第2話
どうしてあんなこと、言っちまったかな。
昼休みを終えてからの四時限目、教科は世界史。
結也は黒板に書かれたことを解説する、先生の話を適当に聴きながらぼんやりと考えていた。
なんの前触れも無く行きずりの相手に突然あんなこと言われて、あの子がさぞ驚いたであろうことは想像に難くない。
あの時の言葉は殆ど無意識だった。
このままだときっとこの子は傷付く事になるんだろうな。そう思ったら、気が付けば口から言葉が零れていた。余計なお世話以外の何物でも無いというの分かっていたのに――。
そんなことを考えていたら、手持ち無沙汰で行っていたペン回しを仕損じて、シャーペンがあらぬ方向へとすっ飛んでいった。
間の悪いことにクラスがちょうど静まりかえっていたタイミングで、ペンが床に叩きつけられた音は思いの外大きく響き、自然と結也へとクラス中の視線が集まる。
「……すいません」
軽い会釈と謝罪をしながら、落としたペンを拾い上げる。
「びっくりしたぁ、気を付けてくれよ。驚いた拍子に心臓止まって、先生が死んだらどうしてくれる、あと十六年ローンが残っている家で三匹の猫ちゃんが俺の帰りを待っていると言うのに」
と冗談めかした注意が飛んできて、教室がドッと笑いで湧く。
「誰も聞いてねー」「先生猫ちゃん飼ってるんですか?」「てか先生、家持ってんの!」などと授業内容そっちのけでクラスが盛り上がっている。
この先生はこう言った剽軽で親しみやすい所が評判の先生なのだ。
しかしそんな中で結也はただ一人、気づかれないように静かに先生へ恨めしそうな視線を向けて。
あんたのせいでもあるんだぞ、あんたの。
八つ当たりからくる怨嗟を、剽軽に笑う先生へ理不尽にも向けるのだった。
翌日の昼休み。結也はいつものように総菜パンを手早く片付けてから、廊下にある自動販売機へと向かった。
愛飲している珈琲のボタンを確認すると、まだ補充されていないのか、昨日と同じようにそこには売り切れの赤い文字。
こうなるとまた、隣の第二校舎へ向かわなければならないのだが。
嫌な予感がする。しかし結也に食後の珈琲を呑まないと言う選択肢は無い。
階段を降りて三階、そして渡り廊下へと向かうと思ったとおりそこには昨日と変わらず彼女の姿があった。
濡鴉色の髪の少女が、昨日と同じ場所で外の景色を眺めている。正確に言えばその向こうにいる、ある人物を見つめているのだと言うことを結也は知っている。
一瞬、一階の渡り廊下を使おうかという考えが頭を過ぎる。かなり遠回りにはなるが、それでも第二校舎へ行くことは出来るのでムリしてここを通る必要は無い。
だがその案を結也は自分で却下した。
逃げるように遠回りするのは、なんだか負けのような気がした。なにに対して負けるのかは知らないが、とにかくそんな気がしたのだ。
結也は意を決して渡り廊下へと踏み込む、一歩、二歩と第二校舎へと向かって歩みを進める途中少女の方も結也の存在に気づいたのか一瞬視線を向けてきたが、それだけだった。
少女は心なしか気まずそうに視線を逸らし、その後ろをなに事も無く通り抜け結也は第二校舎へと辿り着く。
後ろを振り返ってみれば、少女はまた窓の外を見つめていた。
……昨日のこと、一言くらい謝るべきだろうか?
きっとあのことはあの娘にとって、気安く触れて欲しくなかった部分だったろう。
出来ることならば誰にも知られず、ひっそりと自分の胸の内に秘めていたかったにちがいない。
悪気は無かったとはいえ、それに自分は無遠慮に踏み込んでしまった。
怒っているのならいい。でももし、自分のあの一言で彼女が恐怖や不安を抱いているのなら――。
「いやいやいや」
頭に浮かんだそんな考えを、結也は苛立たしげに頭を掻いて掻き消した。
謝ったからなんだ? そもそも向こうが気にしているかも分からないのに、自意識過剰もいいところだ。
確証も無いのに中途半端に触れるくらいならいっその事、なにもせず無かったことにするのが互いのためだろう。
自分にそう言い聞かせながら結也は四階の自販機へと向かう。
いつもの珈琲を買い、いつものようにその場で缶を開けようとプルタブに指を掛けるがそこで結也の動きがぴたりと止まった。
「…………」
しばらくそのまま缶珈琲を見つめるが、結局プルタブを開けることはせず、結也は財布を取り出すともう一度、自動販売機に向き直った。




