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ヒロイック・セレクト  作者: 水崎綾人
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第19話「手を伸ばすという選択」

 蘇ってきた重力により、シズクは目を覚ました。色を失っていた景色はゆっくりと色づき始め、視界も安定してきた。胃液の逆流しそうな気持ち悪さも消え、意識が鮮明になっていく。

 ふと、自分の体が床に倒れていることに気づいた。目だけを動かして周囲を見てみると、すぐ近くには床に転がっている救急箱があった。となると、恐らくあの日からずっとこの体はここに倒れていたに違いない。シズクがこの体から離れていても、この体の持ち主の意識は睡眠状態のままだったようだ。

 シズクは罪悪感を感じながら、自分の胸に静かに呟く。

「……悪いな。あとで絶対に返すから、もう少しだけこの体、使わせてくれ」

 床に両手をつき、体を起こす。ずっと同じ状態で倒れていたせいか、体の節々が痛む。

 落ちている救急箱を手近な台の上に拾い上げると、シズクは視線を巡らせる。テーブルの上で充電状態になっているスマホを見つけると、すぐさま近寄り手に取った。

「良かった。こいつがあれば時間が分かる」

 慣れた手つきで画面を点灯する。表示された時刻は十五時二十七分。曜日は金曜日と記されている。

「金曜日……金曜日っ!?」

 瞠目するシズク。金曜日と言えば、桜花の退部届が受理されてしまう日だ。いよいよ本当に時間がない。

 迫り来る焦燥感を、深呼吸で黙らせる。今冷静さを欠いていては、何をやっても上手くいかない。

 何気なくスマホの画面を眺めていると、着信件数が異常なまでにあることに気づいた。

見れば、どれもシズクが向こうの世界に戻っている間のものだ。担任教師である涼乃からの着信はもちろんのこと、部活中と思しき時間帯には、琴夏、結依、明日香の順番で一時間おきに着信が来ている。

「……あいつら、ローテーションで電話してやがったな」

 シズクは微苦笑する。遊んでいるのか真面目にやっているのか分からないが、そこが彼女ららしさなのだろう。

 これだけ何日も電話を掛け続けてくるということは、なにか緊急の用事があるに違いない。シズクは電話をかけ直そうとスマホに指を伸ばす。誰にかけようか迷ったが、ローテーションの順番から考えて次は結依なので、結依にかけることにした。

 しばしの呼び出し音の後、懐かしくも丁寧な声が聞こえた。

『あ、はい。もしもし、叶田です。もしかして……橋崎さん、ですか?』

「ああ、そうだ。ちょっと話したいことが――」

 言下に遮られ、電話口からは何やらガヤガヤと『は、橋崎さんが出ました!』『え、静久先輩、電話出たんですか!?』『なに、あいつやっと出たのか。結依、ちょっと貸せ』などとオカルト部員たちの様々な声が聞こえてくる。

 少し待つと、電話の相手が結依から琴夏に変わった。静かな怒気のこもった声色が、シズクの鼓膜を振動させる。

『おい、橋崎。お前どこ行ってたんだ! 学校にも来ない、部活にも来ない、電話も返さないで、お前というやつは……』

「ああ、えっと、電話は充電が切れてたんだ。それに、ちょっと風邪で寝込んでたから学校には行けなかったんだ。ってか、そんなことより、オカルト部と桜花のことだ。まだ桜花の退部届は受理されてないだろ?」

『ああ、今のところはな。私たちは桜花の行動を監視してるんだが、今桜花は教室で担任に退部届に判子を押すように頼んでるところだ。なにか話してるみたいだけど、それが終わったらきっと退部届を城河のところに出しに行くと思う』

 まだ退部届は受理されていないようだ。シズクはほっと胸をなで下ろす。しかし、悠長にしていられるほど時間はない。

「なあ、琴夏先輩。俺、美陽が言ってた『チャンス』ってやつを受けようと思うんだ。正直、そのチャンスを掴めるかどうか分からないし、美陽に掴ませる気がないのも分かってる。けど、俺は挑まずに後悔したくない」

 勝算などどこにもない。挑むことそのものが、オカルト部にとってデメリットでしかない。けれど、挑まずに桜花を犠牲にし、無力に敗北を受け入れることなどできない。

 すると、電話越しに琴夏が喉を鳴らして笑った。

『同感だ、橋崎。桜花がいなくなったらオカルト部じゃねえし、全部城河の思い通りってのも癪だ。それに、たとえあいつにチャンスを掴ませる気がなくても、こっちが掴んじまえば勝ちなんだ。挑むだけの価値はある』

「さすがの物言いだな、部長。パーティーリーダーだけはある」

『ふんっ。からかうなっての。泣いても笑ってもこれで最後だ。橋崎も早く来い。自称英雄だからって遅れたらぶっ飛ばすぞ』

 言葉自体は荒かったが、その声から伝わって来る感情は穏やかで、それでいて熱いものだった。

「了解した。今すぐ行く」

 確かな決意を胸に抱き、シズクは電話を切る。

 大きく深呼吸し、しっかりと正面を見据える。せっかく帰ってきたのだ。絶対に成し遂げなければ。自分の守りたい者を守るために。

「あ、その前に、一度電話を……と」

 簡単にスマホを操作し、別の相手に電話をかける。

「あ、もしもし、橋崎です。はい、先日は――」


     ***


 一方、美凪桜花は、教室の前で待ち伏せしていたオカルト部の少女らを何とか振り切り、生徒会室へ急いでいた。

 琴夏たちの気遣いは嬉しいが、これは桜花の選択した道なのだ。自分の大切な場所を守るためには、自分の存在が一番の障害となってしまう。悔しいし悲しいことだが、あの場所を守れるのなら、桜花はそれでよかった。

 桜花は生徒会室の前まで来ると、視線を右手の退部届に落とした。

「…………これで、終わるのね」

 込み上げてくる感情を抑え込み、大きく息を吸う。緊張感と焦燥感にかられ、体が不自然に肌寒い。内側からくる震えが全身に伝わり、不快感に包まれる。

 桜花はぎりっと奥歯を噛み、しばし瞑目すると、生徒会室の大きな扉を叩いた。

 少し待つと、どうぞ、という声が返ってくる。

 長めに息を吐き、桜花は生徒会室のドアノブに手をかける。ゆっくりと扉を開け、美陽の待つ生徒会室の敷居を跨ぐ。

 生徒会室には、美陽と宮田という少女の二人しかいなかった。いつも手前の席で仕事をしている役員らの姿はどこにも見えない。

 不思議に思ったが、桜花にはそんなことに割いている思考などなかった。

 緊張による急激な喉の渇きに襲われ、額には冷や汗が滲む。

「持ってきたわよ、美陽」

「そのようですわね。最後の最後で逃げるかもと危惧していましが、杞憂だったようですわ」

「他の生徒会の人はどうしたの? ……見当たらないけど」

「宮田以外の皆さんには帰ってもらいましたわ。本決定の部費の予算割り当ては昨日のうちに作り終えましたし、あなたとの個人的なやり取りを他の役員に見せるのもおかしいので」

「ならどうして宮田さんだけ?」

「宮田には私が生徒会長代理をやっている間、サポートをしてもらっているのですわ。あなたの退部届を受理したあと、まだ少し仕事をしようと思っているので残ってもらったのです。何か問題でも?」

 穏やかだが威圧感のある声音に、桜花は何も反論できない。目を伏せ、首を横に振る。

「あらそうですか。それでは、早速退部届の方、提出してもらいましょうかね」

「待って。その前にもう一度聞かせて。これでもう、オカルト部には手を出さないのよね?」

 美陽は煩わしそうに後頭部を掻きながら渋面した。

「あなたも結構しつこい人ですわね。前にも言ったでしょう。あなたさえ関わらなければ、私は何もしないと。つまり、原因であるあなたが消えれば、それですべてが終わりますわ」

 自分が原因。面と向かってそう言われると、気が遠くなるほど辛く悲しい気分になる。自然と沈痛な面持ちに変わり、それとは対照的に美陽は笑顔になっていく。

「いい表情ですわね。ふふふ、その表情、たまりませんわ。オカルト部が危機に晒されているのもあなたの責任でしてよ、桜花さん。すべてはあなたのせい。中学のバスケ部のときも、今回のオカルト部も、あなたと関わればみんな不幸になりますわ」

 悪魔のような笑みを浮かべて、ケラケラと美陽は哄笑する。

絶えることのない蔑みの笑声により、今にも膝から崩れ落ちて悔しさに涙しそうだ。桜花は唇を噛んで我慢する。ここで泣いては美陽の思う壷だ。

ひとしきり笑い終えると、美陽は腕を組んで舐めるように桜花を見やる。

「それでは、誰かを不幸にしないようにするにはどうしたらいいでしょう、桜花さん?」

「…………それは……」

「前にも言ったことではありませんか。あなたが今後一切、誰とも関わらず高校生活を終えてくれればいいんですのよ。だって、あなたと関われば不幸になるのですから、あなたが関わらなければ逆説的にみんなが幸せ、ということでしょう。ふふふふふふふふふ」

 言い返したかったが、言葉が見つからない。口を開いても、言葉になりきれなかった掠れた空気だけが吐き出される。

「では、まずはその一歩ですわ、桜花さん。その退部届で、オカルト部の皆さんを解放して差し上げなさい」

 目を伏せ、唇を噛み締めた桜花は、唯々諾々と美陽に従った。右手に携えていた退部届を美陽に手渡す。

「ふふふ。良い判断ですわ。これでひとまずオカルト部は救われ――」

 と、美陽の言葉が終わるその時だった。聞き覚えのある声が響く。

「そういや、誰かを不幸にする人間ってのも、題材としては立派なオカルトだよな。俺、結構興味あるんだけど」

「そうですね、確かにオカルトかもしれません。『週間 オカルト大辞典』にも紹介されてませんでしたから、もしかしたら大スクープかもです!」

「え~先輩たち、何言ってるんですか。オカルトなんてあるわけないですよ~。ね、部長」

「そうだな。私、部長だけどオカルトとか信じてないからなー。なんとも言えないんだが、……でも、うちの部活が関わるオカルトってのは、大抵ただのデマなんだよなー。てことはだ、誰かを不幸にする人間なんてのも、デマなんじゃないか?」

 背中に降り注いだその言葉に、桜花は目を丸く見開く。この声は……。

 一方で美陽は、先ほどの悪魔の笑顔から一変し、険しい表情へと変貌を遂げていた。歯をギリギリと鳴らし、美陽は煩わしそうな声で呟く。

「あなたたちは……」

 背中にいる全員が同時に息を吸い、声が重なる。


『オカルト研究部ですが、何か?』

 

 その言葉に、桜花はすぐに後ろを振り返った。そこには、散々冷たくあしらった琴夏、結依、明日香に加えて、火曜日以降学校にも来ていなかった橋崎静久の姿があった。

 唐突な彼らの登場に、桜花はただただ驚くだけで、何がどうなっているかまで理解がおいつかない。

 シズクたちは桜花の傍に駆け寄ってくる。未だ状況が把握できていない桜花は、隣に立っているシズクに訊ねる。

「ねえ、……あんたたち何でここにいるのよ」

「何でって、そりゃ、お前と部活を守る以外に何があるんだよ」

 そう言って、頼もしく笑うシズクに、桜花は不意に涙が出そうになった。あれだけ冷たいことを言ったのにも関わらず、それでも助けてくれる。これほどまで人に優しくされたのは、桜花には初めての経験かもしれない。

「部活と桜花さんを守る?」

 馬鹿にしたような調子で、美陽がシズクの言葉に文句を吐いた。

 シズクはちらと横目で美陽を確認すると、そちらに向き直る。

「ああ、俺は……いや、俺たちはそのつもりでここに立ってるぜ」

 近くにいる結依が、その言葉を引き取る。Vの字に開いた指を突き出し、

「ついでに部費もいただきます!」

 さらに明日香も同じようなポーズを取る。

「そしてオカルト部への謝罪も求めまーす!」

 最後に部長である琴夏が腕を組んで、勝気な笑みを浮かべてこう言った。

「最後に、今後うちの大切な部員の美凪桜花には関わらないでもらう。生徒会の仕事であろうと、個人の用事であろうと、一切桜花には近づくな」

 美陽はチッと荒く舌打ちをし、生徒会長用の机に手をバチンと叩きつけた。

「ふんっ、言いたいように言ってくれていますが、それは一体どう言うつもりですの? あなたたちなど、今の私の権力(ちから)にかかれば一発で廃部にできますわよ」

 凄みを帯びた瞳でオカルト部員全員を睨めつける美陽。しかし、不思議なほどにシズクたちは怯んでいない。

 桜花の隣に立っていたシズクは、一歩前に出る。呼び止めるが、彼の足は止まらない。シズクはそのまま生徒会長の机の前まで行くと、同じくバチンと机に手を付いた。

「それがどうした。俺たちは、この前、美陽が言った『チャンス』ってやつを受けるつもりでここに立ってるんだ」

 チャンス、とは何のことだろうか。桜花は、美陽とシズクたちの間で何が行われているのかまったく分からない。だが、美陽が『チャンス』という単語を聞いた瞬間、顔を喜色に染めたので桜花の中に言い知れぬ不安が生まれた。

「あはははははっ、そうですの。あれを受けに来てくださいますのね。てっきり、やらないのかと思ってましたわ。けど、本当にいいんですの? 失敗すれば桜花さんの退部はもちろんのこと、オカルト部も廃部ですわよ?」

「問題ないな。俺たちにその覚悟は出来てる。ていうか、結局失敗しなければ問題なんてどこにもないんだ。だろ?」

「ククッ、面白いことをいいますのね。ま、いいですわよ。もしもの時を思って準備はしていましたから」

「ちょ、ちょっと待ってよ、橋崎っ。さっきから何言ってんのよ、失敗したら廃部とか、全然分かんないんだけど」

 尻目で桜花のことを確認したシズクは、ぽりぽりと頬を掻く。

「美陽に言われたんだよ。桜花が退部しないようにチャンスを与えるってな。けど、そのチャンスを掴み損ねたらオカルト部は廃部になるんだ。で、俺たちはその挑戦に乗った」

「は、はあっ!? あ、あんたたち何やってんのよ! 私が辞めるだけでオカルト部を守れるのに、どうしてそんな危険なことを!」

 わずかに取り乱しながら、桜花は誰に言うわけでもなく叫んだ。これでもし負けたりでもすれば、桜花の守りたかったものは完全に失われてしまう。それだけは絶対に避けたい。

 そんな桜花の声に返答したのは、部長である琴夏だった。

「確かに桜花のことも大事だけど、それだけじゃないんだ。城河のやつに一矢報いたいんだよ。私たちだって負けてばかりいるのは嫌だからな。それに、結果として勝てばいいんだよ、勝てば。だろ、未来の英雄さん?」

 琴夏はそう言うと、からかうようにシズクにウィンクする。

 シズクはふん、と鼻で笑うと、改めて美陽に視線を合わせる。

「ああ、そういうことだ。勝てばいいんだ。それにオカルト研究部には、将来英雄になる男がいる。これで勝てない道理などないっ」

 なんとも頼もしい言葉だが、桜花の中にはまだ不安が残る。確実性のない提案に乗ること自体が愚行だと思う。しかし、それでも、みんなが桜花のためにここまでしてくれたという気持ちが嬉しかった。

「あらあら、随分と大きく出ましたのね。まあ、いいですわ。それでは早速始めるとしましょう。私があなた方に与える『チャンス』、それを掴み取るルールは簡単ですわ。先日、抜き打ちで部室検査をいたしました。その時に見つけたゲームなどの不要物計五点。それをこの学校のどこかへ隠しましたので、一時間以内に見つけ出してくださいな。それが出来ましたら、あなた方の要求を全て飲みましょう。どう、簡単でしょ?」

 椅子に座り、ニヤリと唇の端を意地悪く釣り上げる美陽。だが、彼女の説明したルールは、あまりにも簡単すぎる。ただ隠したものを探すだけで、桜花にあれだけの恨みを抱いている美陽が、すべてチャラにするとは考え難い。

 あまりにも危険すぎると判断した桜花は、すぐに辞めるように提案しようとする。が、目に映った部員たちの顔を見て、すぐに無駄だと悟った。なぜなら、全員が桜花の危惧していることを承知の上で挑んでいるように見えたからだ。

 美陽は目だけでぐるっとオカルト部員を見渡すと、最終確認とばかりに聞いてくる。

「それじゃあ、始めるということでよろしいですわね? せいぜい良い結果が掴めるといいですわね。ふふふ。では、一時間後に再びここで会いましょう。始めてください」

 余裕綽々たる態度で、ラストチャンスが始まった。

 桜花たちはすぐさま生徒会室から飛び出し、少し離れた廊下で顔を見合わせて輪になる。

琴夏が頼もしく仕切る。

「いいか、時間は一時間しかない。効率的に探すためにも、手分けするぞ。私は普通棟と特別棟の一階をやる。二階は明日香、三階は桜花、四階と屋上は橋崎。結依は体育館とか下足箱を頼む」

 全員が無言で、しかし、瞳に確かな力強さを秘めて頷く。

 互いに顔を見合わせると、各々割り振られた場所へと走り出した。



 こんにちは、水崎綾人です。

 次回もお楽しみに!

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