【二十九】彼女が髪を切った理由(わけ)
『もちろん、美緒ちゃんも一緒に話しに行ってくれるでしょう? 役員として』
私も一緒に?
全ての原因である私が、どんな顔して会えばいいの?
私は家に帰って来て落ち着くと、西森さんの言った言葉を思い出して、溜息を吐いた。
由香里さんったら全て分かっている癖にニッコリ笑って、「二人で話した方が真実味あるよ」なんて言うのだから。私の味方なんだか、面白がっているだけなんだか。
それでも、心配してくれていたのか、由香里さんから電話があった。
「美緒、千裕ちゃんと一緒だと、いろいろ大変だね。いっそのこと、千裕ちゃんに言っちゃえば?」
由香里さんは、西森さんより年上だから、西森さんを千裕ちゃんと呼ぶことにしたみたい。そんなことより、西森さんに私と担任の過去の関係を話せというの?
「そんなことできるはず無い! 千裕さんは信頼のできる人だけど、彼女がどんなふうに受け取るか分からないし。どこでどう広まるか分からないもの! これだけは、相手のあることだから、絶対に言わない!」
私は由香里さんの冗談のような提案に、本気で息巻いた。
私が良くても、彼にとっては不本意でしかない。ましてや今、付き合っている人がいるのだから。
こんなことを考えると、胸が苦しくなる。
この胸の痛みを感じずに、彼の恋を応援できる日は、いつ来るのかな?
「まあまあ、そんなに意気込まなくても! まあ、このことが広まれば、不倫騒動より大スクープかもね。人気の守谷先生の元カノが、自分のクラスの保護者だなんて」
由香里さんは、恐ろしい予測を苦笑しながら言う。
「分かっているなら言わないでよ」
「まあ、美緒は千裕ちゃんにお任せして、隣で笑っていたらいいから」
「笑ってなんかいられないけど、千裕さんにお任せして、余計なことは言わないつもり」
私が何か言うと、ボロが出そうで怖い。不倫騒動の件は知らないことになっているけれど、知っているのに知らないフリすることが多すぎて、いつか地雷を踏みそうな気がする。
「そうそう、それでいいのよ。それよりさ、愛先生って、どうして髪を切ったと思う?」
えっ? どうしてって……。そんなこと考えなかった。
「髪を切りたかっただけじゃないの? イメチェンとか?」
「普通さ、幸せにお付き合いしている女性があんなにバッサリ髪を切る時って、相手の好みに合わせた時か、失恋した時か、ケンカして相手の気を引きたくてわざと髪を切るとか、それとも、暑いのが苦手で切ったとか……って、これは、夏の初めならわかるけど、もう九月も終わりで、これから涼しくなってくるこの時期に切るのは変だと思うのよ。前は胸ぐらいまでの長さがあったよね。それを美緒と同じぐらい短くするなんて。ねぇ、美緒は守谷先生と付き合っていた時って、どんな髪型だったの?」
由香里さんは、もっともらしい講釈を述べながら、まるで愛先生が髪を切ったことに何か重大な理由でもあるかのように、推理しだした。
由香里さんったら、探偵かっていうの!
なにも理由が無くったって、切りたくなったら切るんじゃないの? と思いながらも、自分の時はどうだっただろうかと考えた。
彼と付き合っている時は、私の長い髪を彼が手で梳いてくれるのが気持ちよくて、切ろうなんて考えなかった。彼も「美緒のこの髪好きだから、切るなよ」って言っていたっけ。私が髪を切ったのは、彼と別れたからだ。
悔しいけど、由香里さんの言う通りだ。
「肩より少し長くて、少しウェーブがかかっていた」
私は正直に、あの頃の髪型を端的に言った。
「もしかして、愛先生の髪を切る前の髪型によく似ていた?」
こう聞かれるだろうことは、予測していた。だからと言って、それはたまたま偶然だ。
「ま、まあね。よくある髪型だしね」
「ふうん。なる程。そういうことか」
由香里さんは、名探偵が推理するが如く、全てを納得した様に呟いた。
「な、なによ、そういうことって!!」
私は由香里さんの呟きに、心を掻き立てられる。
「ねぇ、守谷先生はさ、ショートヘアーが好きな訳じゃないよね?」
私の質問には答えず、又何かを確かめる様に質問を重ねる。
「わからないよ。ただ、私には髪を切るなって、言っていた」
そう、このショートヘアーは自分への戒め。
「ふうん。……ということは、ショートヘアーは守谷先生の好みじゃないのに、愛先生は髪を切った訳だ」
「だから、切りたかっただけでしょう?」
「まあ、そうかも知れないね」
由香里さんは、又意味深にクスリと笑って、「そういうことにしときましょう」と言って、最後は濁す様にこの話を終わらせた。
電話を切った後、私は考えたくないのに、由香里さんの言った愛先生の髪を切った理由について、グチャグチャと考えている自分に気付いて、溜息が出た。西森さんと一緒に担任に話をしにいくことは、頭の片隅に追いやられていた。
愛先生が髪を切ったことに、何か理由があるのだろうか?
彼は愛先生に、髪を切るなって言わなかったのだろうか?
彼の好みが本当はショートヘアーだったのだろうか?
それとも、二人の間に、髪を切りたくなるような、何かがあったのだろうか?
私は頭を振った。よく分からないことを、グダグダ考えてもしょうがない。ましてや、彼の恋人のことなど考えたくない。今の私は、とっても心が狭い。
その日の夜、今度は西森さんからも電話があった。それは、藤川さんのことを担任に話すという件についてだった。
「美緒ちゃん、守谷先生にメールしたらね、電話がかかってきたから、藤川さんのこと、もう話しちゃったから」
あっけらかんと話す西森さんの言葉に、ホッとするよりも呆れてしまった。
それに、どんな顔して担任に会えばいいのだと、悩んでいた私の思考時間を返してほしいよ。
「それで、信じてもらえました?」
「うーん、信じてくれたのだろうと思う。気を付ける様にしますって言っていたけど……」
話をした西森さんが、担任の反応にイマイチ納得できていないようだった。
彼はどう思ったのだろう? 写真を送りつけたのは藤川さんだと思ったのだろうか?
「ほら、私達は写真が送られて来たこと、知らないことになっているから、守谷先生も返事しにくかったんじゃないかな?」
それに仮にも藤川さんは以前の保護者だ。変に疑うのも教師として辛いだろうし。
「そうだね。守谷先生からしたら、不倫騒動が起こっていることなんて、知られたくないだろうしね」
当事者の私には、特に知られたくないだろうな。
「そうだろうね」
私がしんみり返事を返すと、急に西森さんが明るい声で「ねぇ、ねぇ、美緒ちゃん」と呼びかけてきた。
「美緒ちゃんは、愛先生が髪を切ったのはどうしてだと思う?」
ああ、西森さん、あなたもですか。
「それ、由香里さんにも訊かれました」
私は溜息を吐きながら言った。
「あっ、やっぱり? 私もね、由香里さんに言われるまで、愛先生が髪を切ったことに理由があるなんて思いもしなかったんだけどね。でも、由香里さんの話を聞いたら、確かにって思ったのよ。女性にとって髪を切るって、よく失恋した時とかっていうじゃない? でも、キャンプの時、仲の良い雰囲気だったし、他に理由があるのかなって思って、守谷先生に訊いちゃった」
西森さん、訊いちゃったじゃないですよ。
いったい何を訊いたというのか。
「何を訊いたの?」
「ふふふ、守谷先生はショートヘアーが好みなんですかって」
やっぱり西森さんは最強だ。
「それで、何と答えたんですか?」
「その人に似あっていれば、どんな髪型でもいいですよ、だって」
西森さんは、少し声を低くして、担任の言い方をまねて答えた。
別に長い髪が好きだった訳じゃ無かったんだ。
私が何も言わずにいると、西森さんは私の反応など気にもせず、また話し始めた。
「それでね、じゃあ、愛先生のショートヘアーは似合っていると思いますかって訊いたのよ」
西森さん、あなたは、無敵ですか?
「そこまで聞いたんだ?」
「そうよぉ。聞きたいことは的確に、よ。そうしたらね、『似合っているんじゃないんですか? 皆の反応は良かったみたいですよ』って、かわされちゃったのよ」
西森さんよりも相手の方が上手ということだ。そうだ、彼はそういうあしらいは上手だった。
「へぇ」
何ともまぬけな返事をすると、西森さんは益々勢い込んで、「それでね」と言い募る。
「愛先生が髪を切ったら、やっぱり篠崎さんに似ていると思いませんかって、訊いてみたのよ」
西森さん、あなたは、悪魔ですよ。それを訊いたんですか? 彼に。
私は西森さんの無邪気さが、怖くなった。知らないこととは言え、私のことは担任との話の中に出さないで欲しい。
「そうしたらね、今度は認めたのよ。似ているって!!」
西森さんは勝ち誇った様に言った。よっぽど、最初に似ているって認めてもらえなかったことが恨めしかったのだろうか。
でも、認めたんだ。
心の中で、得体の知れない感情がうごめき出したのを感じた。
二人で撮った数々の写真(今はもう消してしまって無いけれど……)の記憶の私の顔が愛先生に置き換わっていく。
私に似ていたから?
それとも同じようなタイプが好きになるタイプとか?
どこか自惚れと、自嘲と、複雑な感情が入り混じって、私の胸を覆い尽くす。
あなたは、愛先生を見て、私を思い出したりはしないですか?
こんなことを考える自分を嫌悪して、私は溜息を吐いた。
西森さんが又何か言っているけれど、よく聞こえない。
「……だからね、最後に早く藤川さんのことが解決するといいですね。愛先生の為にもって言ったらね、そうですねって、否定しなかったのよ。やっぱり、付き合っているのは、本当だね。あんがい、守谷先生の方が、ショートヘアーが似合うんじゃない? とか言ったんじゃないのかな」
西森さんの言葉が頭の中を通り過ぎていく。私は曖昧に返事を返しながら、電話を終えた。
別に、今更ショックを受ける様なことじゃない。
分かっていたこと。
彼の幸せを祈るのだから、愛先生とのことも、認めて受け入れて、二人の幸せを願わなくては。
そう自分に言い聞かせる言葉は、虚しいだけだと、自分自身が一番よく分かっていた。




