序章「オープン・ザ・ドア――行き先は異世界」
古びた内装の酒場は、いつものようにいかつい冒険者たちでいっぱいだった。
ちらと周りを見渡せば、一日分のクエストを終えて一杯やっている者や、朝から酒盛りをしている者など様々な人がいる。
そんな酒場の隅の席に、とあるパーティーが座っていた。古びた木製のテーブルには安酒が置かれ、そのつまみとして安い肉が大皿に盛られている。
大皿から肉をつまんだのは、眉毛の位置まである茶髪に童顔の少年、シズクだ。
シズクがもぐもぐと肉を食べていると、肩を少し越えるほどの銀髪を後ろでひとつに束ねた少女、ミアラがジョッキに注がれた安酒を豪快に飲み下した。ゴン、と音を立ててジョッキをテーブルの上に置くと、ミアラは美しい真紅の瞳でシズクを見据える。
「突然だけど、異世界から勇者を呼ぼうと思ってるんだけど」
本当にいきなり告げられた言葉に、シズクは耳を疑った。目をぱちくりさせ、同じパーティーのもうひとりの少女、フィールと目を合わせる。
フィールもまた小首を傾げた。その動きに連動して、腰のあたりまである彼女の長い金髪が、ゆらりと揺れる。どうやら、フィールもミアラが何を言ってるのか分からないらしい。
シズクは口に入っていた肉を無理やり流し込み、怪訝な顔で聞く。
「え、待って。ちょっと待って。勇者? 異世界? んん? どういうことだ?」
「そのままの意味よ。知らないの? 何か最近ね、異世界から勇者が来るみたいなのよ」
「はあ……。勇者ねぇ」
ミアラはこくりと頷くと、話を続ける。
「そんで、その異世界から来た連中ってのは、ほとんどの確率ですっごい強いスキルを持ってるらしいのね。それはもう、本当に強いスキルを」
「おお。そんなに強いスキルなのか。それはどんなものか気になるな」
ミアラの話に、フィールが食いついた。いつもは静かなフィールだが、どうやらこの話には興味があるらしい。
「あ、いや、どんなスキルなのかは詳しくは知らないんだけどさ。けど、パーティーに結構貢献してくれてるみたいなのよ」
「ほお。それはすごいな!」
フィールは茶色い目をキラキラと輝かせた。
それが本当なら確かに凄い。だが、シズクはそんな凄いやつは好きになれる気がしない。
頬杖をつきながら、シズクは口を開く。
「それで。ミアラはその異世界から勇者を呼ぼうってのか?」
「そうそう! うちにも勇者が来てくれれば、今後の冒険者生活だって安泰じゃない?」
確かにミアラの言うとおり、勇者が来てくれれば安心だし、安泰だ。しかし――。
「俺は反対だね。勇者を呼ぶなんて絶対やだ!」
きっぱりと反対すると、ミアラは面倒くさそうに顔を歪めた。
ちらっと目線をずらすと、フィールもミアラ同様に何やら面倒くさそうな顔をしている。
「一応、聞いておくけど、なんで反対なわけ?」
シズクは安酒をぐいっと一口飲み、大きく口を開く。
「そんなの簡単さ。俺は将来、英雄になる男だ。英雄すなわち勇者。つまりッ、このパーティーに勇者は二人もいらないのさ」
言い終えた瞬間、ミアラとフィールのため息が重なった。
「出た。またそれ」
「出てしまったな」
ふたりとも何やら呆れているご様子。テーブルに肘をつき、眉間を抑えて項垂れている。
しかし、たとえ呆れられていても、こればかりは譲れない。シズクは英雄を志しているのだから。
「いいか? 俺が英雄を目指そうと思ったのはだな」
「シズク、言わなくていいから。もう何回も聞いたし、その話」
ミアラが手を伸ばし、シズクの自分語りを止めようとしてくる。だが、そんなのは華麗にスルーするシズクである。
「あれはまだ八歳の頃だった……」
「始まった」
視界の隅に首を垂れるミアラを捉え、シズクは話を続ける。
「当時幼かった俺は、お前らとパーティーを組んで冒険者ごっこをしてた。でも、お前らが俺を置いて先に行っちゃうから、俺は山の中でひとりになったんだ」
せっかく話しているというのに、ミアラもフィールも下を向いていたり、肉を食べたりしている。
心が折れそうになりながらも、シズクは大きく身振り手振りしながら構わず語る。
「そんな時、どこからか強そうなゴブリンモンスターが現れたんだ。あの時は八歳ながらに死を覚悟したね。『あー殺されるー』って思ったその時だ。襲いかかってきたモンスターが目の前で一刀両断、そして綺麗に爆散! 『一体、誰が!?』って周りを確認したら、爆散するモンスターのすぐ後ろに、ひとりの男が立ってたんだ。見たことない服を着た男の手には剣が握られていた。もう一瞬でわかったね。彼がモンスターを倒したんだって。俺は咄嗟に命の恩人に名前を聞いたんだ。そしたら、その男はなんて言ったと思う?」
聞いたが誰も反応しない。涙がこぼれそうになったが、なんとか堪える。
「『名乗る程の者じゃない。ただの英雄さ』って言ったんだ! いや、もう超格好いいだろ! その時からなんだ、俺もあの男みたいに英雄になりたいって思ったのはさ。だから、異世界とかいうどこか知らない世界からやってきた野郎に、英雄の座なんて渡したくない!」
最後にバン、とテーブルを叩き、力強く自らの意見を訴えた。
が、返ってきたのは、「あ、終わった?」「ようやく話が終わったのか」という冷酷無比な反応だった。
いくら聞き飽きてるからといっても、さすがに酷すぎな気がする。
ミアラは目にかかった自身の銀髪を手で払うと、
「つまりシズクは、自分が英雄になるんだから、有能な他の奴はいらねーよ、って言いたいのね?」
「言い方に悪意を感じるが、だいたい合ってる」
すると、一拍の間を置いてミアラが身を乗り出すように、テーブルに手をついた。
「ばっかじゃないのぉおおおおおおおお! いつまでそんなこと言ってんのよ! あんた、このパーティーの中で一番弱いじゃない!」
「おい、ちょおい。待て待て待て! これから強くなるんだよ、たぶん……」
実際のところ、本当にパーティーの中で一番弱いため言葉尻が弱くなる。
ミアラはそんなシズクのことなど構うつもりはないらしく、言葉はさらに口から放出されていく。
「強くなるってんなら、あんた、ちゃんと自分の適合職やりなさいよ!」
「うぐっ……」
言葉に詰まるシズク。
この世界には、人それぞれに最も適しているパーティー職業というのがある。その職業以外の職につくことももちろんできるが、適合職以上の成果は見込めない。そのため、多くの冒険者が適合職を自身の職としている。
「あんた。自分の適合職なんだっけ?」
凄みのある目で、ミアラが確認するようにシズクを睨めつける。
シズクはミアラから目をそらしながら、自分のすぐ隣に置いてある剣の鞘を握る。
「け、剣士、です」
「嘘つけっ! あんたの適合職、魔術師でしょ! 剣士はあたしよ!」
間髪容れずにミアラの修正が入った。彼女は腕を組むと、少々威圧的に胸を張る。
「シズクが剣士やりたいって言ったからあんたに剣士やらせて、あたしが代わりに魔術師やってるけど、異世界から勇者呼ぶのが嫌なら元に戻すわよ」
「は、はあ!? お、俺から剣を奪うってのか?」
「代わりに杖をあげるわ」
「いらねーよ! 木の棒じゃん」
「だいたい、何でそこまで剣士にこだわるのよ。英雄なら、魔術師職のままでも目指せるじゃないの!」
ミアラのその言葉を、シズクは鼻で笑って一蹴した。
「魔術師で英雄? 何だその邪道。英雄の王道は剣士だろ! 剣振って勝利を収めるんだよ! 魔術師の英雄なんて聞いたことないぞ。魔術師なんて杖振って終わりじゃないか」
「その魔術師があんたの適合職なんだけどね……」
ミアラの言葉が、シズクに突き刺さる。シズクは話を元に戻そうと空咳をひとつ。
「つか、どうしてそこまで異世界から勇者を呼びたいんだよ? 今のままでも良いだろ?」
「あんた……。この、あたしたち三人だけの弱っちいパーティーを少しでも強くしようとは思わないの?
」
「いや、だから、俺が英雄的に強くなれば解決す――」
「黙ってなさいよ、馬鹿。あたしとシズクは適合職を交換してるから、良い成果は期待できないじゃない。だから、異世界から勇者を呼んでその穴を埋めようと思ったのよ」
「なるほど。たしかに、ミアラの言っていることは一理あるな」
今まで黙っていたフィールがミアラの側についた。これでは二対一である。
「ほら、フィールもそう言ってることだし。あんたが適合職の魔術師をやらずに剣士を続けていくってなら、異世界から勇者を呼ぼうと思うんだけど?」
どこか勝ち誇ったような顔をするミアラ。
シズクは奥歯をギリっと噛み、眉間に皺を寄せる。シズクとしては、剣士の職のままでいたい。しかし、凄まじい能力を持つという勇者なんて存在は呼び出されたくない。もし本当にすごい力の持ち主ならば、シズクが英雄になるという夢がそこで絶たれてしまいかねないからだ。
散々迷った挙句、シズクはようやく答えを出した。
「お、俺は……。俺は剣士の職のままでいたい」
「じゃあ、異世――」
「し、しかし、勇者を呼ぶのはやっぱり反対だ!」
「はあ?」
呆れと面倒くささに満ちたミアラの冷たい視線が、シズクの体を容易に貫く。
「つ、つか、だいたいどうやって異世界から勇者を呼び出すってんだよ! 魔術を使うにしても、そんな簡単な魔術じゃないだろ」
苦し紛れに反論するシズク。
この世界の魔術は、基本的な術以外は、一般に『売人』と呼ばれる魔術専門の商人から買い取るのだ。だが、異世界から人を呼び出すという魔術などシズクは知らない。おそらく、相当に希少なはずだ。つまり、価格もそれ相応にするだろう。そんな余裕はこのパーティーにはあるのだろうか。
「そうね。たしかにシズクの言うとおりだわ。けどね、この前、異世界から人を呼び出せる魔術を安価で売っている売人と出会ったのよ。ちょうど、あんたの持ってる剣と同じくらいの値段だったわね」
言われて、シズクは自分の剣を見る。この剣は銀貨一枚で購入したものだ。安くはないが、高度な魔術を買うのだとしたら高くはない。
「だからシズクの心配は杞憂ってやつよ。それで、結局のところどうする? 適合職に戻す? それとも、勇者呼ぶ?」
口をつぐみ、俯くシズク。そんなシズクの様子を見て、ミアラが優しく声をかける。
「別に勇者が来てもいいじゃない。たとえ、シズクが英雄になれなくても、あたしたちは見捨てたりしないわ」
続けてフィールも口を開く。
「そうだぞ、シズク。お前は私たちのパーティーの立派な一員だ。英雄になれなくてもそれは変わらない」
とても暖かい言葉だった。シズクは目頭が熱くなるのを感じた。
実際のところ、このパーティーはかなり弱い。普通のパーティーに比べて人数が少ないというのも理由の一つだが、シズクとミアラが適合職を交換しているというのもある。
そのため、戦力増強のために異世界から凄い人材を召喚したいというのは充分に理解できる。シズクが適合職である魔術師に戻らないというのなら尚更だ。
シズクは小さく息を吐き、悩みぬいた決断を口から放つ。
「いや、勇者はいらないし、剣士の職も諦めたくない」
言った瞬間、ミアラが魔術師のシンボルでもある杖でシズクの頭部を殴った。重い衝撃が脳を襲い、シズクは顔面からテーブルに叩きつけられる。
「それじゃ話終わんないでしょうがっ! もういいわよ、多数決で決めるから。最初からこうするんだったわ。ちょうどパーティーメンバーは三人だし、割れることもないでしょ」
一息にそう言うと、ミアラはこほんと可愛らしく咳払いをひとつ。
「それじゃあ、異世界から勇者を呼んで戦力アップをはかりたい人、手挙げてー」
ミアラはシズクを一瞥することなく手を挙げ、フィールはどこか申し訳なさそうに微笑しながら挙手をした。結果は呆気なく決まってしまった。
シズクが呆然と固まる中、ミアラの声が響く。
「はい。それじゃ、異世界から勇者を呼ぶことに決定でーす」
数日後。シズクたちは、泊まっている宿屋から少し離れた小さな空き地まで来ていた。草はほとんど生えておらず、乾いた地面がむき出しになっている。
今日はこれから異世界人を召喚しなければならない。
シズクはその準備として、平野の中央に魔法陣を描いている。シズクとしては憂鬱な気分だが、勇者を呼ぶことは既に決定してしまったことなので、今更どうあがいても無理なのはわかっている。
カリカリと木の棒で魔法陣を描くこと数分。ようやく完成した。半径二メートルほどの中規模魔法陣だ。ミアラの話だと、この程度の魔法陣で充分だそうだ。
「描き終わったぞー。本当にこんなんで異世界の勇者を召喚できるのか?」
「売人はできるって言ってたわ。けど、召喚じゃなくて転送だって言ってたけど」
濃紺の魔女帽子に焦茶色のマントをなびかせたミアラが、杖の状態を確認しながらそう言った。
「ん、転送?」
「ええ。召喚だと向こうの世界の肉体を一度消滅させて、こっちの世界に持ってくるみたいなんだけど、それだと魔力も価格も高いんだって。でも、転送なら魔力も価格も安いし、向こうの世界の体も消滅させないんだって。だから、こっちにしたのよ。お得でしょ」
どこか訳ありそうな魔術な気もするが、同じような効果があるのなら安いほうがいいだろう。
「へぇ。そういうことか」
「そういうことよ。あとは、あたしが魔術を発動するだけだから、シズクはもう下がっててもいいわよ」
杖をトン、と地面に突き刺し、ミアラは魔法陣を見据える。
「分かった。じゃあ、そうする」
「ごめんね、シズク。強引に決定しちゃって」
その声は、多少の申し訳なさを孕んだミアラの声。
シズクは特に振り返ることはせず、背中を向けたまま言葉を返す。
「いや、別にお前が謝ることじゃないさ。パーティーの決定だし仕方ない」
「そう。ありがとね。これからも一緒に頑張っていきましょ、シズク」
「そうだな。それに、俺はまだ英雄になるのを諦めたわけじゃない。たとえ異世界から勇者が来ても、それよりも強くなれば問題ないんだ」
ミアラは安心したようにクスッと笑う。
「シズクらしいわね。安心したわ。それじゃ、そろそろ儀式を行うから下がってて」
シズクは再び足を動かし、ミアラから距離を置いた。フィールのすぐ隣まで行くと足を止め、ミアラの姿を遠くから眺める。
少しすると、まるで小鳥のさえずりかのような綺麗なミアラの声が、呪文を詠唱し始めた。右手に持った杖を豪快に振り、魔法陣へ魔力を集中させている。
それに従って、シズクの描いた魔法陣はゆっくりと紫色に発光していく。
詠唱が終盤に行くにつれて、魔法陣の輝きは最高潮に達する。眩いその輝きに、シズクとフィールは目を細める。と、その時だった。
シズクの脳に激しい痛みが走る。脳を内側から叩かれているような、どこまでも不快で耐え難い痛みだ。
「あ、……あぐ…………がはっ……んぐぐぐぐぐぐ……っ!」
額を抑え、シズクは苦しみに声を漏らしながらその場にうずくまる。
「ど、どうしたのだ、シズク? おい、しっかりしろ、シズク!?」
隣にいたフィールが慌ててシズクに声をかけてくる。普段のフィールからは考えられないような緊迫した声音だ。
「おい、大丈夫か? シズク、どうしたのだ?」
だが、シズクはその言葉に応えることができない。今までに体験したことのない痛みのせいで、それどころではないのだ。
フィールはシズクの背中をさすりながら、ミアラに向かって言葉を放つ。
「おい、ミアラ。シズクの様子がおかしい。儀式は中断だ。シズクを介抱するのが先だ!」
ミアラは直ちに魔術儀式を切り上げ、焦茶色のマントを風になびかせながらシズクたちのもとへ駆け寄る。右手に携えている杖を放り投げ、ミアラは心配そうな表情でシズクの肩に手を置く。
「ちょっと……どうしたのよ、シズク? 大丈夫? ちょっと!?」
いつになく心配そうなミアラだが、やはりシズクはそれに返事をすることはできない。それどころか、先ほどまでよりも頭痛はさらに激しさを増している。
その時だった――。
シズクの視界が歪に湾曲した。地面が、空が、世界が、まるで波打つようにうねり出す。
次いで、シズクのすぐ真下に紫色の魔法陣が展開した。それは、先ほどシズクが地面に描いたものと酷似している。いや、酷似というより、そのものと言ったほうが良いかもしれない。
けれど、ミアラが詠唱を止めた時点で、儀式は不履行になっているはずだ。一体どうなっているのだろうか。
シズクの真下に形成された魔法陣は、徐々にシズクの体を通過していく。それに連れてシズクの意識は遠のいていく。
ミアラとフィールが心配そうな声で何かを叫んでいるが、その声は激しい頭痛に耐えるシズクの絶叫で遮られる。
やがて、紫色に輝く魔法陣がシズクの体を完全に通過した。
その瞬間、シズクの視界はブラックアウトし、完全に意識は途絶えた。
初めての方は初めまして。そうでない方はお久しぶりです。水崎綾人です。
前作を書き終えてから一年半ほどが経過しました。お待ち頂いていた方がいらっしゃいましたら、大変長らくお待たせして、申し訳ございませんでした。
本作「ヒロイック・セレクト」は以前書いたものを本サイト用に修正したものになりなす。
前作よりはまとまった内容になっているかと思いますので、よろしければ今後とも読んで頂ければなと思います。
それでは、次話へと続きます。よろしくお願いいたします。