曇天の苺ショートケーキ
食べ物をいただくには、作法とか、流儀とか、常識とか、食べ方とか
いろいろ面倒臭いもんですな。
苺のショートケーキ。
俺はこんな難しい食べ物が、さながらケーキの定番、代名詞、メインアイコンのように扱われている事に、少々腹に据えかねるものを感じている。
誤解のないよう言っておくが、確かに苺のショートケーキは美味い。
俺もこの難物を憎からず思っている。ただ、自分から進んでは買わない。
が、今俺の目の前にはその難物--苺のショートケーキがある。
ううむ……
家賃を払いに、一階の大家さんを尋ねる。
ピンポーン 「すいません御免下さい」
「はい~、今出ます。ああ、鳥本さんこんにちはぁ」
身なりの良いお婆様が奥から出てきて、俺を迎えてくれる。
「どうも。お家賃納めに参りました。遅れてどうもすいません」
「いえいえ、いいんですよ。ありがとうございますねぇ」
玄関先で毎月かわされる、いつもの挨拶だが、俺はこの日常的儀式が好きだ。心がなごむ。
「暑くなりましたねぇ、お体の方は大丈夫?」
「まあ、無理なくやっとります。大家さんもお気をつけくださいね」
「この前は養命酒、ありがとう御座います。ねぇもう本当」
「いえいえ、あれは俺からじゃなく松山君からなんで。いつも上で騒がしくして申し訳ないです」
「最近お仕事の方はどう?」
「ええ、色んな人に助けてもらって何とかやっとります」
この、月に一回行われる、他愛無い社交辞令の差し合い。
時に殺伐とする俺に、何よりの癒やしである。
が、
「ああそうそう。鳥本さんケーキ食べる? 一個余っちゃって」
「あ、よろしいんですか? いやいやありがとうございます、図々しく頂きます」
「ちょっと待っててね、すぐ持ってきますから」
俺は甘い物が好きだ。どれくらい好きかと言えば、甘い物で酒が飲めるくらい好きだ。
焼き肉食べ放題でもデザートがあると嬉しくなってしまう。和洋東西を問わず、甘い物が好きだ。(まあ、苦手なものもあるのだか)
そうして、内心舌舐めずりをする俺に、大家さんは大きめのケーキの箱を持ってくる。
中身は……苺のショートケーキが1個だけ入っている……。苺のショートケーキが。
「苺のショートケーキ。お好きかしら?」
「はい、大好きです。すいませんごちそうさまです」
「あ、ごめんなさい気が利かないで。箱移し変えましょう」
「ええ、いやいや、こちらで捨てておきますんで、そのままで結構ですよ」
「じゃあ、お願いできます?」
「いえいえ恐縮です。ごちそうさまです。じゃあ、そろそろ。今月もよろしくお願いします」
「はい、こちらこそぉ。お体にきをつけてね」
「どーも、失礼しますー」
そうして、俺は一階の大家さんの玄関先を辞した。
……さて
こうして俺はこの難物を久々に迎えることになった訳だ。
万年床を押しのけて、ちゃぶ台を出す。
電気ポットのスイッチが、パチンと音を立ててOFFになる。
引き出物で貰ったアッサムティーのティーパックをマグカップに入れ、お湯を注ぐ。
色と香りが出たらサッと引き上げ、軽めに煎れる。砂糖は入れない。
ショートケーキを白い皿に移し、デザートフォークを添える。共に100均で揃えたものだ。
このショートケーキ。
苺のスライスと生クリームをスポンジケーキで挟み込み、その周りを生クリームでコーティングした上に、苺を一粒あしらった、いかにもといったものだ。苺は小型ならず中型。これはありがたい。
そして、俺はちゃぶ台の前に陣取る。目の前には紅茶とケーキ。
腕を組み、紅茶をひとすすり。ちょうどいい熱さ、軽い渋味。これで良し。
準備は整った。もはや逃げ場は無い。
「……いくか」
おもむろにフォークを手に取る。
そして、この二等辺三角形の切っ先を、唐竹割りにぶった斬り、切り落とされた切っ先を、俺は口の中に押し込んだ。
うん、甘い。
ミルク風味の甘い生クリームが、ジューシーにスポンジに溶け込み、スポンジとクリームのコクが口の中に広がる。これだけで、先ず美味い。
しかし、この切っ先の部分には、スライスされた苺が入って居ない。
これでは『苺のショートケーキ』を食ったとは言えない。
「…………」
ここで、俺はてっぺんの苺を突き刺し、小さく一口かじる。
この、苺のジュワッとした歯ごたえ。そして口の中に弾ける苺の真っ赤な香りと酸味。
舌先にキュッと攻撃的な苺の酸味。これが口の中でスポンジと生クリームと出会い、その甘味を爽やかなものに変えていく。
ケーキの甘くコクのある味わいは、味わう程にモッタリとしてしまう。
それが苺によって劇的に変化していく。重たいコクが爽やかにその位相を変えていく。
生クリームのほのかなミルク風味と苺の香り、豊かなコクと爽やかな酸味。
そして、口中で混然一体となったこの醍醐味を、飲み込んで喉に送り込んだあと、そこに紅茶をおっつける。
薄めに入れた紅茶の香りと渋味が、口の中を新しくし、また次の一口を迎え入れる準備ができる。
と、ここで皿に目を移せば……。
一口食べたケーキと、一口かじった苺が皿の横に乗っかっている。
正直、美しくない。というのは大げさか。何となく、食べ方が汚い。ように、感じる。
これだ。
俺が苺のショートケーキを難物と呼ぶのは、ここなのだ。
自称普通の人が言うには、ケーキを全部食べた後、最後に苺を一口でパクリと行くのが「普通」であるらしい。
しかしそれでは『苺のショートケーキ』ではなく『苺と、ショートケーキ』ではなかろうか?
『苺「の」ショートケーキ』と言うからには、ケーキと苺の一体となった味わいが、その真味であると俺は思う。
ケーキと苺の、バランスを考えて、一口の量を計算して食べ進めていく。
そうして得られる味わいは、個々別々に食べるよりも素晴らしいと俺は確信する。
のだが、この、チビチビとかじって、少しずつ小さくなっていく苺とケーキが、あまり見た目に美しくない。どうにもならず見栄えが悪い。
別に飯を綺麗に食うような男ではないが、何故かこいつの食べ方だけは、俺の心に引っかかる。
……ふぅ。
「到底、人には見せられんな」
そうして、二口目にとりかかる。
ケーキ、苺、紅茶。
やはり、美味い。
「おう来たぞ、開けろ」
「おう、いらっしゃい」
浜里である。
俺の高校以来の友人で、時々こうして遊びに来る。
「おら、お前の好きそうなエロゲ持ってきたぞ。あとこれ」
……苺の、ショートケーキ。と、紅茶の1.5リットルペット。
「無性に食いたくなってな。お前の分もあるぞ」
「おう、サンキューな。俺は後でもらうわ」
浜里は適当に座る場所をつくってあぐらをかくと、さっそくケーキの箱を開ける。
「鳥本、この前、深海作品の劇場版持ってるって言ってたべ。見せてくれよ」
「わかった、ちょっと待てろ」
と、俺が棚からDVDを持ってくると、浜里はショートケーキを手づかみで持ち上げ、左手でてっぺんの苺をもつと、
先ず、いちごを半分ガブリと食うと、ケーキをアングリと一口で半分食った。
口いっぱいにムシャムシャと咀嚼し、残りの苺をヒョイと口に放り込むと、残ったケーキを口にギュウと押し込んで、ふた口で平らげた。そして指についたクリームを舐め取り、紅茶のペットボトルをガブリと一口。
「おう、早く見ようぜ」
「……スマン、ちょっと聞きたいんだが」
「なんだ?」
「普通、ショートケーキってケーキ食った後、苺を最後に食うもんじゃないか?」
「あいかわらず変な事を気にするやつだな。そもそもそれが普通って根拠がわからんわ。まあよく聞く説だけど」
「確かに言われてみれば、その食い方が普通って根拠は、俺も知らんな。何となくだわ」
「風説に踊らされおって、愚かな奴よ!」
「誰の真似だよ」
「うん、苺のショートケーキって言うんだから、苺とショートケーキ一緒に食わんとダメだろ。寿司をシャリと刺身で別に食わんだろ?」
「……ああ、確かにな」
「あと、そこのウェットティッシュとって」
「ほらよ。ああ、浜里」
「なによ?」
「疑問が溶けた。ありがとう」
「何か知らんが、早ぅDVDかけろや」
俺はDVDを再生し、万年床に腰を据えると、ケーキの箱を引き寄せた。
「もらうぞ」
「おう、食え食え」
俺も、苺とケーキを両手に構え、がぼりと大口でいただく。
口いっぱいに広がる苺のショートケーキの味わい。一口かじった苺を箱に戻すと、指についたクリームを舐め取り、紅茶をラッパで一口。
食いかけの苺と、残ったケーキをまとめて口に押し込み、俺も二口でケーキを平らげる。
口元についたクリームを親指で拭うと、そのクリームもぺろりと舐めとり、ウェットティッシュで口と指を拭った。
「おお」
浜里が声を上げる。
少年少女が組み上げた飛行機が、青空に翼を広げた所だ。
監督独特の、緻密で透明感のある絵で描かれる、爽やかな青空と飛行機。
「やっぱいいなぁ」
浜里はしみじみと呻く。
その姿に、俺はなんとは無しにニヤリと笑みが浮かぶ。
俺はもう買った時に何度も見て見飽きたDVDを見ながら、何となくこの青空のように爽やかだった。
この手の作法とか、流儀とか、常識とか、食べ方とか、諸説あるけど
どんな食べ方してる?