はじまりの物語⑰
それから数日間、私の心を写したかのような雲一つない青空だった。空が青い絵の具一色に、染まっていた。
こんな甘い時間を過ごしたことがなくて、嬉しくて、恥ずかしくて、なんとも言えない変なテンションだったと思う。くだらない話をしながら、笑い合う。それだけで、見ている景色も、二人で歩く山道も、ただの虫の鳴き声さえも、全てが心地よく感じるから不思議。
木々の間から陽の光が差し込み、その陽にセイリオスは目を細める。その仕草が愛しくて、美しくて、泣きそうになる。幸せに色があるなら、この日の空の色だと思う。幸せの色は、流れる時間も、二人を包む空気も、何もかもを変える。
私たちは、ずっと笑っていた。
そして、ようやくオルビタについた日、とても風の強い日だった。強風が横から吹きつけて、顔を打つ。あまりに強い風に目を開けていられずに魔法を使おうとした時、急に風がやんだ。目を開けると、セイリオスが風を遮っていた。
「セーラ。あれが、オルビタだ」
セイリオスが指さす方に視線をむけると、思わず息をのんだ。
鮮やかな赤い花が、オルビタのへの道標のように並んで咲いている。その先にあるオルビタの街も、赤一色だった。赤に染まった建物しか、見当たらない。
――トゥルスが暮らす、オルビタ。
そこは、まるで血のように濃い赤に包まれている街だった。
「戒めの色だ」
「戒め?」
「俺たちは、殺戮の本能がある。常に血の色に慣れておくために、建物を赤に塗っているんだ。血を見ても、冷静でいられるように。理性を保っていられるように」
「この花も、戒め?」
「赤い花の下には、俺たちの大事な人たちが眠っている。俺たちは番が死ぬと、ここに埋め、花を植える」
「……私のいた世界にも、同じように列になって咲く、赤い花がある。その花は、天に咲く花とも言われているの」
「天に咲く、花?」
「うん。亡くなった人のそばに、植えられ花だから。でも、植える理由があってね、花には強い毒性があって、埋めた遺体を動物から守っているの。大事な人を守る赤い花。そして、ここに咲いている花は、生きている人たちを守っているんだね。セイオリスたちが理性を失わないように、鮮やかな赤の花を咲かせている。花なのに、すごいと思わない?」
「……あぁ、そうだな」
「それに、とても綺麗」
「あぁ、とても……綺麗だな」
「? どうしたの?」
「いや、本当に綺麗だなと思っただけだ。さぁ、中に入ろう。セーラに、みんなを紹介する」
どこを見渡しても赤の景色の街に足を踏み入れた瞬間、まるで異世界に迷い込んでしまったかのように感じた。実際、異世界に迷いこんでいる訳だけど。だけど、私が驚いたのは色だけじゃなかった。
――オルビタは、笑顔で溢れていた。
セイリオスと一緒にいる私を見て、歓声が打ち上げ花火のように次々とあがる。そして、みんなが口々に「ようこそ!」と笑顔で迎えてくれた。
アークトゥルスは、赤い瞳の化け物。笑いながら、人を殺すという。でも、ここにいる彼らは違う。オルサを襲ってきたアークと同じ、赤い瞳。でも、彼らの瞳は……とても優しかった。皆が嬉しそうに、私を迎えてくれた。
「セーラ」
セイリオスが、私の名を優しく呼ぶ。
彼の手を掴むと、暖かい手が握り返してくる。そっと包みこんでくるのに、少しもゆるがないセイリオスの手。
オルサのみんなに、知らせよう。
――アークトゥルスの真実を。
きっと平和な世界が、やってくる。
みんなが幸せになれる未来が、必ずやってくる。
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それ以上は、無理だった。
私の知っていることと夏目が見せる物語が、頭の中で混線する。その二つの内容を、一直線に理解することができない。色々なことが仕付け糸のように絡まって、頭がついていかない。そして、その糸が時々つっかかる。
でも、一つだけわかることがある。
――この物語は、ハッピーエンドでは終わらない。
それがわかるから、トルマリンを触っていられなかった。これから起こるだろうことが、頭をよぎって怖くて見ていられない。
手を離した瞬間、今までの映像が一瞬で霧さんする。いきなり消えさっていった記憶に、私は数回まばたきをした。
もう石の模様と、夏目しか見えない。
夏目に聞きたいことはたくさんあったけど、頭に膜がはっているようで、うまく働かない。それでも、無理やり口を開く。
「……どういう、こと?」
『真実だよ』
「今のが……真実?」
『そう、実際にあった過去の出来事』
「アークトゥルスは、血と殺戮の種族」
『うん、そうだね』
「でも……それが、全てじゃなかった」
『うん、そうだね』
「オルビタは……殺戮によって、常に赤く染まっていた街」
『そう言われていたね』
「でも、あの赤は……血の色じゃない」
様々ことが、頭の中で溢れ出す。
「オルビタに隕石を落としたのは、ステラ・マリス。あの伝説も、実際にあった出来事?」
『うん。本当に、あったことだよ』
「……オルビタの街に、隕石を落としたの?」
『うん、そうだね』
「どうして? 彼らは、化け物なんかじゃないのに。……ねぇ、どうして? 夏目! どうして、隕石を落としたの!?」
『セーラ。話は、まだ終わっていないよ」
「セイリオスは、人を殺したことなんてないって言っていた! 殺したいと思ったことなんてないって!! それなのに……」
『まだ、話は続くんだよ』
「もう見たくない! 見る必要もないでしょ?! 見て、どうするの?」
『セイリオスは僕が知る中で、一番……人を殺したアークトゥルスだよ』
――え?
イチバン、ヒトヲ、コロ……シタ?
「嘘よ……」
『嘘じゃない』
「……そんな……そんなこと、あるわけない! セイリオスは……そんなことしない!! するわけがない!! セイリオスが……ヴィーが、そんなことするはずない! それは、何かの間違いよっ!!」
『間違いじゃない。僕の知っているセイリオスは、殺戮の本能しかない化け物だった』
「ちがう!!」
『セーラ。物語は、まだ続きがあるんだよ』
「私は、見ない。……見たくない!」
『たしかに、楽しいことは……何もない。悲しいことしかない。でも、セーラは真実を知らなきゃならない」
「知りたくないって、言っているでしょ! 私は、ヴィーのところに戻る」
『……じゃあ、僕は?』
――え?
『セーラ。僕が……どうして、ここにいると思う?』
「どうして……って」
そうよ。
どうして、夏目が……ここにいるの?
【生かさず、殺さず、ここから離れることも許されない。汝に、安眠が訪れることはない】
『この場所に、罪を犯した者が閉じこめられているみたいだよ。壁に刻まれた暦によると…………数千年以上前から』
うそ、でしょ?
夏目、あなたは……
「……ずっと、ここに?」
夏目は私の質問には答えずに、バイカラーのトルマリンを私の前に差し出した。
『言ったよね? 真実は、すべて……この中にある』
短く息を吐いて、心を決める。ゆっくりと、再びトルマリンに手を伸ばした。




