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〜温情判決〜

記憶に新しい事件を多少脚色しました。


2006年7月21日、一つの事件の判決が下された。


話はそこから始まる−−−。



事件内容を大まかに纏めると。


同年2月1日、京都市伏見区桂川河川敷にて無職の片桐康晴容疑者(54歳)が認知症の母親を介護疲れと生活苦からか母親と相談した上で母を殺害し、直後無理心中を図ろうとしたとの事。


片桐氏は母を殺害後に自分も自殺を図るも発見され一命を取り留めたとの事。


片桐氏は両親と三人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から母親に認知症の症状が出始め、一人で介護していた。


母親は05年4月頃から昼夜逆転し、夜の街を徘徊し警察に保護されなど症状が進行していた。


片桐氏は休職してデイケアを利用したが、介護負担は軽減せず9月に退職。


生活保護は、失業給付金を理由に認められなかった。


−−『死ねということか』と片桐氏は語った。


介護と両立する仕事は見つからず、12月には失業保険の給付がストップした。


カードローンの借り出しも限界額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなった。


−−06年1月31日に心中を決意した。


『最後の親孝行に』と片桐氏はこの日、車椅子の母を連れて市内を観光。


市内のコンビニエンスストアで片桐氏は、財布に残っていたわずかな小銭で菓子パンを購入し二人で食べたという。


そして・・・2月1日早朝同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で母に語りかけた。


「もう生きられない、ここが終着地だよ母さん」

と片桐氏が母に言うと。


「そうか、駄目かい。康晴・・・ずっと一緒にいような」

と寂しそうに答えた。


「ごめんな・・・」

と片桐氏が謝ると。


「こっちにおいで・・・」

と母親は呼び。


自らの額を母親の額にくっつけると。


「康晴はワシの子じゃ。ワシがやってあげる・・・」

と言った。


この言葉を聞いて片桐氏は殺害を決意。


母親の首に手をかけゆっくりと締めて行った。


「今までありがとうな・・・康晴」


それが母親の最後の言葉であった。


母親を殺害後、片桐氏も包丁で自らの首を斬り自殺を図った。


しかし・・・一命を取りとめ現在にいたる。


冒頭陳述の間、片桐氏は背筋を伸ばして上を向いていた。


肩を震わせ、眼鏡を外して右腕で涙を拭う場面もあった。


裁判では検察官が片桐氏の献身的な介護の末に失業を経て、追い詰められていく過程を供述。


殺害時の母子のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。


陳述の最中に、検察官が涙で声を詰まらせるという異例の雰囲気の中で裁判が進行した。


目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきする等、法廷は静まり返った。


東尾裁判官は懲役2年6月、執行猶予3年を言い渡し。


「痛ましく悲しい事件だった。今後あなた自身は強く生き抜いて、絶対に自分を殺めることのないよう、母のことを祈り、母のためにも幸せに生きてください」


と最後に片桐氏に語りかけた。


法廷には、傍聴人と片桐氏と検察官のすすり泣く声が響き、法廷は悲しみに包まれたという・・・。


(引用:youtube『温情判決≪介護のはなし≫(認知症の母親殺害事件)』)





流す涙は人それぞれ、貴方はまた自分の母の子として生まれたいでしょうか?

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