている? それとも、悲しんでいるの?

「ごめん、美鈴。本当にごめんね。今更言い訳だけど、美鈴にもう彼とのことは乗り越えたと、大丈夫だと思って欲しかったの。彼と再会したなんて言ったら、又心配するでしょう? 美鈴はずっと私に気を使っていてくれたし、それが申し訳無いって思っていたの。もう余計な心配かけたくなくて」

「何言っているのよ。私たちは友達でしょう? 心配するのもされるのも、お互いさまでしょう? 友達の心配をして、何が悪いの? もう、まったく美緒らしいというか」

 ここまで言うと美鈴は大きく息を吐いた。

「ごめんなさい。そうだね、お互い様だよね。美鈴も辛いのに、又私のことでいろいろ心配かけちゃって」

「ほら、お互いさまって言いながら、又心配かけて悪いって思っているでしょう? 私のことも美緒が心配してくれているのは分かっているの。こうやって心配してくれる友達がいてくれるのがありがたいって思うし、私はそんな友達に恥ずかしくないよう、頑張ろうって思えるのよ。だから私にも美緒の心配をさせてほしいの」

 美鈴の言葉に熱いものが込み上げてきた。どんなに離れていても、ずっと友達でいてくれた美鈴。まだまだ、自分の辛い失恋の痛みがあるだろうに、私のことを思ってくれる美鈴の友情がありがたかった。

「ありがとう、美鈴。今まで言わなくてごめんね。入学式の時、担任紹介で始めて知って驚いたの。凄く動揺したし、どうしようかと思ったの。実家へ帰ってきたことを後悔したぐらいで」

 私は、彼と再会したところから説明するため話し出した。すると美鈴が話を途中で止めた。

「もういいよ、美緒。偶然の再会で、美緒が驚いたことや辛かったことぐらいわかるよ。守谷君の方だって驚いただろうけど」

 美鈴が急に言い淀んだので、何か私に言いにくいことでもあったのかと心配になった。

「彼と何か話したの?」

「ううん。話したというほどじゃないけど。守谷君がいることに驚いて、どうしてここにいるの? 美緒のこと知っているのかって聞いたら、拓都は俺のクラスだって言うから、またまた驚いたら、守谷君の方も私が知らなかったことに驚いていたよ。向うは美緒が話していると思ったみたい。でも、それだけしか話していないの。先生はみんな忙しそうだし、私も初めてのことで、覚えることが一杯でそれどころじゃ無かったのよ」

「そっか。彼も驚いていたんだ。もしかして、拓都が姉の子だと、話した?」

 まだ、彼に言えずにいる真実を、全ての事情を知っている美鈴が、彼に安易に話すとは思わないけれど。

「そこまで話をする暇なかったし、守谷君と話していると女の先生たちに睨まれているみたいで、何となく話し辛いのよ。でも、やっぱり、拓都君がお姉さんの子供だって話してないの? そうだよね、話せないよね。別れた原因そのものだものね」

 美鈴は又一つ溜息を吐いた。私は美鈴の言葉に顔を歪ませた。最近では忘れがちだった罪悪感に、また胸が痛んだ。

 私にしても美鈴にしても、このことはどこかタブーのような気がして、あまり話題にはしてこなかった。でも、そろそろ彼に話した方がいいのかも知れないと、思い始めていた。

 私が相槌のように「まあね」と返すと、美鈴はさっきよりまた声のトーンを下げて、話を続けた。

「美緒はさ、守谷君と再会して、余計に忘れられなくなったんでしょ?」

 いつもの美鈴のストレートな問いかけに、大学祭の時も訊かれたなと思いながら、忘れられないと言うより、やっぱり彼のことが好きだと自覚したのだと思ったけれど、どちらも同じことかと思い直し、素直に「うん」と返事した。

「でもね、美緒。美緒には可哀想だと思うけど、あえて友達として言わせてもらう。一度心変わりした相手を、たとえ嫌いになったんじゃなくても、どこか信じられないと思うの。それに、もう時間が経ちすぎているでしょう? 三年以上の時間が経って、守谷君も美緒を諦めて、新しい未来を歩き始めていると思うのよ。私がもし三年経って直也に『あの別れは間違いだった、やっぱりおまえのことが好きだからやり直そう』って言われても、その時まだ気持ちが残っていたとしても、やっぱり以前のような気持ちになれないし、心底信じることができないと思うの。又裏切られるんじゃないかって、思いながら付き合うことは、やっぱりできない」

 美鈴にこう言われて、思い出した。

 私、別の人を好きになったって言ったんだった。

 そして、私が別れを告げた時の彼と、今の美鈴は同じ状態だったということに、やっと思い至ったのだった。

「じ、じゃあ、彼に本当のことを全て言ったら、どうかな?」

 私は恐る恐る切り札を使って、窺ってみた。しかし、美鈴から返って来たのは、冷たい否定だった。

「美緒、それこそ今更だし、余計に傷つけるだけだよ。あの時、美緒は彼を思うがゆえにとった行動だっただろうけど、彼にしたら、そんな大変な時に、自分を頼ってくれなかったどころか、嘘までついて別れを告げられた訳でしょう? たとえ過去の恋になっていても、ショックなんじゃないかな? 冷たいことを言うようだけど、今更本当の別れの原因を聞かされても、もう遅すぎると思うよ。だから、美緒も今は辛いと思うけど、すっぱりと諦めて、別の幸せを考えた方がいいと思う。守谷君が担任なのも、あと少しだし」

 恋人に裏切られたばかりの美鈴の言葉は、説得力がありすぎて、言い返すことも出来ない。美鈴がこんなに厳しいことを言うのは、未練を持つなと言いたいのだろう。でも、心の中で、彼は美鈴とは違うかもしれないじゃないかと言い返している自分がいる。それは、彼の気持ちが見えなくて、由香里さんに教えて貰った素直な心も、自信がなくて又後ろ向きになってしまいそうだから。

「わ、私ね、クラス役員をしていて」

「はぁ? クラス役員? まさか、自分から立候補したの?」

「違う、違う、くじ引きで当たってしまったの」

「それは、大変だったね。って、クラス役員って言ったら、担任と話す機会も多いんじゃないの?」

「そうだね、会議もあるし、最初はギクシャクしていたけど、もう一人の役員さんが良い人で、いろいろ教えてくれるし、おしゃべりで明るい人だから、担任と三人で話す時とかも、彼女が場の雰囲気を良くしてくれるから、最近では彼とも普通に話せるようになってきたの」

 私は美鈴に何を言いたいのだろう? 彼との関係は上手くいきつつあると?

 今の私と彼の現状は、確かなものが何もなくて、こんなことを思うと由香里さんに怒られそうだけど、やはり彼の態度を良いように解釈しすぎなのではないかと思ってしまう自分もいる。

「そっか。守谷君はもう吹っ切れているんだね」

「吹っ切れている?」

「美緒は心変わりをしたと別れを告げられた彼の気持ちを想像したことがある?」

 あ……、彼の気持ち。傷つけただろうとは思っていたけど、裏切った自分を責めるばかりで、彼の気持ちを考えてきただろうか?

「私もね、あの時は美緒の辛さばかりを考えていたけど、今はあの時の守谷君の気持ちがよく分かるのよ。だけど、美緒と普通に会話できているんだったら、彼もこの三年半の間に、吹っ切ったんでしょうね」

 私はますます何も言えなくなった。

 彼は過去を吹っ切れたから、私にあんなに優しくしてくれたのだろうか?

 でも、それよりも、今の辛い自分の気持ちを、彼のことに重ね合わせて話す美鈴の方がやるせなかった。

「ごめん、美緒。美緒には辛い厳しいことを言って。でもね、どこかで美緒も吹っ切らなきゃ前に進めないと思うの。美緒の気持ちを分かっていてこんなこと言うのは、友達としてとても辛いけど、早く現実を受け入れて、自分の幸せを考えてほしいのよ」

 私にここまでしつこく諦めて前を見ろと言い募る美鈴は、どこか彼女らしくない。私があんな酷い別れ方をした時だって、反論せずに受け入れてくれた。なのに、今回はどうしてここまで言うのだろう?

 そして、私は、ふと思い至った。

 彼女は、自分自身に言い聞かせているのではないかということに。

「美鈴だって、吹っ切れていないじゃない。私はいいの。この想いは今までどうしたって消えることは無かったんだから、開き直ることにしたの。それより、美鈴の方こそもう吹っ切ったような顔をして、私のことに重ね合わせて自分に言い聞かせているんじゃないの?」

 私は反撃するように言い返した。

 美鈴だって同じじゃない!

 お互いに上手くいかない恋に振りまわされて。

「もうアイツのことなら吹っ切れているわよ。心残りがあるとしたら、簡単に心変わりするような男に十年近くの長い時間と若さを捧げた恨みよ!」

 その言い方が美鈴らしくて、頬が緩んだ。でも、これが彼女の精一杯の強がりだと分かっている。

 こうやって彼女は一生懸命自分の恋心を振り切って、前を向こうとしているのだ。

「お互い恋愛ベタだね」

 それに頑固だし。

 私がクスッと笑いながら言うと、「美緒の頑固者」と私が思ったことを返された。

「私は美緒の恋を応援しないからね。でももし、諦めがついたら、一緒に婚活しよ? だいたい世の中の半分は男なのに、守谷君よりもっと良い人がいるわよ」

「そうだね」

 美鈴、ありがとう。いつも心配してくれて。

 私は友の友情に感謝しながら、彼女に一日も早く、新しい恋が訪れることを祈った。




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