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はじまりの物語⑩セイリオス★

 

 セーラを抱き寄せた時、セーラは体をこわばらせた。わずかにでも動いたら、何かされると思ったのかもしれない。その様子に気がついていても、手を緩めることができなかった。彼女を離したくなかった。眠っている間に、彼女がいなくなってしまうかもしれない。それが、怖くて……。

 

 アークトゥルスが番う相手は、生涯ただ一人だけ。


 運命に定められた、唯一の相手。自分のために、生まれてきた存在。その相手が同種族以外だなんて考えたこともなかったが、今までも同種族以外の相手を選んだ者はいた。それに、セーラを見た瞬間――この人間だ、と思った。俺のものだ、と思った。自分の細胞の一つ一つに、セーラが刻み込まれていく感覚があった。


 ずっと、会いたいと思っていた。

 ずっと、触れたいと思っていた。


 その存在を抱きしめていることが信じられず、なかなか眠れなかった。俺たちは人間と違い、一日くらい眠らなくても何も問題ない。今日は眠らずに胸の中にいるセーラを感じていようと目を閉じ、彼女の首筋に顔を寄せた。


 それからどれくらい経ったのか、セーラが腕の中から出ようとしていることに気がついた……と同時に、頭が揺れるような感覚があった。彼女は俺から、逃げようとしているわけじゃない。そう思いたくて、ギリギリまで寝たふりを続けた。だが、セーラは俺の腕から抜け出し、立ち上がった。


『に、逃げようと思ったわけじゃない』


 嘘だと思った。その言葉が本心ではことはわかっていたが、否定してくれたことが嬉しかった。その後、逃げようとすることなく、セーラは諦めたように力を抜き、意識を失ったかのように眠った。実際は気絶したのか、眠ったのか、どっちなのかよくわからない。


 ただ、逃げようとしなかった。


 その事実だけでいい。眠らずに、ずっとセーラを抱きしめていた。そして、今も腕の中にいる。 


「セーラ……」 


 名前を呼んだ。その時に初めて、まだ自分が名前を明かしていないことに気がついた。目を覚ましたら、最初に教えよう。


 ――セーラに、名前を呼んでもらいたい。

 ――セーラが、俺の名前を呼ぶ声の響きを聞きたい。


 眠っているセーラを見つめた。顔にかかる髪をはらい、輪郭、頬骨、唇、と視線を走らせる。


 早く目を覚まして、自分を見てほしい。


 その気持ちを抑えられず、もう一度セーラの髪に触れ、額に頬にまぶたにキスを落としたが、起きることはなかった。我慢出来ずに、胸に触れる。鼓動が聞こえる。


 ――俺のものだ。


 その時、セーラの体がぴくりと動いた。目を覚ましかけている……そう思ったが、自分を抑えることが出来なかった。さらに強く鼓動を感じたくて、服の中に手を入れた時、肩に衝撃があった。大した衝撃ではなかったが、叩かれたのだと理解した瞬間、怒りで視界に赤い霞がかかった。

 さっきまでアイツらと戦っていたせいで、気持ちが昂っている。理性が上手く働かない。気が付いたら、唸り声をあげて、セーラを押し倒した。拒絶された怒りと欲しいという欲望で我を失いかけていたが、わずかに残る理性が『やめろ!』と叫ぶのが頭に響いた。



 ――だめだ、落ち着け。

 ――失ってしまう。


 ――傷つけては、ダメだ。



 セーラは目を見開いて、俺を見ていた。その怯えた様子を見ても怒りが抑えられず、咆哮をあげる。すると、セーラは悲鳴をあげた。組み敷いているセーラの震えが、体に伝わってくる。その感覚で、徐々に赤い霞が消えていく。


 ゆっくりと、今まで強く押さえていた体を離した。


 セーラは俺の下から飛び出し、こちらを見た。その表情は、裏切られた悲しみのようで……泣きそうになった。そして、彼女はそのまま走って外に出て行った。一度も振り返ることなく、恐怖に怯えるように走っていた。


 セーラを傷つけた。


 そう思うのに、また自分から逃げ出そうとするセーラの行動に、おかしくなりそうだった。それでも、数回深呼吸をして気持ちを落ち着かせて、セーラを追いかけた。謝ろうと思って。



 そして……

 セーラを見つけた瞬間、息が止まった。



 ここは、廃墟となった街。高さ八百mの岩の台地の上に街が建っている。セーラは、崖のそばに立っていた。あと数歩下がれば、そのまま転落してしまうほどの場所に立っていた。髪も服も、風にはためいている。ごくりと、唾を飲んだ。


「セーラ、こっちに来い」


 セーラはくるりと振り返って、俺を見た。その目には、苦痛が満ちていた。


「どうして……?」

 セーラは、小さく呟いた。



 ――セーラが、俺の唯一だから。



「こっちに来い」

 セーラの質問には答えず、もう一度言った。


 セーラは、ゆっくりと首を横に振る。そして、下に視線を落とし、足を一歩崖に近づいた。


「セーラ。頼むから、こっちに来てくれ」

 そばに駆けつけたい気持ちをぐっとこらえて、言った。

 

 風が吹きつける。


 もしセーラが死んだら……その恐怖によって体がこわばった。


 ――死んでほしくない。

 ――失いたくない。


 俺は……セーラを失うのか? 

 だめだ、失いたくない。



 自分の行動を後悔していたが、そんなことより、今はこの状況をなんとかしなければならない。



「俺が悪かった」

「……あなたは、何者なの?」


 あぁ、そうだった。俺は、セーラに自分の名前すら伝えていない。呼んでもらいたかったのに、数分前……俺は何をしようとしていた? 後悔で心が折れそうになる。


「俺は、セイリオス」

「……あなたは、アークトゥルスなの?」

「あぁ。人間は、俺たちをそう呼ぶ」


 セーラは同種族ではないし、一緒にいられるのか見当もつかない。だが、俺は彼女が欲しくてたまらない。


「私は……帰りたい」

「あぁ、帰してやる。だけど、もう少し一緒にいたい」

「嫌よ。私は、今すぐに帰りたいの」

「セーラ、頼む。もう少しだけ。そしたら、セーラの行きたい場所に送り届ける」


 そして、セーラの目に訴えかけるように「俺は、お前を傷つけない」と言った。 


「……信じられない」


 セーラの目はうつろで、このまま落ちてしまうのでないかと思った。怖くて、乾ききった口を開いた。必死だった。


「約束する。セーラが、傷つかないように守るから」

「あなたなんかに、守ってもらいたくない。私は………あなたが怖い」

「最もな答えだ。セーラは人間で、俺はアークトゥルスだからな。だけど、もう二度とセーラを傷つけない。だから、こっちに来てくれ。なぁ、セーラだって死にたくないだろう?」


 セーラは、空を見上げた。朝の陽の光が、彼女の横顔を照らしている。陽の光を受けたセーラは、とても美しかった。


 セーラは何も答えずに、ただ大きな息を吐いた。


「セーラ」


 呼んでも、セーラは空を見上げたままだった。まるで聞こえていないかのように、存在していないかのように、それが余計に不安にさせた。


「セーラ、俺を見てくれ。お願いだ」


 泣きそうな声が出た。その声にセーラは驚いたように、こっちを見た。眉をひそめ、暗然とした表情を浮かべている。


「私は、帰りたいの」

「帰れる。帰してやる」

「いつ? ……いつまで、一緒にいればいい?」


 ――永遠に。


「一年」

「……無理よ」

「半年」

「……無理」

「三ヶ月」

「……そんな長くはいられない」

「いつまでなら、一緒にいてくれる?」

「…………一週間なら」

「一ヶ月」


 セーラは、悩んでいるようだった。やがて、大きな苦痛をこらえるように、ため息をついた。その後、ゆっくりと口を開けたが、何も発することなく口を閉じた。彼女の目は、一点を見つめていた。出会った時からセーラの瞳は表情が豊かなのに、今はその瞳からは心のうちは読み取れなかった。そして、セーラの口が覚悟を決めたように再び開いた。


「…………本当に、帰してくれる?」

「あぁ」

「…………本当に、傷つけない?」

「あぁ、傷つけない」

「…………約束できる?」

「あぁ、約束する。俺は、セーラを傷つけたくない」


 本当のことだ。

 セーラを傷つけない。

 誰からも傷つけさせたりしない。


「さっきみたいなことも……しないわよね?」

「セーラが、望まないならしない」


 俺が手を差し出すと、セーラは悩んだ後にゆっくり歩いてきて、俺の手を取った。その手の感触に、泣きそうになった。


「こんなことは、二度とするな」


 強く抱きしめたいという衝動を抑えて、セーラの頬をなでた。セーラは、うつむいたまま、こっちを見ることはなかった。


「しない。……たぶん、ね」


 その言葉にかっとなったが、どうにか感情を抑えた。


「決まりだな?」


 セーラが、ゆっくり頷いた。そして、こちらを見たセーラの瞳は、陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。不思議な瞳の色に目を奪われる。俺は……出会ってから、セーラの表情一つ一つに目が惹きつけられた。


 セーラは、どんな風に笑うのだろうか?

 その瞳は、どんな形になるのだろうか?


 セーラの笑顔は、どんなふうだろうかと思い描いた。



 ――自分に向けて、笑ってほしい。





 そう思った。


 

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