第4話「退屈な日常に、ほんの少しの英雄をどうぞ」
「もとの世界に戻る? なにそれ」
資材置き場のすぐ近くからひとつの声が聞こえた。とても綺麗な、しかもどこかで聞いたことのある声だ。
シズクは慌てて周囲を探す。すると、資材置き場から少し離れた場所にある、校舎と校舎をつなぐ渡り廊下にひとりの少女が居るのに気づいた。――美凪桜花だ。
桜花は何やら白い袋を持ってこちらを見ている。
「な、なんだ桜花か。びっくりした」
「いきなり下の名前で、しかも呼び捨てなのね。ま、いいけど。それで、もとの世界って?」
サイドテールの先端を人差し指でくるくると弄びながら、聞いてくる。
「もとの世界はもとの世界だ。にわかには信じられないと思うが、俺は別の世界から来たんだ。だから、帰る。もとの世界へ」
「ふーん、確かに信じられないわね。そんなこと。ファンタジーじゃないんだから、ありえないでしょ、って思う」
予想した通りの返答だった。魔術が一般的な世界の住人であるシズクでさえこの現象を信じることができなかったのだ。それなら、魔術などという概念のないこの世界の住人なら、もっと信じることはできないだろう。しかし。
「けど、なんとなく分かる気がするわ」
「へ?」
シズクは目を丸くして桜花を見やる。
「今のあんたは変わりすぎてる気がする。もう人格レベルで違うみたいに。最初は英雄とか訳わかんないこと言う中二病みたいなやつかとも思ったけど、それとも違う気がする。一昨日までの橋崎と昨日からの橋崎は本当に別人みたいに見える」
表情を変えることなく桜花はそう口にした。
「そ、そうか……。まさか信じてもらえるとは……」
「いや、だから信じてはないって。ただ、なんとなくそんな気がするだけだっての」
その違いがよく分からないシズクだが、『なんとなく』でも誰かに自分を分かってもらえたのは少しだけ嬉しかった。
と、その時、ぐぅううう、とシズクの腹が鳴った。
「ん? なに、ご飯食べてないの?」
「ああ。朝からなにも食べてない。近くに酒場でもあれば安い肉でも食べたんだけどな」
「酒場ってあんたね……。もしよかったら食べる? 少しなら恵んであげてもいいけど」
そう言って、桜花は白いビニール袋をちょっとだけ持ち上げる。
「い、いいのか!? え、マジでいいの?」
「なによ、嫌なの?」
横目でシズクを捉えた桜花は、可愛らしく悪戯に唇の端を釣り上げる。
シズクは全力で首を横に振る。
「まっさか。とんでもない。是非、是非に頂こう!」
言うが早いか、シズクは桜花のもとへ駆け寄る。
桜花とシズクは、校舎と渡り廊下をつなぐわずかな段差に腰掛ける。
がさごそと袋をあさり、桜花が焼きそばパンを手渡した。
「おお、ありがとな、桜花。初めて見るぞ、これ。焼きそばパンって言うんだろ?」
「ええ、そうよ。食べたことはないのね」
「まあな。知識としては知ってるけど、食べるのは今回が初めてなんだ。サンキュな」
巻かれているラップを剥ぎ取り、シズクはほのかな温かみのある焼きそばパンを口に運ぶ。程よいしょっぱさと紅しょうがの酸味が口の中に広がる。シズクのいた世界では堪能したことのない味だ。
「うっわ、うまい。なんだこれ」
「ほ、本当に別人レベルね、あんた」
シズクは数回咀嚼した後、ごっくんと飲み込み、隣でサンドイッチを食べている桜花にふと気になったことを聞く。
「別人レベルって、もともとのこの世界の俺って一体どんなやつだったんだ?」
涼乃にも桜花にも、加えてツンツン髪の少年らにも言われた言葉――変わったな、別人みたいだ。世界が違うだけで結局は同じ見た目で同じ名前の人間なのだ。そこまで違うものなのだろうか。
「そうねぇ。私もあんたと特別親しいわけじゃないのよ。話したのだって昨日が初めてだし。でも、私から見た普段のあんたの印象は、友達がいなくて不良に絡まれやすい、かな」
「な、なんだ、それ……」
「あ、その不良がさっきの連中よ」
シズクはさっきの三人のことを思い出す。
「何だか結構残念な日常だったみたいだな」
「そうね、あんたも残念な日常よね」
シズクは苦笑するが、桜花の言葉が気になった。
――あんた『も』?
問うてみようと思ったが、やめておくことにした。聞いたところでシズクには何もできないし、桜花が誰のことをどんな気持ちで言っているのかも分からないからだ。分からないだらけのことに、ずけずけと入り込むのは良くないだろう。
などと色々考えていると、鐘の音が響いた。どうやら昼休みも終わりのようだ。
隣に座る桜花はすっと立ち上がると、スカートを軽く払う。
「そんじゃ私そろそろ戻るわ。あんたは?」
「ああ、俺も戻るとするよ。パン、ありがとな」
「そうね。それじゃ、いつかお礼してもらおうかしら。ちゃんと覚えとくのよ」
桜花はビシッとシズクに指をさす。
「うげっ、くれたんじゃないのか!? ……ま、まあいいだろう。いつかこの礼はするよ。借りは返すのが、英雄の器ってやつだ」
「その英雄っての、聞いてるこっちが恥ずかしいわね。向こうの世界でも浮いてたんじゃないの、それ?」
「あ、そ、それは……」
脳裏にミアラとフィール、それから街で出会った友人たちの反応がよぎる。皆一様に同じ反応だったのは確かだ。
シズクの微妙な態度を見抜いたのか、
「あ、図星なんだ」
「は、はあ? 別に浮いてなんかねぇし! 俺が英雄になる、って言うと、みんながちょっと面倒くさそうにあしらってくるだけだし!」
「だからそれを浮いてるって言うのよ、あんた」
「うぐぐ…………っ」
言い返す言葉を検索するが、ロードに時間がかかりすぎて思うように言葉が出てこない。
「あんたみたいなのこの世界でなんていうか教えてあげるわ」
「何だよ? 英雄、もしくは勇者か?」
「馬鹿、全然違うわよ。――中二病って言うのよ」
「ちゅ、中二病?」
桜花はそうそう、と首を縦に振る。
「だからまあ、これからはそう言う言動は控えたほうがいいわよ。それじゃ、私はそろそろ行くわ」
「ああ、待て俺も行く。ていうか、俺の願望をそんな病みたいに言うな!」
くるりと身を翻した桜花の後を追って、シズクも教室へと戻る。
何かを忘れているような気がしないでもなかったシズクだが、気のせいだろうと深くは思い出さなかった。
***
その日の放課後。昼休みにやるはずだった資材置き場のごみ捨てをやっていなかったことが涼乃にばれ、シズクは涼乃の監視のもと、ひとりでゴミの片付けをしていた。
技能主事のおじさんのいる技能主事室は、資材置き場の反対の場所にあるため、往復する距離は結構なものだった。
「おーら、橋崎。もー少しだぞ~」
気の抜ける涼乃の声が響く。
シズクは画用紙や木材を運びながら、誰に言うわけでもなく呟く。
「くっそ、なんでこんな目に……」
思い通りに動かない体を懸命に動かし、技能主事のおじさんのところまで運ぶ。
無愛想な技能主事のおじさんはシズクからゴミを受け取ると、無言で分別し、ゴミをまとめる。そして、またシズクはゴミを運ぶために資材置き場へ。
これでは冒険者ではなく労働者だ。
今日学んだことは、この世界では、平日は毎日学校へ行かなければならないということ。そして、遅刻をすれば例え将来英雄になる人間でもペナルティを受けなければいけないということ。
シズクは額に滲んだ汗の雫を制服の袖でぐいっと拭う。そしてそのまま、拳を作り叫んだ。
「ぜ、絶対、もとの世界に戻ってやっからなぁああああああああああああッ!」
こんにちは水崎綾人です。
この世界でも英雄を目指そうとしていたシズクですが、結局のところ元の世界に帰ることを選択してしまいました。これからどんな方向に展開していくのでしょうか、お楽しみに!
それでは、また次回!