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ヒロイック・セレクト  作者: 水崎綾人
19/24

第18話「もう一度、あの世界に」

 翌日。クエストが終わり、シズクたちは各々自由な時間を過ごしていた。

 今回のクエストでは、ミアラから「剣から迷いがなくなってる」と言われたため、いささか気分が良い。しかしながら、いつまでもそんな気分でいるわけにはいかなかった。

 ミアラには伝えなければいけないことがある。

 シズクは剣の手入れを終えると、外出中のミアラを探して宿屋をあとにした。

 宿屋の周辺は、中心街から離れているということもあって一面のどかな自然が広がっている。吹き抜ける風が気持ちいいが、これからミアラと話すことを想像すると、焦燥感も相まって若干肌寒く感じた。

 あちこちに視線を巡らせながら歩いていると、いつの間にか小川の方まで来ていた。心地良いせせらぎとともに、草花の間を休むことなく水が流れ続けている。

 そんな小川の流れに沿って目線を移動させていくと、ひとりの少女が視界に入った。

艶やかな銀色の髪を頭の後ろで一つにまとめた少女――ミアラだ。

ミアラは、濃紺の魔女帽子を自身の隣に置き、風になびく髪を押さえながらラフな体勢で地べたに座っている。

シズクは、温かな表情で小川を見つめるミアラに近づく。

「よ、よお。ミアラ」

 すると、ミアラはビクンと肩を震わせ、喫驚した顔でシズクの顔を見る。

「な、なんだ、シズクか。驚かさないでよ……あ~、ビックリした」

 慎ましやかな胸に手を当てて、ミアラは深呼吸をひとつ。どうやら本当に驚かせてしまったらしい。

「隣、いいか?」

「へ? ええ、構わないけど。ていうか、どうしてあんたがここに?」

 シズクを覗き込むようにして、ミアラが首をかしげた。長い髪がふわりと地面に垂れる。

「いやあ、その何て言うか。ちょっと話でもしたいな、と。その、フィールが言ってたんだけど、お前、俺のことを連れ戻すために必死に頑張ってくれたんだって? ありがとな」

「はっ、なによ、急に!? 別にお礼なんていらないわよ! もとはと言えば、あたしが異世界転送なんて魔術を使ったのが悪いんだし」

 ぷいっとシズクから目線を離したミアラは、わずかに頬を赤く染めながら、銀色の髪の毛先を指で弄ぶ。

「それで、その……言い出しにくいんだけどさ」

 急に歯切れが悪くなったことを悟ったのか、ミアラが神妙な顔をする。

「…………もう一回、俺を向こうの世界に送ってくれないか?」

「…………え?」

 瞬間、一際大きな風がシズクたちの間を吹き抜けた。木々が揺れ、緑色の葉を撒き散らす。

 驚愕の相で固まるミアラは、徐々にシズクの言葉を理解しだしたのか、ゆっくりと顔に動揺の色を浮かび上がらせる。

「え、ま、待ってよ。冗談でしょ?」

 シズクは首を横に振る。断じて冗談などではない。

「どうして? なんで向こうの世界に行かなきゃダメなのよ?」

「俺にはまだ、向こうの世界でやらなきゃいけないことが残ってるんだ。だから、もう一度あの世界に行かないと」

「なんで、なんでよっ。せっかく、……せっかく、やっとのことであんたを連れ戻したのに。なんで行きたがるの? そんなに向こうの世界の方が良いの? おかしいわよ!」

 わずかに目を潤ませながら、ミアラの語気は荒らげ始める。こんなに感情的になるミアラは初めて見るかもしれない。

「……いや、こっちの世界と向こうの世界を比べると、やっぱり俺はこっちの世界の方が好きだ。向こうの世界の住人は、たった一側面でその人の人格すべてを分かった気になって、平気な顔で嘲笑したり、蔑んだりする」

 シズクの脳裏に、美陽から受けた嫌がらせや、クラスメイトの冷たい笑い声が蘇る。どれもこれも嫌な思い出だ。自然と握った拳に力が入る。

「だったらっ――」

「けれど、だからこそ、そういう行為をされて悲しい思いをしてる人を黙って見過ごすわけにはいかない。向こうの世界にいる俺の大切な仲間が、今、それで苦しんでるんだ。俺は、自分の仲間を助けたい」

 決意のこもった瞳で、シズクはミアラの目を見つめた。

ミアラはすぐにシズクから目を背け、かぶりを振る。

「で、でもっ……。こうしてまた会えたのに……。それに、あんただって知ってるでしょ。売人の作った自作魔術は、使用回数が三回までっていう制限があることを。次あんたを向こうの世界に送ったら、もう連れ戻す手段がなくなるのよ! それでもいいの? ねえ、考え直してよ、シズク」

 シズクの両腕を掴み、目線を地面に向けたまま願うようにミアラが言った。けれど、シズクの意思は変わらない。

「それでも、行かせてくれ。戻る方法は、向こうの世界にもきっとあるはずさ」

「そ、そんな……。も、もし戻ってこれなかったらどうするのよ? あんた、向こうの世界で生きていくの? それに、売人は言ってたわ。転送されてすぐは、向こうの体の意識は、新たに入ってきた意識のせいで睡眠状態になるけど、しばらくすればまた目覚めるって。なら、あんたが向こうの世界に行くことは、もとの体の持ち主にも迷惑になるじゃないの? ね、だから考え直そうよ。ね、シズク!」

 言われて、シズクは一度口をつぐんだ。確かに、もとの体の意識――橋崎静久のことは思考の外だった。今戻ることは、彼にとって迷惑なことかもしれない。けれど――。

「それまでに、この世界に戻る方法を見つける。でも、もしそれよりも前に、向こうの意識が戻ったら、……その時は誠心誠意謝るよ。勝手に体を使って悪かった、ってさ」

 シズクは自嘲するように笑った。正直、戻る方法も分からなければ、謝ったところで橋崎静久が許してくれるとも限らない。しかし、いつ訪れるか分からない未来のことを危惧するよりも、目の前で苦しんでいる仲間を助ける方がずっと大事だ。

「……なんでよ、なんでそんなに、行きたがるの……」

 そこで言葉を切ると、ミアラは顔を上げた。それを見たシズクは、鋭く息を呑む。

 ミアラの頬は紅潮し、涙の跡が何筋もあった。瞳からは絶えず大粒の涙がこぼれ落ち、目は真っ赤に充血している。

「せっかく呼び戻して、やっとあんたと再会できたのに……。もうどこにも行かないでよ。この世界にいてよっ!」

 ミアラは泣きながらシズクの胸をぽんぽんと叩いた。

 瞳を閉じ、シズクはミアラの両肩に手を置く。そして、自分の体からそっと離した。

「ごめん、ミアラ。それでも、俺、この選択は曲げれない」

 言うと、ミアラはさらに大粒の涙をこぼした。むせび泣くミアラの姿は、ひどく脆そうで、抱きしめたいほど弱々しい。だが、ここで決意を曲げるわけにはいかなかった。

「あ、あたし……あたし……」

 呟きながら、ゆらりと立ち上がると、ミアラは目元を乱雑に拭い、その場から走り去ってしまった。

 呼び止めることもできずに、ミアラの姿がシズクの視界から消えてなくなる。

 残されたのは、背丈の低い草の上に置かれた濃紺の魔女帽子だけだった。


     ***


 ミアラは泣きながら、宿屋に帰宅した。二人部屋のため、部屋ではフィールが椅子に座って読書をしている。

 しかしミアラの泣き顔を見たフィールは、目を丸くしてミアラのもとへ駆け寄ってくる。

「おいおい、どうしたのだ、ミアラ」

「…………っ。フィール」

 ミアラはフィールに肩を抱かれ、そのままベッドに腰を下ろす。

 フィールはミアラの背中を優しく撫で、呼吸を落ち着かせる。

「どうかしたのか、ミアラ?」

「……あいつ……シズクが、また向こうの世界に行きたいって言い出して……」

「ああ……」

 なにか思い当たる節があるのか、フィールの返事はぎこちないものだった。フィールは背中をさすり続けながら、ミアラの手を握る。

「ミアラは、シズクが行くのに反対なのか?」

「……当たり前でしょ。次は帰ってこれないかもしれないのよ。行かせられるわけないじゃない!」

「そうだな。確かにミアラの言う通りだと思う。けどシズクの決断は、彼が考え抜いて選択したことなのではないか。ならば、私たちにシズクの決断を否定することは出来ない」

「で、でも……。それじゃ、また、あいつのいない毎日が……」

 悲しみをこらえるように、ミアラは下唇を噛んだ。ミアラにとってシズクのいない日々というのは辛く苦しいものだった。認めたくはなかったが、寂しかったのだ。いつもそばにいてくれた自称英雄の少年の存在が、自分の中でどれだけ大きなものだったのか分かった。だからこそ、離れるというのは度し難いほどに辛い。

「ミアラ……。それでも、これはシズクの決めた道なのではないか? きっとそれなりの理由があるのだろう。なら笑って見送ってあげるのが、仲間、というものなのではないか?」

 ミアラは口を閉じ、そっと目線を下げて考える。

 シズクは言っていた。向こうの世界の仲間が苦しんでいる。だから自分は助けに行きたいのだと。ミアラからすれば、ようやく帰って来れたのだから、わざわざ危険を犯してまで世界を越える必要がないように思える。

 でも、シズクから見ればどうなのだろう。大切な仲間が苦しむのを、黙って見ないふりをしていられるだろうか。答えは否だ。ミアラがシズクの立場になってみても、導き出す結論はシズクと変わらないもののはずだ。

 ミアラは、一度深く息を吐く。

「……そうね。そうよね、フィール。あたし、自分の気持ちだけを押し付けてたわ。あいつの立場になって考えてみれば、答えなんてすぐ出たのに。感情的になってた……」

「それほどまでに、シズクのことを思っているのだろう」

 ふふ、と笑うフィール。その笑顔には嘲笑の色は含まれておらず、純粋に柔和な微笑みだった。

「べ、別にそんなんじゃないっての。ただあたしは、シズクがいなくなったら、またパーティーに支障が出ると思って」

「この前は、シズクの抜けた穴など無いようなものだと言っていたではないか」

「あっ……。いや、えーっと、これはその……」

 分かりやすく動揺するミアラ。と、その時。扉をノックする音が響いた。

『ミ、ミアラ……。いるか? 何て言うか……さっきはいきなりあんなこと言って悪かった。けど、これが俺の選んだ道なんだ』

 聞こえてきたのはシズクの声だった。柄にもなく、どこか遠慮がちな声音。しかしそれでいて、やはり決断を曲げない姿勢に、ミアラは自然と微笑する。

「どうやら、シズクのようだな。ミアラ、出てやらなくていいのか?」

「そうね。で、出てあげるわ」

 ミアラは再度深呼吸し、ドアノブを時計回りに回す。斬しみを上げながら扉は開き、曇った表情のシズクが現れた。

「ミアラ、俺……。やっぱり行かなきゃいけないと思ってる。ミアラとフィールも大切な仲間だし、一緒にいたい。けど、今苦しんでる向こうの世界の奴らだって、俺の仲間なんだ。見過ごすことなんで出来ない」

「あんたが向こうの世界に戻って、どうにかなることなの? シズク言ってたじゃない。向こうの世界には剣も魔術もないって。シズクの目指す英雄とは違う環境なんじゃない?」

 シズクは悔しそうに渋面し、ぐっと拳を握る。そして、改めて口を動かす。

「それでも行く。確かにミアラの言うとり、俺の目指す英雄とは環境の違う世界だ。けど、助けを求めてるやつを助ける。それも俺の目指す英雄だ。たとえ、助ける方法がなくても、何とか踏ん張るさ」

「…………そう」

 ミアラは顔を伏せて、静かに笑った。同時に、大きな瞳から数滴の涙がこぼれる。シズクの決意の大きさが伝わり、悲しくも嬉しくなったのだ。

今のミアラに出来ることは、シズクを向こうの世界に転送し、笑顔で見送ることしかない。それこそが、世界を越える幼なじみに対して出来る最高最後の行為だろう。

ミアラは涙を袖で拭い、頼もしげな笑顔とともに顔を上げた。

「分かった。それじゃ、今すぐ始めるわよ。場所は前回シズクを送ったあの空き地。ほら、フィール、いつまでもベッドに座ってないで支度する。それから、シズク。扉の前に立ってないでさっさと移動して」

 いきなりの変わりように驚いているのか、シズクの顔は呆気にとられていた。先程までの神妙な顔つきが嘘みたいである。

「い、いいのか、ミアラ?」

「だからそう言ってんでしょ。あんたの頼み、聞いてあげるわ。今回だけだかんね」


     ***


 空き地には、前回シズクの描いた魔法陣がはっきりと残っていた。木の棒で土を削って描いただけのはずなのだが、未だに消えずにいてくれたことはありがたい。

 ちらと空を仰げば夕日が浮かんでいた。茜色に染まった空と雲を見ていると、なんだか物悲しくなってしまう。ミアラたちとの別れが、さらにそれを増幅させる。

 シズクはそんな感情を黙らせ、魔法陣の中央に移動する。

「シズク。約束しろ、必ず戻ってくると。そして、またお前の笑顔を見せてくれ」

 フィールはシズクの肩に手を置き、力強い笑みを浮かべた。

「ああ、約束する。必ず戻ってくる」

 シズクは頷き、フィールと固い握手を交わす。思いの外フィールの握力が強く、手が痛かったが、この感覚を忘れたくないとシズクは思った。

たっぷり五秒ほど握手をすると、フィールは魔術の干渉を避けるため、魔法陣の外へ出る。

シズクの目の前には、ミアラだけが残った。

ミアラは自分の背丈ほどある杖を地面に突き刺し、気恥ずかしそうに頬を掻く。

「……さっきの泣き顔は忘れてちょうだい。なんか恥ずかしいし」

「仕方ないな。俺は将来英雄になる男だからな。そのくらいの望みは聞いてやろうじゃないか」

「こんな時までうざいわね、あんた」

 ため息の後、ミアラは穏やかに微笑する。そこには先ほどまでの涙はない。

「こんな時だからこそだ。違うか?」

「ううん。そうね、それでこそシズクなのかもね。あたしはシズクのそういうところが好きよ」

 普段言わないようなミアラのセリフに、シズクは戸惑いと動揺の色をにじませる。

「え、あ、おい。なんだよ、急に。お前、そんなこと言うやつだったか? 泣きすぎて熱でもあるんじゃないか?」

 思わず心配になり、シズクはミアラの額に手を伸ばす。が、ミアラはそれを強引に払った。

「うっさい! 別に熱なんてないわ! それよりも、絶対に戻ってくること。そして、またあたしとフィールとシズクでクエストするの。でなきゃ許さないんだかんね」

 シズクの胸にこつんと拳を当て、ミアラはじっとシズクの瞳を見つめた。その視線は、シズクのことを掴んで離さない。だからこそ、シズクは全力で答える。

「ああ、絶対に帰ってくる。お前たちとまた一緒にクエストするためにも」

 ミアラは「そう」と破顔すると、シズクに向かってビシッと人差し指を向けた。

「それから、帰ってきたらちゃんと向こうの世界の話をすること。シズクがどんな世界で、どんな経験をして、どんな人と出会ったかをしっかり教えること。あんたが守りたかったもの、あたしにも教えてね」

 シズクは大きく頷き、もう一つ約束を作った。

「シズクは絶対に帰ってくる。だから、さよならとは言わないわ。そうね、強いて言うなら……。行ってらっしゃい、かしらね。あたしたちはここで――この世界で待ってるわ」

「分かった。それじゃ、俺が返す言葉はこれしかないな。……行ってくる」

 言って、シズクとミアラは互いに拳をコツンとぶつけた。それ以上の言葉は必要なかった。

 ミアラは焦茶色のマントをなびかせ、杖を片手に魔法陣の外に出る。そしてすぐさま詠唱を始めた。途絶えることなく口から吐き出される呪文は、異世界転送の起動呪文。

 詠み上げるに連れて、魔法陣が紫色に発光していく。あの日と同じ輝きだ。

 次第に激しい頭痛がシズクを襲う。この痛みも三回目。思わずこぼれそうになる声を必死に堪え、ミアラとフィールの姿を目に焼き付ける。

徐々に体の感覚もなくなってくる。視界はぐにゃりと歪み始め、色も失われていく。平衡感覚がなくなり、立っているのかどうかも怪しくなる。

そして、脳を割られるような激痛がピークに達するのと同時に、魔法陣の紫色の輝きも最高潮を迎える。

――もう一度……

そう心の中で叫び、シズクの意識は完全に途切れた。



 こんにちは、水崎綾人です。

 次回もお楽しみに!

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