悲しい物語⑥
オルサは、ぽつぽつと雨が降っていた。魔力感知した場所に照準を合わせて瞬間移動したはずなのに、誰もいない。
魔力不足で、場所がズレたんだ。
すでに、限界がきている。それなのに、あの禍々しい魔力を強く感じる。本能的な不快感に、背中がぞわぞわする。
――この魔力は、誰のもの?
その時、雷が空を裂き始めた。雷鳴が轟く。そして、バケツをひっくり返したかのようなどしゃ降りになった。
あの魔力が誰のものか分からないけど、セイリオスもそこにいる。私は……魔法が使えないかもしれない。だけど、本能がセイリオスを"助けに行け"と叫んでいる。
荒れ狂う雨の中、オルサの街を駆け抜ける。
魔力を追っていくと、数人が争っているのが見えた。視線を追った時、息が止まった。セイリオスが六人に囲まれ、口の端から血を流していた。
「セイリオス!」
思わず、声をあげた。
セイリオスは、こちらを振り返り……私がいるのに驚いた顔を見せたが、すぐさまその表情を隠した。
私とセイオリス、二人の目が合う。
セイリオスは、無言で警告するような眼差しを投げてきた。次の瞬間、一人の男が剣を振りかざす。セイリオスは素早く攻撃をかわし、お腹を蹴りつけた。男の体は、後ろに吹き飛ぶ。その間に、二人目の男の顔を殴りつける。悲鳴とともに、鼻血が飛び散った。そこまで、わずか数秒の出来事だった。
セイリオスは相手を殺さないように、力を抑えている。それでも、私の助けなんて必要がないほど、圧倒的な力の差だった。だけど、このまま戦いが続けば、お互いに大きな怪我につながってしまう。
――争いをやめさせなれば!
声を出そうとした時、唐突に荒い息づかいが背後から聞こえた。そして、首に腕をまわされた。
「化け物。レグルスを死なせたくなければ、抵抗をするな」
聞き覚えのあるその声に、頭を殴られたような衝撃を受けた。禍々しい魔力は、私の背中から感じる。そして、私の背後にいるのは……アルゲティだ。
「セーラから、手を離せ!」
セイリオスは牙をむき、怒りをあらわにしていた。私でさえ、セイリオスの表情に震えが走るほどだった。
「膝をつけ、化け物。言うことを聞かないと、レグルスを殺すぞ」
吐き捨てるように、アルゲティは言った。セイリオスは迷うことなく、言われた通りに膝をつく。そばにいた二人がセイリオスの腕を取り、もう一人の男が剣を持って、セイリオスの前に立つ。剣を持つ男を見た瞬間、目の前が真っ白になった。今、起きている現実が理解できなくて。
「……ルクバト?」
それ以上、言葉は続かなかった。視界が揺らいでいた。アルゲティが背後で私を押さえ、ルクバトがセイリオスに剣をむけている。
こんなことが、現実なわけがない。
まばたきをすると、知らない間に溜まっていた涙がこぼれ落ちた。泣きながら必死で、アルゲティの腕から逃れようと抵抗する。こんな時に、肝心の魔法が使えない。私の力では、アルゲティの腕から抜け出せない。今の状態を覆せるようなものが、何もない。
「ルクバト、やめて!」
私は叫び、雨にまばたきをした。
「お願いだから! やめ……」
アルゲティが腕に力を入れ、私の息を塞いだ。
「やめろ!」
セイリオスが叫んだ。
「わかった、俺を殺せばいい! だから、セーラを離してくれ」
――だめ!!
――そんなこと、させない!
ルクバトが剣を振りかざした時、どうにか息を吸いこみ、声を絞り出した。
「やめ、て……」
その声にルクバトが顔をあげ、私と目を合わせた。それから数秒、目だけで会話をした。しかし、ルクバトは目を閉じ、短い会話を一方的に終了させる。
ルクバト、私の話を聞いて!
「ルクバト! お願いだから、やめて! セイリオスは、化け物なんかじゃない! よく見て。セイオリスは、化け物なんかじゃない。私たちと変わらない。お願い、ルクバト! 私を信じて……」
――お願い、私の声を聞いて。
――お願い、私の声が届いて。
再び、ルクバトが目を開けて私を見た。ルクバトの視線には、複雑な感情が浮かんでいた。私を見ているルクバトの顔つきが、揺らいだような気がした。そして、剣が……ゆっくりと降ろされた。
「ルクバト!」
アルゲティが叫ぶ。
「そいつは、アークトゥルスだ! 思い出せ、こいつらが何をしたか!」
首に回された腕の力が、さらに強くなる。骨が砕けるのではないかというほどに。その強さが、アルゲティの感情を伝えてきた。アルゲティは私を抱えたまま、セイリオスに近づいていく。
狂気の魔力が、アルゲティから溢れ出る。私の膝は自分でも気づかぬうちに、ガクガクと震えていた。それでも、なんとか掴まれている腕を振り払おうとした。びくともしない。
手に、魔法を呼ぶ。
……何も、返事がない。
もう一度、手に力をこめる。
……何も、掴めない。
「セーラは、レグルスだ。その化け物が死なない限り、従属の証は消えない! ルクバト、やれ!!」
アルゲティが叫ぶ。ルクバトが剣の柄を握りしめる。そして、セイリオスに剣を突きさす直前、やっと魔力の焦点が定まった。手を伸ばし、魔法を掴む。
私は…………
アルゲティの腕の中から、消えた。
血しぶきがあがり、顔にかかった。自分のお腹から、剣が突き出していた。雨の暗い音だけが響いて、冷たい雨が体を流れていく。静寂の中、ルクバトの茫然とした顔が見えた。不思議なことに、痛みは感じない。でも、ルクバトの表情がすべてを語っていた。
「セイリ、オス……」
声をあげると、セイリオスが「死ぬな」とつらそうな声で懇願した。セイリオスは、私の体を抱きしめている。冷たい雨から、私の体を温めようとするかのように。
「セーラ、頼む。俺のために、持ちこたえてくれ」
セイオリスの温かな体温に包まれているのに、ひどく寒かった。
――私は……死にかけている。
血が、急速に流れていく。それでも、視線を下げたくなかった。
目が、かすむ。
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セイリオスが、手を差し出した。はにかむように微笑んで、私はその手を取る。すると、耳元でセイリオスが呟く。
「ずっと、一緒にいてくれるか?」
「もちろん。私たちは、ずっと一緒だよ」
キスをせがむように、顔を寄せる。
「私を愛している?」
「永遠に、セーラ」
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これは、過去の記憶。幸せな記憶。死ぬ間際に見ると……聞いたことがある。
『セイリオス』
呼びかけは、声にならなかった。セイリオスの目から、涙が溢れている。拭いてあげたいのに、手は動いてくれない。
「……セーラ」
かすれた声で、セイリオスが私の名を呼ぶ。
意識が遠のきそうになる。目を開けていられない。それでも、どうにか意識を失わないように頑張っていた。
「セーラ! セーラ! 頼む、俺をおいて行かないでくれ!」
だけど、自分の力ではどうにもできないほど、まぶたが重たくて……開けていられない。
「セーラ……」
セイオリスの呼びかけに、笑ったつもりだった。でも、きっと笑えていないのだろう。セイオリスは泣きそうな顔で、私の手を痛いほど強く握っている。今にも倒れそうな様子で、心配でたまらない気持ちになる。
『……セイオリス』
名前を呼ぼうとした。だけど、口を開くたびに血を吐くことになった。
『……セイオリス』
音が、遠くなっていく。
『……セイオリス』
意識が、遠のいていく。
『……セイオリス』
深い、深い、闇の底に……
『セイリオス、愛している。永遠に……』
セイリオスは咆哮をあげ、そばにいた男の首をつかみ、力ずくで引きちぎる。そして、もう一人の頭をつかみ、後ろにねじって頭をもぎ取った。
「貴様ら全員、殺してやる! 誰一人、見逃しはしない!!」




