第23話「終わりが来る日常」
美陽との戦いの後、シズクたちは校内で起こした不良たちとの喧嘩が発覚し、三日間の停学となっていた。しかしながら、廃部になることはなかったため、シズクたちとしては停学処分には文句はなかった。
三日後、シズクは久方ぶりに制服に袖を通した。シズクは今もこの世界にいる。停学中の三日間を使って向こうの世界に戻る方法をあれこれ模索したが、やはりそう簡単には見つからなかった。
「はあ……。そう上手くはいかないよな……」
スマホをポケットしまい、カバンを右手に持つ。冒険者だったシズクも、この世界では普通の高校生。この世界の生活にも慣れてきている自分が怖いが、橋崎静久という人間の体を借りている以上、文句を言える立場ではない。
すると、ピンポーン、とインターホンの音が響いた。いままで一度も鳴ったことのなかったインターホンに驚きつつも、シズクは玄関へ急ぐ。
「はーい、どちら様で……、って、桜花」
扉を開けた先に立っていたのは桜花だった。今日も肩まである艶やかな金色の髪を右側頭部で一つにまとめ、緑色の澄んだ瞳をしている。その姿は初めて会った時と変わらない。
「どうしたんだ、お前。なんで俺の部屋に?」
聞くと、桜花はシズクから目を背け、前髪をくるくると人差し指に巻きつける。
「あ、えっと……その……。あれよ、あれ。停学明けだから、あんただって学校行きにくいでしょ? だから一緒に行ってあげようかと」
「あん? なんだそれ? ははーん、わかったぞ。さてはお前、英雄であるこの俺と一緒に学校に行きたいんだな? 久しぶりに学校に行くのが怖いんだろー?」
煽るようにそう言うと、桜花は顔を真っ赤にしてシズクに一歩詰め寄る。
「はあ!? 全然怖くないし、別にあんたなんかと一緒じゃなくても、私は全然平気なんだから!」
「分かった、分かった。そんなに激しく否定しなくても大丈夫だっての。俺も久しぶりに学校に行くんだ。一人より二人で行きたいと思ってる。むしろ、一緒に行こうぜ」
「へ? あ、……そうね。そうしましょう」
拍子抜けしたように頷く桜花。
既にカバンを持っていたシズクはそのまま部屋から出ると、学校へと続く道を歩いた。
ふと見上げた空は、雲ひとつない晴天だった。爽やかな春の風には、もうじき終わりを迎えそうな桜の花びらが舞っている。
「橋崎。先週はありがと。その……助けに来てくれて嬉しかったわ」
桜花は少しだけ頬を紅潮させ、目を伏せた。
そんな彼女の様子に、シズクも変に照れてしまい、桜花から目を背ける。
「別に礼を言われるほどのことじゃないだろ。お前も大切な仲間で、オカルト部の一員なんだ。助けるのは当たり前だ。ひとりで辛い思いをしてるのなら尚更」
「そっか。……ありがとね」
桜花は顔を伏せたまま、にこりと破顔した。続けて、何かを思い出したかのように、桜花は横目でシズクの顔を見る。
「そういえば、あんた、先週何日が学校に来てなかったけど、なんかあったの?」
シズクは、「あー」としばし逡巡した後、適当な言い訳を探す。
「別に何もないさ。ちょっと体調不良とかそんな感じのやつで寝てたんだよ」
「体調不良ってあんた、異世界人の一人暮らしなのに大丈夫なの、そういうのって……」
「まあ、何とかなるんじゃないか? ほら、俺、将来英雄になる男だし」
「はいはい、中二中二。でも、もし本当に風邪とかで具合悪くなったら言いなさいよ。その時は、……その、看病とかしてあげても……いいんだから」
予想していなかった返答に、シズクは分かりやすく動揺する。頭を掻きながら、あちこちに目が泳ぐ。
「え、あ、いや、そうか。そんじゃあ、……もしそうなったらお願いするわ、桜花」
看病するなどと言い出すなんて、一体どういう風の吹き回しだろうか。もしかしたら、桜花の方が熱があるのではないかと疑いたくなってしまう。
桜花は恥ずかしさを拭うためなのか、大きめのため息をひとつ。
「しょうがないわねぇ。その時はやってあげようじゃないの」
「いや、ちょっと待てよ。お前の方からやってあげる言ってきたのに、なんで『渋々引き受けてあげた』みたいな感じなんだよ!?」
「べっつに~、全然そんな風に思ってないわよ。もし心配なら、早めに風邪でも引いて看病でも頼んでみたら? その時の私の態度で渋々かどうか分かるんじゃない?」
殊の外恐ろしい提案に、シズクはすぐに首を振る。
「なんか嫌な予感しかしないからそれはパス。てか、なんで看病されたいがために、わざわざ風邪引くんだよ!」
「あっそ……」
チッと舌打ちをして桜花はそっぽを向いた。またも想定外の反応に、シズクは当惑する。
「おい! なんで不機嫌そうになった!?」
「なってないわよ。そんなことより、早く学校行きましょ。このままだと遅刻しかねないわよ、シズク」
「ああ、そうだな。急ぐか――って、今なんて?」
聞き間違いだろうか。桜花がシズクのことを『橋崎』ではなく『シズク』と呼んだふうに聞こえた。
「だ、だから、シズクって言ったのよ! 悪い!?」
「いやいや悪くはないけど、なんでまた突然」
「だって、あんたは私のこと下の名前で呼んでるし、それにあんたの向こうの世界での名前ってシズクなんでしょ? 昔よく言い間違ってたじゃない。だからその……私も下の名前で呼ぼうって思ったの!」
「まさか、桜花からシズクと呼ばれる日が来るとは思ってなかったなあ」
自分の正体を知っていて、尚且つ名前で呼んでくれる。それは、自分という存在を理解し、認めてもらえたように感じた。橋崎静久という外見ではなく、シズクというこの世界に体を持たない存在のことを。そう考えると、シズクは何だか嬉しくなった。
「なあなあ、もう一回呼んでみてくれないか?」
「はあ? し、シズク……。これでいい?」
「おおー、何だか感慨深いな。もう一回頼む」
「か、からかうなぁあああ! ふざけてるなら呼ばないわよ。ていうか、早く学校に行かなきゃ間に合わないっての!」
***
休み時間になると、何人かの生徒に「悪かった橋崎!」「間違った情報に踊らされてた、すまん」など、先週までの陰口のことを謝罪された。
なんでも、生徒会に復帰した生徒会長が今朝の生徒会新聞で、オカルト部への謝罪記事と先週までの悪意ある記事について謝罪したらしいのだ。それによって、クラスメイトは今までの自分たちの行動が卑劣なものだと理解したらしい。
今でもあの時のことを思い返せば、自然と苛立ちがぶり返すが、シズクはそれらすべてを水に流すことに決めた。
一度やってしまったことが間違いだと分かっても、人間は存外に誤りを認めたくないものだ。にも関わらず、こうして謝ってくる人がいる。それだけでシズクの心は暖かくなった。この世界の人間にも、優しくて温かな人はたくさんいる。
この世界も、悪くない。
放課後になり、シズクたちは部室に集まった。こうして部室に集まるのは、美陽との戦い以降初めてだ。
「何だか、こうして何事にも追われずに部室に来るのは久しぶりだなぁ」
シズクは椅子に座りながら体を伸ばす。
「そうだな、橋崎の言うとおりだ。こんな穏やかな部活は久しぶりだ」
琴夏がゲーム機を片手に同調する。その近くでは、明日香が漫画を読みながら「そうですねー」と頷いた。相変わらずオカルトに興味のないオカルト部だ。
それを見かねたのか、結依がぱんぱんと手を叩いて立ちあがる。
「みなさん、あんまりダラダラしないでくださいよ。せっかくいつも通りに部活できるようになったんだから、七不思議の続きやりますよ」
琴夏と明日香がそろって「えー」と唇を尖らせた。が、すぐにゲーム機を置き、無造作に後頭部をぽりぽり掻く。
「しかたねぇな。それじゃ、部活やるか」
「そうですね。そのためにも、城河先輩から部活と桜花先輩を取り返したんですし」
言って、明日香も漫画本を机に置く。
「あれ、そういえば橋崎さん。桜花さんはどこに行ったんですか? 見当たりませんけど」
ぐるりと部室を見渡した結依が聞いてきた。そう、桜花はまだ部室に来ていないのだ。
「桜花はあれだ。退部届書くときに判子を貰ったらしいんだけど、結局辞めないことにしたから、判子を押してもらった先生に一言報告しに行くって言ってたぞ」
真面目すぎる気もするが、そこが桜花の良いところなのかもしれない。中学のいざこざも、チームを強くしようという真面目さから来たものだ。結果としてその真面目さが、美陽からの恨みを買ったわけだが、桜花のその性格そのものは悪いとは思えなかった。
すると、ガラガラと扉が開いた。
オカルト部全員の視線が扉の方へと向けられる。見れば、カバンを片手に持った桜花が、額に汗をにじませていた。息が上がっているところを見ると、廊下を走ってきたのだろう。
「すみません。ちょっと遅れちゃって――って、まだ始まってなかったっぽいですね」
安心したような声音でそう漏らす桜花に、シズクは優しく聞いた。
「報告は終わったのか?」
「ええ。まあ、判子もらった先生って二人だからそんなに大変なことじゃなかったけど、とりあえず終わったわ」
カバンを机の上に置き、桜花はいつもの席に腰を下ろした。
これでオカルト部が全員揃った。
「結依。今日はどんな七不思議をやるんだ?」
腕を組んだ琴夏が、結依に聞く。それに答えるように、結依はホワイトボードに黒ペンを走らせる。キュキュッ、と気持ちの良い音を奏で、黒板に今日の七不思議が書かれる。
「今日のはこれです! 『女子トイレに潜む魔神』。なんでも、この魔人に頼めばどんな願いでも叶えてくれるそうなんですよ」
またなんとも胡散臭い七不思議である。願いを叶える系の七不思議なら、噴水の水を飲む七不思議も昔やった。実際は願いなど叶わなかったが。
「ですが、その……今回の七不思議は橋崎さんには向かないなかと」
「へ? 俺に向かない? ちょいちょいちょい。何を言ってるんだ、結依。いくら七不思議が胡散臭いと思っていても、将来英雄になる俺にできないことなどない!」
「いえ、この魔人が潜んでいるところが女子トイレなので、魔人を呼び出すには女子トイレに入らなきゃいけないんですよ。なので、橋崎さんはちょっと……。ていうか、今、入ろうとしてましたよね、橋崎さん!」
犯罪者を見るような目で結依に睨まれる。
「え、あ、違う。俺はそういうつもりで言ったんじゃなくてだなっ」
自分の言ったことが想像以上にやばいことだと知り、シズクはすぐさま弁明しようとする。しかし、オカルト部の部員はシズク以外女子ばかり。一対四の数の差の前では圧倒的に不利だ。口々に軽蔑の言葉が飛んでくる。
「橋崎、いくらなんでも女子トイレに入るとか、頭おかしいだろ、お前」
「琴夏先輩、だから違うっての! 勘違いしないでくれ! 誤解だぁ!」
必死に弁明するが、琴夏は「どうだかな~」と頬を歪めてそっぽを向いた。
「いくら静久先輩でも、さすがにそれは許容できませんね。もし、そんなことしたらどうしてやりましょうか。あれ、ポケットからスタンガンが出てきましたね」
「おい、なんでポケットから出てくるんだよ、スタンガン!」
にこにこしながらスタンガンを出してくる明日香を懸命になだめる。
「シズクの変態」
ぼそっと小さな声で桜花が呟いた。
「おい待てぇ! だから誤解だって言ってるだろ!」
あちこちから聞こえてくる罵声に振り回され、シズクはフラフラになっていく。
自分の言葉が原因なのはわかっているが、さすがにこの言われようは酷いと思う。久々の部活だというのに、これでは先が思いやられる。
けれど、それでもこの部活は、シズクたちが必死に守った居場所なのだ。こうして大変な思いができるのも、あの日負けていればできなかったこと。掴み取ったからこそ、こうして大変でいられるのだ。
あの世界に帰る方法はまだ見つかっていない。どうやれば帰れるのか見当もつかない。
でも、必ず帰る。そう約束したのだ。あの世界で待っているミアラとフィールに。
この世界の仲間と別れる日が必ず来ると心のどこかで覚悟しながら、シズクは今日も英雄という変わらぬ理想を抱き続ける。
けれど今だけでは、この瞬間だけは、この世界の仲間との時間を大切にしたい。
この世界も、シズクにとって大切な世界なのだから。
こんにちは、水崎綾人です。
このお話で一旦完結いたします!
いつか続きがかけたらな、と思っております。ありがとうございました!!!




