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終わりの物語⑨


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 何の感情も湧いてこない。


 シャウラが死んで、バラニーが死んで、セーラも、アルゲティも、ルクバトも死んだ。


 あれから、どれくらいの時が経っただろう。


 死んでしまえば、彼らはもう近い存在ではない。死んだ人間を懐かしむ感情なんて、もう……残っていない。死に慣れすぎてしまって、人の死に何も感じない。



「ユーリ……」


 呼ぶとふわりと髪を揺らしながら、ユーリが振り返る。ユーリの向こうに見える水面を、今日最後の陽の光が輝かせていた。

 ユーリが私に向けて、微笑む。頬が陽の光を浴びて、輝いている。それは、まるで一刻ずつ姿を変えてユーリく空のように儚く見えて、思わず腕を掴んだ。



 その時『そばにいるよ』と、ユーリの声が聞こえた気がした。 


 ――ユーリが、よく言ってくれた言葉。



 目を閉じると、まぶたの奥に、ユーリの姿がはっきりと浮かび上がる。すべてを見透かすような虹色の瞳、優しく撫でてくれた手の温かさ、トリカと私を呼ぶ柔らかな声。ユーリのすべてが、鮮明に思い出せる。


『トリカは、きれいだよ』

『トリカには、僕がいる。そばにいるから、それを忘れないで』

『トリカ、愛しているよ。何も心配することはない。僕がトリカから離れることはないよ』


 ユーリの表情がくずれる瞬間が、好きだった。虹色の瞳が額や頬にふれて、視線で撫でられている感覚が好きだった。……私はユーリが傍にいてくれれば、他に望むものは何もないと思っていた。ユーリがいるだけで、それだけでいい――そう思っていた。



『味方だって言ったのに! どうして、私を信じてくれないの?』

『僕は、トリカを信じているよ。だから、落ち着いて話を聞いて』


 ユーリの目が強い力を帯びていくのと反比例して、私の心はどんどん冷たくなっていった。


『何の話を聞けばいいの? また、セーラの話? アークトゥルスの話? 私から離れる話? ダメよ、絶対に行かせない』

『トリカ、ちがうよ』

『聞きたくない』

『僕にとって、セーラはし……』

『私は、聞きたくないって言っているの!!』


 それ以上は、聞きたくなかった。ユーリは私を信じるって言ったのに、私を好きだと言ったのに、私の味方だって言ったのに、私のそばにいるって言ったのに。


 ……面白くもない笑いが、こみあげてきた。自分は一度だって、ユーリに言わなかったくせに。 

 

 最後に見たユーリは、毛布に包まれた輪郭でもその細さがわかるほどに痩せていた。毛布の隙間から髪の毛だけが、のぞいていた。そして、私が枕元にひざまつくと……ユーリは笑った。ゆったりと優しい笑顔で。

 でも、その目が私を捉えることはなかった。あの全てを見透かすような目で、私を見ることは……もうなかった。私がこの手で魔法具を取り付け、閉じ込めたから。

 

 目を開けると、目の前にはユーリがいた。


 ただ静かに、立っている。物音ひとつたてることなく静かに、私だけを見ていた。

 シルバーブロンドの髪、切れ長の目、形のよい唇、すっと高い鼻。形づくる全てがユーリだったが、瞳は違った。その瞳には、なんの感情もみえなった。ユーリのまわりにある柔らかな空気もない。あの圧倒的な存在感もない。私を見ているのは、汚れた雪のような瞳の……ただの人形。


 深い風の音が、聞こえる。

 風が、何かを語っているような気がした。


 ユーリの腕を掴んでいた手を離し、魔法を操ると、ユーリの姿は跡形もなく消えた。それと同時に、これまでのユーリと過ごした日々が、いくつもの場面が浮かんで――最後に消えた。




 私は、一人だった。

 




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 トリカの魔力が強まり、高まっていく。世界の重力が、ひとつ重くなったように感じる。その重力に負けないよう足に力をこめたけど、立ち上がることはできなかった。それでも、気持ちだけは負けたくなくて、顔を上げてトリカを見る。


「夏目をここに閉じこめたのは、いつ?」

「さぁ、いつだったかしら? 遠い昔のことで、忘れてしまったわ」


 トリカの頬に、冷笑が浮かぶ。


「あの時には、夏目を閉じこめていたのね?」

「あの時? あの時って、いつのこと?」


 トリカは、小首を傾げ、あどけない表情をしていた。本当にわからないのではないかと錯覚するほどに、無邪気な顔で私を見ていた。


「私が、オルビタから戻ってきた時。トリカに閉じこめられていた時。あの時、夏目は私に会いに来てくれた。あれは……夏目じゃなくて、トリカが操っていた人形だったんでしょ?」

「さぁ、どうだったかしら?」

「トリカが私に『夏目が壊れかけている』と言ったのは、わざとだったのね。そう言えば、たとえ違和感があっても疑うことはしないと思ったんでしょ? 完璧だったよ、私は全く気が付かなかった」

「セーラ、ごめんね。本当に、私は覚えていないの。でも、もし……そうだとしたら、何?」

「どうしてよ! どうして、夏目を閉じこめたりなんかしたの?! こんな場所に……どうして……?」

「その質問には、すでに答えたわ。同じ質問を繰り返されるのは、好きじゃないの」

「トリカは、何もわかってない!」

「何を? 私が、何をわかっていないと言うの? わかっていないのは、セーラよ」

「この世界のお父様が、私に教えてくれた。信じると決めた相手は、最後まで信じなさいって。そして、一度繋いだ手を決して離してはいけないって。トリカは、信じるべきだった! 夏目の手を、離すべきじゃなかったのよ!!」

「私は、ユーリの手を離してなんかいないわ。私の手を離したのは、私じゃない。……私じゃなくて、ユーリよ」

「それは、嘘。トリカが、夏目を信じなかったのよ」

「そう思いたければ、勝手にどうぞ」

「ねぇ、トリカ。トリカは、本当に夏目が大人しく、ここに閉じこめられていると思う?」

「何が言いたいの?」

「教えてあげる。夏目は、そんな従順なタイプじゃないわよ」

「ははっ、混乱させようとしているの? 私が、そんな言葉に惑わされると思っているの?」


 その言葉とは裏腹に、トリカの目は揺れていた。


 夏目は、ここに閉じこめられていた。トリカが、私を転生させた。


 一つ一つパズルのピースが、頭の中ではまっていく。


 皮を使った表紙の古い魔法書。このふざけたsignの世界。平和なオルサ国。シェラタン家が、聖職者であった事実。リゲルの存在。


 ――ねぇ、夏目。夏目らしくて、笑えるよ。さすが、私からユーリを奪っただけある!

 

 手に魔力を呼ぶ。


 『セーラ、起きて。お願いだから』と、夏目らしくない切羽詰まった声で、私を呼んでいた。夏目が作った指輪を、トリカは自分のものだと言った。

 指輪に触れた時に、見えた映像を思い出す。夏目は、私が見たこともない顔で笑っていた。夏目が笑顔を向けている相手は、夏目にとって特別な相手なのだと思った。





 ――夏目、私に力を貸してよ!





 手が熱くなる。


 



 風が集まってくる。





 突風が吹きつけ、私の周りを旋回し、辺りの砂をさらっていく。私の魔力とトリカの魔力がぶつかって、耳元で風がひゅうひゅう唸る。

 身体の芯が、凍りつくような感覚。脂汗が滲む。震えが背筋を伝い、座ったままの上半身が揺れる。それでも、必死で言葉を紡ぐ。


「トリカ。……どうして、私を転生させたの?」

『その質問にも、答えたわ』

「そうだね。だけど、正しい答えは返ってこなかった。質問の答えは、夏目でしょ? 夏目が、トリカに頼んだ。私が聞きたいのは『どうして、夏目の言うことを聞いて、私を転生させたのか』ってことよ」


 頭の中に、動悸が響き渡る。その音のほかに、何も聞こえなくなりそうだった。まるで、自分自身の心臓の内部にいるみたいだった。だけど、そのほんのわずかな音の切れ目から、トリカの声が聞こえてきた。


「そうよ。ユーリが…………それが、ユーリの最後の願いだった。ユーリは、ずっとセーラのことしか頭になかったのよ。だから、最後にユーリは……私にセーラのことを願ったの』


 その声は遠くから聞こえたような気もしたし、自分の中から聞こえたような気もした。声が聞き取りづらくて、無意識にペンダントを握り締める。


「それは、ちがう。夏目は、最後までトリカのことを想っていた。だから、夏目は……私に賭けたのよ!」


 やっとの思いで言い切ったが、下唇が震え始めて……限界を感じていた。トリカは、すぐそばまで迫ってきている。両手に魔力を募らせて、私を確実に殺すという意思表示のように。


 ――夏目、いるんでしょ?

 こんな場所に閉じこめられたくせに、閉じこめたトリカを助けたいんでしょう? だったら、私に力を貸してよっ!!


 ペンダントを握っている手に、力をこめる。入学祝いにともらった異空間収納ができるペンダント。ペンダントのトップは、五芒星の中心に"海の色とも空の色ともつかぬ青"と謳われる希少宝石のパライバトルマリンがはめこまれ……パライバトルマリン? ステラ・マリスが渡したとされるナヴァガトリアもパライバトルマリンだ。


 ……ステラ・マリスが渡した?


 自分の指にある指輪に、目を向ける。この指輪は、間違いなく夏目が作ったものだ。刻まれた文字は日本語でルネ・デカルトの言葉。指に絡みつくようなデザインと……五芒星の真ん中に青色のトルマリンがはめこまれている。



 ――同じだ。



 ペンダントは異空間収納魔法がかけられていて、指輪には瞬間移動魔法。


 ペンダントを引きちぎって外し、トルマリン同士を合わせる。すると、自分のまわりにある風とパライバトルマリンとが共鳴する。ペンダントが小刻みに震える、まるで自分の中の何かと闘うかのように。その震えが止まった時、魔力が直接流れ込んでくるのを感じた。魔力が自分の一部となっていく。

 ゆっくりと立ち上がって、トリカを見る。その目は、悲しみに耐えていた。……トリカの精神こそ、壊れかけていると思った。冷静に落ち着いて話しているようだが、壊れかけている。


「トリカ……」


 名前を呼んだ時、空気が……変わった。柔らかな空気が、私たちを包み込む。


 ――瞬間、気が狂ったようにトリカが悲鳴を上げた。一度聞いたら、心に縫い込まれでもするような決して忘れることのできない声だった。その声は愛してほしいと、縋っているように聞こえた。


 トリカがしたことは、最低だと思う。

 ……だけど、私はトリカを憎めない。


 今まであったはずの怒りが、薄れていく。トリカは大丈夫だろうか、と心配する自分がいる。助けて欲しいと、私に助けを求めているような気がして……顔に浮かんだ苦悩の深さに、心が揺さぶられる。


 ――助けてあげたい、と。


 身体中の空気を丸ごと入れ換えるように大きく息を吸い込み、吐き出す。そして、トリカのそばに瞬間移動する。トリカが反応する前にペンダントと指輪を合わせた状態のまま、頭から輪を通すように抱きつく。

 息を呑む音がしたが、私はそれを無視して――迷うことなく、魔法具を発動させた。


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