【三十四】写メールの真実
あのお誕生日メールの返事を貰ってから、いいえ、彼から誕生日のお祝いの言葉を貰ってから、私はやっぱり、浮かれていた。私の心の枷はすっかり緩み、一人の時に彼からのメールを見て、にやけながら癒されていた。
まるで、彼に告白された後、彼への想いがどんどん膨らんでいた頃、彼から届く写メールが嬉しくて癒されていたあの日々の様で、胸の奥がキュンとなる。
由香里さんにお誕生日メールの話をすると、「ほら、たまには自分の気持ちに素直になることもいいもんでしょ?」なんて言う。
この気持ちに素直になってもいいのだろうか?
彼を想っていてもいいのだろうか?
彼にメールをしてもいいのだろうか?
だんだんと欲張りになっていく自分に、今は気付かないフリをした。
そして、彼から写メールが届いた。
それは十月の終わり、紅葉の山の写真だった。いつか二人で雪を見に行ったあの山が、今は紅葉で綺麗だと綴られていた。
あの山は二人が付き合うことを決めた山だ。あの日から始まった恋人という関係。
そんな山の写真を送って来たのはただの偶然?
それとも何か意味があるの?
この写メールの意味を期待している自分に浅ましさを感じながらも、彼の想いは無いのかと探してしまう。
この写メールはきっと、この間の誕生日のケーキの写メールのお返し。ただそれだけのこと。そう思わないと心は必要以上に嬉しがって舞い上がる。
返事は写メールの方がいいだろうかと、昨日撮った写真を思い浮かべる。十月最後の土曜日、西森さん家族と由香里さん家族と拓都と私で森林公園へ行った時の写真。
十月の終わりの森林公園の紅葉はまだ始まったばかりだった。
子供達は木製のアスレチックに大喜びで、大人もその後を付いて行ったけれど、結構アスレチックってハードな遊具で、一年生には難しい物もある。西森さんのご主人はさすがにアウトドアが好きなだけあって、一番年上なのにひょいひょいと軽く制覇してゆく。私の次に若い由香里さんのご主人も、最近運動をしていないと言いながらも、学生時代は陸上をしていたとかで、西森さんのご主人に負けていない。
子供達が「パパ頑張って」と声をかける。拓都も同じように応援しているけれど「パパ」と呼べる人がいないことに辛くなった。
皆で持ち寄ったお弁当を食べて、午後からは子供達とパパ達はキャッチボールを始めた。私達女性陣は、そんな子供とパパ達の様子を見ながら、シートに座り込んでまったりとお茶とおやつでお喋りタイム。
拓都は初めてのキャッチボールなので、心配しながら見ていると、二人のパパが五人の子供達を上手に遊ばせてくれている。西森さんが拓都の分のグローブまで用意していてくれて、こんなところまで心配りのできるところが西森さんの尊敬できる点だ。時々能天気発言やツッコミでイラッとさせられることもあるけれど、それらも全て彼女流の場の雰囲気を和ませる話術なのだと最近は分かって来た。
楽しそうな拓都を見て、私は嬉しくなった。拓都は今まで遊んでくれる大人の男性が傍にいなかったから、私と遊ぶ時とは違って、のびのび遊んでいる様に見える。
やっぱり、由香里さんの言う様に、父親とのかかわりって成長していく上で大事なのかなと、今日の拓都を見ていて思ってしまった。
「ねぇ、由香里さん。ご主人と子供達の関係ってどう? 上手くいっている?」
私は子供がある程度大きくなってから、新たに親子関係を築くことって、実際のところどうなのだろうかと由香里さんに訊いてみた。
「ん……そうねぇ、陸はまだ一年生だし性格もあるのか、彼に上手に甘えるのよ。でもね、礼はもう四年生で、ちょっといろんなことが分かり出して来た年頃だから、素直に甘えられないし、本当の父親の記憶も薄っすらとあるから、余計に複雑な思いがあるんだと思うの」
わぁー、やっぱり大変なんだなって思いながら聞いていたけど、由香里さんはそのことで悩んでいるふうでもなく、ケロリとした口調で話している。
「そうよねぇ、四年生になってから、だんだんと幼さが抜けて、考え方とかもしっかりして来たっていうか、自立心が出て来たっていうか、そんな感じだよね」
西森さんも同調して、子供の成長していく様子を話している。
「じゃあさ、子供達にとって、結婚して良かった?」
普通ならこんなところまで訊きはしないだろう質問だけど、私と由香里さんの仲だから、あまり気にせずここまで訊いたのだと思う。それは自分の子育ての限界に不安になったから。
「あら? なあに? 美緒も結婚したくなったの? 私の場合は、子供達にとっても、私自身にとっても、結婚して良かったわよ。それも全部旦那のお陰だけどね」
由香里さんは幸せそうな笑顔で答えてくれた。私は良かったと安堵した気持ちとちょっぴり羨ましくなった。
「良かったね、いい人に出会えて」
「そうね。私は誰かさんと違って、運命の人と出会えることを諦めなかったもの」
由香里さんはそう言うと、私の心の中まで覗く様な眼差しで私を見て、ニッコリと笑った。
それは、もう結婚なんかしないと言っていた私への嫌みも込められている。それが由香里さんの心配している気持ちの裏返しの言葉だということぐらいは、分かっていた。
「どうせ私は、諦めてばかりですよ」
私は自嘲ぎみに呟いた。
「あら、美緒ちゃんはまだ若いんだから、これからいくらでも出会いはあるわよ。なんならパパに会社の人を誰か紹介してもらおうか?」
西森さんがニコニコと脳天気なことを言う。
彼女は分かっているのだろうか? 子供のいる私なんかを紹介してほしいなんていう人が、いると思っているのだろうか?
「こんな子持ちでもいいっていう人がいたらね」
私は自虐的に笑った。西森さんは少し驚いた顔をしたけれど、「美緒ちゃんは未婚だし、まだ若いから、必ず出会いはあるよ」と慰めるように言った。
その日拓都は、家へ帰る車の中からずっと今日の話をし続けた。よほど楽しかったらしく、特にキャッチボールが気に入ったようだった。
「ねぇ、ママ。僕の家にはパパは来ないの?」
家に着いてからも、今日のことを思い出しては話し続けていた拓都が、急にこんなことを訊いて来た。
その質問は昼間同じようなことを考えていたとは言え、拓都の口から出たことが衝撃だった。
「えっ?」
私は驚いて拓都を見た。
「陸君家には、パパが来たでしょう? だから……」
私の顔を見てまずいことを訊いたと思ったのか、拓都は慌てて言い訳の様に言った。
「拓都もパパが来てほしいの?」
私は、拓都の表情を見逃さない様に、見つめたまま訊く。
「ぼくね、キャッチボールがしたいんだ」
そうか、拓都はキャッチボールをしてくれるパパが欲しいんだ。
「キャッチボールなら、ママが相手をしてあげるよ」
私がそう言うと、パッと明るい顔になった拓都が「ママもキャッチボールできるの?」と訊いて来た。
一年生相手のキャッチボールぐらいできるでしょう。
「多分できると思うよ。ウチにはパパは来ないけど、拓都にはお空のお父さんがいるでしょう? それにキャッチボールならママがいるから、大丈夫だよ。今度西森さんところで、グローブとボールを借りて、キャッチボールしようか?」
私は心の中の動揺を抑え込んで、笑顔で拓都に話しかけた。拓都は嬉しそうに「うん」と頷いた。
拓都にとってパパという存在は、遊んでくれる大人の男性という認識なのだろうか?
今日、お友達のパパを見て、羨ましくなったのだろうか?
私は何とも言えない空虚感を感じながら、楽しそうにしている拓都を見下ろしていた。
そして、翌日、彼から届いた紅葉の山の写メール。
私が拓都の父親は必要か、なんて悩んでいたところに届いた写メールは、浮かれた恋心と現実の子育ての難しさの間で、揺れ動く私の心を余計に掻き乱した。
嬉しさの反面、恨めしさも募り、彼の真意はどこにあるのだろうと、届いた写真を見つめていた。
このまま返事をしない方がいいのか、私から始めた写メールなのに、何も返さないのは失礼なのか。
昨日撮った森林公園の写真を送ったら、彼はどう思うだろう?
二人で初めてハイキングに行った、あの森林公園の写真。彼もこの写真の意味を考えるだろうか?
私一人が思い出にしがみついているだけなのだろうか?
そして、考えれば考える程、彼への想いに囚われて、私は『森林公園も少しずつ紅葉が始まっていました』というメッセージと共に、写メールを送信していた。そんな私の心の中は、苦しさよりも、ドキドキと恋する乙女そのものだった。それは現実逃避なのかもしれないけれど。
*****
十一月七日日曜日、小学校の文化祭の日だ。こういう学校イベントには、必ず役員は駆り出され、役割を与えられる。委員会単位で仕事を割り振られ、広報はバザーの担当だった。
前日のバザーの値付けや陳列を担当する人、当日の販売を担当する人、最後の片付けと売上金の集計を担当する人に別れることになり、私は最後の片付けの当番になり、西森さんは前日の準備になった。
私はその日、後片付けの当番だからと午後から文化祭に行くことにした。由香里さんと西森さんも時間を合わせてくれて、三人で子供達の展示物を見に行った。
午前中子供達は体育館で観劇し、午後からは各教室に展示されている展示物の見学になっていたのか、子供達がグループ単位で見学に歩いているのに何度も遭遇し、先生達も子供達の様子を見守るため各教室を見て回っているようだった。
私達は、まず一年三組の展示物を見て回った。拓都の作品を見つけると、携帯のカメラで撮影した。一年生は、運動会の時の絵と書き方と工作、そして、親子学習会で作った折り紙作品。自分も一緒に作ったのだと思うと、なんだか恥ずかしい。
その後、四年生の教室を回っていた時、愛先生に会った。子供達と一緒に見て回っているようだった。私達は愛先生に軽く会釈して、特に会話をすることも無かった。その後バザーを覗きに行き、PTAの手芸クラブの作品展示を見て、最後にPTAの写真クラブの作品展示をしている部屋に入った。
「あれ? この写真、守谷先生が撮った写真だ」
西森さんが驚いた様な声を上げた。私はその声に引き寄せられて、その写真を見に行った。
それは、角度は違うけれど、彼が私に送ってくれた写メールの写真と同じ、あの山の紅葉の写真だった。よく見ると、他にも同じ山の紅葉の写真が展示されていた。
「あ、キャンプの時に一緒に来ていた先生達の写真もある。皆で写真撮りに行っていたんだ。仲がいいんだねぇ。あっ、やっぱり、愛先生のもある。守谷先生とよく似た構図だねぇ」
西森さんはいいことを見つけたと言わんばかりに、写真を見ながら嬉しそうに喋っている。
私の顔は一瞬強張ったと思う。その時由香里さんと目が合うと、慰めるような眼差しで、気にするなとでもいう様に首を横に振った。
だめだ。西森さんの前では笑顔でいないと。
彼女と行った時に撮った写真を送って来たんだ。
それだけで、あの写真には、何も意味がないことが分かる。
バカみたい。何を期待していたのだろう。
その後、何とか二人と笑顔で別れて、私はバザーの片付けに向かった。
売れ残った商品を段ボールの箱に詰めて、売上金の計算をした。五人でしたのですぐに終わってしまった。そしてバザー会場の戸締りをすると、解散となった。私は一人廊下をとぼとぼと歩いていると、「篠崎さん」と呼ぶ声に振り返った。
私の名を呼んだのは、ちょうど職員室から出て来た愛先生だった。
「篠崎さん、こんなに遅くまで役員のお仕事ですか?」
「そうなんです。バザーの後片づけの当番だったので」
「それはお疲れ様でした。そう言えば、私と篠崎さんが似ているっていう噂、ご存知ですか?」
今までほとんど話したことのない愛先生から声をかけられ緊張しているところに、いきなりこんなことを聞かれて驚いた。
「あ、はい。あの、運動会の時、愛先生と間違われて、先生のクラスの子供だと思うんですが、愛先生って呼ばれて抱きつかれて、びっくりしました。その子も違うと分かって驚いていたみたいだけど」
私はその時のことを思い出して、フフッと笑って言うと、愛先生も笑顔で「あ、私のクラスの子です。何処かのお母さんと間違えちゃったって言っていました」と嬉しそうに話す。
「それに、西森さんは最初から似ているって言っていたんだけど、運動会の時に、先生、髪を切られていたでしょう? あの時、私の髪形に似ていたからだと思うんですけど、沢山の人に似ているって言われました」
私は愛先生が笑顔で話してくれたので少し気が緩んで、話を続けた。
「そうなんですよ。私も髪を切った時に同僚の先生から誰かに似ているって言われて、そうしたら、一年生の担任の先生達から、三組の役員の篠崎さんに似ているって言われて、もちろん守谷先生も似ていると言っていたみたいです。それに篠崎さんを知らない先生まで、運動会の時に篠崎さんを教えてもらって見たらしくて、よく似ていたって言われたんですよ。篠崎さんは自分で似ているって思いますか? 私は良く分からないんです」
さらりと守谷先生の名前を出す愛先生は、とても可愛らしい人だった。声も私と違って少し高音の可愛い声で、話し方までも可愛く感じてしまう。きっと性格も素直で可愛い人なんだろうなと、話を聞きながら想像していた。
「私も似ているかどうか分からないです。でも、こうしてお話していると、雰囲気は全然違うなって思うんです。愛先生ってすごく可愛い雰囲気がするんですけど、私は負けず嫌いで、いつもしっかりしている委員長タイプって言われていました」
「いや、可愛くなんてないですよ。でも、篠崎さんはしっかりしている委員長タイプって、分かる気がします。そう言えば、篠崎さんって『みお』っていう名前なんですね。今日西森さんが呼んでいるのを聞きました。私の従妹の子供も『みお』っていう名前で可愛いなと思ってたんですよ」
「そうですけど、私の場合は名前負けですよ」
「そんなことないです。お似合いですよ」
こんな話をするために呼びとめたのだろうか?
私の名前の話をわざわざ出してくるなんて。もしかして、彼が私と似ているから間違えて呼んだとか?
妙な違和感を覚えながら、彼女に私との過去を話したのだろうかとか、これは彼女の牽制だろうかとか、嫌な想像までしてしまう。
少し話過ぎたと感じた私は、この辺で話を断ち切らねばと自分に言い聞かせた。
「あ、すっかり話し込んですみません。それじゃあ、これで失礼します」
「こちらこそ引き留めてすみません。今日はお疲れ様でした」
私達はそう言い合うと、そこで別れて歩き出した。
写メールのこと、愛先生のことがグルグルと脳裏を巡る。
私は大きく息を吐き出すと、玄関の方へと廊下を曲がった。すると、こちらへ向かって歩いてくる人に気付いた。
どうしてこのタイミングで会うかな?
本当に私の運命はどうなっているのだと恨みたくなる。
こちらへ向かって歩いて来た担任と目が合うと、彼は優しく微笑んだ。
その笑顔を勘違いしてはいけない。
少し速足で近付いて来た担任に「お疲れ様です。失礼します」と頭を下げて、通り過ぎようと歩調を早めた。すれ違う時、彼の顔を見ずに俯いたまま行こうとした私に、彼は「美緒」と呼んだ。
私は驚いて足を止めて顔を上げると、睨んでしまったのだろう。彼は少し怯んだ表情になった。
「守谷先生、失礼します」
私はもう一度、ハッキリとそう言うと、頭を下げて歩き出そうとしたその時、背後で足音が聞こえた。
「篠崎さん」
彼がもう一度私に呼び掛けた時、彼も足音が聞こえたのか、そちらに顔を向けたようだった。そしてその隙にもう一度「失礼します」と言うと、速足で玄関へと逃げだしたのだった。




