10話
慧は奏を抱き締めた。
その時、ふと奏は慧の体の違和感に気づいた。
どうしてだろう、妙に体が熱い…?
そう思った瞬間、慧の体から力が抜け、慧は奏に乗りかかった。
奏は慧を受け止めた。
「け、慧…?体熱いよ?」
呼んでみても答えはなく、ただ荒い息遣いが聞こえてくるだけだった。
「ごめん…。大丈夫…なんだけど…」
「大丈夫じゃないでしょ!体熱いし、呼吸荒いよ?どこが大丈夫なの!?」
奏はスルリと慧から抜け出した。
慧をベッドに寝せ直すと、
「待ってて、政さん呼んでくるから」
と部屋を出ようとした。
「待って…っ」
慧に腕を掴まれ、奏はベッドへ振り返った。
「行かないで…」
「どうして?だって慧の体おかしいよ…。政さんなら何か知ってるんでしょ…?」
すぐ戻ってくるから、だから待ってて?
奏は慧の腕を優しく解き、部屋を出ていった。
部屋を出てすぐ、希望と出会った。
「希望っ!」
「お嬢様?いかがなされたのですか?」
「政さん見てない!?」
「先程まで一緒にいましたが…」
分かった、ありがとう!と希望は何がなんだか分からないままはぁ、と言うしかなかった。
しばらく探し回り、あちこちを回ってみた。
政は中庭で黄昏ていた。
「政さんっ!」
「奏様?」
奏の慌てた様子に政は驚いていた。
「慧がっ…!慧を助けて…っ!」
奏がそう言うと、政は血相を変えて走り出した。
向かうのは部屋だ。
政に追いつこうと必死に走ったが、政か早く追いつけなかった。
政さんが血相を変えて走っていくくらいだから、慧相当酷いんじゃ…?
奏は来た道を急いで戻った。
勢いよく部屋の扉が開き、ベッドに寝かされた慧の肩は小さく弾んだ。
「…慧様…」
息を切らして来た政を見ると、かなり焦り走ってきたようだった。
「政…。そんなに焦らなくたって俺はだいじ…」
「そんな訳ないじゃないですか!」
政は慧の言葉を遮って叫んだ。
政がこんなふうに叫ぶのは初めてのことだった。
慧は呆気に取られた。
「政…?」
「これが何度目だとお思いですか!もう1度や2度の事では無いでしょう!?どれだけ…」
慧は開け放たれた扉に目をやった。
まだ奏が来る様子はない。
「どれだけ心配させるおつもりなのですか…」
慧はこの後に続く言葉を察した。
扉は開け放たれたままだ。
「政やめろって」
「いつまでご病気の事を奏様に隠すおつもりなのですかっ!」
「政!」
「え…?」
2人は声のした扉の方に目をやった。
すると、奏が部屋に着いたところだった。
「奏…」
奏は慧の声に振り向かず、走り去っていった。
「奏っ!」
慧はベッドから跳ね起き、奏を追いかけた。
政も2人の後を追いかけた。
奏は、ただ無心に走っていた。
何も考えなくていいように。
涙が零れないように。
気がつくと、ハコニワにたどり着いていた。
おじいちゃん、おばあちゃん。
私はどうしたらいいんだろう…?
ハコニワの隅にある小さな建物。
よく休憩場所として使っていた場所だ。
奏の逃げ場所として使っている場所。
ハコニワに着くと、奏の目からは自然と涙がこぼれ落ちた。
あたしは慧の体の事を何も知らない…。
今まで知ろうとしなかったわけじゃない。
慧が学校を休む度、理由を聞いても「内緒」とはぐらかされて終わっていた。
慧にとっては隠しておきたかったのかもしれない。
だけど、私は知りたかった。
慧がこんなことになる前に。
こんな形で聞きなくなかった。
「うっ…ひっく…」
自然と嗚咽がこぼれた。
止まらない。
止めたいのに、慧を思うと嗚咽も涙も止まらなかった。
「……奏」
奏はハッと顔を上げた。
目の前には慧が小さなプレハブの扉を支えにして立っていた。
肩を上下させて呼吸していた。
走って追いかけてきたのだとわかった。
慧はおぼつかない足取りだったが、確かに奏へと向かって歩いてきた。
奏の前につくと安心したかのように両膝をついて奏にもたれかかってきた。
「慧…。なん…で…」
「ごめん」
そう言うと、慧は奏を抱きしめた。
奏は慧を抱きしめ返した。
慧から伝わる体の熱は更に熱を帯びて、今にも倒れてしまいそうな慧の限界を教えていた。
「なんで…」
「身体のこと…隠しててごめん」
奏の目からはさっきよりも大粒の涙がこぼれ落ちた。
「なん…で…隠してたの…?」
「ごめん。心配させたくなかった。でも…」
いつか話をするつもりだったんだ。
まただ。
いつか。
慧のいつかはずっと後だ。
いつか話をするから。
いつか。
いつか。
「慧のいつかっていつなの?」
慧はびっくりした顔をして奏を少し離した。
奏は俯いた。
「いつかって。いっつもそう。病院に行った時も、なんで病院行ったのって聞いても内緒とかいつか話すからって。いつかっていつ?」
それ聞き飽きたよ。
ねぇ、なんで教えてくれないの?
奏の問いに、慧は答えることができなかった。
ただ「ごめん」と謝ることしかできなかった。
だが、慧の体は限界を迎え、奏へゆっくりと倒れた。
奏は倒れてくる慧がひどくゆっくりと感じ、倒れてきた体を支えると慧の重さが奏を現実へと引き戻した。
先程よりも体が熱く、息も荒くなっていた。
「慧…っ!」
「奏…。明日…全て話すつもり…だったんだ…。このまま…隠し通すことも…出来たかもしれない…。けど…」
奏は首を横に振った。
溢れ出す涙を止めることは出来なかった。
必死に堪えようとしてもこらえ切れずに溢れてくるばかりだった。
「もうしゃべらなくていいよっ!もういいから…!」
だからお願い-ーー-
あなたまで泣かないで。
慧は表情を緩めると同時に気を失ってしまった。
体で慧の重みを受け止める。
程よい筋肉質で細い体は思いのほか重かった。
「慧っ!」
奏は思わず叫んだ。
「慧様っ!」
その声は、何もできない奏にとっては救いの声だった。
「つ…政さん…」
政は慧の容態を見て、ホッとしているようだった。
「奏様、慧様は大丈夫です」
「政さんは知ってたんだよね。いつからこの事を…」
話せば長くなります、と政は前置きした。
ですが、と言葉を区切った。
「慧様はご自分でお話されるようですから、私からお話は出来ません。ですが、これだけはお伝えしておきます」
私は最初から知っていました。
今まで隠していて申し訳ありませんでした。
と、政は言った。
「慧様をお部屋までお連れしますね」
「あたし、一緒にいちゃダメかな…?」
「むしろ一緒にいていただいてもよろしいですか?」
政はいつもの笑顔を見せ、軽々と慧を持ち上げ歩き出した。
その後ろを奏はついて行った。