9月15日
「人の毛ってさ、まゆげはこれ以上伸びないし、腕の毛も同じ長さまで伸びると、そこで止まるじゃない。体があっちこっちの毛の長さを記憶してるのかなぁ。髪の毛も長さが決まってて、そこまで伸びたら止まっちゃうのかなぁ。」
彼女の問題提起はくだらないけど鋭い。鋭くて、なかなか難しい。
この日も、ぼくらは氷の入ったオレンジジュースを1杯飲みきるだけの時間を費やして、その問題についてのおしゃべりをしたけれど、結局、ぼくらには解らないということが解っただけだった。
「じゃあ、私が調べよう。」
そう宣言して、ちえちゃんは図書館へ行った。
ちえちゃんがいなくなると、彼女の疑問はぼく1人にぶつけられることになった。
朝顔のツルの巻方は南半球に行くと逆になるか?とか、そういう子供電話相談室に電話したくなるような疑問が次から次へと出た。1つ不思議に思ったら、イモヅル式に出てきたといった感じだった。
暗くなる頃には、ぼくも彼女自身も相当くたびれて、ぼくらは表へ出た。
彼女と2人で街を歩くのは、あの雨の日以来だった。
2人だということを意識した途端、ぼくは急におしゃべりになってしまった。
なんだか、そんな自分をみっともないと思いながらも沈黙に耐えられるだけの自信がなかった。
収集がつかなくなって、ぼくはちえちゃんの事を話題にした。
「最近、変わったと思わない。」
「あのさ、時間のスピードと変わるスピードが同じ位の時は目立たないだけで、いつも変わってるんだと思うよ。みんな。時間のスピードに追い付いてなかったら、それも逆に目立つんじゃないかな。」
「じゃ、今は時間の流れる早さより、変わる早さの方が早いって事?」
「少しね。」
「ふーん。」
ぼくは例によって素直に感心した。でも、彼女は、突っ込むちえちゃんがいないので、自分で言った。
「…って、思いたいの。自分は常に変化してるって。」
「日々、成長か。」
「んーん。成長って限んなくて、自分が満足出来る方向にの変化ならいいの。」
ぼくらはまた、街を随分歩いた。
公園の入口まで来た時、ぼくはまた間が持たなくなって、しゃべりだした。
「1個、聞いていい。」
「ん?」
「以前にさ、良いことばっかりで生きてきた人なんていないって、言ってたことあったじゃない。」
彼女はジャングルジムをぐるりと周りながら聞いていた。
「辛いこととか、悲しいこととかあって、どうしてそんな風に笑えるの。」
彼女は立ち止まって、ぼくの方を見た。
ぼくをじっと見ていた。
美しいものも、醜いものも、まだ何も知らないような…、もしくは逆に全てをもう、許してしまったような、真直ぐな瞳だった。
ぼくがその瞳に耐えられなくなって、瞳をそらそうかと思った時、やっと彼女は口を開いた。
「私にも、辛いことや悲しいことが無い訳じゃないよ。でもね、辛いことや苦しいこと位で、小さくなったり薄れたりするような、そんな弱っちい幸せじゃないの。私のは。私は、幸せだから笑ってるの。」
彼女は笑顔でそう言い切った。
ぼくは、しばらく口がきけなかった。
「…もっと、鍛えなきゃな。オレも。」
「がんばりなね。」
月明かりの公園で、少しうつむいて、そう言った彼女は、何故かハカナゲで、今にも消えてしまいそうに見えた。
真っ白い肌が、夏の終わりの、この熱気の中に、あまりにもタヨリナゲだった。普段はそんなことを感じたことはなかったのに。
一瞬、ぼくは彼女が竹に似ていると思った。
それは、彼女が竹林の側で育ったからかどうかは解らない。
ただ、大木のような存在感もなく、小枝のように弱くもない。
たった1本、すっくと真直ぐ空を目指し、風にあおられても−大木が倒れるような大風も、しなやかに受け止め、ものともせずに、ひたすら真直ぐ伸びてゆく。
その強さが、彼女の中にも流れていると思った。
同時に、この世のものではない何かを、ぼくは彼女に感じた。
彼女が今ここに、こうしているのが、ひどく不確かなような気がしてならなかった。
ぼくは彼女に、何かこう、偉大なエネルギーみたいなものを見た気がしたのだ。
うまく言えないけど、女の子といるのに、その瞬間ぼくは彼女を抱きしめたいというような気持ちが、ほんの少しもなく、そう、手を合わせたいような衝動に駆られていたのだ。
彼女のどこに、そんなエネルギーがあったのか解らない。
敢えていうなら、そこには女神が居たとしか言い様のない感じだった。
「どうしたの。」
戸惑っているぼくに、彼女はいつも通りの、悪戯ッ子のような瞳で尋ねた。
ぼくは一気に現実に引き戻された。
「ん?おまえさぁ、人間じゃないみたい。」
「なにそれ。バケモノって意味?」
笑って言う彼女を見て、ぼくは少しホッとした。
「でも、こないだ、別の子にも似たようなこと言われたよ。本当は人間に生まれてくるはずじゃなかったんじゃない?って。なんかの手違いだって言われちゃったよ。」
ケラケラ笑って彼女は言った。
彼女は気付いていないけど、彼女はいつも、危うい感じを持っているんだ。
つかみ所がないというか。その存在事体に確信が持てないというか。
夢なのか、現実なのか、解らない感じだ。
このまま、ぼくの目の前で、月に昇天して行っても、何も不思議じゃない気がするんだ。
ぼくは、そんな彼女の事が好きだということが、とても素晴しいことだという、喜ばしい気持ちと、神への畏れにも似た気持ちが入り混じって、とても複雑だった。
そして、この時ぼくは、彼女の事を好きだと思った自分自身を、とても自然に受け入れていた。




