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リリス=グランディエ公爵令嬢は、今日も微笑んでいた。
銀の髪は流れる瀑布のように輝き、紫の瞳は深淵めいて人を惹きつける。
完璧な美貌に、欠けたものなど何ひとつないように見える。
──けれど、それは仮面だ。
幼いころから、そう教えられてきた。
公爵家の娘として、人に愛され、恐れられ、尊敬されなければならない。
望まれた通りの言葉を選び、場にふさわしい微笑を浮かべる。それが当然だった。
だが──ふとした時、リリスは思う。
私は、何かがおかしいのではないか。
周囲の令嬢たちは恋に焦がれ、舞踏会に心をときめかせる。
流行りのドレスに歓声を上げ、愛の詩に頬を染める。
けれどリリスには、それが理解できなかった。
楽しい、嬉しい、悲しい、愛しい──それらの感情が、自分の中でどう響くべきものなのか分からない。
何事も、まるで硝子越しに眺めているかのように、遠い。
自分はきっと壊れているのだ。
それを悟られぬよう、何重にも鍵をかけて完璧に振る舞ってきた。
──今日もまた、同じことを繰り返すだけ。
***
その夜、舞踏会の開幕を告げる号砲が鳴った。
煌めくシャンデリアの下、貴族たちが集い、華やかな音楽が流れる。
「リリス様、皇太子殿下がお越しですわ」
侍女が囁いた。
皇太子レオナール=ヴァレンティス──
帝国一の貴公子と謳われる青年。
燦然たる金髪と蒼の瞳を持つ、社交界の羨望の的。
やがて、その姿が舞踏の間に現れた。
その瞬間、場が息を呑んだ。
眩い笑顔を浮かべ、誰の目も自然と惹きつけるその存在感。
「初めまして、リリス嬢」
差し出された手を、リリスは礼儀正しく取った。
「皇太子殿下。お目にかかれて光栄です」
声も、表情も完璧。
けれど──心は静まり返っていた。
驚きも、ときめきも、恐れも湧かない。
ただ、予定された挨拶のひとつとして、そこにあった。
それが、リリスにとってはむしろ恐ろしかった。
また何も感じない。
やはり私は、どこか欠けているのだ。
そんな独り言が、心の奥底でひっそりと響いていた。