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終わりの物語⑥ナヴァガトリカ★



「ユーリは、どうして私を構うの?」

「トリカが、好きだからだよ」

 

 時間が、そこで停止した。うまく言葉を見つけることができなかった。私は全身の血液が顔に集中していくような熱を感じているのに、ユーリは静かに微笑んでいた。


「……どうして?」

 動揺を隠しながら、言った。


「きれいだから」


 一瞬で自分の中の熱が、冷えていくのがわかった。ユーリもか、と思った。自分の外見が人を惹きつけるのは知っていたし、この外見を利用してきた。だから、慣れた笑顔を浮かべて「ありがとう」と返した。もうユーリが発する次の言葉に興味がなくなって、空を見上げた。空は、一年に何回もないくらいの晴天だった。まぶしすぎる陽の光に、無性に腹が立って、目を閉じた。


「オルサで会う前から、僕はトリカを知っていたよ」



 ――え?



 予想もしない言葉に目を開けて、ユーリを見る。


 ユーリは、いつもこう。私の心をかき乱す。ユーリの考えは……私には読めない。何を考えているのか、何を言うのか見当もつかない。


「オルサで会う前に、トリカに会っているんだよ」

「……いつ?」

「“どこで?”は、聞かないの?」

「いつ? どこで?」

「オルサで出会う、一週間前。まるで海みたいに、大きな湖のほとりで」


 ユーリと出会う、一週間前? 

 海みたいな、湖?

 あぁ、……あの日だ。


 一人になりたい時に、私はいつも湖にに行く。湖のそばにある、大きな岩山。足場が悪いため、人が訪れないことは滅多にない場所。あの日も一人になりたくて、あの岩場に行った。水の音だけを聞きながら、空を見たかった。


 あの日、私の誕生日だった。

 そして、お父さんとお母さんが……殺された日だった。


 毎年、毎年、誕生日が来るたびに、一人で空を見ていた。自分が生きていることが不思議で、なぜ生きているのかが不思議で、その答えが空にあるような気がして……湖は空と同じ色で、いつまでも眺めていられた。


「あの日、トリカは泣いていたよ。でも……笑っていた。僕は、あの悲しい笑顔が忘れられなかった。何度も、どんな子だろうって想像したよ。そして、何度もあの時に声をかけなかったことを後悔した」

「……どうして、声をかけなかったの? ユーリらしくない」

「僕らしい? 僕らしいって、どんな?」


 ユーリは、いつもと同じすべてを見透かすような目をしていた。そして、嘘は許さないと目が語っていた。


「そういうところ。今も、逃がさないって顔をしているわよ。それで、実際の私はどうだったの? ユーリの想像通り? それとも違った?」

「トリカは、僕の想像とは全く違ったね。僕は自分が思うより、想像力がなかったみたい。だけど、想像のトリカよりも実際のトリカに僕は……強く惹かれているよ」


 心臓がうるさい。


「僕は、トリカが好きだよ。恋愛感情でって意味だけど、まだ本気の告白をするのは早いかな?」


 心臓の音が、耳元で鳴っているみたいだ。


「……好き? 私のことが……? ユーリは……本当の私をわかってないだけよ」

「そうかな? 少しは、わかっていると思うよ」

「じゃあ、言ってみて。ユーリから見た、私を教えてくれる?」

「聞いても、逃げない?」

「えぇ」

「本当に?」

「本当よ。逃げないから、言ってみて」


 ユーリは少し笑ったあと、言葉を続けた。その笑顔は、今まで見たこともないくらいに優しいものだった。


「トリカは、とても傷ついている。そして、傷ついた分だけ心が固く、冷たくなってしまっている。だけど、トリカの目の奥には温かい光がある。僕は、その光を守りたくて、たまらない気持ちになるんだよ。揺れて消えそうになりながらも、光り続けるその光を優しく包んであげたいと思う。トリカはね、とてもきれいな心を持っているよ」


「……ユーリは、私のこと全然わかってないわね」

 どうにか平静を装って、言った。


 息が止まるほどの驚きを感じたにもかかわらず、声を上げるのをこらえ、挙動不審になることもなかった自分を褒めてあげたい。


「トリカ、僕を信じて。大丈夫だから、何があっても、僕はトリカを裏切らない。だから、一人でこれ以上傷つかないでほしい。その温かな光を、消さないでほしい。僕を信じて、心を開いてほしい」

「何を言っているの? ……きれいな心? 温かい光? そんなのないわ。ユーリは、私に幻想でも抱いているんじゃないの?」

 

 ユーリは、何もわかってない。

 本当の私を、わかってない。


「私はね……」


 これ以上、言うべきじゃない。やめなさい、という声が頭に響く。でも、止められなかった。


「ヒトの命を奪ったことがある」


 ユーリは、こんな言葉が聞きたいわけじゃない。わかっているけど、ユーリが望む言葉は言いたくなかった。


 私は、ユーリを試している。

 これでも、本当に私を好き? と追いつめるように。


「私が命を奪ったのは、アークトゥルスじゃない。赤い瞳の化け物じゃない。私が命を奪ったのは――私と同じ、人間だった」


 ささくれを撫でられたように、嫌な記憶が蘇ってくる。


「あの男たちが、私にしたこと……反吐が出る」


 記憶が蘇ってくる。溢れ出てくる赤い色。そして、あの錆びた鉄のような独特の匂い。


 初めて、人の命を奪った。


 私の手で、殺したいわけじゃない。だけど、私が……あの男たちをアークトゥルスのいる場所に導いた。それは、あっけないほど簡単だった。もっと疑われるかと思った。


 自分の選択を、一度たりとも後悔していない。


 でも、達成感なんてなかった。アークトゥルスに襲われる男たちの叫び声と、怖さと恐ろしさで、大きく鳴り続ける心臓の音を聞きながら、ただ茫然と立ち尽くしていた。

 握りしめた手が固まったみたいで、自分の意思では指がほどけなかった。ただ人の命を奪った事実に……震えていた。すべての音が消えて、静かになった時、私は……


「トリカ」

 

 呼ばれて、すぐに思いがけないほど強く手を握られた。温かいユーリの体温が伝わってきて、今まで感じていた感触や匂いが消えていく。


「トリカは、誰よりもきれいだよ」

「な……にを、言っているの? 話を聞いていた? 私は、きれいじゃない」

「そんなことない。トリカは、とてもきれいだよ。僕は、トリカを一人にしない」


 心の奥底に、抱いていた感情がある。


 私は……長い間、怯えながら生きてきた。必死で自分の弱さを隠し、心の蓋を押さえつけてきた。ユーリは、その蓋を開けてくる。その感覚に、懸命に抵抗する。




 ――アケテハナラナイ――




「ユーリは、バカね」

 何でもないような口調を装って言った。


 泣きたいわけでもなかったし、叫びたいわけでもなかった。だけど、何でもないと自分を装っていなければ、その場で崩れ落ちてしまいそうだった。


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