第22話「選び抜いた世界」
「くそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそ…………」
生徒会室に残った河城美陽は、ブツブツと憎悪の言葉を吐いていた。貧乏ゆすりが加速し、怒りに視点が定まらない。
「あ、あの……生徒会長代理……」
宮田が気まずそうに声をかけてくる。たったそれだけでも、今の美陽にとっては癇に障ることだった。なにせ、自分を裏切り計画をぶち壊した張本人なのだから。
「なんですの、宮田。今日はあなたも帰ってくださって結構。というより、もう顔も見たくありませんので、生徒会をやめてくださって結構ですわ!」
目を伏せ、俯く宮田。美陽はあてつけとばかりに舌打ちをひとつ。すると、美陽の脳裏にあることが浮かんだ。スカートのポケットからスマホを取り出し、画像フォルダを探す。
「そ、……そうですわ。怒りに我を忘れていて、この写真の存在を頭から消してましたわ……。ふふ、ふふふ、ひひひひ、ふはははははははははははははっ」
美陽の口から笑声が絶え間なく吐き出される。歓喜と勝利に満ちた笑いだ。これさえあれば、美凪桜花のことも橋崎静久のことも葬ることができる。
「どうされたんですか、生徒会長代理?」
訝しげな視線を向けてくる宮田に、美陽はしばし逡巡したのち、教えることにした。
「宮田、これを見て」
そう言って、美陽はスマホの画面を宮田に向ける。宮田は目を細め、画面に顔を寄せる。
「こ、これは……?」
「これは、つい二週間ほど前に偶然目撃したものを撮影した写真ですわ。ご覧のとおり、ラブホテルの前で桜花さんと橋崎さんが話し合っていますの」
「はあ。それで一体どうして笑っていらしたんですか?」
察しの悪い宮田に、美陽はこれ見よがしに嘆息する。
「これを週明けの生徒会新聞で掲載しますわ。オカルト部は不純異性交遊をする部活であると。そうすれば、桜花さんと橋崎さんはもちろん、オカルト部も非難されるはずです」
「ま、待ってください、生徒会長代理。さすがにやりすぎかと」
「何をおっしゃいますか。まるで私だけが悪いみたいに。この写真を公表するにあたって得られる効果は、先ほどのあなたの行いによってさらに増したのですわよ」
「は、はあ? おっしゃっている意味が……?」
美陽は唇の端を釣り上がらせる。
「あなたが私を裏切ったことによって、オカルト部は一時的な幸福感・満足感を得ていますわ。けれど月曜日にこの写真が公表されて、全生徒のオカルト部を見る目がさらに厳しくなったらどうでしょう。オカルト部の皆さんはさらに絶望しますわ。加えて、その原因の一端がやはり桜花さんにあると知れば、桜花さん自身はさらに深く自らを責めるでしょう。ある意味、宮田のおかげで舞台が整ったと言っても過言ではありませんわ」
「そ、そんな……」
宮田は膝から崩れ落ち、その場にしゃがみこむ。これも生徒会長代理である美陽を裏切った宮田が悪いのだ。正義の味方気取りなのはいいが、結局のところその行為は絶望のスパイスにしかならない。
美陽が悪意に満ちた顔でほくそ笑んでいると、ひとつの声が聞こえた。
「そうはさせないぜ」
嫌なほど聞き覚えのあるその声に、美陽は即座に声のした方に目を向ける。そこにいたのは、顔中傷だらけの少年だった。
「橋崎静久……っ」
顔を見るだけで憎しみが湧き上がり、目が吊り上がる。しかし、こちらに切り札があることを思い出し、美陽は再び余裕を取り戻す。
「そうはさせない、とはどういうことでしょうか?」
「そのまんまの意味だ。その写真は公表させない。それに、お前の思っていることは事実とは違う。あれは不純異性交遊なんかじゃない。あの場所がどういうものかを教えてもらってただけなんだ」
「はあ? 何を言っているのかわかりませんわ。ラブホテルの前で、ラブホテルがどういうところかを教えてもらっていた? 馬鹿も休み休み言いなさいな」
強めに言うが、シズクの表情はまったく変わらない。まるで、自分の発言に嘘偽りはないと訴えているかのように。
「残念ながらそれが真実だ」
シズクの曲がらない態度が気に食わず、美陽がバシンと机を叩く。
「ふざけんなですわっ! 確かに、この写真を見れば、桜花さんが橋崎さんに何かしら言い聞かせているように見えますわ、ええ。けれど、だからと言って、そんなの全く関係ありません。結局のところ、写真はただの写真。その場所にいたことさえ表現できればいいんですの。要は、新聞になった時の見出しと本文。これさえこちらが弄れば、一般生徒の印象など簡単に操作できますの! 見てなさい、橋崎静久。今日の借りはきっちり返しますわよ。そして、私に楯突いたことを後悔させてあげまわっ!」
けたたましい声でそう叫ぶと、生徒会室に数秒間の沈黙が舞い降りた。シズクも宮田も口をつぐんでいる。
「そうか。美陽、前にも言ったけど、俺の夢は英雄になることだ。悪をくじいて多くの人間を救うもの、それが英雄だと思うんだ」
「はい? だから何ですか」
「この世界では腕っ節の強さよりも、権力ってやつの方が強いんだろう。先生に聞いたら簡単に教えてくれたぜ」
言うと、シズクは制服の胸ポケットからスマートフォンを取り出した。軽い動作でこちらに投げてくる。
戸惑いながらも美陽はそれをキャッチ。どうやら通話中のようだ。シズクにどうするべきかを目で問うと、耳に当てろと促される。訝しみながら、美陽はスマホを耳に当てた。
『すべて聞かせてもらったわ、城河』
その声に、美陽の頭は一気に冷静さを失った。
「せ、せせ、生徒……会長……」
この学校で美陽よりも権力のある生徒会の長、生徒会長。彼女は今、足の怪我で自宅療養だったはずだ。
『あなた、私のいない間に結構なことをしてくれてるようじゃないの』
「い、いえ、これは、その……学校のためにと言いますか……っ」
『学校のため? ひとりの生徒を個人的憎しみのために孤立させ、さらには廃部にすると脅すことが学校のため? ふうん、私のいない間に随分なディストピアになったものねぇ。橋崎くんから電話を貰わなかったら、もっと大変なことになっていたかもしれないわ』
「そんなことはありません! 生徒会長のいた頃と同じであるように努めていますわ」
『へぇ。私のいたときは、生徒会新聞に虚偽の記事を掲載しようだなんて考えたこともなかったわよ』
「……っ。そ、それは……」
『もういいわ。この場で決めることにしました』
生徒会長が何を決めるのか、美陽には見当もつかない。未知のものに対する恐怖が、ゆっくりと美陽の中に広がっていく。
『生徒会長の権限をもって命じます。城河美陽。あなたを生徒会長代理から解任。加えて、生徒会からの追放を命じます』
告げられた言葉はあまりにも残酷だった。美陽は髪を振り乱し、必死に言葉を吐く。
「ま、待ってください。生徒会から追放? そ、そんなっ!? 考え直したいただけませんか! その判断はあまりにも早計かと。もしそうなったら、私……私……っ!?」
『別に早計ではありません。むしろ遅かったかもしれないレベルです。あなたの行いで美凪桜花さん、及びオカルト部の部員が相当な迷惑を被っています。この判断は適切かと。では、私はそろそろ失礼します』
待ってください、と呼び止める前に電話は切れてしまった。通話口から聞こえてくるのは、無機質な電子音のみ。
「あ……ああ……ああああああああああああああああああああああああああああ――っ」
シズクのスマホを適当に放り投げ、美陽は仰々しく叫んだ。これではもう桜花に復讐することなどできない。美陽は悔しさに、あらん限りの力を込めて机に拳を叩きつけた。
「おいおい、このスマホ、橋崎静久のなんだぞ、乱暴に扱うなよ」
と、言いながら、視野の隅でシズクはスマホを拾い上げた。いつから自分のことをフルネームで呼ぶようになったのだろう。
「あ、……あなたのせいですわよ、橋崎静久! あなたに……あなたに、私のこの気持ちがわかりますか!? すべてを失い、復讐する術すら失ったこの気持ちがっ!」
「いや、わからん」
「一蹴!?」
「ああ、俺には美陽の気持ちはわからない。想像することしかできないからだ。きっと、すごく辛いと思う。でも、俺は同情なんてしない。正しい答えなんて知らないけど、お前のやり方は間違ってると思うから」
「あまりにも適当なご意見ですわね……。英雄なのでしたら、今の私を救ってくださいよ」
正直、死んでも助けてもらいたくないが、美陽は軽く煽ってみた。
「悪いけど、それはできない」
「……なぜ?」
「俺には、少なくとも今の俺には、お前を助ける方法は分からないし、それに、桜花をあそこまで追い詰めたお前を助けたいとも思わない」
「…………そう、ですか。わかりました。安心してください。もう私には、復讐したくてもする力はありませんから。あなた方、オカルト部はこれで安全ですわよ」
シズクは小さく「そうか」と呟くと、音もなく生徒会室から立ち去った。
考えてみれば、シズクにとって守るべき相手は桜花で、倒すべき相手は美陽だ。ならば、敵を助けるのはおかしい。十を救うために一を倒すシズクの姿は、ある意味では英雄なのかもしれない。と、燃え尽きて椅子に深く腰掛けた美陽は思った。
***
「おー、遅かったな橋崎、どこ行ってたんだ? さては大きな方だろ?」
コーラのペットボトルを持った琴夏が、げへへ、と下品な笑い方で出迎えてくれた。
「違うわっ! ていうか、やっぱりもう始めてたのか」
「始めても良いって言ったの、静久先輩じゃないですかぁ!」
あはは、と楽しそうに笑う明日香。本当に、こいつはいつも笑っていると思う。
シズクは久方ぶりにいつもの席に腰掛ける。こうして座ると、改めてこの世界、この部室に戻ってきたのだと感じる。
すると、結依がサイダーを持ってこちらに歩いてくる。
「橋崎さん、どうぞ。余り物で申し訳ありませんが」
「ああ、いやいや、そんなの全然気にしな――」
「どうしてもサイダーが嫌だと言うのでしたら、私の飲みかけのコーラで……間接キスになってしまいますが、それで勘弁してください!」
「ああっ!? 何言ってんだよ、結依! お前、そんなこと言う奴だったか!?」
「あははは、冗談ですよ、橋崎さん。そんなに顔真っ赤にして照れなくてもいいですって」
言いながら、結依は手をひらひらと振って自らの席に戻っていった。本当にどうしたのだろうか。ちょっと心配である。
「緊張の糸が切れて、みんなちょっとハイになってるのかもね」
近くに座る桜花が、シズクを見てそう言っていた。
「なるほど。けど、もしそうなら、それは良いことなのかもな。ずっと張ってた緊張がようやく解けたんだから」
「そうかもね。そういう橋崎も解けた?」
シズクはその質問に答える前に、ぐいっとサイダーを一口飲み下した。
「ああ、解けたね。もう超解けた。これでビクビクすることはないってな」
桜花はわずかに目を伏せ、
「ごめんね、私のせいで色々なことに巻き込んで」
そう言う桜花の表情は曇ったものだった。自分のせいだという自責の念にまだ支配されているように見える。
シズクは長めに息を吐くと、優しく微笑んだ。
「何言ってんだよ。お前のせいじゃない。そりゃ確かに最初のきっかけは桜花にあったかもしれない。けどな、お前がオカルト部に入った瞬間からその問題はお前一人のものじゃなくなった。俺たち全員の問題になったんだ。だから、巻き込まれたとかそういうのは言わないでくれ。等しく俺たちの問題なんだから。桜花は自分を責めなくていいんだよ」
少々照れくさかったが、これは紛れもないシズクの気持ちだ。訂正はしなかった。
桜花は微かに瞳を潤ませると、こくりと頷き、嬉しそうに破顔した。
「ありがと、橋崎」
長らく見ることのできなかった桜花の笑顔。それを見れただけでもシズクは嬉しかった。この世界に戻ってきた意味は確かにあった。この光景、この笑顔を守れたのだから。
やはり、桜花には笑顔が一番似合っている。
こんにちは、水崎綾人です。
次回もお楽しみに!




