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ヒロイック・セレクト  作者: 水崎綾人
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第13話「過去と現在と迫り来る逆境」

 翌日、シズクはいつもどおりに登校していた。


 昨晩、部費をもらうための案をあれこれ考えていたせいで寝不足になり、口からは自然とあくびが洩れてしまう。


 口を全開にし、気の抜ける大きなあくびをひとつ。じんわりと目に涙が浮かび、気だるげにシズクは指先でそれを払った。


 眠気と戦いながら、普段と様変わりすることなく校門をくぐり、玄関を目指す。


 そこでシズクはあることに気がついた。玄関横の掲示板に人だかりができている。

「なんだなんだ?」

 目をこすり、人だかりの方を注視する。だが、人が集まり過ぎていて何を見ているか分からない。


 シズクのいた世界の常識で考えると、掲示板に人だかりが出来るのは、高報酬なクエストが発表されたときや、伝説の剣が発見されたときだ。


 が、残念ながらこの世界ではそんなことはない。魔術もモンスターもクエストも存在しないのだから。


 ならば、一体何で盛り上がっているのだろうか。


 シズクは重たい足を動かして掲示板の前まで移動する。

「なんだよ、これ……」

 掲示板に掲載されていたのは、生徒会新聞だった。ただの生徒会新聞ならいいが、シズクが目を疑ったのはその中身だ。


 新聞の一面には、『オカルト研究部の奇行の数々。学校の恥!?』と堂々と書かれていた。シズクはその見出しだけでも憤慨しそうだったが、なんとかこらえる。改めて紙面に目を向け、本文を黙読する。


 生徒会新聞には、『数々の奇行を繰り返すオカルト研究部は学校の害悪であり、風紀を乱す迷惑極まりない部活動である』といった内容が書かれていた。おまけに、昨日美陽がシズクたちの前に提示した写真まで貼られている。

「おはよー、橋崎。あれ、こんなとこで何してんの?」

 後ろから声をかけられそちらを見やると、眠そうな顔をした桜花の姿があった。彼女も部費のことについて昨夜遅くまで考えていたのだろう。開かれた口からはあくびが出ている。

「えっと、その……何ていうか。あれがさ」

 そう言って、シズクは掲示板に貼ってある生徒会新聞を指さした。


 桜花はシズクに言われたとおり掲示板に視線を放る。すると、目を見開いたまま表情が固まった。

「なによ、これ……」

 その語気に力はなく、心なしか震えていた。桜花は唇を噛み、視線を斜め下に固定する。

「何で、まさか……そんな」

 桜花の様子が明らかに変だと感じたシズクは、すぐさま桜花の傍に駆け寄る。

「どうした? おい、桜花?」

「な、なんでもない。大丈夫、全然大丈夫だから、気にしないで。それより、これをこれからどうするか考える方が大事だわ」

 桜花の言うことは一理ある。どんな理由で美陽がこんな真似をしたのかは知らないが、これはオカルト研究部に悪影響しかない。

「あ、橋崎さんに桜花さん!」

 結依の声が聞こえた。


 見れば、結依の他にも琴夏や明日香もいる。彼女ら三人の顔も揃って険しいものだ。


 シズクと桜花は結依たちと合流する。

「橋崎も桜花もあの記事を読んだみたいだな」

 腕を組み、頬を怒りでピクピクと痙攣させたまま琴夏が言った。

「今度こそ我慢できないな。部費を割り振らない上に、うちらの部活の批判とはなあ」

 琴夏の怒りにシズクも同調する。

「ああ。こんなやり方、許せないな」

 自分たちの部活をここまで悪く言われたら、怒らない方が無理がある。たとえ、オカルトに興味がなくとも、部活のことを否定されると、仲間と一緒に過ごした時間そのものが否定されている気分になってしまう。

「こうなったら、もう一回直接抗議しに行くしかないな。ここまでやられて黙ってるわけにもいかないだろ」

 琴夏の言うとおりだ。シズクに異論はなかった。

「俺も同感だ。やられっぱなしでは英雄としての格好がつかない」

 言葉にしなかったが、シズクの中には、なぜ美陽はここまでオカルト部やシズクに絡んでくるのだろうという疑問があった。美陽がどんな目的でこんなことをしているのか見当もつかない。


 シズクの言葉を聞いた部員たちは、一瞬の呆れ顔の後、理解を示したように首を縦に振った。





「おい、これはどういうことだ。え? 生徒会長代理さんよぉ」

 バン、と生徒会長用の机に手を叩きつけ、琴夏が鋭い目つきで美陽に視線を投げた。

「ああ、そのことですか」

 美陽は、琴夏たちが抗議に来るのを予想していたかのように、鼻で笑う。

「どういうこともこういうこともありませんわ。私はただ、あなた方の奇行を一般生徒に知らせただけですの。我が校には、こんな愚かな部活動が存在しているのだと」

「あ? 愚かだ? 何を考えてんのか知らないが、こんなやり方でうちの部活に絡んでくる方が愚かだろうが。それとも何か。お前、オカルト部に何か恨みでもあるのか?」

 聞くと、美陽は笑顔を崩さずすっと立ち上がった。

「恨み、ですか。別に。オカルト部には恨みはありませんわよ」

「じゃあ何でこんなことをする? 私ら結構腹立ってんだけど」

 シズクたちにも伝わって来るほどの怒気を含んだ声で、琴夏は指の骨を鳴らす。

「どうされたんですか、部長さん。指の骨なんて鳴らしちゃって。まさか、私に手を出す、なんてことしませんわよねぇ?」

「……どうだかな」

「もしその気があるのでしたら、お止めになったほうが賢明ですわよ。ただでさえ今朝の新聞によって、オカルト部は奇行を繰り返す危ない部活だということが知られているのに、加えて副会長に手を挙げるなんてことをしたらどうなるか……。ああ、もしそうなったら、私は誠に残念ながら、オカルト部を廃部にしなければならなくなるかもしれませんわぁ」

 その発言に、全員が一斉に息を呑んだ。一瞬の硬直の後、最初に口を開いたのは明日香だった。

「へぇ。もしかして副会長さん、最初からオカルト部を潰そうと思ってたんじゃないですか? けど、そのためにはそれなりの理由が必要だった。だから、私たちの活動の変なところだけを取り上げた記事を発表して、生徒に危ない部活だと思わせた。そうすればたとえ廃部にしても、一般生徒は『危ない部活だったから当然か』くらいの反応しか見せない。副会長自身にもオカルト部を潰す理由ができる。みたいな?」

 明日香はどこまでも冷たい笑顔で美陽を見つめる。その表情からは、本来笑顔の意味する感情とはまったく別のものが伝わってくる。

「ふふ、面白い妄想ですわね。オカルト部の生徒は被害妄想までたくましいのですか? 私はただ、一般生徒に『こんな部活も存在しているのですわよ』と教えてあげているだけですわ。まあ、廃部にするしないは別の問題ですけれど」

 クク、と美陽は喉を鳴らして笑う。


 確かにオカルト部の活動はおかしなものばかりだったとシズクも思う。しかし、だからといって潰されていいわけではない。


 シズクは悪感情を抱きつつ一歩前に出ると、美陽を視界の中央に捉えた。

「お前は何でそうまでしてオカルト部に絡んでくるんだ。潰したがるんだ? どうして? 昨日言ってた学校の無駄を省くとかそういう理由か? それなら部費カットだけでも充分なはずだろ。どうして廃部にまでしようとする?」

 美陽は眼鏡の真ん中を中指で持ち上げる。

「どうして、ですか。確かに、橋崎さんが今おっしゃったように無駄を省くというのも理由のひとつです。いらない部活など消えて当然。ですが、それ以上に――」

 言葉を区切り、美陽の目線がシズクからずれた。シズクの左後ろ――桜花に向けられる。美陽は一瞥した後、言葉を継ぐ。

「――理由がありますわ。が、今は、私の口からは発言を控えさせてもらいます。恐らく、思い当たる人間がいるのではないかと思いますので」

「それって…………」

 シズクが言いかけたが、美陽の声で遮られる。

「そろそろ退出願いますか? もう少しで朝のホームルームが始まりますし。私たちは生徒会室を少し片付けてから出ますので、お先にどうぞ」

 そう言って、美陽は手で扉をさした。とっとと帰れ、ということらしい。


 シズクたちは不満そうに顔を歪めるが、ホームルームの時間も近いのでここに長居するわけにもいかない。


 やりきれない思いを抱えながら、生徒会室から退出した。




     ***




 生徒会新聞の影響は殊の外大きかった。


 教室に戻ったシズクたちを待っていたのは、今までに感じたことのないような不快な空気だった。


 まるで変人奇人、もしくは罪人を見るかのような視線を向けられ、度々嘲笑が聞こえてくる。「おいおい、あれがオカルト部の連中だぞ」「うーわー、まともそうな顔してヤバイことしてんのかよ、あいつら」「噴水の水飲んだとかマジ? ありえねー」などヒソヒソと耳に入ってくる。


 シズクはそれらすべてを黙殺したが、聞いていて気持ちの良いものではなかった。込み上げてくる悲しみと怒りをそっと抑え、自分の席に座る。


 ちらりとクラスメイトに目を向けると、一瞬のざわめきの後、すぐさま目をそらされた。あからさまに避けられている。そしてまた、ざわざわと根拠のない噂話が再開される。


「…………っ」


 言葉になりきれなかった声が、口から空気として漏れ出た。ここまでの疎外感は初めてだ。この教室にもようやく気の合う仲間ができたというのに、このような反応をされるとどこまでも悲しくなる。


 桜花はどうしているだろうか、とシズクは桜花の席を横目で見る。桜花は普段と同じようにホームルームが始まるまでの余暇時間を使い、スマホをいじっている。


 けれど、いつもと同じなのはその動作だけで、表情は違った。桜花の表情は、ただ『無』だった。感情を押し殺しているのか、不自然なくらいに表情がない。


 恐らく桜花の席の近くでは、桜花についての根拠のない噂が繰り広げられているはずだ。それも、桜花に聞こえるようにあえて大きめの声で話しているはずだ。それなのに、桜花は感情を出すことなく無表情を演じきっている。どれほど辛いことか。


 シズクのいた世界では、たとえ新聞に誰かを陥れる情報が掲載されたとしても、疑うより信じてくれた。優しい言葉をかけてくれる者もいれば、強い言葉で元気をくれる者もいいた。多くの人が寄り添ってくれていた。しかし――。


「何なんだよ……この世界は……」


 たったひとつの情報ですべてを知ったように、誰かが誰かを嘲笑う。


 陥れられた少数を、大勢の人間が一致団結して排除する。


 余りにも酷な世界だ。






 昼休み、シズクたちは部室に集まっていた。今後どうやってこの状況を打破していくのかを話し合うためだ。

「くそっ……あの野郎、絶対にオカルト部を廃部にする気だぞ」

 そう言うと、琴夏は下唇を噛んで渋面する。

 同調するように、結依も腕を組んで口にする。

「納得いきません。けど、何でそこまでしてオカルト部を潰したがるんでしょうか」

「さあな。私には見当もつかん」

 顎に手を当て、琴夏は荒々しく息を吐く。

「あの、琴夏先輩。今日って部活、どうするんです?」

 明日香が、いつになく心配そうな顔で訊ねた。

 悩ましげに数秒間黙考した琴夏は、やがて悔しさを宿した声で言った。

「今日は……部活は休みにしよう。また揚げ足をとられるのも避けたいしな」

「ですけど琴夏先輩。それっていつまでですか?」

 不安そうな声音で明日香が問うた。口ごもる琴夏。

「副会長を恐れて部活をしなくなったら、それこそただあるだけの無駄な部活じゃないですか。もしもそうなったら、ますますオカルト部を廃部にしやすくなるんじゃないですか?」

「…………明日香の言うことも一理ある。だけどな、下手に動いて強制廃部にでもなったら後の祭りだ」

 再び苦悩に満ちた顔をした琴夏は、苦しそうに顔をしかめる。

「とりあえず、今日は金曜日だから今日は部活を休みにする。それ以降どうするかは月曜日に決めよう」

 目だけで賛否を問うてくる琴夏に、シズクたちは首を縦に振って肯定を示した。美陽がどのような動きをしてくるか分からない以上、この策が最善案だろう。

「それにしても、学校の奴らってなんで、ああも噂が好きなんだろうな」

 くたびれたように琴夏が呟いた。


 薄々見当がついていたシズクだったが、とりあえず聞いてみる。

「何かあったのか? 琴夏先輩」

「まあな。根も葉もない噂がな。あっちこっちから聞こえてくるんだよ。自分たちには面白おかしい話題かもしれねーけど、こっちからすれば結構不快なことだって分かってんのかねぇ、あいつらは」

 その意見に結依と明日香が同意する。どうやら彼女らもあれこれ言われたらしい。もしかしたら、これも美陽の計画のひとつなのだろうか。部費の次は廃部の危機。考えることが多くて大変だ。

 すると、今まで黙っていた桜花が突然口を開いた。

「あ、あの…………」

 その声は、とてもか細く、どこか思いつめたようなもの。シズクが今まで見てきた桜花からは想像できないものだった。

「もしかしたら、副会長……美陽がオカルト部に手を出してくるのは、私のせかいもしれません……」

 その発言に、全員が驚愕の相で身を乗り出すように耳を傾ける。

「ど、どういうことですか、桜花さん」

 結依が驚きを隠せない様子で訊ねる。

「それは……美陽が私のことを嫌ってるから、かな」

 全員が小首をかしげた。はたしてそれだけでここまでのことをするのか? 少なくとも、シズクのいた世界ではそんなことをする人間はいなかった。

 みんなが理解していないと察したのか、桜花はゆっくりと続ける。

「中学の頃、私と美陽はバスケ部だったの。そんなに人数は多くない小さなバスケ部。キャプテンを任された私は、強くなるために誰よりも練習した。そしてそれを部員たちにも強要した。やるからには勝ちたい、強くなりたい、みんなもそう思ってると思ったから。けど、みんながちゃんと練習に付き合ってくれたのは最初の三ヶ月だけだった。いつしか練習に来なくなって、しっかり来てくれたのは美陽たち数人だけになった。でも、だんだん美陽たちも来なくなった」

 桜花はそこで一度言葉を切ると、辛い記憶を呼び起こすように顔を歪め言葉を継ぐ。

「キャプテンとして、このままの部の状態だと良くないと思った私は、みんなを呼び出して話し合うことにした。大会も近いから練習しよう、って。けど、ダメだった。みんな、『もうついて行けない。キャプテン上手いんですからキャプテンだけでやればいいじゃないですか』って言って去っていった」

「それで、桜花はどうしたんだ?」

 シズクが、桜花を気遣うように優しく聞いた。

「それでも諦めきれなかった私は、部員一人ひとりを回って説得しに行ったの。でも全然ダメ。最後に説得しに行った美陽には、『あなたがキャプテンになってから、バスケが非常につまらなくなりましたわ』『あなたといると全てを壊されますわ。バスケが好きだったという思いも、メンバーのみなさんと一緒にいた楽しい時間も。すべてあなたのせいですわ』『いつかあなたも味わうといいですわ、私のこの感情を』そう言われたわ。だからたぶん、今美陽がオカルト部に手を出してるのは、……私のせいなの。私がオカルト部でちょっとでも楽しい時間を過ごしたから……」

 瞳に溜まった涙を、桜花は人差し指で優しく払った。その涙は恐怖なのか、自分のせいで廃部にされてしまうという罪悪感なのか。

 シズクは椅子から腰を上げ、桜花の肩にそっと手を置く。

「桜花は、みんなで一緒に練習しようと思ったんだろ? だったら桜花は悪くねぇよ。オカルト部のことをちょっとでも楽しいって思ってくれたなら、同じ部員としても嬉しい。それに、お前が楽しいって思ってくれてる部活なら、やっぱり潰されるわけにはいかない。だろ、琴夏部長?」

 いつになく『部長』と呼ばれ、琴夏は一瞬驚いた顔をしたが、やがてニッと笑った。

「そうだな。正直、桜花が楽しんでるか不安だったからな~。それが知れて、部長としても嬉しいよ。あ~あ、この部を失うわけにいかない理由がまたひとつできちまったな」

「琴夏先輩…………」

 涙で充血した目で琴夏を見つめる桜花。

「安心しろ、桜花。この部にはな、英雄になるやつがいるみたいだからな。なんとかなるだろ。な、橋崎?」

 横目で意地悪そうな視線を向けられたシズクは、苦笑しながらも咳払いをひとつ。

「あ、あったりまえだ。この俺を誰だと思ってる? 将来英雄になるという運命を背負い、神からも祝福されている男だぞ。不可能など存在しない!」

 数瞬の間、部室がシンとした空気に包まれたが、やがて桜花のクスッという小さな笑い声が響いた。

「相変わらず、中二ね、あんたは」

 小さく、わずかに潤んだ声だったが、確かにシズクには聞こえた。

「中二なんかじゃない。俺は将来英雄になる男だ。出会った時から言ってるだろ」

「そうね。……そうだったわね」

「だから、桜花だけが責任を感じることじゃないんだ」

 桜花は一度小さく顔を伏せると、ゆっくりと息を吸った。そして顔を上げて、シズクたちに向かって微笑する。

「……ありがと」



 こんにちは、水崎綾人です。

 桜花の過去がようやく明かされました。個々の部員を思うか、成果を思うか、どちらも正しいですが、どちらかに偏っていてはやはりダメだと思います。

 そんな過去を背負っている桜花は、どう動いていくのでしょうか。

 それではまた次回

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