はじまりの物語⑪
この街は、アークトゥルスに襲撃されて廃墟となったのだろう。至る所に火をつけられた痕跡もあった。破壊され、黒焦げになった建物が建ち並んでいる。目を背けたくなるような戦慄の光景が、そこに繰り広げられていたことがわかるほどに壊された街の姿だった。その街で、私は襲撃したアークトゥルスと一緒にいる。
『もう少し、一緒にいてほしい』
あんな言葉に、頷いた私がバカだった。いま、こうしてこの街の惨劇を見ながら、男の隣に立った時にそう悟った。
どうして、この男を信用したの?
……ううん、信用なんてしてない。
あの時、"魔法が、きっと使えるはず"と自分に言い聞かせて、私は本当に飛び降りるつもりだった。アークトゥルスの目があんなにも揺れていなかったら、あの目があんなにも温かい光を放っていなかったら、あんなにも泣きそうな声を聞かなかったら、私は一か八かに賭けて飛び降りていた。――アークトゥルスという化け物から、逃げるために。
アークトゥルスが何をしたいのか、何を考えているのか、私にはさっぱり分からない。一体、どうして私を殺さないの? どうして、私と一緒にいようとしているの?
疑問をはらうように、首を振った。
なんだっていい。本当に、一か月も一緒にいる必要なんてない。魔力が戻ったら、移動魔法で戻ればいい。あんな約束を……守る必要なんてない。だから、アークトゥルスの考えがわからなくたっていい。それに、アークトゥルスが手を差し出してきた時も、私は手を取るつもりなんてなかった。でも、私を見る瞳が……なぜか温かくて、差し出された手を振り払うことができなかった。あの手を、掴んでしまった。
――私は、本当にバカだ。
それから、街の中を歩いていると、いきなりアークトゥルスが破壊されていない建物の中に私を押し込んだ。
このアークトゥルスは、本当に訳がわからない。
でも、中を見回すと、ここが公衆浴場だと気がついた。温浴、サウナ、水風呂、マッサージ室があり、脱衣所もあった。この場所は、襲撃の跡はほとんどなく、人々が暮らしていたままだった。
入り口をふり返ると、扉には鍵がついていることに気付き、急いで内側から鍵をかけた。アークトゥルス相手に鍵をかけたくらいでどうにかなるとは思わなかったけど、ささやかな抵抗だった。
そして、ゆっくりと中へと進む。中心には大きな浴槽があり、どうやってひいてきたのか分からないが、浴槽内には水も溜まっていた。
こうなる前は、人々の笑い声や話し声が響いていただろう。それなのに、今は誰もいない。浴場内に差し込んでくる陽の光の音さえ聞こえてきそうなほどの静けさだった。まるで、自分だけが世界から隔離されてしまったように感じられた。
視界に、赤が見えた。
服にこびりついた血……アルゲティの血だ。アークトゥルスに襲われた時に、流れた血。
――私は、本当に何をしているのだろう?
そのまま、床に座り込んだ。
アークトゥルスは、血に飢えた化け物。怒りを抑えることができない、血と殺戮だけの化け物。その化け物がどうしてあれだけ整った顔しているのかは私の理解を超えているけど、あの男は天使の姿をした化け物。
逃げなければならない相手に、私は一体……何を思った? それに、さっきアークトゥルスが私にしたことを思い出すと腹が立った。私の意識がないとわかっていたはずだ。まるで裏切られたような気がした……そこまで思ってハッとした。
私は……信用していたの?
あの男は、アークトゥルスよ!
しっかりしてよ、私!!
――ガタン
ん? ……ガタン?
本当に全く鍵が機能しなかったのだと、アークトゥルスが入ってきたのを見て知った。うずくまったまま、アークトゥルスを見上げる。
「どうして、勝手に入ってくるのよっ!」
壁に肩をつけ、なるべく距離を取りながら、早口で捲し立てた。
「入らないのか?」
アークトゥルスは私を見ながら距離をつめると、両腕を取って立ち上がらせる。
「……これから、入るところだったの。だから、あなたは出ていって」
「セイリオス」
「え?」
「俺の名前だ。あなたじゃなくて、セイリオスと呼べ」
……どうして、こんなに偉そうなの? さっき泣きそうな声出していた人物と、同一人物とは思えない。アークトゥルスは、みんなこうなの? それとも、この男の性格?
そんな私の葛藤など完全に無視して、アークトゥルスは服を脱ぎ捨て浴場に入った。気持ちよさそうに目を閉じた後、私を見た。その瞳は、鮮やかな金色だった。
「セーラも、こっちに来い」
「嫌よ!」
「じゃあ、これはどうだ? 俺の願いを一つ聞き入れるなら、セーラの願いを一つ聞く」
「……あなたの願いは?」
「セイリオス」
「…………セイリオスの願いは?」
「セーラと一緒に入ること。セーラは、何を望む?」
「絶対に嫌! 一緒に入らないことが、私の望みよ」
「俺は、セーラを手放すつもりはない。帰りたいんだろう?」
「そんな……帰してくれるって、言ったじゃない?! あなた、嘘をついたの?!」
「セイリオス」
「え?」
「だから、セイリオスだ。あなた、じゃない」
そう言うと、アークトゥルスはおかしそうに笑っていて、からかわれたのだと気づいた。腹が立って、アークトゥルスが着ていた服を思いっきり踏んづけてやった。だけど、そんな私を見て、アークトゥルスは声を出して笑った。
それが悔しくて、服のまま浴槽に音を立てて入った。浴槽の中は冷たいと思っていたのに、水ではなくお湯で、その温かさに思わず声がこぼれた。またアークトゥルスが笑ったのに気がついて、顔をしかめた。このアークトゥルスは無視しようと決めて、体をゆっくり湯に沈めた。
気持ちがいい……。
目を閉じると、自分の家のお風呂に入っているような気分になる。全てが夢で、異世界転移なんてしていなくて、お風呂から出たらいつものように眠い目をこすりながら課題をする。そんな普通の……
「なぁ、いいか?」
いきなりのアークトゥルスの声に、体がビクッとした。その反応が悔しくて、なるべく動揺していると思われないようにゆっくりと振り向いた。
「……なにが?」
「胸を触っても」
はぁ!?
……なっ、なんだって?
今、この男は、一体なんて言ったの?
また、胸を触る? なんでよっ!?
アークトゥルスが手を伸ばしてきたので、思いっきり手をはらった。
「ダメに決まっているでしょっ! あなたは、何考えているのっ?!」
「セイリオス」
「はぁ?!」
「だから、あなたじゃない。セイオリスだ」
「その『はぁ?』じゃないわよ! 何を言っているのって、意味の『はぁ?』なの! 私はね、怒っているのよ! 私をなめているの?」
「舐めていいのか?」
「はぁ?!」
「セーラの……」
「ダメに、決まっている!! さっきから私に、ケンカ売っているんでしょ?!」
セイリオスは、またおかしそうに笑った。
もう一緒にいるのが嫌で、振り向かずに浴槽から出る。そして、びしょびしょの服を絞ろうとしたら、新しい服が置いてあるのに気がついた。
――私のだ。
…………こういうのは、本当にやめてほしい。どんな反応をしていいのか、わからなくなる。
セイリオスは、固まったまま動かなくなった私を見て「着せてやろうか?」と言った。
「け、結構です!」
もう、嫌だ!
なんなのよ、このアークトゥルスはっ!!




