霧の日に
何年かぶりで、ちえちゃんと偶然会ったのは、みいちゃんのお墓のあるお寺だった。
朝、起きて外へ出てみると、ひどい霧だった。
ニュースは繰返して電車の遅れの状況を知らせていた。
ぼくは、しばらくその霧の中に立ちつくして、不意に、本当に急に、みいちゃんの事を思い出した。
いや、正確に言うと、みいちゃんの話してくれた「インディアン=スノー」の話を思い出したのだ。
「インディアン=スノーが空まで積ると、その日は何か特別なことがあるんだよ。」
この歳になって、みいちゃんの言葉を信じた訳ではない。
けれど、その日、インディアン=スノーは空まで積り、ぼくはその中にいた。
「今日は全部サボりだ。」いつも通りのギリギリの時間で、しかも電車の遅れときては間に合うとも思えず、変な理屈に無理矢理納得して、いつも向かう駅とは違う、バス停へ向かった。
どうしてそうしたのか解らない。
サボリと決めたなら他に行く所はどこでも良かったのに。
自分でも、どうしてそんな気持ちになったのか全然解らない。
ぼくはバスと電車を乗り継いで、1時間半程の所にある、みいちゃんのお墓をたずねた。
みいちゃんのお墓を探したが、小さい頃、母親に連れられて何度か来ただけの記憶は、ひどく不確かで、しかもお墓はどれもたいして特徴がある訳でもなく、ぼくは霧の中を歩き回った。
どうにかお参りを済ませて立ち上がると、そこにちえちゃんはいた。
ちえちゃんも、すぐにぼくに気がついた。
でも、ぼくは、それよりもその隣にいるコの方に釘付けになっていた。
「みいちゃん?」
ぼくは、恐る恐るちえちゃんに聞いた。
「やめてよー。」
ちえちゃんは大きな声で言った。
10数年ぶりで会ったぼくらは、その声の大きさのお陰で「ひさしぶり。」とか「元気?」とか、そんな言葉をすっとばして、一気に幼なじみ同士に戻った。
この時、ぼくはふと、ぼくとちえちゃんのつながりは、そこに誰かもう1人が存在しないと成立しないのかもしれないなと、ぼんやり思った。
ぼくが一瞬みいちゃんかと思った女の子は、霧が晴れ、墓地から離れてみると、みいちゃんとは全然違うコだった。
まあ、最初に見た時も、みいちゃんに似ていると思って間違えた訳ではない。
あの状況で、あの場所で、ちえちゃんと一緒に現われたと言う事実だけが、ぼくに彼女をみいちゃんだと思わせたんだ。
そもそも7歳のみいちゃんが、あのまま成長したら、どんな女の子になったかはぼくにも解らない。
ぼくの記憶の中で、みいちゃんは、あの時の姿のままだ。きちんと切りそろえられた前髪、赤いランドセル…。
そう、記憶を辿っていると、今、目の前にいる2人もやっぱりいつか、みいちゃんがそうであったように突然、ぼくの前から消えてしまうような気がしてしまった。
そして、その不安を隠すようにぼくは、わざとらしくはしゃいだような態度になってしまって、自己嫌悪した。
ぼくは人見知りが裏目に出るのか、どうゆう訳か初対面の人と会った時なんかに、こんな風に不自然に明るくなる時がある。ぼくは自分のそうゆう所があまり好きではなかった。
彼女はちえちゃんの友達で、ちえちゃんは今、ボランティアで、福祉施設へ行っていて、よく子供達にお話をして聞かせているのだと話した。
お話が底を尽きると、みいちゃんのしてくれた話を思い出しては話して聞かせるのだけれど、一生懸命覚えて行ったお話よりも、そっちの方がウケがいいの。と笑った。
それで、お話を使わせてもらっているお礼も兼ねて、たまにこうして、お墓参りに来ているらしい。それが、たまたま、ぼくが何年かぶりで来たのとばったり会ったと言う訳だった。
ぼくらは一通り近況を話し終えると、メロンソーダと紅茶とコーヒーしかメニューのない、墓参りの客相手の喫茶店を出た。
霧はすっかり晴れ、お天気の空が広がっていた。




