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ヒロイック・セレクト  作者: 水崎綾人
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第2話「導き出される可能性」

 少女が足を止めたのは公園だった。滑り台やシーソー、ブランコなど一通りの遊具が設置されている。



 しかしもうすぐ夕日も沈みそうなためなのか、子供の姿は見受けられない。代わりに犬の散歩をしているおばさんが数人、まるで井戸を囲むように小さな輪になって話している。


 滑り台の前で息を整えるシズクと少女。

「あ、あんた……なにやってんのよ……」

 膝に手をつき、少女が息切れしながら言ってくる。

「お、お前こそ、何すんだよ、あの宿に泊まれなくなったじゃねぇかよ……」

 引っ張られていただけだというのに、なかなかの量の汗をかいてしまった。シズクは額から吹き出る汗を制服の袖で乱雑に拭う。

「は、はあ? あんたこそ何言ってんのよ。あそこに泊まるとか馬鹿じゃないの?」


「ば、馬鹿とは失礼な! いいか、よく聞いておけよ。俺はいずれ英雄になる男だ。それなのにッ、馬鹿とは何だ馬鹿とは!」


「あ? 何言ってんの? 全然意味わかんないんだけど!?」

 一蹴されてしまった。だが、これくらいではめげない。シズクはミアラやフィールにも似たようなことは散々言われ続けてきたのだ。

「ま、まああれだ。何か知らんが、ちょっとくらい恥ずかしかったからって、そこまで気にすることじゃないだろ、うん」

 シズクは腕を組み、数回頷く。実際、彼女がなんであそこまで怒っているのかまだ分からない。


 言った瞬間、金髪の少女ははっと目を丸くし、数分前よろしくシズクの胸ぐらをがしっと掴んだ。同時に、シズクの口から「うぐっ」という苦悶の声が漏れる。

「え、何、何言っちゃってるわけ、あんた! あんたと一緒にラブホの前にいたなんて、私からしてみれば最悪なことなのよ! わかってんの!」

 頬を紅潮させながら、まるでガラス玉のような綺麗な目で睨めつけられる。

「お、おう。そうだな! その通りだとも。よ、よし分かった。そんなに恥ずかしい思いをしたのなら、謝ろうじゃないか」

少女はシズクの顔を見つめながら小首をかしげる。

「謝る?」

 シズクは「ああ」と首を縦に振り、胸ぐらを掴んでいる少女の手を解く。そして喉の調子を確かめるように空咳を数回。大きく息を吸い、形だけの誠意をもって声を上げる。

「この度は、お前の前でラブホに入ろうとして申し訳なった。ついでに、一緒にラブホに泊まろうとか言ってしまってすまなかった」

 シズクは深々と頭を下げる。


 よし、これであいつの怒りも収まっただろ、と心中で独り言ち、下げた視線を上げる。が、シズクの目に映ったのは、予想とはかけ離れた姿だった。


 少女は顔を赤く染め、プルプルと震えながらシズクではなく、ベンチの方を見ている。そこには犬の散歩をしているおばさんたちが何やらヒソヒソと話している姿があった。


 わずかに耳を傾けると、「聞きましたか、ラブホですってよ」「はいはい聞こえましたとも。高校生でラブホ。ああ、最近の若い子ときたら」なんて聞こえてくる。


 少女は再びシズクに目線を戻し、

「あんたふざけてるでしょ、いや、もう絶対ふざけてるでしょ! 何、なんなのよ! あそこのおばさんたちに噂されてるじゃないのぉ! ああああああ……!」

 金髪少女は頭をブンブンと振り、うなだれる。何だかますます怒らせてしまったようだ。

「なんか、ごめん」

「軽ッ! さっきよりも軽ッ! あああ、もう謝んなくていいわよ。一度謝ったんだし。それに、学校で噂されなければいいし」

 最後にはあ、と諦めたように深くため息を吐く少女。一応は許してもらえたらしい。


 シズクは話題を変えるために質問をひとつ。

「そ、そんなことより、お前はなんで俺をつけてきたんだ?」


「ああ、そうだった。あんたに聞きたいことがあるんだったわ」


「聞きたいこと? 何か質問でもあるのか? いいだろう。未来の英雄である俺が何でも答えてやろう!」

 と言っても、シズクに答えられる自信はない。なにせ、分からないことの量で言ったらシズクの方が圧倒的に多いはずだから。

「なにそれ、うざっ。あんた、そんなキャラだったっけ? まあいいや。あの、さ。あんたがさっき黒板の前に立ってた時なんだけどさ。私、窓の鍵を閉めてたからしっかりとは見てないんだけど、視界の隅であんたが紫色の光に包まれたように見えたんだけど、あれって何?」

 どことなく気まずそうに聞いてくる少女。

「紫色の光……?」

 その色の光には覚えがある。あの時、ミアラやフィールとともに、異世界から勇者を呼び出そうと儀式を行ったときの光だ。だが、その儀式とシズク自身に一体どんな関係があるというのか。


 背中に冷たい汗が流れる不快な感覚を味わいながら、少しだけ思案を巡らせる。


 一瞬、薄らと嫌な予感が脳裏をよぎった。が、そんなわけはないと首を振る。

「橋崎?」

 心配そうに少女が漏らす。しかし、シズクの反応はない。

「ねえ、橋崎ってば」

 とん、と肩を叩かれ、シズクは呼ばれているのが自分だということに気がついた。

「あんた、どうかしたの?」


「あ、いや。橋崎って呼ばれ慣れてなくて。自分のことを呼んでるって思わなかった」


「いや、あんたいつも橋崎って呼ばれてんじゃん」

 猜疑に満ちた目を向けてくる少女。

「あ、ああ、そうだっけか。ははは、どうしたんだろ、俺……」

 ぎこちなく苦笑し、ぽりぽりと後頭部を掻く。先ほど脳裏をよぎったあの嫌な予感が、頭からこびりついて離れない。嫌な予感だけに、それが現実になりそうで怖いのだ。


 言い知れない恐怖ゆえ、シズクは今まで以上に、今の状況が夢であると心中で自分に言い聞かせる。いや、むしろ夢でなければ困る。夢であってくださいと願ってしまうほどだ。

「そういえば、お前の名前ってなんなんだ?」


「へ? 名前? 美凪桜花(みなぎおうか)だけど。名前知らなかったの? ま、話したことないし知らなくても無理はないけどさ」


「あ、えっと……あれだよあれ。ど忘れってやつだって」


「ふーん。まあ、いいけど。今のあんた、何か人が変わったみたいね。まるで別人みたいだわ」


「…………っ。そう、かな」

 桜花は半眼でシズクを見据えた。まるでシズクの奥の何かを探るように。

「まあ、いいわ。あんたに言いたいことはもうひとつあるのよ」


「へ?」

「日直。あんたが先帰ったから残りを全部私ひとりでやったのよ。だから、次日直が回ってきたら橋崎ひとりでやんなさい」


「お、おう……」

 有無を言わせぬ圧力を感じたシズクは、唯々諾々と首を縦に振った。

「それじゃあ、私帰るけどあんたは? 確かあんたも寮だったわよね?」

「寮?」

 耳馴染みのない言葉だった。少なくともシズクが今まで生きてきた中では聞いた事のない単語だ。だが、不思議とどういうものか理解できた。自分でも分からない。


 と、その瞬間。シズクの脳が疼いた。内側から何かが響くような痛みが襲ってくる。それと同時に、自分の帰るべきところが桜花の口にしたその『寮』であることが無意識に分かった。


 なぜ分かったのか、シズク本人にも理解できない。ただ、帰る場所が寮であるということが無意識に分かった。

 シズクは手のひらで額を押さえ、桜花に答える。

「ああ、そうだな。俺も寮、だな……」

 変に気を遣われないように愛想笑いを浮かべるシズク。


 胡乱な目でこちらを見てくる桜花だったが、「そう」と一言言うとくるりと身を翻し、公園から出ようと足を動かす。


 シズクはそれを追って公園を後にした。





 寮に着くまで、シズクと桜花の間に会話はなかった。


 どんな話をしていいのか分からないし、今は話をするほどの余裕はシズクにはなかった。桜花も特に話しかけてくることはなかった。


 寮、と呼ばれるそれは、八階建てのマンションのような見た目だった。恐らく、学生専用のマンションなのだろう。


 シズクと桜花は無言のままエレベーターへ乗り込む。


 初めてエレベーターに乗るシズクは、内心ドキドキしていた。鉄の箱に乗ってどうするのだろう、と。

「あんた何階?」

 唐突に桜花が聞いてきた。返答に迷うシズクだったが、

「ご、五階」

 無意識に浮かんだ階数が口から出てしまった。


 桜花はシズクが答えた階数のボタンを押し、次に自分の階数である六階を押した。


 エレベーターの扉が閉まり、上昇を始める。

「お、おおっ! 動いたぞ、これ動いたぞ!」

 驚きと恐怖でシズクが叫ぶ。人が乗るもので垂直に動くものに出会ったのは、今回が初めてだ。

「いや、エレベーターなんだし当然よ」


「え、えれべたー?」


「エレベーター。あんた、大丈夫?」


「ああ。もちろんだとも! これはあれだ、ほら。場を和ませるためにあえて、さ」


「和ませる? めっちゃ足震えてるけど、あんた。和ませようとしてる本人が一番和んでなくない?」

 言われてシズクは自分の足を見る。本当にガクガク震えていた。だが――。

「いやいやいや、震えてないから。これは足の運動だから」

強がってしまった。

「随分と小刻みな運動なのね」

「だ、だろぉ?」

 などと話していると、エレベーターが五階で止まった。重たい鉄の扉が開く。

「ほら。五階よ。降りなくていいの?」

「お、降りるさ」

 シズクはエレベーターから降りる。

「じゃあね、橋崎」

 少女がそう言うと、エレベーターの扉は閉じ、再び上昇を始めた。


 五階の廊下に取り残されたシズクの視界に広がるのは、同じような形をした扉、誰もいない廊下、それと夜空に浮かぶ月と星。


 恐る恐る廊下を進んでみる。各部屋の扉には誰が住んでいるか一目で分かるように、表札のようなものがかけられている。


 その中には当然、『橋崎』と名前の書かれた扉もある。五○六号室だ。


 シズクはゴクリと唾を飲み込み、ドアノブに手をかける。だが、鍵が掛かっているため、ドアノブは回ろうとしない。


 どうしたものかと、シズクは自分の体をあちこち触ってみる。すると、胸のあたりに小さな硬いものが入っていることに気がついた。


 おずおずと制服の内ポケットに手を伸ばすシズク。そこには銀色の鍵がひとつ入っていた。シズクは鍵穴にそれを入れ、時計回りに回す。ガチャン、という音とともにロックが解除される。


 再度ドアノブに手をかけるシズク。今度はすんなりと回り、五○六号室の扉が開いた。


 ゆっくりと覗き込むように部屋の中を見る。日が沈んでいるということもあり、視界に映るのは闇色の室内。そこはかとなく恐怖を感じたが、シズクはひとつ大きく息を吸って部屋に入ることを決意する。


 玄関に入ると、そこには使い古された二足の靴が多少乱雑に置かれていた。どうやら部屋に上がる前に靴は脱ぐものらしい。


シズクは靴を脱いで部屋に上がり、真っ暗な奥の方へ進んでいく。時折何かにぶつかりながら、壁に手をついてひたすら前に進む。


すると何かに手が触れ、パチ、と音がした。かと思えば、部屋全体に明かりが灯り、夜なのに昼のような明るさに包まれる。


 いきなりの光に目が眩んだシズクは、目を細めながら天井を仰ぐ。見たところ、光源は天井にくっついている白い円板状のものらしい。

「すっごいな、ここ」

 シズクのいた街では、夜はランプがなければ明かりなどなかった。


 明かりが灯ったことで、シズクは改めて室内を見渡してみた。ベッドや本棚、それからテーブルや机などがある。だが、それ以外のものはシズクの知らないものだった。


 シズクは脱力するようにため息を吐くと、どさっとその場に座り込んだ。次いで、自分の頬を最大の力でつねってみる。


 夢の中なら痛みは感じないと前にミアラから聞いたことがあるのだ。しかし……。

「あ痛い、痛い痛い痛い痛い痛い! 痛いッ!」

 ものすごく痛かった。

「…………ってことは夢じゃない……のか……?」

 シズクはがっくりと頭をたれながら、ゆらりと立ち上がる。そのままゆらゆらと壁際まで移動し、白い壁に両手をつく。


 今まで考えないようにしてきた嫌な予感が、現実に変わってしまった気がしてならない。


 見知らぬ街、服装、手にした覚えのない硬貨、なぜか読めてしまう知らない文字。




 これは――。



 ずきん、と脳の奥で鋭い痛みが走る。


 シズクは右手を顔に当て、ゆっくりと呟く。


「まさか……ここは異世界、なのか」


 もうそう考えるしか納得がいかなかった。


 あの時、ミアラとフィールとともに異世界から勇者を転送させようと儀式をしたのに、実際に転送されたのはシズク自身。それもシズク本人の体は一緒じゃない。別の世界の住人の橋崎静久の体に意識だけが宿ってしまっている。

「これが……異世界転送……なのか」

 ミアラは言っていた。異世界召喚の魔術は高価だし、もとの世界の体を消滅させなければ異世界から人は呼べない、と。だがしかし、異世界転送なら安価であり、もとの世界の体を保持したまま呼ぶことができる。


 つまりは、シズクは向こうの世界に自分の肉体を置いてきぼりにした状態で、意識だけ別世界に飛んでしまったということになる。


 またも脳に痛みが走る。


 意識しないようにしていたが、頭痛がするたびに自分の知らない知識がシズクの中に流れ込んでくる。


 シズクは肩越しに振り返り、見たことのないはずの物体に向かって上擦った声を放つ。


「あ、あの黒い棒状のものは何だ――リモコン。な、なら、あの大きな板は何だ――テレビ。あの折り畳まれてる薄い塊は――パソコン。知らないはずなのに、どうして……」


 おそらくは、体すなわち脳が、もとよりこの世界に存在していたからだろう。だが、自分の知識ではない知識があるというこの状態は、シズクにとってひどく気持ちの悪いものだった。


 近くにベッドがあったため、シズクはベッドに体を沈める。通っていた宿屋のぺったんこの布団とは比べ物にならない程のふかふかさに驚きながらも、シズクはしばし考えた。

「どうすりゃいいんだよ……」

 きっと、もとの世界に戻ろうと思うのが普通なのだろう。


 けれど、


「戻るつっても、戻り方が分かんねぇ……」


 今のところ、もとの世界に戻る方法は皆目見当がつかない。


 しかし、短い時間だったが街を歩き回ってみて、シズクはとても新鮮な気分になれた。車という見たこともないものを見ることもできたし、別の世界の街がどうなっているのかも知ることもできた。

「あ、そうだ。戻り方が分かるまで、この世界で英雄を目指すってのはどうだろう。この世界だとモンスターも出ないし、向こうの世界よりも少しは楽だろ」

 安直な考えだと思うが、戻り方が分からない以上、自分のやりたいことをやった方が良いに決まっている。


 それに考え方にもよるが、元々勇者を呼ぶために異世界転送の儀式を行ったのだ。その結果として転送されたのがシズクなのだとすれば、それは逆説的に勇者とはシズクのことではないのだろうか。などと、自分に都合のよい考えをあれこれと巡らせる。

「でも、モンスターのいない世界で英雄ってどうやったらなれるんだろ?」

 思案してみるが、いまいち妙案が出てこない。慣れない現象のせいで疲れているというのもある。体がというよりは精神的に。



 色々と考えているうちに、自然とシズクの意識は遠のいていく。柔らかなベッドに包まれ、その意識は深い眠りの海の底へ導かれていく――。



 お久しぶりです、水崎綾人です。

 異世界転送という魔術の効果を身を持って体験しているシズクですが、今後どのような経緯をたどっていくのでしょうか。楽しみにして頂けると嬉しいです。

 それでは、また次話でお会いしましょう!

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