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終わりの物語⑧ナヴァガトリカ★


 気がつくと、静かだった。まるで雪が全ての音を消してしまったと、錯覚するほどに。


 ゆっくりと目を開けたら、ユーリが見えた。


 ユーリは怒りを、喜びを、苦悩を、悲しみを、安堵を、感情のすべてを含んだ目で僕を見つめていた。その唇は、かすかに震えていた。ユーリのまわりの空気が、重みをもっていた。


 ――ユーリが、怒っている。


 そのことに衝撃を受けた。いつも穏やかで柔らかなユーリが……怒っている。


「……ユーリ?」

「どうして、あんな無茶なことを?」

「……何のこと?」

「移動魔法は、一度行ったところにしか行けない。僕は、この世界の人間じゃない。わかっているよね? それなのに、なんで……?」

「気分が良かったから。ずっと、ああしてやりたかったから」

「一人で行くなんて、無謀なことはしないで。トリカ。お願いだから、命を粗末にしないでほしい」

「粗末にしているつもりはないわ。まさか魔法が効かないとは、思わなかったの。今度は……」

「トリカ!」

「私には……ユーリが何を怒っているのか、わからない。魔法は効かなかったけど、アークトゥルスは殺した。何が問題なの?」

「トリカは、たしかに強い。だけど、あんな戦い方はしないで。一人で……突き進んでいかないで。どんな時も、常に退路を考えることを忘れないで」

「ユーリ……」


 死が全く怖くない。恐怖を感じない。むしろ、聞きたい。

 ――なぜ、そんなに怖がる必要があるの? 


「私は……死ねない。だから、絶対に死なないわ」

「そんなのわからないよ。"絶対なんてない"と言ったのは、トリカだよ。お願いだから、死んでもいいなんて考えは、もたないで。そんな戦い方はしないで……お願いだから」


 ユーリの手は、震えていた。こんなに動揺しているユーリを見るのは、初めてだった。私の命には何の価値もないけれど、ユーリのこんな顔は見たくないと思った。


「……ごめんなさい」


 素直に、言葉が出た。

 純粋に本当に……そう思ったから。


「トリカには、僕がいる。そばにいるから、それを忘れないで」


 ユーリは、他の誰ともちがう。……きっと、何があっても私のそばにいてくれる。それに、私がユーリと一緒に生きたいと思った。



 そばにいたい、と。

 一緒に笑っていたい、と。



「ユーリは、まだ……私を好きでいてくれる?」

「いつまでも。トリカ、僕の気持ちは変わらないよ」

「…………私は」


 ユーリの手が、端正な指が、頬を撫でる。


 私は死なないけど、痛みはあるし、昔は怖いと思っていた。それが、だんだんと恐怖を感じなくなって、痛みにも慣れ、死の駆け引きをしている時でさえ、顔には笑顔が張り付いて剥がれることはなくなった。



 でも…………



「ユーリ、私は……怖かった。……悲しくて、寂しくて……気持ち悪くて、恐ろしかったのカ


 その言葉とは裏腹に、声は落ち着いていた。初めて口に出した言葉とともに忌まわしい記憶が、忘れることなくまとわりついていた記憶が、遠ざかっていくのを感じた。


「トリカ、愛しているよ。何も心配することはない。僕がトリカから離れることはないよ」


 涙が目の内に、にじんでくるのを感じずにいられなかった。これが現実なのかと確かめるために、ユーリの頬を撫でると、視線が重なり、そこに暗黙の了解を得て唇が触れ合った。ユーリの腕が、私の腰を強く抱きしめる。私もユーリの首の後ろに、腕を回した。




 ――心の蓋が、開いた音がした。




 二人でオルサに戻ってからは、時間との勝負だった。オルゴ湖近くまで来ていたから、オルサまですぐだろうとは思っていたが、予想以上の早さでアークトゥルスはオルサを襲撃してきた。ほとんど準備もできずに、アークトゥルスを迎え撃つことになった。


 そして、前衛には肉体強化魔法が得意なアルゲティと私。

 ユーリはなかなか首を縦に振ってはくれなかったけど、無茶はしないからと説得した。それに、誰かは行かなきゃならない。それなら、戦いに慣れている私が行くべきだ。


 私は……生き残るために戦う。

 守りたいもののために戦う。






「行くぞ」


 アルゲティの呟きに微笑みながら頷くと、剣を構える。アークトゥルスが、素早い動きでこっちに向かって走ってくる。剣を握りしめ、躊躇なく振るった。最初の一振りで、頭が一つ飛んだ。アークトゥルスの首が転がり、それを見ても心は乱れることはない。

 袖で顔を拭った。殺したアークトゥルスの血を拭くために。


 ――今度こそ、守ってみせる。

 ――もう失いたくない。


 一匹のアークトゥルスと目が合った瞬間、躊躇なく突進した。身を沈め、アークトゥルスの胸に剣を突き上げた。すぐに立ち上がり、剣を引き抜いて、後ろにいたアークトゥルスに向かって剣を振り下ろす。

 視線だけアルゲティに向けると、すでに一匹を殺し、二匹目に狙いを定めているのが目に入った。そして、視界の端でアークトゥルスがバラニーに爪を振りかざしているのが見えた。瞬時に具現化魔法で短剣を作り、バラニーに襲いかかっているアークトゥルスに向けて投げた。短剣は空気を裂いてアークトゥルスの額に刺さった。血が噴き出る。移動魔法でバラニーのそばに行き、短剣を一気に押し込む。

 バラニーを見ると、初めて見るアークトゥルスに、初めての死の恐怖に、蒼くこわばった顔をしていた。無理もない。戦いが始まって間もないというのに、すでに激しい戦いが繰り広げられていて、腕や脚や目を失った人々で溢れかえっている。血と汗が混じった死の匂いが充満している。叫び声、悲鳴、剣と鉤爪がぶつかり合う死の音が止まることなく響き渡っている。

 

 ――バラニーに、戦いは無理だ。


「バラニー、落ち着いて。自分がすることだけを考えるの。バラニーは、できるだけ早く怪我人をセーラの所に連れて行って。そして、治療が終わったら連れて帰って来てほしい。できる?」

 

 バラニーは目を揺らしながらも、しっかりと頷いた。


「無理をしないで。危ないと感じたら、すぐに瞬間移動して逃げるのよ」

 

 そう言い残して、戦いへと戻る。すぐに、数匹のアークトゥルスに囲まれた。姿勢を低くして一気に間を詰めると、アークトゥルスを切りつけ、同時に飛びかかってきたもう一匹のアークトゥルスの攻撃をかわす。


 アークトゥルスたちは、次々と鉤爪を振るってくる。だけど、私の心は静かだった。



 ユーリがいるから、私は笑っていられる。この残酷な赤の世界でも、私は怖くない。



 私は、ユーリと一緒に生きる。

 一緒に笑っていたい。

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