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第一章

 見上げれば死にたくなるほど青い空なので、俺は今日こそ死のうと思って

マンションの屋上に上った。

 遺書は残さない。靴も残さない。そんなの残しても恨みがましいだけ。

 思い出せばろくな人生じゃなかった。 

 勉強もろくにできず、馬鹿高校にしか進学できなかった俺。

 クラスでまともな人間関係を構築できず、同級生とのコミニュケーションは

いすに仕掛けられた画鋲の痛みとかそんなんばっかだった俺。

 バイトをすればミスだらけで先輩にいびられ怒鳴られ倒された俺。

 ブチキレ反論したくもなったがしかし根本の原因が自分の仕事のへぼさに

あることがわかってるから結局文句のひとつもいえずにごめんなさいを

繰り返す俺。

 つうわけで心身ともに疲れ果てたわけだ。

 俺は何のために生まれたのやら。無意味な人生。まぁ、この世に意味なんぞ

ありゃしないのだろうが。

 そう思えばますます手前がむなしくなるわけで。

 学生手帳を取り出してみれば、「高見沢恭介」という俺の名前の隣に、いかにも

とくに意味なく髪伸ばしてみましたという感じの冴えない高校生の写真があった。

無論俺の写真だ。視れば視るほど悲しく腹が立ってくる。 

 どうせ死ぬんだから、こいつにもう、用はない。

 思いっきり、放り投げる。生徒手帳は風にひらめきながら、歪んだ弧を描いて

落ちていき、俺の視界から消えた。

 一足お先に、俺の身分証明書がロケットダイブしたので、次は俺の番。

「転落注意」と書かれた看板がへばりついた金網を乗り越える。

 眼下に広がる奈落の底では、無数の人間と車が忙しそうに往来していた。

 墓石のように立ち並ぶ灰色のビル。

『あなたに明るく楽しい生活を』と無言で語りまくるアドバルーンやネオン、

看板広告、オーロラビジョン。

 排気ガスの臭いを含んだ風が、体に強く吹き付けてくる。 

 思わず、かがみこむ。ひどく、孤独だ・・・・・・


『やばいって。あれ、落ちるって。本気だって』


 なんだか脳内に、くそ明るい女性の声が聞こえた気がしたが気のせいだろう。

 死ぬ寸前になると幻聴まで聞こえるもんらしい。 

 後一歩踏み出せば、このくそくだらない人生に終止符を打てる。

 腹の底が冷える。心がこれだけ痛めつけられているというのに、俺の体は

死を拒むらしい。足が、動かない。

 後一歩だ、っつうのに。畜生。


『大丈夫よ。ああいう手合いは、死のうと決断して、いざ実行しようという

時になるとしり込みしてさんざ悩んだ末、突然吹っ切れて自殺を断念して、

また延々と同じ失敗を繰り返すものよ』


 欝のあまりに狂ったか俺。やたら脳内ボイスが聞こえるわけだが。

それも後ろのほうから。今度のは、なんだか非常にハスキーで、聞くだけで

踏みつけてもらいたくなるようなクールさを秘めた声。

 自虐的にもほどがあるぜ俺っつうかなぜ女の声か俺。しかも複数。死ぬ直

前だっつうのに、脳内でもかまわんから彼女ほしい病ですか俺。だとしたら

どうしようもねえですよわれながら?

 何とはなしに振り返る。

 赤くてらてらと輝くどう見ても鎧にしか見えないものを身にまとった高校生ぐらいの年

の小娘が一人。好奇心たっぷりの視線を寄せている。

 もう一人は、頭に先のとんがったつばの広い帽子と、妙にだぶだぶのバスローブの化け物み

たいなやつを着込んだ二十歳ぐらいの女。強い日差しが照り付けてやがるというのに、帽子

から髪から服装から何から何まで黒ずくめ。こちらはカラーコンタクトでも嵌めて

いるのか、エメラルドのように鮮やかな緑の瞳にやたら冷ややかな光を浮かべて

俺を見つめていた。

 冷ややかに、好奇心旺盛かつ場違い極まりないコスプレイヤーたる二人に告げた。

「誰だか知らんが今静かに死のうかなーって思ってる人間のことは放っておいて

ほしいわけだ。つうわけで即座に消えてください。お願いします」

 とたんに、ただでさえ大きなたれ目をこれ以上無理というくらい大きく見開き

ながら赤髪女はけたたましくわめき始めた。

『うっそうっそありえないなんで見えてるのねぇこの人あたしたちのこと見えてるよ

もしかして全部聞こえてたわけ冗談じゃないってばなんで見えてるの見えないって

いったよねいったよねクレアちゃんねえねえ』

『ええ、確かに見えているようね。歪力保持者が、歪界を見透かすなんて。

 いえ、過去にそういう例がなかったわけではないらしいけれど・・・・・・実物を

見たのは、私もこれが始めてよ。

 それにしても、何だってこんな男にそんな力が・・・・・・』

 黒髪の女もなにやら興味深そうな視線を俺に向ける。まるで珍しい動物でも見つけた

ような目つきだ。口調までもがそうなのだからなおさら腹が立ってくる。

「えーと聞こえてないんですか。とにかく消えてください。っつうか消えろ。お願い

だから。なんだって生涯最後にお前らみたいな人間と会話せにゃならんのだ」

『この人自殺志望者なのに、なんだか結構冷静よねクレアちゃん』

『だから言ったでしょうこういう手合いは死ぬように見えて死なないものだから。

大体遺書も何も残さずに死ぬ人間なんてそうそう居ないわ。

 表情からは覚悟も伺えないし。みなさいあの貧弱で甘ったれた顔つき。そうとう

甘やかされて育ったのね。ああいうタイプは嫌いだわ』

「だからお前ら会話というものを知らんのかと」

『クレアちゃんクレアちゃんなんだか怒ってるみたいだよ』

『放っておきなさい。馬鹿にかかわるとこちらまで馬鹿になるものだわ』

「いいから聞け」

『そういえばあと何分くらいだっけクレアちゃん』

『あと5分ほどだからもう少し待たなければならないわね』

 頭の中で酷く太く頑丈な綱が引きちぎれたらこんな音がなるかなーって言う音が

響いた。あえてひらがなで記すなら「ぶぢぶぢびぢり」だろう。 

 堪忍袋の緒ってこう切れるんだ。生まれて初めて知ったよありがとう。

 多分俺の表情は人生で初めて激怒のそれになっていることだろう。

「いいっかげん消えろーーーーーっ!!コスプレして街中ふらつく変態女二人に馬

鹿だのなんだの言われたくねえっ!!」

 だが俺が放った人生最大の怒声を、赤い髪の少女は呆けたような表情で受け止めた。

『ほへ?コスプレ?フリエコスプレしてないよー。仕事でこの格好してるんだよー』

『無知というのは悲しいものね。それは決しておろかさを意味しないのに、しかし

無知ほど人をおろかに見せるものはない・・・・・・元がおろかならば、ますます

愚かに見えてくる。相乗ということね。哀れだわ』

 なんかもういやになったので俺は飛んだ。後ろに。つまり虚空に。さよなら人生。

 全身を支配する無重力感。馬鹿二人のおかげで踏ん切りがつきました。運命の神様

最後の手助けありがとう。おかげで迷いなく死ねましたくそったれあの世にいったら

あんたを殺す。

 だが突然体が宙で静止する。腹の辺りに何かが絡みつききつくきつく締め上げて

いる、と知ったときには苦しいやら痛いやらで俺はばたばたと空中でもがいていた。

『気の早い男ね・・・・・・もっとも、本当に死ぬ度胸があるとは思わなかったわ。

人生とは意外性に満ちているものね。 

 今死なれては困るから、あと4分ほど待ってもらえないかしら』

 上のほう、つまりビルの屋上のほうから黒女の声が響いてきたが今の俺にはよく

聞こえない。なぜかというと非常に苦しいからだ。横隔膜だか胃だか十二指腸だか

がぐいぐいと締め上げられる。

 銀色の、鞭のような、蚯蚓のような何かが、俺の腹を締め上げているのだ。

 風に揺られるたびに頭やら足やらに血が上ったり下がったり、腹のどこかで細胞が

つぶれたのかなんだか尋常じゃない痛みが走ったりしてともかく死ねそうだ。

 いいから引き上げろと叫びそうになるが声が出やがらない。

 眼下の風景が体のゆれにあわせてぐらぐらと揺れる。

『クレアちゃんクレアちゃん冷静なのはいいけどこのままだと自殺じゃなくて他殺に

なっちゃうと思うの』

『大丈夫早々死ぬものではないから。人間、心臓でも破裂しない限りそうそう即死は

しないものよ』

『そっかー、クレアちゃん博識ー』

 非常にたわいのない会話を繰り広げられて俺の頭には別な意味でも血が上り始める。

多分今死ぬとしたら脳の血管が破裂してだろう。

 ずりずりと壁が体にすれる感触。おれは屋上に、不本意極まりない帰還を果たした。

 腹を締め上げていた銀色の何かが解かれる。それはクレアと呼ばれた黒女の背中から

伸びていた。

「殺す気きかーーーーーーーーーーっ!!!!」

 俺の叫びにクレアは不本意だと言わんばかりの表情を浮かべた。

『どうせ死ぬなら私に殺されるのも自殺するのも似たようなものではないかしら?

 こちらとしてはあなたにあともう分は生きていてもらわなければならないの』

 同意だ、といわんばかりに赤髪の、フリエと名乗った少女が首を何度も縦に振る。

『助かってよかったねー。命は無駄にしちゃだめだよ、これに懲りて』

「お前らのせいで死ぬなら確かに無駄死にだってことは確信しましたよ?」

 深々とため息をついて、俺はふと気づいた。

 クレアという女の背中から生えている触手。驚くほどのしなやかさで、波に揺れる

海草のようにうごめいていた。これが、俺の胴体をしめあげやがったのだ。

 俺はあまり科学技術だの機械だのに詳しいわけではないが、それでも、この「触手」

が、現在の工学技術の最先端のはるか先を行く何かであるということぐらいは分かる。

俺から、あの女の距離は概ね4メートルといったところか。落下を始めた俺の体を、

あの触手は一瞬で捕らえた。ということは、一瞬の間に4メートル・・・・・いや、落下

のことを考えるなら6〜7メートルにはなるだろう・・・・・・の距離を、あの触手は

一瞬にして走りぬけつつ金網を迂回しながら、さらに俺のことを空中で絡め取るという

離れ業を演じたことになる。そんなことを可能にするような技術など、今の地球に存在

しているはずがない。

 思い出してみれば、あの女たちは・・・・・・いつ。俺の後ろに現れたんだ?いつ。

「お前ら・・・・・何者だよ?」

 最初に問うておくべきだった質問を、ようやく俺は発した。

『フリュクスバルテ。世界を歪ませる遠因たる異形フリュクスを狩る、狩人バルテ

それが、私たち』

 クレアは、あいも変わらず俺を言葉と視線で見下しながら、告げた。

 だが、そのまなざしに、どこか緊張の揺らめきがあるのは気のせいなのか。

『それがどういうことなのかは、その目で確かめなさい』

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