水の城
私は今、シャラタン家の屋敷の蔵書室で、ステラ・マリス神殿について書かれた本を探している。
気になる本を見つけ、手を伸ばす。
古びた本を手に取ると、『黄道十二星座』と同じ独特のバニラの香りがした。
シャラタン家の蔵書室は、リゲル円形闘技場を彷彿とさせる半円型の造りとなっており、階段状に連なる書棚がある。その書棚の裏に、すぐに座って本を読めるように机と椅子が置いてある。そのスペースに座ると、本を開く。最初のページには、ステラ・マリス内の平面図が描かれていた。
巨大な岩をくり抜いて作られたステラ・マリス神殿は、通称「岩の神殿」と呼ばれている。神殿のことを知らなければ、通り過ぎてしまうような岩山に隠れた神殿。この神殿は、ステラ・マリスが隕石を落とした後にステラ・マリスへ祈りを捧げるために建てられた。
キャプリコーンが言うには、中に入ると薄暗いトンネルのような通路が半地下に伸びていて、その通路を進んで神殿内部に着いた途端、明るく広い空間が目の前に広がるらしい。岩壁と天井の間には、ガラス窓がはめ込まれていて、そこから陽の光が差し込み、岩の中とは思えないほど明るいという。
外から神殿だと分かりづらい造りになっていて、知らない人ならばただの岩山だと思うような――ステラ・マリス神殿。
……おかしくない?
ステラ・マリスの怒りを鎮めるために建てられたのなら、なんでこんな隠すような造りなっているの? どうして、地下に神殿を?
この世界の本は、いつも真実が隠されている。きっと、ステラ・マリス神殿も祈るためだけに建てられたわけじゃない。
平面図の線をなぞる。
――迷路のように、入り組んだ神殿。
その理由は、アークトゥルスから隠れるため?
――ステラ・マリスは、実在する人物。
もしかして、ステラ・マリスは、この場所で暮らしていた?
平面図を見ると、ステラ・マリス神殿は地下三階まである。地下には通路が張り巡らされ、まるで蟻の巣のよう。
ここで、一つの仮説を立ててみよう。
……昔、ステラ・マリス神殿で人々はアークトゥルスから隠れて暮らしていた。
ありえないことではない。十分、ありえなる話だと思う。地下なら食べ物の備蓄にも優れているし、これだけ複雑な造りならアークトゥルスに見つかったとても逃げのびる可能性も高くなる。それ以前に、ここに建物があることを知られることは、まずないだろう。
その時、ドアにかけた魔法に誰かが触れた。
ペンダントの中に本をしまうと、右手で移動魔法を操る。
「エリース、隠れることはない」
声に呼び止められた。それは久しぶりに聞く、お父様の声だった。
「アルフェラッツを屋敷に呼んだのは、お前と話がしたいと思っていたからだよ」
書棚の陰に隠れるようにしていたが、父から見えるようにゆっくりと足を踏み出す。
「いま、話ができるかい?」
「もちろんです、お父様」
お父様と話すのは、あの日以来だった。
……緊張する。お父様の顔を見ることができず、私は自分の膝の上にある自分の手を見つめていた。そんな様子の私にお父様が少し笑った気がして、顔を上げる。
「エリース、久しぶりだな。元気にしていたかい?」
お父様の声は温かで、そっと抱かれるような心持ちがした。それだけの泣きそうになってしまって、唇を噛みしめたまま頷いた。
お父様は、私の頭を小さな子どもにするみたいに軽くなでると「元気にしていて、良かった」と笑ってくれた。そして、ゆっくりと話し出した。私が聞きやすいように、間をとりながら。
「メサルティムは私の妹だが、生まれた時から一緒に育ったわけではない」
え?
一緒に、育っていない?
「メサルティムが、この屋敷に来たのは私がゾディアック学園に入って、少ししてからだった。それまで、自分に妹がいると聞いたこともなかったから、ひどく驚いたのを今でも覚えている。メサルティムが屋敷に来たのは、ゾディアック学園に通うためだと思っていたが、彼女は病弱で学園に通うことはできなかった。だから、私もエリースと同じように移動魔法を使って、メサルティムに会うために毎日屋敷に戻ってきていた」
「お父様も!?」
「意外かい? メサルティムも初めは驚いていたが、すぐに嬉しそうに笑ってくれた。そして……私たちは、本当の兄妹のように仲良くなっていった」
「……兄妹のように?」
「あぁ。エリースが驚いたように、この世界でも兄妹間の結婚は珍しいものだ。だから、私も……メサルティムに、自分の気持ちを言うつもりはなかったよ。メサルティムの笑顔を近くで見ているだけで、良かった。だが、卒業の年に父からメサルティムと結婚するようにと命じられた」
「……え?」
「メサルティムも了承していると聞いて、私は嬉しかった。だが、結婚して……すぐに、メサルティムの様子がおかしいことに気がついた。何が、というわけではない。ただ違和感を覚えることが、増えていった。でも、私はそのことを深く考えることはなかった。メサルティムがそばにいてくれることが嬉しくて、浮かれていて……。そして、エリース。お前が、生まれた。エリースという名前は、『明るく輝き、どんなときも前を向いてほしい』という願いをこめて、メサルティムがつけた。でも、その頃から徐々にメサルティムの病状が悪化して、とこに伏せることが多くなっていた」
本当に……メサルティムは、お母様は、人形なのだろうか? あのサイコの言葉が、全て真実だとは思えない。彼女は、頭がおかしい。
「エリースが生まれて、一週間が経った九月二十二日。メサルティムがひどく取り乱して、私の書斎にやってきた。あの日の会話を……私は、よく覚えている。メサルティムは、お前を守ってほしいと言っていた。そして、私を愛していると。どうか、それだけは信じてほしいと。…………ひどく怯えていたのに、私は大丈夫だとなだめることしかできなかった。メサルティムの目は、あんなに不安に揺れていたのに、真剣に話してくれていたのに、震えるメサルティムの体を抱きしめていたのに。私は、メサルティムの不安を理解してあげることができなかった。もっと、ちゃんと話を聞いてあげるべきだった。何度、後悔しただろう。あの日……そう、あの日が…………私が、メサルティムと過ごした最後だった」
「え? ……最後?」
母メサルティムがエリースを産んだのは、十九歳。脳死のような状態になったのが、二十二歳。産んでから眠るまで、三年あるはずだ。
「次に会ったメサルティムは……もう私の知っているメサルティムではなかった。私が愛した笑顔は、消えてしまっていた。彼は、私が愛していたメサルティムは…………人形だと言った。感情のない……ただの人形だと。そして、エリースには魂などないと」
「え? ……魂が、ない?」
「私たちは、ステラ・マリス神殿で挙式することによって、子どもを授かることができる。それは、神殿にあるトルマリンの力によるものだ。エリースは、知っているね?」
「はい、知っています」
「そのトルマリンには、生命の魔法……複製を作る魔法がかけられていると言っていた」
――複製?
……signの世界では、クローンによって、子どもが生まれているということ?
見分けができない、王子たち。
母メサルティムと生き写しのような、エリース。
貴族全員がブロンドなのも、不自然だと思っていた。王族にいたっては、全員がストロベリーブロンド。私がいた世界から見ると、ブロンドは稀な髪色。でも、ゲームの世界だから、signの世界だからと思っていた。
だけど、クローンによって子どもが生まれるのならば、全員がブロンドなのも納得がいく。クローン技術により生み出された場合、親とほとんど同じ遺伝的特徴を持って誕生する。外見によって身分がわかるsignの世界が維持できているのも、子どもがクローン技術で生まれているからなんだ。
……サイコの言葉は、真実だと思う。
同じ遺伝的特徴を持った子であっても、成育環境の違いなどにより、全く同じに成長するという訳ではない。クローンと言っても別の人間であり、性格や好みも違ってくる。同じ遺伝子情報を持っていても別人。だから、そこまで違和感がなかったんだ。
「そして、私は……彼女に言われて…………エリースを手離した。メサルティムは、自分の意思では上手く動かなくなっていた体で、必死にエリースを守ってほしいと訴えていたのに。私を愛していると言ってくれていたのに……私は、その手を離してしまった。メサルティムの言葉ではなく、彼女の言葉を信じてしまったんだ」
お父様は、どこかを見るように視線を遠くに投げた。そして、大きく息を吸ってから言葉を続けた。
「彼女に言われるままに、その指示にしたがった。メサルティムを返してくれるという言葉に、エリースに魂を与えてくれるという言葉に……私は抗うことなどできなかった」
メサルティムを、返してくれる?
エリースには、魂がなかった?
「約束通り、エリースに魂を与えてくれたのは……十二歳の時。魂の名前は『セラユーリ』で『違う世界から来た』と彼女は言った。そして、必ず“ゾディアック学園に通わせること“と“闘犬大会に参加させること“を指示された。私は指示に従い、学園に入れた。だが……お前の笑顔は、メサルティムによく似ていた」
父の手が、そっと俺の頬をなでる。
「嬉しい時や楽しい時には、はじけるような笑顔を見せてくれた。メサルティムと違ったが……その笑顔に、私は癒された。同時に、お前の笑顔を守らなければと思った。メサルティムが守ろうとしたエリースを、今度こそ守りたかった」
――お母様は、人形じゃない。
そう言いたかった。だけど……そんな簡単に言える言葉じゃない。
私に言えることは、一つだけ。
――これだけは、確かなこと。
「ありがとうございます。お父様は、いつも私を守ってくれた。あなたが……私の父で、本当に良かった。私は、お父様が大好きです」
感謝している、心から。
いつも、私を守ってくれたこと。
いつも、私のことを考えてくれたこと。
いつも、私にその手を伸ばしてくれたこと。
あなたが私の父で、本当に良かった。




