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終わりの物語⑤ナヴァガトリカ★


「トリカは、いい子だよね」

 

 唐突なユーリの言葉を理解するのに、時間がかかった。


「…………いきなり、どうしたの?」


 小さく笑いながら言ったが、ユーリが何か意味ありげに微笑んでいるのが気になった。


「トリカは、何が好き?」

「え? 何がって……?」

「読書とか音楽とか、魔法の勉強とか、トリカは何が好き?」

「どういう意味? ユーリは……何が聞きたいの?」

「そんな深い意味のある質問じゃなかったんだけど、トリカのお気に召さなかったかな? じゃあ、質問を変えるね。トリカは、どうして隠しているの?」

「何も……隠してないわ」

「そう。なら、それでいいよ。でも、忘れないで。僕は、いつでもトリカの味方だってこと」


 そんな言葉、信じない。

 私は、誰も信じない。

 誰にも自分の心は、見せない。


 自然な笑顔を貼りつけて、相手の懐に入るのは得意だった。ううん、得意になった。それが、私の処世術だったから。本心を偽って、嬉しそうな顔をする。罪悪感なんてない。騙される人が悪いのよ。いくら気をつけても、気をつけすぎるってことはない。この世界は、恐ろしくて信じられない。


 それが、私の――この赤の世界の常識。


「いつでも? どんな時も、私の味方でいてくれるの? ……私が悪くても?」

「トリカが間違っている時は、間違っていると指摘するよ。でも、僕はトリカの味方だし、トリカのそばにいるってこと。絶対にね」

「“絶対”なんてないわ」


 思わず、出てしまった言葉。普段なら、こんなことを口にすることはない。ただ相手を困らせるだけの言葉。そんな言葉にも、ユーリは穏やかなままだった。


「たしかに理論的には、そうだね。理論的には、この星が突然半分に割れる可能性だってあるし、割れた星の別々に僕たちがいて、悲劇的な別れがあるかもしれない。でも、僕はそんなこと心配してない。例えそうなったとしも、僕はトリカを見つけるよ。“絶対”にね」


 そう言ったユーリの目に、私の心を見透かすような力があった。そして、強烈に何かを訴えてくる。そのたびに心の尖ったところを撫でられて、平らになるような感覚が襲う。


「ユーリは、どうして……私が嘘をついていると思うの?」

「そんなこと思ってないよ」

「でも、さっき『どうして、隠しているの?』と、聞いたわよね?」

「うん、言ったね。でも、僕は『嘘をついているの?』とは聞いてないよ。そっかぁ。トリカは、嘘ついているんだね」

「ついてない」

「じゃあ、隠し事?」

「……だから、何が言いたいの?」

「僕とは、話したくない?」

「……そんなことない」

「それは、本心?」


 ユーリは返事を待たずに、言葉を続けた。


「トリカは、僕が嫌い?」


 ユーリは前屈みになり、知らずに下を向いて私の顔を覗きこんできた。そして、今度は私の返事を待っていた。

 ユーリが何を考えているのか、わからない。どんな答えを求めているのかも、わからない。正しい返答は何だろう? と考えていると、少し離れたところからセーラが私を呼んだ。


 セーラは、ユーリと一緒にこの世界に来た『ステラ・ルクス』と呼ばれているもう一人の救世主。その名前通りに子どものように無邪気に笑い、幸せでいるのはごく自然なことだと言っているような子。彼女には、ユーリほどの美しさはない。ユーリのような圧倒的な存在感もない。だけど、セーラにはユーリとは違う魅力があって、それが人を惹きつける。


 それは、きっと……セーラには、嘘がないから。


 自分に正直で、感情を隠そうとしない。気持ちが、そのまま表情に表れる。笑顔の時とそうでない時の緩急が激しいからこそ、笑顔が際立つ。その笑顔を見逃したくなくて、思わず目で追ってしまう。


 呼ばれた方に顔を向けると、セーラは笑顔ではなかった。そのことを少し残念に思った時、セーラが質問を投げかけてきた。


「トリカは、アークトゥルスを見たことある? どんな……」


 突然の質問に心が揺れ、感情が波立つのがわかった。ただでさえ、ユーリの意味のわからない謎々のような質問のせいで動揺しているのに加え、“アークトゥルス”という単語に体が本能的に反応してしまう。

 動揺しているだろう顔を見られたくなくて、目を閉じてから下を向く。そして、大きく深呼吸してから答えた。


「…………赤い瞳をした……化け物」



 セーラの質問には答えたけど、ユーリの質問は無視することに決め、飲み物を口にした。ユーリも返事を促すこともなく、グラスに口を付けていた。そして、「これからする僕の質問にも、答えてくれる?」と、グラスを置いて笑いを含みながら聞いてきた。


「……質問の内容による」

「ありがとう。嬉しいよ」

「どうして? 全てを答えるつもりはないと言ったのよ、私」

「正直に返事をしてくれたから。トリカの言葉で答えてくれたから、嬉しくてね」


 ユーリは視線の先にいる私をとらえながら事もなげに言ったが、その言葉に顔が歪みそうになり、無理やりに顔の筋肉を動かして笑顔を作る。感情を隠すのは得意なのに、ユーリと出会ってからは上手くできない自分に舌打ちしたい気持ちになった。


「ユーリは、私に何を聞きたいの?」

「たくさん聞きたいことはあるけど……そうだね。一番聞きたいことを聞こうかな。いい?」

「どうぞ」

「トリカは、誰に傷つけられたの?」

「誰にも傷つけられていない」

「答えたくない?」

「いま、答えたわが

 

 不機嫌な気持ちを隠さずに言った。こんなハッキリ感情を表に出すことは、今までなかったけど、ユーリの質問が苛立たせていた。ユーリは、そんな私の態度にも気にする素振りも見せずに言葉を続けた。


「トリカは、オルサで生まれたわけじゃないんだよね?」

「えぇ、そうよ。私は、オルサから離れた小さな村で生まれたの」

「そこで育った?」

「えぇ、そう」

「何才まで?」

「十二才まで」

「いつから、オルサに?」

「最近」

「それは、嘘だね」

「えぇ、嘘よ」

「どうして、本当のことを話してくれないの?」

「話している相手が"自分だから"とは、考えない?」

「そうなの?」

「どう思う?」


 嫌味のように質問で返しているのに、なぜかユーリは楽しそうにしている。

 

「僕だけじゃない。そうでしょ?」

「正解。相手が誰であっても、変わらない。常に、よ」

「常に?」

「えぇ。でも、本当のことを付け加えることもあるわ」

「真実だけを話すことは?」

「なぜ、真実を話す必要があるの? 人は、自分が信じたいものを信じる。だから、相手が望んだ真実を話すだけ」

「心から誰かを信じたいとは、思わない?」


 ユーリの質問が可笑しくてクックッ、と喉の奥から押し出されるような声が出た。


「ユーリは、私に何を求めているの?」

「トリカの真実かな」

「残念。私と真実は、相性が良くないの。でも、それは私のせいじゃない。だって、お互い自己紹介さえ、きちんとしたことがないのだから」

「僕は、トリカのそばにいるよ」


「あはは」

 思わず、笑い声がもれた。


「それなら、今度、ユーリが私に真実を紹介してくれる? 紹介してもらえたら、少しは仲良くなれるかもしれないわね」


 これ以上、話をする気はなかった。ユーリが私を理解できるわけがないし、理解する必要もない。私とは違う環境で育ち、違う考え方をしているのだから。それなのに、ユーリは私を離してくれない。


「僕は、トリカの口から聞きたい。嘘ではない、真実を。僕が望む真実ではなく、トリカの中の真実を」


 ユーリの目が語る。信じても大丈夫だよ、まるで子どもと接するような優しさで訴えかけてくる。 

 イライラする。頭の中が、イライラしてくる。――その目に動揺する自分に。その目を信じそうになる自分に。


「私の真実って、何? やっぱり、私が嘘をついていると言いたいの?」

「僕は、トリカの口から聞きたいだけ」

「何を? それに、私が話すことは嘘かもしれないわよ。私が真実を言っているかどうか、わからないでしょ? それなのに、聞く必要ある?」

「真実を……トリカの口から聞きたい」

「私は、話したくない」

 

 本当の気持ちが、口から勝手にこぼれでた。嘘は……なぜか出てこなかった。

 適当にあしらえばいい。いつものように笑顔を張り付けて、ユーリが納得する言葉を言えばいい。簡単なこと。それなのに、出てこなかった。口からこぼれでたのは、私の本当の言葉だった。 


 ――過去の話はしたくない。

 ――思い出したくもない。


「私は、話したくない」


 この言葉が、真実だとは伝えない。はぐらかすような笑顔を張り付けて、もう一度、ゆっくり言った。真実を言っていると、思わせないように笑顔を浮かべて。


 ユーリ、この世界は残酷なのよ。まだ子どもだった私に、あいつらが何をしたのか。ユーリには想像もつかないわ。何箇所も骨にひびが入るほど殴られ、蹴られ、切り裂かれる。口の中が鉄の味でいっぱいになり、少しずつ意識が薄れていく。全身から力が抜けて……自分が立っているのか、寝ているのかさえ分からなくなってくる。


 力が、すべての世界だった。


 そんな化け物のところからやっとの思いで逃げ出して、人に拾われた。これで、やっと苦痛のない暮らしを手に入れたと思った。……あの男が、私の腿に手を置くまでは。


 悪夢は、終わってなかった。

 終わることなく、形を変えただけだった。


 同じ人間なのに、あの男は化け物と同じだった。力で押さえつけられ、泣いても許しを請いても、離してはくれなかった。嫌だと逃げようとすると、何発も蹴り上げられ、殴られた。

 いつしか苦痛の叫びをあげないよう唇をきつく噛むようになった。声を出して喜ばせることはないようにした。そして、相手が何を考えているのかを探るようになった。感情を殺して、相手の望む言葉を選ぶようになった。笑顔を貼り付けて、相手を操るようになった。


 それが、私の生きるすべだった。


 そんな生活を送っていれば、真実なんてどうでもよくなる。両親が殺されてから出会ったのは、害にしかならないようなやつらばかりだった。




 ――そんな話をしたいと思う? 




 ユーリは、知らなくていい。

 ……知る必要なんてない。



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