8月28日
きっかり2週間、彼女はぼくらの前に現れなかった。
その間に、まるで今までの分を取り戻そうとするかのように何度も雨が降った。
雨が降る度に、ぼくはビーチサンダルとビニール傘で街に出てみようかと思ったけれど、結局一人で散歩する事はしなかった。
彼女が「森くん」と別れてしまった事はちえちゃんも知っていた。「あんな立派な解説をしてもらった直後で、お恥ずかしいのですが…。」と、ふざけたように言っていたと、ちえちゃんはぼくに言った。森くんが、彼女から居なくなる事なんてないと思ってた、とも言った。
ちえちゃんに言わせれば、2人は理想的なカップルだと誰もが思っていたらしい。
彼女と「森くん」の周りに、どんな人たちがいたのか、ぼくは知らないけれど、彼女があんな風な笑顔で笑っていたと言う事だけで、それは充分信じられた。
彼女がいないだけで、ぼくの毎日は、なんだか急に静かになった感じがした。
それは、穏やかと言うのではなくて、退屈で、落ち着かない、ぎこちない静かさだった。
彼女の言葉や行動に、自分がどれだけワクワクしていたかを初めて意識した。
ちえちゃんが家に来たり、ぼくがちえちゃんの所へ行ったりしていたけれど、「こうゆう時は静かにしておいてあげた方がいい。」と言うちえちゃんの言葉に、今度ばかりはぼくも賛成だったので、彼女に連絡したりはしなかった。
それでも、なんだかオレンジジュースの味が薄いような気が、ぼくもちえちゃんもしていた。
そんなふうにして、人生で1番長い2週間が過ぎて、彼女はひょっこり戻ってきた。
2週間、旅行にでも行っていたみたいに、まるで悪びれずに現われて、テーブルの上にオレンジジュースが2つしかないのを見て、「私のがない。」と、言った。
一気に、ぼくらの日常は戻ってきた。
あまりにぼくらの知っている日常なので、最初はそれに呆れたりもしたが、ぼくらは気持ち良く、他愛もない話を再びし続けた。
彼女は少しも変わらなかった。
あの笑顔も、ぼくをワクワクさせるような言動も、まるでぼくの知っている彼女だった。
それは、「森くん」というコイビトが、元から存在しなかったかのような、もしくは「森くん」と何事もなく、うまく行っているような…、そんなふうに見えた。
変わったのは、どちらかと言えばちえちゃんだった。「あまりになんでもない風でいるのが、かえって痛々しいよ。」と、ちえちゃんは言った。
ちえちゃんが、誰かを大切に思う気持ちをためらわずに、ぼくに見せたのは、おそらくこれが初めてだった。
2週間の間、彼女が自分の部屋で、じっと何かを考えていたのか、それとも雨が降る度に、1人で散歩をしていたのかぼくには解らない。
けれど、いつもと同じように見える日常でも、彼女の中では確実に何かが起き、ぼくに見えないだけで、何かが終わったのだろう。
日常っていうのは、何も変わらない毎日の事ではなく、目まぐるしく変化するぼくらの中で、同じに見える1コマをいうのだろう…ぼくらにとっては。
彼女は自分の好きな人との別れを、彼女なりに納得し、受け止めて、砕けてしまった彼女自身をもう1度組み立て直して「森くん」のいない日常に解き放ったのだろう。
彼女はそれを見事にやってのけた。
彼女はそうやって、誰にも見えない所で、何度も苦しんで、何度も立ち直ってきたのだろうか。そして、辛い事など何も知らない小さな女の子のように笑っているのだろうか。
ぼくは、夏祭りの夜、理由は忘れてしまったけれど、そこにいた人達が爆笑した時に彼女が言った事を思い出した。
「それぞれ皆、良い事ばっかりで生きてきた人なんていないし、必ず何か心を痛くする事があったはずなのに、今こうして、時を同じくして、同じように笑ってるのって、すごいよね。」
その時は、ぼくも大笑いしていて、なんとも思わなかったけれど、今になって、笑っている彼女を見て、本当にそうだな…と思った。




