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はじまりの物語⑨


 アークトゥルスの腕の中で、私は身をこわばらせていた。殺されると思ったわけではなかったけど、かかえるように抱き寄せられ、その温かさに驚いていた。誰かと一緒に眠る、その経験がないわけではなかった。小さい頃は、夏目と一緒によく眠っていた。

 だけど、こんな風に抱き寄せられたのは初めてだった。魔力不足で冷えている体が、温まっていく。まともかどうかも分からないアークトゥルスの腕の中にいるというのに……。


 この状態が、不思議と心地よい。


 アークトゥルスは、私の首筋に唇をつけたまま眠っていた。力強い鼓動が、背中から伝わってくる。その規則正しさが安心する。体の力が、抜けていく。しかし、この温かさをくれる男は、アークトゥルス。時計の針に似た響きは、自分を死に誘う警鐘のようなもの。今も色鮮やかに残る赤の光景が、“早く、ここから逃げなさい”と私を急き立てる。


 ここから、逃げないと。

 アークトゥルスから、離れた場所に。


 眠りに落ちているアークトゥルスの呼吸は、穏やかで、ゆっくりとしている。それを確認しながら、少しずつ、少しずつ、腕をどかした。移動魔法が使えたら、簡単に逃げられるのに。ても、移動魔法が使えていたら、アークトゥルスに捕まっていなかった。


 諦めるように、ため息をつく。


 そして、再びアークトゥルスの腕をゆっくりと持ち上げる。長い時間をかけて、アークトゥルスの腕の中から抜け出すと、そろそろと起き上がった。アークトゥルスの整った顔に、ため息が漏れる。


 美しい、と思った。


 このアークトゥルスは、本当に美しい。そして、起きてほしくないと思うと同時に、目を開けて欲しいとも思った。あの綺麗な金色の瞳を見たいと思った。逃げなきゃいけないのに、金縛りにあったみたいに動けない。


 ……早く、逃げないと。


 どうにか体を動かした時、アークトゥルスの大きな手が私の腰を捕らえた。そして、一瞬で腕の中へ戻っていた。


「俺からは、逃げられない」 


 はっきりとしたその声に、アークトゥルスが眠っていなかったことを知った。腕の中で後ろを振り返ると、アークトゥルスはまぶたを開けた。その金瞳は寂しそうに揺れていて……なぜか、ひどく心が痛んだ。


「に、逃げようと思ったわけじゃない。ただ……」

「ただ?」

「ただ……」


 どうして、私が心の痛みを感じているの?


「私は……人間なの」

「知ってる。それが、なに?」


 アークトゥルスの指が、私の首をなぞる。そして、指がなぞった箇所を唇がかすめていく。


「や、やめて」

 声が震えていた。


「殺すのは、簡単なことだ」


 その声は恋人の囁きのように甘く優しくて、言っている言葉とは裏腹だった。


「私を……殺す、の?」


 アークトゥルスは、私の髪をそっと撫でる。私の質問の答えは返ってこなかったが、私の髪を撫でる手は……ひどく優しい。


「お前に触れたい」


 すでに触っているのに、これ以上……どこを触る気なの?

 

「お前の胸に、触れたい。お前にも、触れて欲しい」

「い、嫌よ!」


 強い拒絶の言葉を言った瞬間、自分でもしまったと思った。殺すのは簡単だ、と言われたばかりなのに。

 アークトゥルスも驚いたようで、一瞬だけ目を大きく見開いたが、すぐにニヤリと笑った。


「安心しろ、抱きしめて眠るだけだ」

「え? ……それだけ?」

「あぁ、それだけだ」

「本当に? 他には、何もしない?」

「あぁ、しない」

「なら、いいけど……」

「名前を知りたい」

「……え?」

「お前の名前を知りたい」


 名前? 私の?? それって……どういうこと?私のことを、誰かと勘違いしているわけじゃないの? それとも、その知っている相手の名前を知らないの? そんなことある??


 このアークトゥルスの考えが、全くわからない。


 人違いじゃないなら、どうして『やっと、会えた』と言ったの? どうして、私の名前を知りたいの? もしかして……名前って私の知っている名前のことじゃない? アークトゥルス特有のスラングかなんかで、違う意味があるとか?


「名前って……私の? 私が何て呼ばれているかってことを、聞いているの?」

「あぁ、そうだ。お前の名前は?」


 自己紹介? 

 アークトゥルスに??


 もう訳が分からなすぎて、私は考えることを放棄した。


「……セーラ」


 素直に答えた。すると、アークトゥルスは口元に優しげな微笑みが浮かべた。



 アークトゥルスは、化け物だという。笑いながら、人を殺す化け物だという。


 だけど、



 目の前のアークトゥルスは、化け物には不釣り合いな……優しげな微笑みだった。


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