インディアン=スノーが空まで積ると、その日は何か特別なことがあるんだよ。
「インディアン=スノーが、空まで積ると、その日は何か特別な事があるんだよ。」
−そう、幼なじみのみいちゃんは言った。
そして、7歳の夏、みいちゃんは死んだ。
インディアン=スノー=デイ
あれは、小学校1年生か、2年生の頃だったと思う。
春先の、朝だった。
その日は、すごく濃い霧が街を覆っていた。
通りの反対側の物さえ見えない程で、
耳が、痛くなる程静かだった。
朝の弱い光が、濃い霧に反射して、妙な具合の明るさを作っていた。
まるで、冷めかけた夢の中にいるような感じで、
見なれたはずの街が、なぜかよそよそしく見えた。
「霧がね、このくらい濃くなると、霧っては言わないんだよ。」
学校へ行く道の途中で、みいちゃんが言った。
ぼくとちえちゃんは、みいちゃんを見た。
「インディアン=スノーって言うんだよ。」
みいちゃんは、いろいろな事を知っていた。
僕らが、見た事も聞いた事もないような話をいつも得意気に話した。
大きくなった今思い返してみると、まるでめちゃくちゃで、何の根拠もない方なものがほとんどだし、
もちろん、話の中にはその頃のぼくらにもウソだと解るようなものも、いくつもあって、「みいちゃんはウソつきだ。」と、みんなで言ったりしていた。
だけど、ぼくらはいつも、そんな話をわくわくしながら聞いていた気がする。
誰かに聞いた話なのか、自分で作った話なのかは解らないけれど、
少なくとも、その話をしている時、みいちゃんにとって、それはいつも紛れもない真実だった。そして、ぼくらにも…。
みいちゃんが話してくれた話の中には、いまだに本当かウソか解らない話や、妙に心に残っている話もいくつかある。「インディアン=スノー」の話も、そのうちの1つだ。
普段はすっかり忘れていても、霧の濃い日−濃霧で電車が遅れるような日には、ふと思い出してしまう。
その時の光の具合や、みいちゃんの表情、側の街路樹の感じまで、妙にリアルにありありと浮かんでくるのだ。
「天国の雪はね、こんな感じなんだよ。あるのかないのかわかんないの。
手で触れなくてね。それをね、神様が人間のところに積らせる時は、神様が、誰にも内緒で素敵な仕掛けをする為なんだよ。だから神様が天国に戻ると雪は一気にとけてなくなって、すごくいいお天気になるの。雪が解けると、仕掛けが動き出して、その日は特別な事が起きるんだよ。だから、インディアン=スノーが空まで積った時は外に出て、神様に仕掛けをしてもらわなきゃなんだよ。」
霧のせいでぺしゃんこに濡れた前髪を何度もかき上げながら、
みいちゃんは、ぼくとちえちゃんにそう言った。
みいちゃんの着ていた薄いセーターの毛の先は霧の小さな水滴がたくさんついて、白っぽく光っていた。
その話を聞いた日、特別な事があったかどうかは覚えていないけれど
すごくいいお天気になったのは良く覚えている。
そして、7歳の夏休み、ちえちゃんとみいちゃんと3人でプールに行った帰り、
みいちゃんは交通事故で死んだ。
当然の事だけど、その後、ぼくの生活の中にみいちゃんは現れなくなった。
ちえちゃんと、ぼくと、2人が残された。
と、言うより、みいちゃんだけがそこに残されて、ちえちゃんとぼくはどんどん大きくなった。
不思議なことで、みいちゃんが死んでから、2人が大きくなったせいかどうか、
ぼくとちえちゃんは、あまり一緒に遊ばなくなった。
学校の廊下ですれ違っても、お互い気付かないふりをして、目をそらしたりした。
みいちゃんのお墓には年に一度、みいちゃんの命日に母親に連れられて行っていたけれど、
それも中学に入って部活が忙しくなって行かなくなった。




