はじまりの物語⑮
違和感で、目が覚めた。すぐにその違和感の理由に気がついたが、信じられなかった。私は……抱きしめてくれるセイリオスの体温がなくて、目を覚ましたのだから。セイリオスがいなくて目を覚ますなんて、どうかしている。まだ出会って間もないのに。
でも、セイリオスは……どこに行ったのだろう?
周りを見回すと、セイリオスが暗い部屋の隅で、膝に顔をうずめて座っていた。
「セイリオス?」
普段とは違うセイリオスの様子に、小声で呼びかけた。私の呼びかけにセイリオスの体がビクッと動いたけど、返事はなかった。心配になり近寄ろうとした時、岩壁に鉤爪の跡を見つけた。周りを見渡すと、壁だけではなかった。呆然として、周りにある鉤爪の跡をながめた。この場所で無傷なのは、私だけだった。
一体、何があったの?
「……セイリオス?」
もう一度呼びかけると、下を向いていたセイリオスが顔をあげた。普段のセイリオスから想像もできない悲愴感に溢れていていた。
「ねぇ、大丈夫?」
呼びかけに答えることもせず、ただ私を見つめていた。その瞳は揺れていた。そして、セイリオスは予想もしていなかったことを口にした。
「もう二度と、セーラのそばでは眠らない」
ショックだった。この惨状じゃなく、セイリオスのその一言が。あの温かい体温を失うことが。今まで感じたことがなかった安心感を失うことが。
私はゆっくりセイリオスに近づき、初めて自分から小さく震える彼を抱きしめた。そして、髪をなでながら「大丈夫だよ」と何度も言った。
――大丈夫、私がついているから。
視線のすみで、セイリオスの手が私に触れようとするのが見えた。でも、これまで何度も繰り返してきたように、セイリオスは再びその手を握り締めて戻っていく。
何があったのかを聞いた方がいいのか、聞かずにいた方がいいのか、どうしたらいいのか……わからない。破壊された岩壁を見ても、セイリオスに対して怖いという感情は全く湧いてこなかった。ただ悲しみをたたえたセイリオスを見ているのが、つらかった。そして、そんなセイリオスに何も言えない自分が情けなかった。
何か言うべきだと思うのに、言いたいと思っているのに、言葉が出てこない。私は、ただ震えるセイリオスが少しでも安心できるようにと、抱きしめることしかできなかった。
「……俺が…………眠りに落ちた時、いきなり…………俺の奥深くに閉じ込めていたはずの『内なる獣』が暴れ始めたんだ」
少し震えたような小さな声で、セイリオスは呟いた。
「……セーラを傷つけることだけは、したくない」
消えてしまいそうなくらい、弱く儚い声だった。
「私は、どこも傷ついてないよ」
大丈夫だよと伝えたくて、髪を優しく撫でた。
「セーラ、周りを見てみろ。俺が何をしたのか……見れば、わかるはずだ。俺は…………衝動を抑えきれなかった」
「そんなことない。セイリオスこそ、私を見て。私は、どこにも怪我していないよ」
「ちがう、ちがうんだ。セーラ、俺は……ギリギリだった。本当に、わずかに残った理性で意識を保っていただけで……俺の手は、セーラに襲いかかろうとしていた。もし、あの時……もしかしたら、俺は……セーラを殺していたかもしれない」
「でも、私は死んでない」
「運が良かっただけだ」
「私は、大丈夫だよ」
「大丈夫じゃない! セーラ、俺は……なぜ、いきなり殺戮の本能にのまれそうになったのか、自分でもわからないんだ。こんなことは、初めてで……どうして突然『内なる獣』が暴れ出した理由が分からない。俺は……大丈夫だ、とは言えない。自分の側にいても安心だと、セーラに約束できない」
セイリオスは、わななく手で顔を覆った。
アークトゥルスであるセイリオスは、ずっと閉じ込めていた本能が暴れ出して……動揺しないはずがない。きっと、ずっとこうなることを恐れてきたはずだから。殺戮の本能は、セイリオス自身にもあると言っていた。考えたくないけど、人間である私と一緒にいることで『内なる獣』を刺激しているのかもしれない。セイリオスにとって、私といるこの時間さえ苦痛を感じているのかもしれない。
でも……それでも、セイリオスのそばから離れたいと思えなかった。今まで感じた事のない胸の痛みがこみあげてきて、心を揺さぶる。
「セイリオス」
声をかけても、セイオリスは私と目を合わせたくないというように俯いたままだった。それが嫌で、手を伸ばす。目の奥で揺れる怯えを捕まえるように、両手で頬を包み、セイリオスを見つめる。
「私は、セイリオスに言ってないことがある。ラカイユ滝で、違う世界から来たって言ったのを覚えている? 実はね、それだけじゃないの。私は、魔法が使える……って言っても、セイリオスは魔法の意味がわかんないよね。魔法は、風や火を操ったりすることができるの」
「……風や、火?」
「うん。他にも、自分の望んだ場所へ一瞬で移動することだってできる。それに、傷を治すこともできる。……私は、簡単には死なないよ。セイリオスに出会った時の私は、魔法が枯渇していて魔法が使えない状態だったから、弱い人間だと思われても仕方ないけどね。私は"世界を守るため"に、この世界に連れてこられたの。だから、私は普通の人間じゃない。自分の身は、自分で守ることができる」
できるだけ軽い調子で言った。気にしないで、大したことじゃないと伝えたくて。
「それに、セイリオスは言ったよね? ずっと、私と一緒にいたいって。私と番になりたいんでしょ? そう言ったんだから、自分の言葉に責任を持って」
これじゃ、まるで私から番になろうと言っているみたいだと思った。でも、このまま放っておくなんて……私には、できない。
――私は、セイリオスを失いたくない。
「……セーラは、わかってない」
「わかっているよ。私は、ちゃんと理解した上で、言っているの。私の言葉を信用できない? それなら……大丈夫だって証明してあげる」
ニヤリと笑ってから、右手をセイリオスの目の前で広げ、わざと大きな動作でグーパーと何度か開いたり閉じたりする。
セイリオスが怪訝そうに私の手を見ているのを確認すると、魔法を手のひらに集める。力をこめると、すぐに手のひらが熱くなり、きらきらと光り始める。その光はゆっくりと伸び、だんだんと短剣の形へと変化していく。短剣の具現化が完成すると同時に短剣の柄を掴み、投げつける。短剣は、勢いよく硬い岩壁に突き刺さった。
驚いた表情で俺を見ているセイリオスに向かって、笑う。そして、今度は左手を操り、岩壁へと瞬間移動し短剣を抜いて、セイリオスを見る。
目が合う。
再び左手に魔力を集め、セイリオスの目の前へと移動すると、固まった状態のセイリオスの喉元に短剣を突きつける。
「ね? 私は自分の身は、自分で守れる」
笑って言ったが、セイリオスは首を縦には振ろうとしない。
「もし……セイリオスが襲ってきたら、すぐに逃げるよ。逃げて、また戻って来るから。私と一緒にいたいって、言ったでしょ? 私と番になりたいって、言ったでしょ? それなら、私を信じてよ。私なら、大丈夫だから。だから……私と一緒に、オルビタに行こう」
私の言葉にセイリオスは瞳を揺らしながらも、ゆっくり頷いた。
一緒に、行こう。
――セイリオス、私と一緒に。




