7話
慧が飛行機を降りる時も、2人はキャイキャイ騒いでいた。
「沖縄なんていつぶりだろー!」
「あたし小学校以来かなー?小学校卒業してからは向こうにいたからさー」
「そうだよねー。急に転校するとか言うからびっくりしたんだよー?」
遠くから見ていると微笑ましい。
ー俺はいつまでこの笑顔を見てられるだろうな…。
そんな考えが頭をよぎった。
「慧ー!なにしてるのー?はやくー!」
「わあったよ」
「慧様」
政が心配しながら言った。
「いいか、この事は誰にも言うんじゃねぇぞ」
「…分かりました」
「さすが沖縄…。暑いね~…」
「そうねぇ、暑いわ…」
「お前ら暑さに弱すぎ」
よく見ると、奏の顔色が良くない。
脂汗をかいている。
「奏…?顔色悪いけど、大丈夫?」
「え?大丈夫だよー?」
といつものようにヘラっと笑って見せた。
「待て待て、大丈夫じゃねぇだろ」
と、慧は奏をお姫様抱っこした。
「きゃぁ!?ちょっ…!慧!?」
「顔色悪いのに歩かせてられるか。いつから我慢してたんだ」
「えっと…」
飛行機降りたあたりから、と正直に告白する。
すると、「もっと早く言え」と慧に怒られた。
「あっ!ずるいー!あたしも奏のことお姫様抱っこしたいー!」
「できるわけねぇだろ」
きぃー!とマリーは地団駄をふんだ。
「仕方ないわ、今回は見逃すわよ。とりあえず、別荘着くから、着いたらベッドに寝かせましょ」
「だ…大丈夫だよ!あたし全然…」
「元気じゃない」
うっ…。
そうこうしているうちに、別荘に着いた。
小さい頃に来たことのある、懐かしい別荘。
そのままだ。
「入って、部屋はわかるわよね?」
マリーが扉を開けてくれた。
「おう、わかってる」
氷嚢持ってくるわね、とマリーはキッチンの方へ向かった。
部屋はオーシャンビューで、25畳の広い部屋だ。
テレビ、冷蔵庫、ソファー等を完備していて、一瞬どこかのホテルにでも来たのかと見間違える程だ。
慧はベッドに奏を寝せた。
「えへへ…。ごめんね…」
「気にすんな。もっと早く言え、バカ」
「ごめん」
その時、入るよー、とマリーの声がした。
「奏、大丈夫?」
「うん!大丈夫だよ。マリーもごめんね、心配かけて…」
「奏が元気ならいいよー!顔色も良くなってるし、よかったー」
「でも、なんでいきなり具合悪くなったんだろう…?」
さぁ、と奏とマリーは首をかしげた。
「今までこんなことなかったんだけどなぁ…」
「でも、よく考えたらかなり飛行機の中クーラー効いてたわよね?」
確かに、飛行機の中はかなり寒かった。
それなりに調節はしてもらっていたものの、それでも寒く、奏は備え付けのブランケットをかぶっていたほどだ。
「そういえば、かなり寒かったかも…」
「それのせいもあるんじゃないのか?」
「お嬢様、念のためお医者様に行かれては…」
と、希望が心配しながら尋ねた。
「医者に行くほどじゃないよ、大丈夫。過保護だなぁ」
「大丈夫だよ、俺らが見てるから。希望だって疲れたろ、休んでいいよ」
慧が言うと、最初は何か言いたげだった希望も、引き下がった。
ドアのノックする音が聞こえ、振り向くと、皐月が医師を連れてきていた。
「うちの提携病院の先生よ」
マリーが紹介元らしい。
いつの間に呼んでいたのだろう。
「聖ファミリア病院の医師をしております、立山と申します」
一瞬、慧の顔が引きつったように見えた。
「皐月にね、呼んでもらったの。やっぱちゃんと見てもらわないとさ、来た意味ないでしょ?」
立山は、奏に質問しながら診察を始めた。
いつから具合が悪かったか、前にこんなことがあったのかなど。
奏は一つずつ答えていった。
一通り診察を終えると、立山は
「長時間飛行機に揺られた疲れと、クーラーの効きすぎによってストレスが溜まっていたのでしょう。疲れから来るものですので、大事ではありませんよ」
とにこやかに言った。
「ほら!大したこと…」
「あるよ」
へ…?
「慧…?」
その時の慧の顔はいつもの顔ではなく、自分の事のような辛い顔をしていた。
「ただの疲れだったじゃん?大丈夫だよ?」
「お前っ…!ただの疲れって言うけどなぁ!」
慧が大声で怒鳴る。
奏の肩がビクッと跳ねた。
「ねぇ、どうしたの…?いつもの慧じゃないよ…?」
「…っ!」
慧は、その場を立ち去った。
「慧様…っ!」
政が後を追った。
奏は、ショックだった。
どうして…?
慧…。
どうして怒鳴るの?
どうして泣きそうな顔をしていたの?
どうしていなくなるの?
「ねぇ、奏。慧明らかに様子おかしすぎない?変よ、いくら心配だったからってあんな慧初めて見たわ」
奏は声を出すことが出来なかった。
様子がおかしいのは分かる。
今まであんなに怒鳴ることなんかなかった。
喧嘩をしても、怒らなかった。
怒鳴りもしなかった。
その慧が初めて怒鳴った。怒った。
「うん…。おかしいよね…。」
「政さんが追っかけてくれてるから大丈夫なんだろうけど…」
今日違う部屋用意しようか?
マリーからの申し出はありがたかった。
いつもの慧ではなく、どこかおかしい慧と同じ部屋で大丈夫なんだろうかと不安だ。
でも、だからこそ。
「ありがとう、マリー。でもね、一緒の部屋でいい…ううん、一緒の部屋がいいんだ」
「…そっか」
あたし二階のいつもの部屋にいるから。
そう言い残して、二階の自室へ戻った。
部屋には、奏と希望が残された。
重い沈黙が流れる。
「一度だけ」
希望が沈黙を破るように口を開いた。
「一度だけ、慧様がこうなったことがございます」
「え…?これが初めてじゃないってこと…?」
はい、と希望が言った。
「メイド執事で…正確には、私と、皐月と政で1日交換してみよう、とやったことがございます」
あぁ、思い出した。
それは、マリーがまだ転校する前の話。
まだ小さかった私達は、気づかなかった気がする(奏は、気づかなかった)。
「三家の旦那様や奥様も面白がっておられたのですが…。やはり、慧様は男性でしたから…。気づかれたんだと思います。あの時怒鳴られた事は今でもはっきり覚えています。慧様、昔は私たちにでさえ笑顔をお見せしていただけなかったんです。慧様も随分と変わられたんですよ」
そんな事があったんだ…。
あたしの知らない慧の事を希望は知ってる…。
胸の奥に重りが乗ったように重くなった。
すると、着信音が鳴った。
「あら…。失礼します」
希望のケータイだったようだ。希望はケータイを持って部屋から出ていった。
部屋に1人残された。
慧…。
奏の目から涙がこぼれた。
最初はこぼれるだけだったが、次第に溢れ出て泣き声まで出てきた。
元気だよって言いたかっただけなのに。
心配ないよって言いたかっただけなのに。
なんであんなに怒ったの…?
「慧…!」
ベッドのかけ布団を頭まですっぽり被って、奏は泣いた。
泣くだけ泣いて、いつの間にか、意識が飛んだ。