第17話「その決意は世界を越える」
翌日。アルブリット洞窟のクエストは、そう難しいものではなかった。クエストの内容は、洞窟内に潜むゴブリンを撃破し、最奥部にあるアルブリット鉱石を取ってきてほしいというものだ。
「どおりゃぁああああああ!」
愛剣のシルバーバタフライを下からすくい上げるようにして払う。銀色の光芒を放ちながら、ゴブリンの体をシズクの刃が切り裂いた。瞬間、無数の光の粒子となってゴブリンが四散する。
すぐ背後では、ミアラが杖を構えて呪文を詠唱している。聞けば、この呪文は感電魔法。可愛らしい声で詠唱を終了すると、ゴブリンたちの真下に黄色い魔法陣が浮かび上がる。
すると、途端にゴブリンたちは活動を止め、ブルブルと痙攣しだした。手に持っていた木の棒が次々と地面に落ちていく。
「シズク、今よっ!」
指示を受けたシズクは、今相手にしているゴブリンを強引に突き飛ばし、まるで抜刀するかのごとく剣を繰り出し撃破する。その後、瞬時にミアラの正面に回り込み、感電して動きを止めたゴブリンらを銀光放つ刃で打ち破った。
フィールも残ったゴブリンを鋭く放たれた矢で射貫いていた。
爆散し宙を舞う光の粒子が徐々に晴れ、薄暗い洞窟の先が見えてくる。ぐるりと視線を巡らせてみるが、もう残るゴブリンは見当たらない。
すべてのゴブリンを撃破したシズクたちは、アルブリット鉱石を、あらかじめ貰っていた袋に詰めると洞窟をあとにした。
「なんか、随分あっさり片付いたな、このクエスト」
鉱石の入った袋を担いだシズクが、物足りなそうに唇を尖らせる。
「いいのよ、これくらいで。あんた、しばらく体動かしてなかったんだから、急に面倒なクエストやったら体壊すでしょ」
「そうだぞ、シズク。ミアラの言うとおりだ。シズクはただでさえ、そこまで強くないのだし、それに久しぶりのクエストだ。あんまり無茶をしてはいけない」
ミアラはともかくとして、フィールの言葉からはシズクの体を気遣うものと同時に、多少の毒がある気がした。
「まあいいさ。俺は英雄になる男だからな。今日のクエストで充分に体は本調子に戻った。明日からはもっと手応えのあるクエストにしようぜ」
ミアラは横目でシズクを見据える。
「それは構わないけど。ていうか、シズク。今日のクエスト、途中心ここにあらずって感じの剣だったわよ。どうかしたの?」
言われて、シズクの声がわずかに裏返る。
「は、え、そんな訳ないだろ」
笑ってごまかすが、ミアラはどこか納得のいかない表情をしている。それもそうだろう。
事実、シズクはクエストの最中、別のことを考えていた。――オカルト部と桜花、そしてこの世界のミアラとフィールのことだ。
やはり、オカルト部のみんなのことを放っておくことはシズクにはできない。が、大切なパーティーメンバーも無視することはできない。
ずっと一緒にやってきた大切なパーティーメンバーか、それとも見知らぬ世界で自分を受け入れてくれたオカルト部のみんなか。シズクには選べない。その迷いが剣に現れていたのかもしれない。
ミアラはしばしシズクの目を見つめると、
「ま、いいわよ。きっと久しぶりに剣を振ったその影響でしょう。あんたの剣って意外に重いしね」
「き、きっとそれだ。いや~、意識してなかったけど、久しぶりだとそう見えんのかな~」
シズクは最大限の演技ではぐらかした。
やっと再会できた仲間とのクエスト。楽しくて嬉しいのに、迷いが頭からこびりついて離れない。
あの世界と比べれば、こっちの世界の方が明らかに居心地が良い。けれど、それでもあの世界のことを思ってしまう。あの世界に住む仲間のことを考えてしまう。
たぶん、迷っている時間はないだろう。答えを決めずに流されていく日常に溶け込んでしまえば、一生後悔することになる。そのことはシズクも充分に分かっている。
だからこそ、分かっているからこそ、シズクは決められない。
「…………俺は、どうすれば」
***
その日、美凪桜花は屋上で昼食を摂っていた。教室で食べると色々と噂されて不快な気分になるため、ひとりになりたかったのだ。
シズクは昨日から続けて今日も学校に来ていない。これで、彼は二日連続で学校を休んでいる。彼と出会ってから、今までこんなことはなかった。
「あいつ、どうしたのかしら……」
桜花は、シズクが描き残した魔法陣を呆然と眺める。これを見ていると、様々な記憶が蘇ってくる。魔法陣の周りをうさぎ跳びで回ったり、噴水の水を飲んだり、そのどれもが下らないと吐き捨てることが出来るはずなのに、思い出すたびに心が温かくなってしまう。
けれど、ふと我に返り、もう味わうことの出来ない思い出であることを再認識すると、虚しさと喪失感に心が支配され、鼻の奥が熱くなり視界が滲む。
桜花はそんな感情を振り切るように、コンビニで買った焼きそばパンを口に詰め込む。
すると、コツコツと靴の音が聞こえてきた。桜花の目は反射的にそちらに移動する。
「ここにいらしたんでですか、桜花さん」
「み、美陽……」
桜花の座るベンチの正面で足を止めた美陽は、哀れみと蔑みに満ちた顔で桜花を見下ろしていた。
「なにか用……なの?」
「いえ、特には。ただ、退部届の方、しっかり書かれているかと心配になりまして」
「ちゃんと書いてるわよ。あとは顧問と担任の判子をもらうだけ。約束通り、明日金曜日には提出するわよ」
「なら良いですけど。それにしても、随分沈んだ顔をされていますのね、桜花さん。笑ってみてはくれませんか?」
どこまでも人を挑発する発言をする美陽に、桜花は勇気を振り絞って視線をぶつける。
「笑えないわよ、こんな時に。それより、私が辞めたらオカルト部には手を出さない、約束はしっかり守ってもらうわよ」
「そんな約束しましたっけ?」
ニヤリと茶化すように口角を上げる美陽。
目を剥いて、桜花は素早く立ち上がる。
「は、話が違うじゃない、美陽。私が辞めれば手を出さないって約束したじゃないっ!」
上擦った声でそう言う桜花。
「ぷっははははは。ひどく真剣ですわねぇ、桜花さん。あなたのそういう顔、苦しみながら乞い願う顔をもっと見てみたいですわぁ」
邪悪さに満ちた満面の笑顔は、桜花の心を甚だしくざわつかせるものだった。
「あ、あんた……」
「安心してください。わかっていますわよ、約束ですわよね、はいはい。私はあなたさえ、孤独に高校生活を送ってくれさえすれば、それでいいんですのよ。むしろ、それだけでいいんですの。あなたさえ関わらなければ、他の部活、生徒は安心安全が約束されますのよ」
桜花の肩に、美陽の右手がぽんと置かれた。不思議とその手は重たく感じ、今にも膝から崩れ落ちてしまいそうだ。それに必死に耐え、目を伏せながら口を動かす。
「そう……よね。わかってるわよ。私が関わらなきゃいいんでしょ」
「そうですわ。その通りです。それでは、私はこれにて失礼します。引き続き良い昼休みをお楽しみください、桜花さん」
声音自体は静かで優しさを感じるものだが、その奥に感じる凄みと威圧感で、桜花は首を縦に振ることしかできなかった。
美陽はそのままくるりと方向を変え、屋上を後にした。
取り残された桜花は、美陽が完全に屋上から立ち去ったことを確認すると、吸い込まれるようにベンチに腰を下ろした。その振動で、横に置いていたオレンジジュースのペットボトルが倒れた。しかし、そんなものには一瞥もくれず、桜花の瞳はじんわりと赤くなる。
口から漏れるのは、潤んだ吐息と微かな声。
「…………私の……せい、か。これから私……どうしたらいいのかな……」
部活を辞めたあとも、ひとりで高校生活を送る未来は、正直なところ願い下げだ。しかし、自分と関わることで誰かが酷い目に遭うのなら、そうするしか道はないだろう。
はっきり言って怖い。ようやく手に入れた暖かい場所を自ら離れて、孤独の道を進んでいくのは。
「…………ねえ、教えてよ。……橋崎」
***
この世界に帰ってきてから数日が経過したある日、シズクは宿屋のベッドで寝転がっていた。
ぼんやりと、天井に吊るされたランプの光を見つめるシズク。今日のクエストでもミアラに、「剣に迷いがある」と言われてしまった。自分では目の前のモンスターに集中しているつもりだが、剣には心が出てしまうらしい。
「どうすりゃいいんだよ……」
こうして静かにしていると、脳裏にオカルト部のみんなの顔がちらついてしまう。中途半端なところで投げ出して、結局なんの力にもなれなかった。出来ることなら力になりたいし、オカルト部も守りたい。
けれど、ミアラやフィールとだって一緒にいたい。彼女らはずっと一緒に冒険を続けてきた仲間だ。それに、一生懸命シズクをこの世界に戻そうと頑張ってくれた。これ以上、迷惑も心配もかけたくない。
英雄だと声を大きくするが、その実、自分がどんな道を選択すればいいのか決められない。これには、自分のことながら閉口してしまうシズクだ。
コンコン、と扉をノックする音が響く。
シズクは上体を起こし、少しばかり大きな声を出す。
「あ、はいはい。開いてるから入ってきてくれ」
古い木製の扉を開けて入ってきたのは、ピンク色の薄い寝巻きを着たフィールだった。
「ちょっといいか、シズク。話があるんだが」
「ああ、構わないけど。つか、お前。今、二十一の時だぞ。普段ならもう寝てるだろ」
「まあな。だが、今日はシズクと話したいのだ」
フィールは長い金髪を揺らしながら、シズクのすぐ隣に腰を下ろす。風呂上りなのか、甘く爽やかな匂いがシズクの鼻腔をくすぐる。
「それで。俺と何を話したいんだ?」
フィールの焦茶色の瞳が、シズクを真っ直ぐに見つめる。
「実はな、教えて欲しいんだ。シズクが見てきた向こうの世界というやつを」
「へ? なんでまた急に」
「だって、この世界に帰ってきてからというもの、シズクは向こうの世界のことを一度も話してくれないではないか。正直、どんなものなのか気になっていたのだ」
口角は上がり、瞳は輝いている。フィールは好奇心旺盛な子供みたいな表情をしている。
別段断る理由もないので、シズクはフィールの頼みを了承する。
「いいだろう。教えてやる。そうだな……向こうの世界には、この世界みたいな魔術がないんだ。モンスターもいない。クエストもない。それに、この世界じゃ考えられないようなすっごい機械だってあるんだ。小さな板で遠くの人間と会話できたり、ちょっと文字を打つだけでたくさんの情報を閲覧できたりするんだ」
「ほおー、すごいな。私には到底考えられない世界だ。モンスターもクエストも存在しないとはな。しかし、シズク。それじゃあ、シズクは向こうの世界で何をしてたんだ?」
「学生ってやつだよ。学校ってところに通って、毎日わけの分からん授業を聞いたり、部活っていうのをしたりするんだ」
「それは楽しかったか?」
フィールの質問は考えるまでもなかった。
「ああ、楽しかったぜ。向こうの世界にも仲間ができたしな」
「すごいな、世界を越えて仲間が出来る人間などそういないだろう。しかしそんな楽しい話をなぜ今まで話してくれなかったのだ。普段のシズクなら自慢げに話してくるだろうに」
「それは……」
シズクが言い淀んでいるのを感じたのか、フィールは優しい声音で訊ねてくる。
「何か、あったのか?」
「……まあ、なんと言うか、ちょっとした事情で向こうの世界の仲間がバラバラになりかけてるんだ。仲間を救うために犠牲になろうとしてる奴だっている」
シズクは俯き、最後に見た桜花の儚げな笑みを思い出す。あの時の顔を思い出すと、自分の無力さと守れなかった悔しさが一気にフラッシュバックしてくる。
「向こうの世界も楽しいことばかりではないということか」
「そういうことだ。口では英雄って言うけど、向こうの俺には剣もなければ魔術もない。呆れるほど無力なんだ。けど、だからと言って何もしないわけにはいかない。無力なら無力なりにあがきたい。でも……」
シズクはそこで言葉を切り、口をつぐんだ。
力を抜くように鼻から息を吐いたフィールは、シズクの言葉を引き取るように言う。
「……私たちと別れるわけにもいかない。そういうことか」
無言で頷くシズク。
「なるほど。それがシズクの剣に現れていた迷いか。それで、シズクはどうしたいんだ?」
「自分でもよく分からないんだ。確かに俺は向こうの世界の仲間の力になりたい。けれど、こうしてお前たちと再会出来たんだ、これからも一緒にクエストや冒険をしていきたい。俺は自分がどうすればいいのか、自分でも分からないんだ」
シズクは自嘲気味に笑い、うなだれた。迷ってばかりいる自分が情けなくて仕方がないが、それでもどちらかを選択するのは難しい。
「けどな、シズク。決めるのはお前だ。シズク自身が決めなければ、たぶん一生後悔するぞ」
「……ああ、わかってる」
「私は、シズクがどの道を選ぼうと応援する。お前が必死に選んだ末の結論なら尚更だ。それともう一つ。助けを求めている者を助ける、それが英雄じゃないのか。シズクは今、誰を助けたいんだ。お前は将来、何になる男だったのだ、シズク」
シズクは瞠目し、言葉を失った。
今、シズクは誰のことを助けたいと思っているのか。シズクはそれを自分自身に問うてみる。答えはすぐに出た。いや、今までもずっと出ていた。ただ、その答えを選んでいいのか迷っていただけで。
「俺は……その答えを選んでいいのか?」
「さあ。それがシズクが悩んだ末の選択なら、私はそれが一番だと思うぞ。シズクがどうしたいかはシズクにしか決められないんだから」
「そっか。なら……俺はこの道を選ぶことに決めた」
フィールは鼻の下を指先で軽くこすると、「そうか」と静かに頷いた。それからベッドから腰を上げ、扉の方へ移動する。
「それじゃ、向こうの世界のことも聞けたし、私はそろそろ寝るとするよ」
「え、もういいのか? 向こうの世界の話ならまだまだあるけど」
斬しむ扉を開けながら、フィールが肩越しに振り向いた。
「知ってるだろ? 普段の私ならこの時間にはとっくに寝てるんだ」
言って、フィールは珍しくウィンクをひとつ。金色の髪をなびかせ、一歩廊下に出る。
「ああ、そうだ。最後にひとつ。シズクの選んだ道にもよるが、もしもの時は、ミアラにはしっかり説明するのだぞ」
真剣な面様でシズクを捉えたフィール。
「ミアラはな、誰よりもシズクを異世界に転送してしまったことを悔いているんだ。シズクがいなくなってからというもの、ミアラは朝も夜もクエストから帰ってきてヘトヘトの時も、街のどこにいるか分からない売人を必死で探して、お前を連れ戻す方法を模索していたんだ。だから、もしもの時は、ちゃんとミアラに話してからにしてくれ。これが、パーティーリーダーとして、幼なじみとして言えることだ」
「分かった。その時は、しっかりミアラに伝える」
シズクは決意を込めた瞳で、力強く頷いた。
「そうか。なら良かった。それじゃあお休み、シズク。私はもう寝る」
ふあ~、とあくびをし、目尻に溜まった涙を手の甲で拭うフィール。バタン、と扉を閉めて出て行った。
「おう、お休み」
こんにちは水崎綾人です。
次回もお楽しみに!




