【三十八】大学祭(前編)
四年ぶりの母校の大学祭。
この前来たのは卒業して一年目の時。
蘇りそうになる記憶を押し込めて、大学の門をくぐった。
通路に模擬店のテントが並び、呼び込みの声が飛び交う。大勢の人が賑やかに行き交う大学祭は、若さに溢れて眩しいぐらいだった。
一瞬気後れしてしまったのは、今の生活がこの喧騒から遠く隔たったところにあるせいかもしれない。もう三年に以上、子育てと主婦業と仕事で一杯一杯の生活をしてきたから、大学時代はもう遥か昔のことのようだ。
たった五年前まで大学生だったのに。
「なんだか、年を感じるよね。若さが眩しいよ」
「なあに? 美緒。やけに年を取ったみたいなことを言って」
美鈴がプッと吹き出し、笑いだした。
「大学時代が遠いなぁって、思ってね」
「そうだね、美緒はいろいろあったから。まあ、今日だけでも大学時代に戻ったと思って大学祭を楽しんでくださいな」
「そうだね。休日に拓都と離れて過ごすなんて、初めてだし。たまにはいいかもね」
拓都は西森さんの所へ遊びに行ったので、今日は美鈴と二人で大学祭へ来ていた。
拓都が傍にいないことが、何となく落ち着かないけれど、結婚もしていないのに独身に戻ったような、自由さも感じていた。
私たちは模擬店を覗きながら、折り紙サークルの展示会場へ向かった。
「ねぇ、私たちの頃よりセンス良いと思わない?」
折り紙の展示を見ながら、私は美鈴に問いかける。色遣いと言い、展示の仕方と言い、私たちの頃とは時代の違いを感じてしまう。たった五年なのに。
それだけ自分がこんな世界から離れてしまっていたことを思う。折り紙と言えば、拓都相手に折るぐらいだ。もしかして私、すっかり所帯じみていない?
「そう言われたら、そうだね。私たちが卒業した後、レベルが上がったかな? この巨大折り紙も、前は伊藤君任せで男子好みのテーマだったけど、これは女子の作品じゃないかな?」
美鈴が指差したゆるキャラの巨大折り紙は、見にきた女子高生が「カワイイ!!」と騒いでいた。
スタッフをしている現在のサークルメンバーも五年も経っていると知った顔は無く、私たちは展示を一通り見ると会場を後にした。その後、他のサークルの展示を見て回り、メインステージで行われているイベントを眺め、歩き疲れた頃、大学祭仕様のオープンカフェで休憩することにした。
注文したケーキセットを食べながら、見てきた展示について話をする。
「なんだか淋しいね。知っている子もいないし、自分たちの時と雰囲気が違うし」
私がポツリとそう言うと、美鈴は笑って私の方を見た。
「どうしたの? 美緒は何を期待していたの? 誰かに美緒先輩って声をかけて欲しかった?」
美鈴の言葉は的を射ていて、私は母校の中に自分の居場所を探していたのかもしれない。
今まで大学時代のことは思い出さないようにしていたから、余計なのかもしれないけれど。
「そういう訳じゃないけど、やっぱり大学時代は遠いなって思って」
「まあ、美緒の言いたいことは分かるけど。美緒にとって大学時代は特別な思い出があるものね」
美鈴の言葉に心臓がドクンと跳ねた。私は小さな声で「そんなこと無いよ」と呟くと、美鈴は優しい顔でフッと笑った。
「守谷君、今、どうしているんだろうね? 実家へ帰って先生になったのかな?」
美鈴は遠くを見ながら独り言のように言った。いきなり出てきた彼の名前にドキリと心臓が跳ねる。
そう、彼女は知らない。彼がこの県で教師になり、拓都の通う小学校の教師をしているなどと。
彼と再会したことを言いあぐねていたら、言うタイミングを逃してしまった。もう今更言い出だせないけど、彼女には私が彼と別れた時に苦しんだのを知られているから、余計に言い辛いのかも知れない。
「そうだね」
私が小さく相槌を打つと、美鈴はおもむろに私の方をまっすぐに見た。
「美緒はまだ、守谷君のこと、忘れられない?」
どうしてこう直球で訊いてくるかな?
彼の名前が出たあたりから、私の心臓の鼓動は少しずつスピードを上げだし、今はドクドクと早鐘のように跳ねている。
それは、美鈴に隠しことをしているせいだろうか? それとも、彼を思い出してドキドキしているのだろうか?
「もう三年以上経っているんだよ。もう忘れたよ」
彼と別れたばかりの美鈴の前では、辛い別れを乗り越えた私でいたい。
でも、そう言いながら、胸は痛かった。
「美緒は嘘が下手だね」
美鈴がクスクスと笑いながら言う。
「嘘なんて言ってないわよ」
私は拗ねて口をとがらす。
「そんな痛い顔して忘れたなんて言われてもねぇ」
唖然として美鈴の方を見ると、「美緒は本当に不器用なんだから」と言われてしまった。
長い付き合いの美鈴にはごまかしがきかないのかもしれない。さっきまで笑っていた彼女が急に真面目な顔をして、私に向き直った。
「ねぇ、美緒。やっぱり今でも、恋愛も結婚もしないって思っているの?」
「しないって言うか、もうできないと思う」
「でも美緒。美緒が過去の想いに囚われて、別れた時のまま立ち止まっていても、現実の時間はどんどん流れていくんだよ。守谷君だってもう美緒のこと諦めて、今頃は新しい彼女がいるだろうし。拓都君だってどんどん大きくなって大人になっていくのに、美緒はいつまでも過去にしがみついている気なの?」
「過去にしがみついている訳じゃないけど」
この想いは過去のものじゃない。
「だったら、これからのことを考えなきゃ。拓都君が大人になった時に、美緒が誰とも結婚せずにいたら、拓都君はきっと自分のせいで美緒が結婚できなかったって思うよ。美緒が自分のせいでお姉さん達を死に追いやったって、拓都君に対して罪悪感を持っている様に。それに、美緒は守谷君に対してだって、罪悪感を持っているでしょ? そんな罪悪感を拓都君にも持たせる気なの?」
そんな、そんなこと。やっぱりそうなのだろうか?
私が結婚しないと、拓都は責任を感じて罪悪感を持ってしまうのだろうか?
「ねぇ、美緒。直也も私に対して少なからず罪悪感を持っていると思うの。だから、私はアイツより素敵な人と結婚して、アイツを安心させたいのよ。私が幸せにならないと、アイツも心から幸せになれないんじゃないかと思うの。私を捨てて選んだ幸せなんだから、とことん幸せになってもらわないと、私の涙も無駄になるじゃない? だから、私と一緒に婚活しよ?」
美鈴はニコッと笑って婚活で話を締めた。彼女は笑っているけれど、やっぱり今でも小野君のこと、好きなのだ。だから、小野君の罪悪感を取り除いてあげたいのだ。美鈴は派手な見かけと姉御肌な性格だけど、彼を思う気持ちはとっても一途だった。
もしかして慧も私に対してそんな風に思っているのだろうか?
だから、私に今幸せなのかと尋ねたのだろうか?
私に罪悪感を持って欲しくなくて、優しくしてくれたのだろうか?
私は美鈴の言葉に返事もせず、グルグルと考え込んでいた。
「もう、美緒は考え過ぎるから、とにかく行動を起こそうよ。もう会えない人をいつまでも想っているより、新しい出会いを求めなくっちゃ! ねっ!」
やけに明るく元気な美鈴が、どこか痛々しく感じてしまうのは、彼女が彼一筋だったことを知っているから。でも、そうやって辛い現実を乗り越えようとしているのだ。なのに私は美鈴が言うみたいに、過去にしがみついているだけなのだろうか?
「うん、そうだね。子持ちの私でも良いって言ってくれる人がいるなら、考えようかな」
私も美鈴みたいに現実を受け入れて、乗り越えなくちゃいけないのかもしれない。
「そうそう、もう罪悪感から解放されるべきなんだよ、美緒は」
罪悪感……やっぱりそれは永久に消えないと思う。彼がどんなに幸せになっても、あのひどい裏切りの記憶は、忘れちゃいけないと思う。もう二度と大切な人を傷つけないためにも、私の心の十字架として。
それから美鈴は、市主催の婚活パーティーがあるから申し込もうとか、婚活サークルに参加しようとか、具体的な婚活イベントを提案し出したので、驚いた。意地になってなあい? と尋ねたくなるほど、テンションが高くて参ってしまう。
でも、そうやって乗り越えようとしている美鈴を応援したいと思う。私は心の中でそっとエールを送った。
その後、教授のところへ行くという美鈴と別行動することになった。私は、拓都と預かってくれている西森さんへのお土産でもと、模擬店を見て歩くことにした。拓都がいたら喜びそうな食べ物や、大学のキャラクターの公式グッズ、フリーマーケットもあり、一人でも十分楽しめそうだ。
人混みにもまれながら、時々立ち止まって模擬店に並ぶ商品を物色する。
一人きりでこんな風にぶらぶらするのは何年振りだろう?
本当に独身に戻ったみたいだと思いながら、結婚もしたことないのにと自分で突っ込みを入れ、フフッと笑いが込み上げてきた。
その時、ふと視線を感じて、商品から目を上げてそちらを見た。
そこには、驚いた顔をした彼が、私の方を見て立ち尽くしていた。
あっと思った時には、彼が傍まで近づいてきていた。
幻だと思った。
美鈴とあんな話をしていたから、彼を忘れたくない私の恋心が見せた幻だと。
「一人?」
彼の問いかけで我に返ると、頷きながら、もう一度目の前にいる彼に意識を向けた。
これは、現実なの?




