悲しい物語④
ゆっくりと歩いてくる夏目は、記憶と変わらない私のよく知る柔和な笑顔を浮かべていた。陽の光が差し込んでいる窓に向かって、ゆっくり歩いている。夏目は微笑んだままで、その靴音は遠ざかっていくように大きく響いた。
『全て自分のせいだと責めて、壊れかけている』
目の前の夏目は、いつもと変りないように見える。
「セーラ、無事で良かったよ」
口を開いた夏目の声は、いつもと変わらず優しさに溢れていた。その声に、知らない間に詰めていた息を吐き出した。
「夏目こそ、大丈夫?」
「うん。僕は、大丈夫だよ」
夏目は壁に寄りかかりながら、私を見ていた。だけど、私からは夏目の顔は逆光で隠れ、その表情を見ることができなかった。
「夏目、私の話を聞いて。……アークトゥルスのこと。聞きたくないかもしれないけど、大事なことなの。夏目、アークトゥルスは化け物なんかじゃない。彼らの中には『内なる獣』がいて、それが殺戮をさせているの。でも、その殺戮の本能は抑えることができる。実際、私は本能を抑え込んでいるアークトゥルスに会ったし、彼らは私たちと変わらなかった。みんな、いい人たちだったよ。それに、街を襲ったアークトゥルスも、トルマリンさえあれば、本能を抑えることができる。戦わなくても、平和な世界がやってくる。……夏目? 聞いている?」
問いかけても、夏目は無言だった。無言のままの夏目を覗きこんだ時、トリカの言葉が真実だとわかった。夏目の目は、私の視線を受け止める目は、静かでありながら、瞳の奥には無視できない影が見てとれた。思わず距離を取った瞬間、夏目が口を開いた。
「アークトゥルスは、化け物じゃない? 内なる獣? そのせいだから、彼らは悪くないと言いたいの?」
夏目が、優しく微笑む。
「それは精神疾患なら、人を殺しても罪に問われないって、言っているのと同じだよね? “心神耗弱状態だったから、刑事責任能力がない”と言われて、納得できると思う? 殺された相手が、自分の大事な人だったら? 許せると思う?」
「……人を殺めたアークトゥルスを許せない気持ちはわかる。だけど、一度も人を殺したことのないアークトゥルスがいることも事実なの。彼らは、人を殺したいなんて思っていない。人を襲ったこともない」
「でも、そのアークトゥルスも『内なる獣』を飼っているんだよね?」
「中にいるだけだよ。彼らは『内なる獣』を檻に入れて、自分の奥深くに抑え込んでいる。彼らは、化け物なんかじゃない。彼らとなら、きっと争わずに共存していける」
「セーラ。僕はね、決めたんだよ」
「……何を?」
「“アークトゥルスの見た目は人間と変わらないが、化け物なんだ”と、アルゲティが僕に言ったんだよ。僕も、理解しているつもりだった。だけど、実際にアークトゥルスを見たら、同じ人間にしか見えなかった。人間を殺すなんて……僕には、できなかった。セーラ、僕には……どうしてもできなかった」
夏目の気持ちがわかる、私もそうだったから。あの時、オルサで初めてアークトゥルスに会った時に、私も夏目と同じだった。
「そんな僕を見下したように、アークトゥルスは笑ったんだ。そして、いきなり走りだした。その時、悲鳴が聞こえた。急いで、声のした方に向かったら……アークトゥルスが、シャウラの喉をかき切った後だった。僕は……全く、動けなかった。アークトゥルスは、笑ったよ。動けずにいる僕を見て、また笑ったんだ」
何も、言えなかった。私たちは平和な日本から、この世界に来た。いきなり戦えと言われても、それが化け物と言われる存在でも、簡単に殺せるわけがない。だって、その化け物は……同じ人間の姿をしているのだから。
「それにね、セーラ。シャウラの腕の中には、小さな子どもがいたんだよ。その子を、あいつは僕の目を見ながら、殺した。僕は、それでも……動けなかった。動くことができなかったんだ。僕なら助けられたはずなのに、助けたかったのに。やっと体が動いた時には、もう回復魔法では、どうにもならない状態だった。あの時、僕は心に決めたんだよ。どんなに人間に似ていても、アークトゥルスは化け物なんだ。化け物ならば、情けをかけてはいけない」
夏目は私をじっと見ていたけど、私の目をとらえることなく、どこか遠くを見ていた。私の背後に他の誰かが立っていて、その相手を見ているようだった。焦点が合わない目に、優しい口調に、夏目の中の狂気を感じた。それでも、何か言わなきゃいけないと思った。
「……ごめんね、夏目。本当に、ごめんなさい」
「何の謝罪?」
「私が、もっと早く帰ってきていれば、どうにかなったかもしれない。私が……」
「セーラ。そのマークは、何?」
「え?」
「額のマークだよ。それは、何?」
「あっ、これは……」
思わず、視線を下に向けた。この話の流れで、セイリオスとのことを話すべきではないと思えた。だけど、嘘をつくわけにはいかない。何て伝えるべきか、何て伝えればいいのか、言葉を探す。
「証でしょ?」
「え? あっ……うん、そう。夏目は、証のことを知っているの? この証は……」
顔をあげると、そこには私の知らない夏目がいた。怖くなって、後ずさりをしようと足をさげた瞬間、夏目の手が飛んできて悲鳴をあげる間もなく、首を締められた。苦しくて、必死で夏目の腕に爪を食いこませて、もがく。
夏目が、唐突に手を離した。
がくっと膝をつき、必死に息をしようとして、咳きこんだ。そして、呼吸が落ち着くのを待たずに逃げようと体をひねった時、夏目が私の肘をつかんだ。
「セーラ、アークトゥルスは化け物なんだ。僕は……騙されないよ」
「私は、夏目を騙そうとなんかしていない。本当よ。本当に、嘘なんて言っていない。私が言っていることは、全て真実なの。お願いだから、私を信じて。夏目、私たちは親友でしょ? 私が夏目に嘘なんて、つくわけないでしょ?」
「セーラ、僕たちは親友だよ。だけど、レグルスの言うことを……信じることはできない」
「夏目!」
「シャウラたちを埋葬した後、怒りと悲しみでどうにかなりそうだった。自分も死にたいと思った。死んで全てを忘れたいと願った。でも……それじゃダメだ。僕は、アークトゥルスを許さない」
「夏目、信じて。私は……嘘を言ってない」
手が震えていた。
目から、勝手に涙がこぼれ落ちる。
「彼らは、化け物なんかじゃない。化け物なんかじゃないの。……お願いだから、信じて」
「セーラ。僕は、その話を聞く気はない。もう二度、そんなことを言わないで。そうじゃなきゃ、セーラも……許さない」
私の声は、夏目に届かない。夏目に何を言えば、わかってもらえるのか、どうすればいいのか……私にはわからなかった。
「だけど、セーラにチャンスをあげるよ」
「チャンス?」
「準備が整ったら、オルビタを攻撃する」
――え?!
オルビタを攻撃する?
「ちょ、ちょっと、待って! どうして、オルビタを攻撃するの?!」
「どうして? オルビタは、アークトゥルスの本拠地だよ。そこを攻撃するのが一番、効率的だから。他に、理由が必要?」
「待って! そんなのダメ!! オルビタを攻撃するなんて、絶対ダメ! 私は……」
「私は? ……私は、何?」
「私は……そんなことさせない」
「セーラは、僕たちよりアークトゥルスを選ぶの? あの、化け物を?」
「ちがう! どちらを選ぶとかじゃない。人間とアークトゥルスが、共に暮らせる未来があるの。戦う必要なんてない。夏目、お願い……お願いだから、私を信じて。嘘は言ってない。トルマリンの話は、信じてくれたでしょ?」
「トルマリン? あぁ、魔法石のことだね。よく見つけたよね。だけど、セーラは、この魔法石を使って、何をするつもり?」
「何を、って……。さっきも言ったでしょ? このトルマリンを使えば、アークトゥルスの殺戮の本能を抑えることができるの。人間とアークトゥルスが共存できるのよ」
「あいつらが、この魔法石を使う可能性は?」
「え?」
「アークトゥルスに、魔法は効かない。それなのに、この魔法石があれば……」
夏目の言葉に、かぶせるように言った。
「トルマリンを発動するには、魔力が必要よ。魔法を使う人がいなきゃ、トルマリンはただの石。彼らは、魔法を使うことができない。何も問題ない」
「でも、魔力を使う人がいたら?」
「え?」
「本当は、セーラを逃してあげようと思っていたんだ。こんなところに閉じ込められていると知って、助けてあげようと思って来たんだよ。だから、すごく残念」
夏目の言っている意味が、理解できない。それなのに、夏目は話が終わったと扉に向かって歩き出していた。引き留めようと私が口を開く前に「さようなら、セーラ」と私を見ることなく、夏目は言った。そして、扉に手を掛ける。
「……神様、僕はセーラを信じたかった。彼女は、それを知っていますか?」
私は夏目の手を取り、強引に振り向かせる。だけど、夏目は私の手を振り払い、私を見ることはなかった。「夏目!」と名前を叫んだが、すでに扉は閉まっていた。
私は、しばらく扉を見つめていた。
「……信じてよ、夏目」
私の声は、空の部屋に反響した。




